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百本目の薔薇を、君に(broken heart)

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 シャンシャラ―ン♪

「いらっしゃいませ!」
「すみません、退職される方へ贈る花をお願いしたいのですが」
「はい、かしこまりました」



 この日、長年会社で経理を担当していた笹井さんが、一身上の都合で急遽退職することとなった。同僚たちにとって(もちろん僕にとっても)面倒見の良い母親のようで、皆にとても慕われている方だ。

 しかしあまりに急な事情で日数もなく、退職当日に送別会を開くことになったのである。その準備に数日前からこそこそと役割分担をして、各々が素敵な会の成功の為に慌ただしく動く。そんな僕は店の予約などを担い、ひと通り準備を終えふと、「寂しくなるなぁ」と会社を出る前に呟いてしまった。すると一緒にいた上司から「そうだった~すまんが、花を準備してくれるか」と頼まれる。

――おかしい。花はこの人の担当だったはずだが……?

 という薄い目で僕が上司を見ていると、背中をバシバシと叩かれ「そうそう! 笹井さんに見つからないように、なるべく集合時間ギリギリで店へ来てくれるか。んじゃ、よろしく頼むぞ!!」と、笑いながらそそくさと去っていった。

 細かく指示され溜息をつき会社を後にした僕は、今に至る。



「お客様、ご希望のお花はございますか?」

 にっこりと笑って話しかけてきた店員さんの声に「六十代の女性で」と言いながら、店内をぐるっと見回したが結局、考える余裕もなかった僕は「すいません、お任せで」と、一言。

(あぁ、それにしても花屋とか来るの、いつぶりだろうな)
 そんなことを考えながらも急ぐ心に余裕はなく、僕は腕につけた時計をしきりに気にしてしまう。

「お待たせいたしました。こちらでいかがでしょうか」

 どんなものでも笹井さんは喜ぶ。
 だからあまり、花束の出来に興味はなかったが、しかし。

「ぅあ……おぉー……」
(なんて、綺麗な花なのだろう)

「えっ、あの! 申し訳ありません、お気に召しませんでしたか」

 愛想のない、あまりにも無表情な驚き顔に店員の女性が慌てふためく。
 そこでハッと気が付いた僕もまた、慌てて答えた。

「いえいえいえいえ! 違います!! あまりに……綺麗だったもので。思わず言葉に詰まってしまい……」

「あ……はぁ~良かったです、安心しましたぁ。ありがとうございます」

「すみませんでした……こちらこそ、こんなに手早く素晴らしい花束をありがとうございます。きっと、同僚も喜びます」

 それから急いで代金を支払い領収書を受け取る際にふと、店員さんの手を見た僕の動きは一瞬止まってしまう。

(手……痛々しく荒れて、花屋って大変なんだな。でも)

「とても大切な皆様のお時間に、このお花たちが少しでも活躍できたらと思います! 喜んでもらえるといいなぁ……」

 その視線を明るい声のする方へ向けた瞬間、僕の心は店に並ぶどの花よりも可愛らしく、美しい笑顔の彼女にドキッとした。



 大成功で終えた送別会の、次の日。
 休日ということもあり遅い時間までゴロゴロとしていた僕は、二日酔いで重たい身体に喝を入れ、昼前にやっと起きあがった。

「ふぅああぁ~……昨日は飲みすぎたな」

 朝の身支度を整え冷たい水を飲みながらふと、花屋で出会った彼女の事を思い出す。花屋と聞いて、これまで柔らかく綺麗な仕事のように勝手に思っていた。

 しかし、現実は想像と違う。

 よくよく考えてみれば、生花を扱うのは本当に大変な仕事だろうと思い直す。その証拠に昨夜見た彼女の手は、とても荒れていた。それでいて楽しそうな声は優しさに溢れ、心の底から想いが感じとれるような素敵な言葉で、美しい花束を作ってくれたのだ。

 当然それが彼女の仕事だと分かっていても、あんな風に幸せそうな笑顔で頑張っている人を、僕は久しぶりに見て気持ちが高揚した。

「すごいな。僕も頑張らないと」

 初心忘るべからず。
 もっと何事も楽しく考えないとなと、自分の心が荒んでいることに気付く。

 そして。

――もう一度、あの笑顔に……会いたい。
 そう思った時にはすでに僕の足は歩き出していた。



 シャンシャラ―ン♪

「いらっしゃいませ……あっ!」
「こんにちは、昨日は迅速かつ丁寧な対応、本当にありがとうございました。おかげさまで、素敵な会になり……花束でさらに涙を流して喜んでくれました」

「わぁ~良かったです」
「えぇ……はい」

 満面の笑みで答えてくれた彼女は太陽の光でキラキラ輝いて、思わず見惚れる。すると少し不思議そうに話しかけられた。

「えっと、今日も……贈りものですか?」
「エッ」

 その言葉に自分が何も考えずただ此処に来ただけだということを思い出す。

(あなたの笑顔が見たくて……だなんて言えるはずない)

 僕は得意の“愛想なし”でこの場を涼しい顔をして取り繕った。

「えー、えぇ、そうなんですよ……どれにしようか……」
 悩むふりをして店内を歩き見つけた、赤い薔薇。

「綺麗ですよね……」
「こ、これにします! 一本……お願いします」
「あ、え、ハイ。うふふ」

 彼女の声にすかさず反応した僕はこの日、恥ずかしさを顔に出さぬようなんとか耐えると彼女にお礼を言い、可愛くリボンをつけられた『一本の薔薇』を手に、自宅へと帰った。

「次は……ちゃんと考えて行動しないとな」

 もっと、まともな会話をしたかった僕は、また一週間後に行こうと心に決め、縦長のグラスに薔薇の花をさした。



「いらっしゃいませ~」
「こんにちは……」
「あ! こんにちは」

 僕は、どうしていこうかと色々考えていた。


 十本目には、名前を聞こう。
 二十本目には、なんとか会話を繋いで。
 五十本目には、少しでも気持ちを伝えたい。

 そんな風に思いながらも、時間ばかりが過ぎていく。


 結局、あれからなかなか花の話以外に触れられず。
 種類や金額は様々だが毎週必ず、一輪の薔薇を買って帰った。それでも彼女はその度に、嫌な顔ひとつせず「薔薇にはたくさんのお色があるんですよ」と説明をし、可愛いリボンをつけてくれる。

「いつも、綺麗にすみません」
「いえ! 一輪薔薇を贈られる方はよくいらっしゃいますので、お気になさらないで下さい。こちらこそ、いつも当店をご利用いただきありがとうございます」

 毎週買いに来る、一体誰に渡しているのかと、普通だったら気になるだろう。しかしそこはプロなのか? 余計な詮索はせずに接客をし、こうして毎回笑顔で見送ってくれる。

(なんだか、申し訳ないな……)
――次こそは、この気持ちを言葉に。

 
 そうして、自分へ気合いを入れた矢先。
 彼女に少し、変化があった。



「すごい、水色の薔薇ですか。暑くなってきたこの季節、見た目も涼し気でとても良い感じですね」

「はい! 自然界では生まれない色で、作るのも不可能と言われていたそうです。ですので“奇跡の薔薇”とも言われています」

 この頃は恥ずかしさにも慣れ、やっと彼女の顔を見て会話できるようになり、ぎこちなさも無く自然と笑えるようになっていた。

「そうですか……うん、素敵だ。今日はこの色を――ぁ……」
「……? お客様、どうかなさいましたか?」

 この日、彼女はいつも以上に弾んだ声をしていた。何か良いことでもあったのだろうかと、僕まで嬉しい気持ちになっていたのだ。

 が、しかし。

「……ぁ、ぃぇ」

 作り笑い。

 彼女の雰囲気が変化していた理由に気付いたのは、その頑張って働く右手の薬指にキラリと光る、美しい宝石を見つけたからだ。

 僕はその時精一杯、懸命に笑顔を作った。

「どうも、それじゃ……」
「ありがとうございました~」

 シャンシャラ―ン♪


「僕は、本当にダメなやつだ」
 この日買ったのはとても美しい水色の……九十九本目の薔薇。

 その夜、僕はいろんな事を考えながら浅い眠りについた。



 次の日――。


 シャンシャラ―ン♪

「こんにちは……」
「あ、いらっしゃいませ!」

 一週間に一度という同じペースで来店し続けていた僕が、なんと二日続けて来た事に少しだけ驚いた様子の彼女はすぐに笑顔で出迎えてくれる。それからいつものように接客してくれようとしたが、今日は僕から声をかけた。

「赤い薔薇を、お願いします」
「ぁ……はい、かしこまりました」

 にっこりと笑い、いつもと同じように。

 彼女は一本の薔薇を“楽しそうに、嬉しそうに、幸せそうに”愛でる。

「お待たせいたしました」
「ありがとうございます……あの……」

 少しの間、流れた静かな時間。
 彼女とは、その空気さえ心地良く感じた。

 しかし、いつまでもこうしていられるわけではない。僕は意を決して、声を振り絞る。

「今日は、この薔薇を――あなたに」
「あ、えっと……」
「ご結婚なさるのかと思いまして、それで」

 彼女は「あっ」という顔をして頬を染め、そっと指輪に触れる。
 大切に、優しく、花を愛でる時のように。

「実は私、こちらに来るのは今日で最後になりそうでして。いつも一輪の花を素敵にして下さったお礼がしたと思っていたのですが。なんせ花の一つも上手く選べない者ですので。思い浮かびませんでした」

「そう、だったのですね。こちらこそ、長くご来店下さり本当にありがとうございます。毎週、お客様の薔薇を一緒に選ばせて頂くのは、とても嬉しく、知識も広がりました。また機会がありましたら、お立ち寄りくださいね」

 その言葉をもらえただけでも、今の僕はとても幸せだと思えた。


 思えばあの日、僕の一目惚れだったんだ――。
 そして本当は、自分の想いを告白するため、手にしたはずの赤い薔薇。

「良かったら……これまでのお礼と、お祝いも兼ねて」

「……はい。素敵な薔薇のお花を、ありがとうございます」

「いえ、色々とありがとうございました。どうか、お幸せに」


 シャンシャラ―ン♪

 僕は彼女に、恋をしていた。
 そして今は、彼女の幸せを一番に願っている。

「ありがとうございましたぁ~」


 まるで花のように可憐で美しい彼女へ贈った、百本目となる薔薇の花は。

 今日も可愛いリボンがつけられていた。

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