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本当の君(respect love)

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 石野太一、四十歳。
 日々の暮らしに疲れていた僕はある日、自分の中にある大切な何かが切れる音に気付いた。

「石野! なんだこの注文数は!?」
「は、はい。この見積もり分は来月に持ち越しで」
「言い訳無用! 今月! 今!! 此処で結果を出していないと意味がないんだぞ!? 解っているのか」
「しかし、先方にも経費の都合が」
「くどい! だいたいお前だけじゃないんだ」
「いえ、社長! 見て下さい、これは自分の責任ですので」
「石野、お前は本当に会社全体の足を引っ張る奴だ――」

 この勢いで毎回、責められ続ける。当然、こんな理不尽なことがあるかと耐えられずに会社を辞めていった者は数えきれないほどだ。

(出来るだけ、慣れてる自分が怒られていればいいかと頑張ってきたんだが)

「お前は今日居残りだ! 深夜まで働け」

 プッツン――。

(……もういい加減、僕もこの会社辞めようか)
 そう心の中で此処を撤退することも考えていた、その時。

 スッ――。
「社長。ちょっと、よろしいですか」

(((エッ……!?)))

 その場にいた皆は息が止まるようにして、言葉を失くす。
 なんと、社長へ発言することを許可してくれと手を上げたのは、いつも目立たず、存在感の薄い、総務部の草野明美さんだったからだ。

「なんだね、君は」
「以前よりずっと、この会社方針に問題があると考え調査をしていました」
「なっ!! 何を言っている、そんなことを」
「過去勤められていた従業員様からのヒヤリングに加え、日々目に見えて分かるパワーハラスメントの数々。その他も、調べれば調べるほどあれやこれやと出てきましたが」

 約半年前にこの会社に入社してきた草野さんは、綺麗な顔立ちにモデル体型並みのスタイルの良さ。当初は声をかける男性社員も多くいたのだが、あまりにも愛想がなくいつも無表情で無口なため、女性社員すら近付かなくなっていた。

 しかし僕にとっては、一目置く存在。
 その理由として彼女はとても仕事が早く、さらに完璧にこなす。社内でも数少ない出来る社員なのだ。僕はそんな彼女に人として惹かれ、きっちり自分という芯を持っている姿に、敬意を払っていた。

 そんな彼女は真面目、心の奥底で『仕事は慣れ合う場ではない』と言っているような気がしていたのだ。

 それが今この状況下で見えてきた正体――彼女にとって周囲と関わりを持たなかったことが、正しい対応だという理由わけを、知ることとなる。


「お、おい……お前は、何を言っている……」
「労働基準監督署への通報も多数寄せられていますよ」
「ふ、ふざけるなッ! 聞いてないぞ! いや関係ない。第一それは社員が勝手に」

「社長。言っておきますが、それだけではありませんよ? あなたの経費の使い方も、十分に調べ上げた上で報告済みです」

「……ま、待って、くれ」
「その他も、様々な問題を確認しています」

「み、見逃してくれ……あぁ! そうだ、皆に特別休暇と特別ボーナスも出そう!! どうだ、君にも――」

「それはすごいですね。私が証人ですので、ぜひすぐにでも社員の皆様へそうして差し上げて下さい」

「いや、ど、どういう?」

「その感謝の気持ち、今後はもっと早めに発言し実行なさることを心より祈っています」

 彼女の言葉に顔面蒼白の社長は頭を抱え、膝から崩れ落ちる。その一部始終を傍観者である社員全員は固唾を飲んで見守る……というよりも、安堵の表情で微笑み合った。

「社長? もう、逃げられませんよ」

 その後、捜査の入る社内で聞き取りを受けることになった従業員たち。草野さんは「皆様、ご協力願います」とだけ言うと去って行く。入り口近くにいた僕はふと、彼女と目が合う。

「石野さん、長い間大変でしたね」
「い、いえ。しかし驚きました。草野さんがまさか――」

 すると、これまでに見たことのない素敵な笑顔で話をしてくれる。

「いつも皆様の盾になり、守ろうとしていたあなたに敬意を表します」
「ぅ、いや、そんなことはない」
「うふふ。たった半年間で、私も幾度となく助けられました。石野さん……その、ありがとうございました」

 あまりの美しさと可愛らしい笑顔に、僕の心は熱く強く高鳴る。だがこの人は、僕のような男が“想ってはいけない”高嶺の花な女性《ひと》だと、これまで勝手に思いこんでいた。

――それなのに。

「草野、さんも。休暇、もらえるんですよね? ここの社員ですし」
「……あ、いえ私は」
「急にいなくなってしまうと、困ります。会社も――“僕も”」
「え……」

「んあぐッ!」
(うわー何てこと言ってるんだ、僕は! 恥ずかしすぎる)

 思わず口走ってしまった自分の心にある本音が、これ以上漏れ出ないように両手で口を抑える僕は、もう一度視線を彼女に向け、恐る恐る様子を窺った。

 すると――。

「ぅ、ぇあ、あの。それは、その……」

(えっ)

「草野……さん?」

 そこには想像もしない見たことのない彼女。
 頬を真っ赤にし恥ずかしそうにオロオロした、本当の“草野明美”という女性に、出会えたのだった。
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