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【第一章】ハートの女王は靡かない

15.

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「――君は、君とともに国を守れる人と一緒になるんだ。それは、僕じゃない」





 とどめのような伊久磨の一言に、お互いの時が止まる。
 伊久磨は揺らぎない瞳で真っすぐにジェニを見つめていたし、ジェニも切れ長の瞳を大きく見開きつつも、伊久磨の真意を見極めるように目線は逸らさなかった。
 
 二人のすぐそばで事の成り行きを見ていたエガリテ王女だけが、この世の終わりのような表情でおろおろと兄と伊久磨を交互に見ていた。
 
 

「すまない、本当に……」

「――わかった」



 沈黙に耐え切れず、先に口火を切った伊久磨の言葉にかぶせるように、ジェニの掠れた低い声が、形良い唇から紡がれる。



「お前の気持ちは、わかった」
「お兄様……」



 静かに語り、それまでまっすぐに伊久磨を見ていた目線を下におろすジェニ。
 それを見つめるエガリテ王女も、苦しそうに瞳を伏せた。
 

 ――ごめん。
 傷つけたいわけじゃなかった。悲しい想いなんてさせたくなかった。


 それでも、ここだけはどうしても譲れなかった。
 下した決断が身勝手すぎるという事は、自分が一番理解している。むしろ、ここまで親身に自分に関わってくれたジェニだからこそ、こんな自分では、彼には釣り合わないと判断したのだから。


 数十秒にわたる沈黙。
 そろそろ、何らかの反応を覚悟していたその時だ。




「――時に聞くが」
「……え?」



 ジェニが口を開く。





「お前のじいさんは病気か何かか?」




 死にそうなのか?

 顔をあげたジェニは、普通の顔をしていた。
 吹っ切れたように――と表現するのも少し違う。本当に、雑談を始めたかのような普通の顔。完全に葬式状態だった空気を一転させる質問に、伊久磨の方が露骨に戸惑った。



「え……あ、いや……その、病気かもしれない、というか。検査にひっかかって、来週精密検査を予定していて……」


 
 慌てて答えるが、言いながら異世界の人物に『精密検査』といった言葉が通じるのだろうか。
 そもそも、先ほどつい『じいちゃん』と口走ってしまったが、ジェニも「じいさん」と発言したことにも、内心驚いていた。
 この世界でも、祖父のことをじいちゃん、もしくはじいさんと呼ぶのだろうか。

 普段なら配慮できる言葉の壁も、今の伊久磨は混乱していたせいもあって、脳を介さずにぺらぺらと話してしまう。
 それくらい、ジェニの切り替えの早さに動揺していたのだ。
 

 確固たる帰る決意を決めただけに「帰るな!!」と問答無用で言われるよりかは断然よかったのだが――ジェニの反応に、奇妙な違和感がぬぐえない。
 
 

「なるほど、まだ死んではいないわけだな。ばあさんの方はどうだ」

「えっと…………元気、です」

「そうか。どっちもすぐに死ぬって感じでもなさそうだな」

「……………」




 え、どういう、こと?



「要約すると、老い先短い祖父母を安心させるために結婚を希望したのに、その祖父母を見捨ててまで異国の地で悠々自適に暮らすつもりはない。そういうことか?」


「……………さ、左様で、ございます」



 左様でございます、そうしか言えない。
 むしろ、これ以上ない完璧な要約だ。
 


「ならば、話は早いな」




 二ッと王子が不敵に笑う。
 意地悪く口角をあげたその顔が、まるで映画のワンシーン化のように芸術的な美しさと色気があって、伊久磨は息をのんだ。



「あ、あの……?」

「おい、その後生大事にしてるをかせ」

「え、あ……『スマホ』のこと?」



 ポケットに指をさされて、慌ててスマホを取り出す。
 水没してから色々あったせいで、結局電源を入れずじまいのスマホを取り出した。


 元々このスマホは防水仕様。なので、丸一日近く放置していたことで、そろそろ電源をいれても基盤がショートする危険性は少ないだろうが――その前に、最近はバッテリーの減りも早かったので放電による電力不足で、起動できるかも怪しい。
 

「これです」


 とりあえずは、指示されたままにポケットからスマホを取り出し、躊躇なくジェニに渡す。ジェニはそれを手袋を外した状態の右手の、手のひらの上に置くように受け取った。



「――ふん、昔に比べてずいぶん軽くなったもんだな」

「は?」

「まあいい、《解析》」



 ジェニの言葉に反応し、彼の額にある王冠の紋章がぶわりと黄金色に光りだす。力の強さなのだろうか、彼の細めの金糸も揺れている。

 同時に、右手に持っていたスマホが宙に浮いた。
 魔法を見ているかのような光景に唖然としていると。



「――水没したみたいだが、基盤の損傷はなし。大丈夫そうだな――《王が命じる、起動せよ》」



 続けてジェニが唱えると、〈フォン〉と音を出して、スマホの画面が点灯し、起動した。




「――で、電源がついた!?」



 繰り返すが、ここにきてからまともに充電していない。
 なのに、秒でついたのだ。彼の光は電力なのだろうか。
 目の前で起こっていることが受け入れられない伊久磨の後ろで、エガリテが「さすがお兄様ですわ~~!!」と感嘆の声と惜しみない拍手を捧げている。



「ど、どういう……!? これは一体、何が起こってるんだ!?」

「それはもう伊久磨様、これがお兄様の能力ですわ!」

「能力!?」

「そうですわ! お兄様は、歴代トランプ王家の中での最大の最強の能力――」


 《天才》なんです♡
 華麗なウィンク付きで語られた能力とやら。それは、確かにジェニのためだけに存在するかのような言葉ではだったが。


「そ、それって具体的にどういう」
「《天才》は生まれ持った神に近い素質でもあるので、具体的にこのような能力があると説明することは難しいのですが――」


 うーんと、エガリテも説明に窮するように首をひねらせる。


「お兄様は、すべての《困難》を解決し、すべてを《可能》にするのです。お兄様の前では、すべてのモノは《命じられるだけの存在》となり、お兄様の意に反することは《不可能》」
 

 唯一、絶対的な伴侶である
 


「それ、って……」

「《王が命じる、クイーンの帰路を示せ》」




 伊久磨がエガリテに声をかけたと同時に、ジェニが命じる。
 
 王の勅命を受けた、スマホを中心に黄金色の魔方陣がぶわりと広がった。
 それは、この世界に引き込まれた時にみた魔方陣と同じものだった。




「これで帰れるだろう」
「え、あ、あの……」



 ジェニを中心に神秘的な光の渦が渦巻いている。
 それはとても心地よく、朝焼けに反射して幻想的ですらあった。
 
 目の前に現れた、大きな魔方陣。
 自分が来た時の魔方陣は、人一人分の大きさだったにも関わらず。目の前にあるのは、何かのゲートのように、見上げてしまうほどの大きさだ。
 
 おそらく、一歩踏み出せば――帰れる。
 また異なる世界に行くのでは、とか、ただのワープゲートなだけで、またこの世界の違う場所に飛ばされるんじゃないか、とかそんな疑念は微塵もなかった。


 伊久磨は巨大な光のゲートを前にして、ジェニを振り返った。
 



「なんだ? 帰りたいんじゃなかったのか」



 ジェニは、からかうような声音でいうと伊久磨に用済みのスマホを投げた。
 伊久磨も、スマホを両手で受け取る――暖かい。熱を持っている。画面は真っ白で何も表示されていなかったが、壊れていないことに安心した。
 これで、本当に最後だ。


「うん………」


 そうだ、帰りたかった。
 でも、なんだろう。
 

 ありがとう、の一言が喉の奥に詰まっているかのように言葉が出てこない。





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