上 下
32 / 36
【第二章】愚者王の恋

12.

しおりを挟む
「貴方は愛宕伊久磨あたご いくま様ですか?」


 はっきりとした、流暢な日本語。
 ――え、日本語?


 振り返った先には、艶やかな黒髪にアメジスト色の瞳を持った美青年。どことなく、まだ幼い感じがする。成長したら迫力のある男前に成長しそうだ。
 身長は、男の時の自分と同じか、それ以上。ジェニほどではないが、かなり高身長だ。
 ジェニが以前着ていたような黒い軍服に、菖蒲あやめ色のマント。騎士なのだろうか。腰には何本もの剣を帯刀している――あれは、日本刀?


「はい、そうですが……」
「やはり、そうでしたか」


 伊久磨が認めると、厳しい眼差しをふっと和らげる。少し緊張していたのだろうか。


「後姿を拝見し、もしやと思いお声をかけさせていただきました」


 彼はそういうと、伊久磨に対して上体を倒し、まるで日本軍人のような最敬礼をしてみせた。


「ご無礼をお許しください」
「気にしないでください。ええっと……君は?」


「私は、北の大地を守るスパーダ伯爵家の息子。ダノワ・アイリス・スパーダと申します」


 この度は、姉パラス・スパーダが愛宕様に大変な無礼をおかけしましたことを、お詫び申し上げます、と再び頭を下げられる。


 姉?
 スパーダ?


「…………あ!」


 ジェニの婚約者の、弟さん!?
 
 言われてみれば、先ほど目にしたパラス・スパーダ伯爵令嬢と似ている。
 髪の色もそうだが、意志の強そうな迫力ある瞳と言い、眼差しと言い。彼女の弟さんなら、もっと年下なのだろうが、それを感じさせない貫禄と風格に満ちている。おそらく、軍服についている勲章やマントも、きっと彼の地位と実力を示しているのだろう。


「あぁ、いえ、そんな………」


 いや、そんなことあるな?
 思わず流れで「そんな気にしなくていいですよ」と、日本人的なことを言いそうになってしまったが、それはそれで違うだろうとも思い、口をつぐんだ。
 

 せめて、男に戻してほしい、とは思うから。


 本当にパラス伯爵令嬢が自分を女性にし、ハートのクイーンの能力を消したのだとしたら、最悪、ハートのクイーンの力はなくてもいい。あれは自分には大きすぎる力だから。なんなら、自分以外の、その名にふさわしい女性に譲渡したいくらいに思っていたくらい。

 自分があの力を失ったことで、今後、ジェニとの《婚約》が継続するかどうかも怪しい。
 自分一人が元の生活にもどるのであれば、男に戻るだけで十分だ。
 

「――愛宕様には、ハートのクイーン様には命を助けていただきました」
「へ?」

「……あの日、愚者ジョーカーの軍勢がこの王城まで押し入った時、我々騎士団だけでは力不足でした」


 ジェニの婚約者の弟。
 そのことから、思考があちらこちらに飛んでしまっていた伊久磨に、ダノワが語りだす。一瞬、内容が理解できず反応が遅れたが、《騎士団》というワードに、あっと息をのんだ。



『――騎士団は全員突破されたのか』



 苦々し気なジェニの声が脳裏によみがえる。
 伊久磨の覚醒した能力で、王城の上空にテレポートしてしまい、逃げ惑う人々を目にした時の発言だ。


「あの時の……」
「はい。上空にハートのクイーン様が降臨された瞬間。私は神話の中でしか存在しないと思い込んでいた、聖母アルジーヌをこの目で見た気がしました」


 
 それは、この世の何よりも美しく、神秘的な御姿でした。
 青年ダノワは静かに語り、そのアメジストの瞳に熱を灯して、伊久磨を見つめる。


「あの時、私は効き腕を負傷しておりました。他の騎士団達も感染し、仲間内での争いが起き、地獄のような光景でした。……ですが、ハートのクイーン様の慈愛の力で仲間は正気を取り戻し、私も傷が回復し、再びこうして刀を持つことが許されました」


 本当にありがとうございます、とその場で片膝をつかれる。
 当時の記憶が曖昧な伊久磨としては、「お役に立てたのなら光栄です」と無難な返ししかできない。というか、本当にあれは自分の能力だったのだろうか。その時は、ジェニの事やら体調不良やらで頭がパンクしていたせいか、全く実感がない。


「あ、ということは――僕が女性でないのも知って?」
「はい。ですので正直驚きました」


 驚いている風には見えなかったけどな、と思いつつ見ていると「女性になった愛宕様は聖母アルジーヌと瓜二つなのですね」と更に衝撃的なことを続ける。


「その、聖母アルジーヌって、人類最初の人間を産んだっていう神様?」
「左様です。この噴水の女神像のモデルでもあります」
「へ?!」


 振り返って、改めて噴水を見上げる。
 女神の彫刻らしき女性。幼子を抱くその様子は白い彫刻なので、色はわからないが、確かに、髪の長さや顔つきなどが今の伊久磨に似ていないこともない。


「そう、なんだ……」
「愛宕様は……祖国である《日本》に戻られるのですか?」



 日本。その言葉に、また驚いて、ダノワの目を見る。




「………君は、どうして日本語が話せるの?」



 ずっと気になってはいた。あまりに自然に会話が進むので、忘れかけていた疑問を口にする。
 すると、青年は「あぁ」と、感情のない声を出し「私の日本語が不十分で、不快な想いをさせてしまいましたか?」と返された。



「いいえ。君の日本語は素晴らしいよ。発音も綺麗で、聞き取りやすい。ただ、どうしてそんなに流暢に話せるのかが気になって……気分を害したならこちらこそ、申し訳ない」
「そうでしたか。愛宕様にお褒め頂き光栄です」


 青年は安心したように立ち上がると、またまっすぐに伊久磨を見つめる。
 その瞳には一点の曇りもなく、パラス嬢と同じようにキラキラと光に満ちていた。まるで、伊久磨の背後に、この場にいない誰か想うかのように。



「――私の祖母が、《日本人》でしたので、日本語は祖母に教えていただきました」

「……え」

「もう何十年も前の話です。スパーダ地方に《スペードのクイーン》として降臨したのが、今は亡き祖母でした」



 当時、祖母は《ジョシコウセイ》だったそうです。
 その言葉に愕然とした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R18BL】世界最弱の俺、なぜか神様に溺愛されているんだが

ちゃっぷす
BL
経験値が普通の人の千分の一しか得られない不憫なスキルを十歳のときに解放してしまった少年、エイベル。 努力するもレベルが上がらず、気付けば世界最弱の十八歳になってしまった。 そんな折、万能神ヴラスがエイベルの前に姿を現した。 神はある条件の元、エイベルに救いの手を差し伸べるという。しかしその条件とは――!?

そばかす糸目はのんびりしたい

楢山幕府
BL
由緒ある名家の末っ子として生まれたユージン。 母親が後妻で、眉目秀麗な直系の遺伝を受け継がなかったことから、一族からは空気として扱われていた。 ただ一人、溺愛してくる老いた父親を除いて。 ユージンは、のんびりするのが好きだった。 いつでも、のんびりしたいと思っている。 でも何故か忙しい。 ひとたび出張へ出れば、冒険者に囲まれる始末。 いつになったら、のんびりできるのか。もう開き直って、のんびりしていいのか。 果たして、そばかす糸目はのんびりできるのか。 懐かれ体質が好きな方向けです。今のところ主人公は、のんびり重視の恋愛未満です。 全17話、約6万文字。

こんな異世界望んでません!

アオネコさん
BL
突然異世界に飛ばされてしまった高校生の黒石勇人(くろいしゆうと) ハーレムでキャッキャウフフを目指す勇人だったがこの世界はそんな世界では無かった…(ホラーではありません) 現在不定期更新になっています。(new) 主人公総受けです 色んな攻め要員います 人外いますし人の形してない攻め要員もいます 変態注意報が発令されてます BLですがファンタジー色強めです 女性は少ないですが出てくると思います 注)性描写などのある話には☆マークを付けます 無理矢理などの描写あり 男性の妊娠表現などあるかも グロ表記あり 奴隷表記あり 四肢切断表現あり 内容変更有り 作者は文才をどこかに置いてきてしまったのであしからず…現在捜索中です 誤字脱字など見かけましたら作者にお伝えくださいませ…お願いします 2023.色々修正中

転生令息は冒険者を目指す!?

葛城 惶
BL
ある時、日本に大規模災害が発生した。  救助活動中に取り残された少女を助けた自衛官、天海隆司は直後に土砂の崩落に巻き込まれ、意識を失う。  再び目を開けた時、彼は全く知らない世界に転生していた。  異世界で美貌の貴族令息に転生した脳筋の元自衛官は憧れの冒険者になれるのか?!  とってもお馬鹿なコメディです(;^_^A

配信ボタン切り忘れて…苦手だった歌い手に囲われました!?お、俺は彼女が欲しいかな!!

ふわりんしず。
BL
晒し系配信者が配信ボタンを切り忘れて 素の性格がリスナー全員にバレてしまう しかも苦手な歌い手に外堀を埋められて… ■ □ ■ 歌い手配信者(中身は腹黒) × 晒し系配信者(中身は不憫系男子) 保険でR15付けてます

僕のお兄様がヤンデレなんて聞いてない

ふわりんしず。
BL
『僕…攻略対象者の弟だ』 気付いた時には犯されていました。 あなたはこの世界を攻略 ▷する  しない hotランキング 8/17→63位!!!から48位獲得!! 8/18→41位!!→33位から28位! 8/19→26位 人気ランキング 8/17→157位!!!から141位獲得しました! 8/18→127位!!!から117位獲得

異世界に召喚されて失明したけど幸せです。

るて
BL
僕はシノ。 なんでか異世界に召喚されたみたいです! でも、声は聴こえるのに目の前が真っ暗なんだろう あ、失明したらしいっす うん。まー、別にいーや。 なんかチヤホヤしてもらえて嬉しい! あと、めっちゃ耳が良くなってたよ( ˘꒳˘) 目が見えなくても僕は戦えます(`✧ω✧´)

【完結】僕の異世界転生先は卵で生まれて捨てられた竜でした

エウラ
BL
どうしてこうなったのか。 僕は今、卵の中。ここに生まれる前の記憶がある。 なんとなく異世界転生したんだと思うけど、捨てられたっぽい? 孵る前に死んじゃうよ!と思ったら誰かに助けられたみたい。 僕、頑張って大きくなって恩返しするからね! 天然記念物的な竜に転生した僕が、助けて育ててくれたエルフなお兄さんと旅をしながらのんびり過ごす話になる予定。 突発的に書き出したので先は分かりませんが短い予定です。 不定期投稿です。 本編完結で、番外編を更新予定です。不定期です。

処理中です...