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174.心緒

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 何気ない会話の中にも見える、信頼関係。
 そんな一時ひとときの平和な時間の後、入口へと向かう二人。

 コツ、コツン、コツ――。
 ガチャ、――キィー……。

 オニキスの歩く足を止めることがないよう進む速さに合わせ書斎部屋の扉を開く、フォル。「ありがとう」と爽やかな表情で部屋を出たオニキスの視界に入ってきたのは日常の、変わらぬ光景だ。

 扉の前で開閉をするために待機していたお手伝いがお辞儀をしたままその時を、待つ。そしてオニキスが目の前を通り過ぎる瞬間に「いってらっしゃいませ」と、挨拶の声がした。

 しかしそれが彼の瞳にはいつもと違う風景に、見える。不思議と沸き上がってきたのは穏やかな感情――その心奥にはふと、ある言葉が浮かんだ。

(いつぶりだろうか、こんなに心の余裕を感じる気分になったのは――)
 そしてオニキスはそのお手伝いへ、声をかけた。

「いつもこの屋敷ベルメルシア家の為に尽力してくれて、ありがとう」

 その言葉に一瞬フォルは彼を見るとすぐに目を瞑り、うつむき加減になる。

――しかしそれは、悲し気に、ではない。

(旦那様の表情、何とも懐かしい。そしてこのような微笑ましいやり取りは、いつぶりでしょうな……)

「何が理由で、我々にそう変化がもたらされているのか」

 嬉しそうに微笑む。それは長年ベルメルシア家での執事を務めるフォルにしか解らぬ、心緒しんしょだった。

「ぅぁは……はい、旦那様!? ありがとうございます……いや、えーと、滅相もないことでございます!!」

 突然の労う言葉にあたふたとしてしまうお手伝いの答えはまとまらず、声は裏返っている。当然である、滅多にない当主オニキスからの声掛けに戸惑い動揺で言葉が上手く、話せなくなっていたのだ。

 心の底から舞い上がる気持ちを抑えつつ彼女は腰を曲げ九十度になる程の深いお辞儀をしながら精一杯、喜びを態度で示す。

「緊張しなくていい。今日も皆が、安全でいられるように祈ろう」

「安全……は、はい! ありがとうございます、旦那様!!」

 元気良く返事をしたお手伝いがお辞儀から顔を上げたその頬は桃色に染まり、喜色満面の笑顔だ。

 軽くうなづき応えたオニキスは再び、歩き出した。

「良き、い、一日を! 行ってらっしゃいませぇ!」
「はは、ありがとう。行ってくるよ」

 笑いながら話しかけるオニキスを横で見守るかのようなフォルは柔和な表情に、変化する。その“爺”フォルの優しき瞳に映る彼は生前のベリルが傍で一緒に笑っていた頃を思わせ、彼女の姿が見えてくるようであった。
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