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5.キューティクルを取り戻せ
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◆
「君、これって詐欺っていわれない?」
冗談とも本気ともつかない顔で婦人は言う。
その手には、3日前に渡したばかりの履歴書がひらひらりと揺れている。
「はあ……」
「はぁ、じゃないの。うちの募集要項よんだ?」
「はい」
読んでいなければ、今ここに面接に来ていないです。
そんなことを目の前の婦人にいえるわけもなく、楓は短く返事をするだけに留めた。
婦人と楓の関係性を一言であらわすなら《雇用主》と《アルバイト志願者》。
彼女はこの近辺では有名な本格スパ『天然温泉 かぐや姫』のオーナーであり、楓はその面接にきていたのだ。
婦人が、頭を軽くかきながら宙を仰ぐ。
「この履歴書の君のままなら、面接しなくてもOKだったのになぁ」
「はぁ」
「アタシ、結構ひどい事いってるけどいわれてる自覚ある?」
「それなりに」
実物の楓を見た婦人が、このような反応を示す事は予想できていた。
そして実際、予想とおりだった反応に、今の自分はそんなに酷いのかとちょっと衝撃をうけたのも否定しない。
募集要項の内容を簡単に説明するとこうだ。
『未経験者歓迎! 交通費支給・制服支給・昇給アリ。年齢問わず外見に気を使っている方募集』
『外見に気を使っている方』
遠まわしのようでいて、ど直球なこの一文。
要は『顔が普通以上に良ろしくないと採用しません』ということだ。
そして、何故オーナーが楓を見てこんなに悩んでいるかというと、楓が3日前に渡した履歴書の写真と、《現在の楓》とのギャップになやんでいるのだ。
「これ、いつの写真?」
「ここ3か月以内の写真かと」
「いや、それはそうでないと困るのよ。問題はそうでなく……」
はぁ、と重苦しいため息をつく。
オーナーが再び履歴書に目をおろす。
艶やかな黒髪に、切れ長の瞳。すっと通った鼻筋。
男にしておくのがもったいないほどの日本人形のような和風美人。
目じりに紅のアイラインを入れて、流し目でもされたらどうにかなってしまいそうな極上の子猫ちゃん。
なのに。
「この写真を撮ったときから、今の君になるまで何があったの?」
自棄酒を飲むかのように、コーヒーを一気に飲み干しながら彼女はうつろな目で楓を見た。
天使の輪が見えていた艶やかな髪のキューティクルは失われており、無造作ヘアといっても言い逃れができないほどの寝起きのようなぼさぼさの髪。
強い意志が宿っていそうな漆黒の瞳は、精気を失っているだけでなく。
「黒縁ビン底眼鏡って………」
「すみません。僕、視力悪くて」
一歩間違えれば「ハリーポッター」などのあだ名をつけられてしまいそうな分厚いメガネを軽く整えながら楓がいう。服装は《ラフな着こなし》を通り越してスボラであり、ファッション・流行をすべて無視した、まさに《着るためだけ》のような服。靴は運動靴。指先はさかむけが目立ち、左手の人差し指なんか絆創膏が張ってある。
「イメチェンにしたって後ろ向きがすぎる……」
がくりと肩を落とすオーナーを見て、内心「落ちたな」と悟った。
時給にひかれて応募したものの、唯一写真の面影を残しているのは透明感のある肌だけ。パッと見は、数年前の秋葉原を代表するオタク男のような風貌にマイナーチェンジしていた楓が、このようになってしまったのにはもちろん理由がある。
面倒になった。
それ以上でもそれ以下でもない。
いつかみた恋愛番組で女性芸能人が『失恋すると、何もかもがどうでもよくなる』といっていた。
実際、本当にその通りだった。
見せる相手もいないのに、髪型や服装に気を使ってどうする。
扱いを間違えば眼球粘膜を傷つけてしまうコンタクトを無理してはめる必要がどこにある。彼の恋人として恥ずかしくないように、姿勢を正しく、美しく、凛として。
親衛隊隊長としてなめられないように、誰にも負けないように、気圧されないように気を張って。
全部どうでもいい。
どうでもよくなってしまった。
「楓君」
項垂れていたオーナーから声がかかる。
今日はもう帰ってください。アルバイトの話はなかったことで。
そう続くのだろうと思った楓は、早々に席を立つ姿勢にはいった。
「とりあえず眼鏡は許すから、髪形はどうにかしてキューティクルを取り戻しなさい」
「……はい?」
「勤務開始までに《天使の輪》だけでも取り戻すのよ!!」
オーナーの言っている意味が良くわからずに思わず聞き返すような返事になってしまった。オーナーは席を立ち上がり、楓に近づくとその頬を両手で挟み凝視する。
目が血走っているのは気のせいだろうか。
「眼鏡はいい! もしかしたら逆に客にうける可能性があるから、とりあえずそのままで!! 服は制服があるし肌は綺麗だから採用よ! 明日から早速入ってもらうから!」
「い、いいんですか?」
「今のあなたは埃かぶったアンティークよ。安心しなさい。アタシがあなたを元の姿に戻してあげる。美人の湯で有名なうちの温泉に毎日入って自分を磨くのよ!」
「は、はい…」
彼女の中ではすでに未来予想図ができているのか、夢見がちに語りながらぐにふにと楓の頬を摘む。
「改めて採用よ。楓君。あたしはオーナーの黄嶋陽子よろしくね」
陽子はにこりと笑うと、店内を案内すると楓の手をとり歩き出した。
「君、これって詐欺っていわれない?」
冗談とも本気ともつかない顔で婦人は言う。
その手には、3日前に渡したばかりの履歴書がひらひらりと揺れている。
「はあ……」
「はぁ、じゃないの。うちの募集要項よんだ?」
「はい」
読んでいなければ、今ここに面接に来ていないです。
そんなことを目の前の婦人にいえるわけもなく、楓は短く返事をするだけに留めた。
婦人と楓の関係性を一言であらわすなら《雇用主》と《アルバイト志願者》。
彼女はこの近辺では有名な本格スパ『天然温泉 かぐや姫』のオーナーであり、楓はその面接にきていたのだ。
婦人が、頭を軽くかきながら宙を仰ぐ。
「この履歴書の君のままなら、面接しなくてもOKだったのになぁ」
「はぁ」
「アタシ、結構ひどい事いってるけどいわれてる自覚ある?」
「それなりに」
実物の楓を見た婦人が、このような反応を示す事は予想できていた。
そして実際、予想とおりだった反応に、今の自分はそんなに酷いのかとちょっと衝撃をうけたのも否定しない。
募集要項の内容を簡単に説明するとこうだ。
『未経験者歓迎! 交通費支給・制服支給・昇給アリ。年齢問わず外見に気を使っている方募集』
『外見に気を使っている方』
遠まわしのようでいて、ど直球なこの一文。
要は『顔が普通以上に良ろしくないと採用しません』ということだ。
そして、何故オーナーが楓を見てこんなに悩んでいるかというと、楓が3日前に渡した履歴書の写真と、《現在の楓》とのギャップになやんでいるのだ。
「これ、いつの写真?」
「ここ3か月以内の写真かと」
「いや、それはそうでないと困るのよ。問題はそうでなく……」
はぁ、と重苦しいため息をつく。
オーナーが再び履歴書に目をおろす。
艶やかな黒髪に、切れ長の瞳。すっと通った鼻筋。
男にしておくのがもったいないほどの日本人形のような和風美人。
目じりに紅のアイラインを入れて、流し目でもされたらどうにかなってしまいそうな極上の子猫ちゃん。
なのに。
「この写真を撮ったときから、今の君になるまで何があったの?」
自棄酒を飲むかのように、コーヒーを一気に飲み干しながら彼女はうつろな目で楓を見た。
天使の輪が見えていた艶やかな髪のキューティクルは失われており、無造作ヘアといっても言い逃れができないほどの寝起きのようなぼさぼさの髪。
強い意志が宿っていそうな漆黒の瞳は、精気を失っているだけでなく。
「黒縁ビン底眼鏡って………」
「すみません。僕、視力悪くて」
一歩間違えれば「ハリーポッター」などのあだ名をつけられてしまいそうな分厚いメガネを軽く整えながら楓がいう。服装は《ラフな着こなし》を通り越してスボラであり、ファッション・流行をすべて無視した、まさに《着るためだけ》のような服。靴は運動靴。指先はさかむけが目立ち、左手の人差し指なんか絆創膏が張ってある。
「イメチェンにしたって後ろ向きがすぎる……」
がくりと肩を落とすオーナーを見て、内心「落ちたな」と悟った。
時給にひかれて応募したものの、唯一写真の面影を残しているのは透明感のある肌だけ。パッと見は、数年前の秋葉原を代表するオタク男のような風貌にマイナーチェンジしていた楓が、このようになってしまったのにはもちろん理由がある。
面倒になった。
それ以上でもそれ以下でもない。
いつかみた恋愛番組で女性芸能人が『失恋すると、何もかもがどうでもよくなる』といっていた。
実際、本当にその通りだった。
見せる相手もいないのに、髪型や服装に気を使ってどうする。
扱いを間違えば眼球粘膜を傷つけてしまうコンタクトを無理してはめる必要がどこにある。彼の恋人として恥ずかしくないように、姿勢を正しく、美しく、凛として。
親衛隊隊長としてなめられないように、誰にも負けないように、気圧されないように気を張って。
全部どうでもいい。
どうでもよくなってしまった。
「楓君」
項垂れていたオーナーから声がかかる。
今日はもう帰ってください。アルバイトの話はなかったことで。
そう続くのだろうと思った楓は、早々に席を立つ姿勢にはいった。
「とりあえず眼鏡は許すから、髪形はどうにかしてキューティクルを取り戻しなさい」
「……はい?」
「勤務開始までに《天使の輪》だけでも取り戻すのよ!!」
オーナーの言っている意味が良くわからずに思わず聞き返すような返事になってしまった。オーナーは席を立ち上がり、楓に近づくとその頬を両手で挟み凝視する。
目が血走っているのは気のせいだろうか。
「眼鏡はいい! もしかしたら逆に客にうける可能性があるから、とりあえずそのままで!! 服は制服があるし肌は綺麗だから採用よ! 明日から早速入ってもらうから!」
「い、いいんですか?」
「今のあなたは埃かぶったアンティークよ。安心しなさい。アタシがあなたを元の姿に戻してあげる。美人の湯で有名なうちの温泉に毎日入って自分を磨くのよ!」
「は、はい…」
彼女の中ではすでに未来予想図ができているのか、夢見がちに語りながらぐにふにと楓の頬を摘む。
「改めて採用よ。楓君。あたしはオーナーの黄嶋陽子よろしくね」
陽子はにこりと笑うと、店内を案内すると楓の手をとり歩き出した。
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