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8.名案

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 日は完全に落ち、月が束ねる紫の勢力が、東からゆっくりと空を支配し始めてきた。

 マウンテン・ベアを下ろした中央広場から、ゆっくり歩いて十数分。
 アイラ、シグルに村長のジャン、副村長マールと長老ロンボルグの五人は、小高い丘にぽつりと立つ、リビングダイニングと二部屋だけの、小さな木造の家の中にいた。クッキーはその巨体故に入れず、窓から耳だけの参加である。

 春先とはいえ、北部に位置するネール村の夜はまだまだ冷える。
 アイラは室内の、満杯の薪棚から薪を数本とって慣れた手つきで暖炉に組み、たき付けの松ぼっくりをぱらぱらと中心部に放り込む。そこに生活魔法〈火球〉を落とした。

 すぐに炎は立ち上がり、すぐに部屋は仄赤い光で満たされた。太薪に火が移れば、じきに温かさも巡り始めるだろう。

「……干ばつ、だよね?」

 上座のアイラは、ゆっくりと顔を上げた。

「その通りだ。さすがはアイラだな」
「気づくチャンスがいくらでもあったからね。私たちが越えてきた南の、ネル山の様子から変だったんだよ。雪解けで増水してるはずなのに、沢の水が全部涸れてた。冬眠前の動物が食べた木の実の殻も、全然落ちていなかったし。だから、マウンテン・ベアも冬眠から覚めてたんだ……。いつから?」

 アイラの隣では、したり顔のシグルが小さく何度も頷いていた。知ったかぶりというやつだが、シグルにも意地がある。

「エルド様達がここを発たれた次の冬にはもう、降雪が激減しましての……。雪深いこの地で、真冬になっても大地が見えておるというのは、何とも奇妙でございました。はじめのうちは雪かきをしなくて良いとか、老体には薬だなどと喜んでおったのですが。春からもほとんど雨が降らずで……」
「極北のメリル氷床で魔王配下の四魔将を倒したのって、その前の秋だったよね?」
「水の魔力を司る水魔将スウォーデンは強敵でござったな。……成る程、比較的近いこの地にまず影響があるのは、道理でござるか」
「魔物は魔素を蓄える、自然システムの一部なんだよね。『魔素の解放は、環境さえ変え得る』ってフランシス爺が言ってたよ。膨大な魔素を持つ四魔将なら尚更……」
「仕方がねぇだろ? スウォーデンを放置してみろ。ちっぽけなこの村なんて、とっくに地図から消えちまってる。アイラ達が奴を討ってくれたことに、感謝こそすれ、恨みなんてこれっぽっちもねぇよ。安心してくれ、そいつは村の総意だぜ」
「ありがとね、そう言ってくれると助かるよ。……辛いこと言われたりも、結構したんだ」

 アイラはちらりとシグルを見る。彼はどこか寂しげな瞳で窓の外、橙と群青がマーブル状に溶け合う、マジックアワーの美しい空を見つめていた。

「人類だって一枚岩じゃねぇ。それに、大局的なことを言われても、ピンとこねぇもんだからな。俺達がこうして納得できているのも、アイラ達と仲良くしてたからってのがデカい」

 一呼吸吐き、ジャンはさらに続ける。

「だが、村が危機に瀕していることも確かだ。村を見限った若い衆は出稼ぎに行っているか、交易都市ロウニャで冒険者になっちまった。勇者様に憧れたんだとよ」
「……」

 アイラとシグルは、揃って顔を伏せた。

「悪ぃ。……だが、オレ達だって干ばつが続けば、村を捨てなきゃならねぇ。実際、この冬越えで、備蓄の米も麦も、底を尽きかけてるんだ。稲わらがなければ、家畜だって養えねぇ。仕方なく、山羊も羊も最低限のつがいだけ残して、ほとんど潰しちまった……ジリ貧ってやつさ」

 村の中で既に論は尽くしたのだろう。諦念を湛えた瞳をアイラに向け、ジャンは肩をすくめた。

「この秋にでも、交易都市ロウニャへの移住を考える者が大半ですじゃ。せっかく領主様がお見えになったというのに……。じゃが、背に腹は代えられませぬ」
「子ども達に食べさせる物さえないのです。背も伸びず、痩せていく子ども達を見ているのが、不憫で……」
「うん。成長期だもん、食べさせてあげたいよね」

 アイラの脳裏には、ぴかぴかの新米を山盛りよそった茶碗をアイラに差し出す、父の笑顔が過った。

「農耕と牧畜が根付いてからというもの、山に入る機会もめっきり減りましてのぅ。狩りの技術や知識の継承を怠った、我ら世代の責任でもございます」
「狩猟は危険もあるから、やらないに越したことはないけどね。必要なら、私が色々教えてあげるよ」
「そりゃあいい! 『風詠み』の指導を受けられるとは、何とも贅沢な話だ」
「アイラ様が獲ってきて下さったマウンテン・ベア。子ども達は大喜びでしたよ!」
「オレ達大人もだろ、マール? 久しぶりに美味い酒が飲めそうだぜ」

 食こそ力の源だと実感する。肉の話をするジャンとマールの瞳には一転、確かな生気が宿っているのだ。

「魔王を倒しても、人は、世界は続いていくんだもんね。……これからが本番なんだ」
「民草がこのような状況に陥っているとも知らず、暢気に祝宴など……」
「それは仕方がないって。領主が居ないホウリックの情報は、王都にはなかなか届かないよ」
「しかし、しかしだ。それも含めて我ら中央の怠慢には変わりない――」

 シグルは顔を伏せ、音が聞こえるほどに歯を食いしばった。

「……はっ! エルド殿下なら、きっとそう申すでござるよ!」
「だね」

 慌てて取り繕うシグル。アイラは口元に手を添え、くすりと笑った。

「なあアイラ、何か良いアイデアはないか? 着任早々厄介ごとを押しつけて、悪いとは思ってる。オレ達なりに知恵を絞ったが、どれもダメでな……。世界を巡ってきたお前なら、何か妙案があるんじゃないかって、口には出さないがみんな期待しているんだ」

 ジャンの言葉を合図に、揃って頭を下げる村の三人。

「そんなことやめて。ね? 私の領地ホウリックは、自由と平和がモットーだよ!」
「とてもアイラらしいな……でござるよ!」
「領民を守るのが私の一番大事なお仕事。もちろん私も考えるよ。えっとねー……岩窟に自生していたトマトの原種と、砂漠のスイカの種は乾燥地でも役に立つかな? 定番のキャッサバは寒冷地には不向き、か。あとは、穀物、渇水、米不足……」

 アイラは腕組みして顔を伏せると、何やらぶつぶつ呟き始めた。

「さすがのアイラでも、すぐに答えが出るとは思ってないさ。落ち着いたらまた相談に乗ってくれよ」
「いや、待つでござるよジャン殿。こういう時のアイラ閣下は――」

 シグルが、立ち上がろうとしたジャンの袖を掴んで制止する。

「ーー……そうだ!! ねえ、ジャン! 井戸は生きてる?」
「井戸? ああ、生きてるぜ。水位は少し下がったらしいが、それくらいだ。だが、それを汲み上げて使おうなんてのは無茶苦茶だぞ? 庭で少し野菜を作るくらいには使えるが、水田にはとても使えない」
「もう、それくらい私にもわかるよぉ。……井戸が生きてるなら、伏流水や地下水は期待できるでしょ?」
「伏流水……ですと? 我々とて、山の湧き水を引水することは考えましたとも。あまりにも水量が少なく、水田まではとてもとても」
「そっか。とりあえず緊急用として、湧き水の近くにため池を掘って溜めておくのはありかも。……だけどね、本命はそっちじゃないんだ」

 むふふと笑いが漏れている。よほどの名案が思い浮かんだのか、アイラの口元は緩みっぱなしだ。

「ほ、本命だと!? おいアイラ、勿体ぶらずに教えてくれ、そいつは一体……――!」
「マンボだよ! マンボを掘るんだよ!」

 手をぱんと叩き、夜だというのに向日葵色の眼をギラギラと輝かせるアイラ。

「「「「まんぼ?」」」」

 四人は一斉に、同じ角度で首を傾げた。
 アイラの目には、宙に浮かぶ四つの巨大な疑問符が見え……たような気がした。
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