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【第二章】愚者王の恋

15.

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「ないなら死ね」



 今の状況で一番聞きたくなかった声。その声が真横から聞こえ、今世紀最大のホラーを味わった気がした。
 そう、男は真横にいた。
 しかも、伊久磨とパラスの顔の間の隙間から地獄の覇者のようなおぞましい形相で睨み上げていた。距離感が完全にバグっている。昔一度だけ見た『シャイニング』というホラー映画を思い出したので、やはり《生きている人間が一番怖い》という事実を身をもって理解した気がした。


【うごォぉえぇ……!!】


 ジェニは、黒革の手袋をつけた大きな手でパラス嬢の首を掴み、そのまま伊久磨から強引に引き剥がした。引きはがされたパラスは白目を剥き、口から泡を吹き、少女とは思えないほど見るも無残な形相だ。



「ジェニ!! やめるんだ!!」
「…………お前、第一声が『それ』なのか?」


 ギョロリと、ジェニがパラスをつるし上げながら瞳だけでこちらを威圧してくる。
 


「お前がそんなだから、このような愚か者がでてくるのだ……あぁ、景気づけに、目の前でこの女をミンチにして自戒させてやろうか?」


 パラスの首を掴んでいるのと逆の手で、ジェニが人差し指をくいっと曲げる。
 すると、一定の距離を保っていた剣たちが一気にパラスの身体を串刺しにせんばかりに接近してくる。

 ジェニは完全に【切れて】いた。

 今までのキレ方とは比べ物にならない。本気で怒っている。手が滑ったと言って嗤いながら、パラスの身体を八つ裂きにしかねない。
 だからこそ、伊久磨は動じることなく、逆に冷静になれた。



「止めるんだ」
「……あぁ?」


 声を荒げることなく、静かにジェニへ言う。
 ジェニの眉間に深い溝が刻まれ、額に青筋が浮き出てていた。


「彼女をはなしてくれ、話がしたい」
「それは残念だ。首だけで良いのなら話す場を設けてやってもいいが」
「お願いだ。彼女は悪くないんだ」

「お前の脳みそは花畑かなんかなのか?」


 ハートのクイーンの能力を奪われた挙句、汚らしく使われているんだぞとジェニが言う。
 《ハートのクイーン》、またそれか。
 なぜか伊久磨はその時、ジェニへの恐怖よりも《苛立ち》が勝った。


「そんなものはどうでもいい!! 僕は彼女と話がしたい! 解放してくれ!」
「それが人にものを頼む態度か!! 許可できんなァ!!」
「じゃあ脱ぐ!」

「あ?」

「この場で僕はこのドレスを脱ぐと言っている!!!」


 瞬間、完全に周囲の時が止まった。
 パラスだけが「がぼッ、たずげでぇ……」と呻いているが、ジェニは言葉を失ったかのように口を開けたまま制止し、ダノワは両手で口を塞いで息をのんでいる。
 そんな二人を一喝するかのように、伊久磨はガッッとドレスの胸元を掴んだ。 


「《ハッタリできないもの》だと思っているだろうッ!? エガリテちゃんごめんッ!! 弁償するッ!!!」
「貴様は馬鹿かァーーーッ!!?」


 伊久磨が勢いよくドレスを左右に引き裂かんと掴み、ビビビッと繊維が裂ける音がしたと同時に、ジェニが剣を操作していた指先を、伊久磨の胸元のドレスへ向けた。
 瞬間、それまで空中に浮いていた剣たちがバラバラと地面に落ちる。けたたましい金属音が鳴る中、ジェニが拳をきつく握り、上空に拳を突き上げるように腕を振り上げると、引き裂かれかけていたはずのドレスの布地が、まるで魔法でファスナーをしめられたかのように、グンッと首元まで縫われた。


「ッ何をするんだ!!」
「それはこっちのセリフだッ!! この状況でイカれてるのか!!」
「君に言われたくない! 彼女を放してくれ!」
「馬鹿の一つ覚えか貴様ァ~~ッ!! ふざけるな!! ドレスから手を放せ!! ダノワ・アイリス・スパーダ!! ちらりとでもこっちを見たら目玉を抉り出して虫に食わせるからな!!」
 

 ジェニの威嚇にダノワは「僕は騎士道に反することはしませんッ!!」と伊久磨らに背を向けているが、首元まで真っ赤だ。
 
 なおもドレスを破こうとする伊久磨。絶対に肌を晒させたくないジェニ。
 一触即発のにらみ合いは約数秒間続き――。
 

「――クソがッ!!」
【ゴハッ、うげ……ッ!!】


 ついにジェニが折れ、パラスをゴミのように投げ捨てた。
 地面に崩れ落ちたパラスは口から赤黒い血のようなものを吐き出しながら、うずくまる。


「大丈夫かい!?」
【――ッさ、わるナァアア!!】


 瀕死状態のパラスに伊久磨が駆け寄り、その背に手をかけようとした瞬間、パラスは骨のような腕で伊久磨の手を手ひどくはねつけた。


【ギモ、ギモチワルイ善意の証明に!! ごの、ワタクシヲッ利用するなんテェ!!】


 パラスは泣いていた。
 尚も、おえおえと墨汁のような液体を吐きだし、蒼白の顔を体液で汚しながら、胡乱だ瞳で伊久磨をにらみつける。その様子に、ジェニが再び、すっと手を上げようとしたのを伊久磨が「手出ししないでくれ」と止める。


「姉さん! 命の恩人になんてことを!!」
「ダノワ君も動かないで。これは僕とお姉さんの話だ」
「うう!!」

 背を向けたままのダノワが震える。しかし、その手はしっかりと日本刀の柄を掴んでいた。
 振り向きざまに抜刀して剣技を飛ばされては、いつまでたっても事態は収束しない。地面につっぷし、ぐずぐずになっているパラス、そっと声をかける。


「君は、このままだと本当に死んでしまうよ……?」
【ワダグジはッ、《ハートのクイーン》の力を手に入れタのよ! 死ぬわけ、ないワ!!】

 パラスの苦しみようからして、脅しではなく、本気でジェニは彼女の首の骨を一度へし折ったのではないだろうか。青紫色のアザがつくほどジェニに掴まれていたパラスの首が、皮下でゴキゴキと音を出しながら骨がうごめき、ゆっくりと元の白い首へ再生している――これが、ハートのクイーンの力なのだとすると、少しおぞましい感じがする。


「うん、そう思うよね。でもね、君の心と体は限界なんだと思うよ」
【エ……?】


 君は、ずっと努力し続けてきたみたいだから、なおさらそうなんじゃないのかな?
 伊久磨が優しく問いかける。母親のような穏やかで温かい声音。
 胡乱だパラスの瞳が、伊久磨に向けられる。
 やっと瞳が合ったことに、伊久磨はにっこりとパラスに笑顔を向ける。


「心も体も、自分が思うより鈍感にできているみたいなんだ。頑張り屋さんほど限界だったって気づいた時には、すでに壊れてしまっているときもある……本当はね、この能力も全部君にあげたいくらいなんだ。でも、そんな力がなくても、すでに君は立派な――」

【……勝手なコトをッ! やっぱり!! このチカラが惜しいんでしョ?!】


 パラスが唇を噛みしめて睨みつける。


【絶ッ対にかえさないッ! もうこのチカラはワタクシの……!!】
「パラスちゃん」


 静かに伊久磨が声をかける。
 パラスは、その瞳を見てハッと息をのんだ。


【ァ……アンタ……なんで……その瞳………】
「残念だけどね、君の身体におさまっている、そのハートのクイーンの能力はね」


 ――まだね、これだけあるんだよ。

 伊久磨が上空をさし示す。
 すると、空には城一戸分はありそうな、空を埋め尽くすほどの眩い光と、薔薇色の巨大なハートの結晶。
 

「多分だけど、君の体には入りきらない」
【う、うそ………】
「君が僕に触れたことで、君の身体に入りきれなかった力が僕の中に戻ってきてしまったみたいなんだ」


 そういう伊久磨の瞳は、うっすらとではあるが、あの《ハートマークの瞳孔》になっていた。
 だから、パラス嬢も見えるようになったし、言葉も理解できた。こうして、残りのハートのクイーンの力を顕現させることができるくらいには、パラスの身体に収まり切れず、あふれ出ていたハートのクイーンの力は膨大だったのだ。

 逆に、今までこれだけの能力が自分の細胞におさまっていたというのも恐ろしいが、高熱だけで済んで自分は幸運だったのかもしれない。



「君の《本体》は地下牢だね?」
【あ……あ……】
「今の君は、魂の状態だけでこちらにきたんだね」
【うう……】


 そうでもしないと、ハートのクイーンの能力が重すぎて見動きすらとれなかったのだろう。
 それでも、魂だけになって移動するというのはうまく能力を使用したようだが、それも限界があったようだ。 
 さらに、体に合わない能力をこのように乱用したことで、魂がやせ細り、このように白く怨霊のようなやせ細った姿になってしまった。これ以上無理に使用していれば。きっとパラスの魂は砕け散ることは目に見えている。


「この能力、消せなかったんだね」
【違ッ……しようと、したワ! ハートのクイーンなんてイラナイって……!! そんな力なくてもワタクシナラ国を治めることがデキルって……!!】


 ハートのクイーンの能力は、消したくても消すことができなかった。
 しかし、伊久磨の身体にとどめておくことも我慢ならず、結果的に自分の身体を器にしてエネルギーを移し替える黒魔術しか方法がなかったのだ。


【今マデ! ハートのクイーンなんてイナカッタ! ソンナモノがいなくてもこの王国を守れるように! ワタクシはこの能力を磨いて! 努力してキタ!】

「うん」

【ナノニ!! アンタがきてッ……全部もっていったノヨ……!! ワタクシが人生をカケテ……なの二、誰も、褒めてクレナイ……ジェニサマも、お父様もお母様も、ダノワまで……ッ】

「……姉さん」


 姉の悲痛な叫びに、ダノワが振り返る。
 パラスもダノワを見て、【薄情モノ……】と涙を流す。好きなことになると一直線になる姿は、やはり姉弟なのだろう。
 そういえば、と気になってジェニを見る。彼は少し離れたところで腕を組み、黙ってこちらを静観していた。相変わらず目線は凶悪だが、あれだけ騒いでいた割には、ちゃんと伊久磨の言葉に従っているようだ。


「パラスちゃん、どうする? この能力」
【……モウ、……イラナイわ……つかれた………】


 その場に座り込んだパラスが力なく、うなだれる。


【ダって、ハートのクイーンにナッテも、全然、満たされナイ……アンタのように、ナレナイし……ジェニ様は一度たりとも私を見てくれない……】


 細くやつれた白い手を見て、【コンナノ、ワタクシが、カワイソウだわ……】という。



「そっか」


 そっかぁ……。
 伊久磨はパラスの細い肩に両手をそっと置きながら、空を見上げた。
 青い空を埋め尽くす、ハートの輝き。美しいが、恐ろしさも兼ね備えたその圧倒的な力。
 パラスが望むのであれば、この能力を譲渡したいとかんがえていた。
 
 うーん、と思い、傍観したままのジェニを見る。
 

「ジェニ、これいる?」
「いるか、そんなもの。俺は《キング》だぞ」


 ケッと、唾でも吐きそうな顔で言う。あれだけ《ハートのクイーンそんなもの》に固執していたくせに、と非難めいた視線を向けてしまう。


「未来のお嫁さん用にとっておくことはできる?」
「自分の事を言ってるのか?」
「いや、冗談でなくてね」
「………お前、俺が《ハートのクイーン》としか結婚しないと思ってるのか?」

「は?」


 いや、そうだよね? 
 思わず、温厚な伊久磨もさすがにキレそうだった。


「自分でそう言ってたじゃないかッッ! しかも何度も!!」
「馬鹿が。《ハートのクイーン》とお前が一緒になっただけで、どちらかを取れと言われたらお前にきまってるだろうが」


 《ハートのクイーンそれ》はだ。


「《キング》の番は《クイーン》。説明もしやすいし、周囲も納得させやすい。何より、すぐ逃げるお前の退路を塞ぐのに便利だからだ。お前がハートのクイーンでなくなるのなら、それはそれで能力も使えなくなって逃げないし、信者共も消えて都合もいいしな、正直どっちでもいい」


 それより、その女はやくどうにかしないと本当に死ぬぞ、とどうでもいいようにパラスを指さす。


「クイーンの力を制御しきれていないせいで、自分の黒魔術にも飲み込まれかけて、愚者化ジョーカーしかけている」


 ジェニが指摘すると、パラスはまたおえっと黒い液体を吐いた。
 人を呪わば穴二つ。パラスの黒魔術は確かに優秀だったのだろうが、世界線まで超えた強力な術に、代償が大きすぎたのだろう。確かに、白かったはずの四肢が少しずつ闇に飲み込まれるように変色している。
 また、新しい愚者が産まれかけていた。



「……じゃあ、わかった。もういいよ」



 僕がもらうよ、と嘆息し、伊久磨はその場で立ち上がると、上空に手を掲げた。




「《集えつど、クイーンオブハート》」




 伊久磨が声を出した瞬間。
 上空をくるくると回転していたハートの結晶が、星屑のように弾けた。

 輝く結晶は宝石のように光り輝き、オーロラのように空を彩る。凄まじい轟音とともに、その結晶の光は伊久磨の身体の周りに集結し、伊久磨の身体がふわりと宙へ浮かぶ。
 その神々しい光景に、パラスもダノワも釘付けになっていた。


【こ、コンナの……相手に………】


 最初から、勝てるわけなかったんだわ。

 まさしく、その光景は《ハートの女王クイーンオブハート》。

 光の集合体はパラスの時とは異なり、太陽のように煌めき、桃色から七色へ光彩を変えながら伊久磨の胸元へと吸い込まれていく。神話の一ページのような光景。
 すべての光を胸の聖痕へとおさめきった伊久磨の瞳は、先ほどよりも増して美しい瞳になっていた。そうして、パラスへとその指先を向け、伊久磨を見上げる顔に手をかざす。



「パラスちゃん、よく頑張ったね」


 慈愛の微笑み。すべてを許すその穏やかな声に、パラスは涙した。
 その瞳を向けられたと同時に、パラスと伊久磨の身体があの《聖母アルジーヌ像の噴水》の中へと移動していた。 
 パラスの手足が噴水の水に触れると、そこから浄化されるような心地よさが広がる。

 

「《女王クイーンの名において命ずる――》」



 彼女の魂と傷を癒せ。
 

 伊久磨の宣言とともに、噴水の水は桃色に輝きを放ち、天まで届くような水流となって二人を包み込んだ。



◇◇◇





「~~~ぶはぁッ!!」

「愛宕様! 姉さん! 大丈夫ですか?!」



 噴水の水流が落ち着くと同時に、伊久磨がパラスをお姫様抱きをするように抱きかかえ飛び出した。全身ずぶ濡れのままの伊久磨にダノワが駆け寄ると、伊久磨は無言でパラスを渡した。


「君は、お姉さんを頼む」


 言われて、慌てて伊久磨の腕から姉を引き上げたダノワ。その腕に抱かれたパラス嬢は、あの亡霊のような姿ではなく元の少女の姿に戻っていた。広間で見たままの健康的な肌の色。太ももの傷も綺麗に治っている。顔色もよさそうだ。びしょ濡れであるにも関わらず、スースーと穏やかな寝息を立てている。


「失礼!!」
「あ、愛宕様!?」


 びしょ濡れのパラスのドレスの裾をまくり、太ももを確認する。


「……よかった、戻ったみたいだね」


 そこは、綺麗な肌で――スペードマークの聖痕はなかった。そのことにほっと安堵しながら、「申し訳ない、まだ僕も女の身だから許してほしい……とお姉さんに」と顔を真っ赤にしたダノワに謝罪する。
 

 そう。まだ女の身体のままだった。
 胸元を見ると、くっきりと桃色に光る聖痕。戻ってきたそれは、変わらず《ハートにティアラ付き》。


「でも、なんでまだ女の子のままなんだ?」


 やっぱり、パラス嬢に術を解いてもらわないともどれないのかな?
 伊久磨が首をかしげていた時だ。



《お疲れさまです。さすがの手腕ですね、アルジーヌ!》




「んん!?!」



 天から聞こえる声。
 驚いて見上げると、太陽だと思っていた光がどんどん近づいてくる、そして―――ぼふんと、その大きな胸元に顔が埋まるくらい強く抱きしめられた。
 
 え、誰?
 

《あぁ! その高貴な姿。まさしく私の愛しい子、アルジーヌよ……!!》


 伊久磨以上の大柄の女性。もしかすると、2メートル近いかもしれない大きな体。
 豊満な胸元に、太陽に愛されし褐色の肌。金色の瞳に、エジプト神のような漆黒の長い黒髪。そして、神々しいまでの金色の装飾と金のドレス。
 さらに言うなら、その頭上には、太陽の光を思わせる様な光の環。冠が浮いている。


貴女アルジーヌなら、私の与えたこの《試練》も乗り越えられると信じておりました……》

「どちら様ですか?!!!!」


 解説を求めるようにジェニを見ると、ジェニはこれ以上ない苦々しい顔と舌打ちをしながら、大柄な女性から伊久磨の身体を剥がすように奪う。



「暇もここまでくれば立派なものだな、創造神よ」
「そ、創造神……!?」



《そう、この姿でお会いするのは初めてでしたね――私は、創造新AⅠ》



 この世界の、神です。
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