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2.自由

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 息を整えた指揮者がタクトを振ると、『乾杯』をテーマにした宮廷音楽がゆったりと流れ始めた。ここセレニアル王国で、おめでたい場面で必ず流れる定番の曲だ。

 満足そうな笑みを浮かべたエルドはゆっくりと立ち上がり、アイラの手を取り高らかに掲げた。

 ……が、場を埋めるのは喝采ではなく、どよめき。

 英雄同士の婚姻を好意的にとらえる声も聞こえはするが、パーティーの野伏レンジャーとして鍛えたアイラの耳に飛び込んでくるのは、否定的なものが圧倒的に多い。
 無理もない。貴族とはいっても、アイラは魔王討伐の功績を認められ、つい先日叙爵したばかりの成り上がり。

 王子然とした端麗な容姿に、武芸だけでなく芸術、学問においても類い希なる才能を持ち、さらに勇者として世界を救った人物。そんなエルドと婚姻を結びたい、結ばせたいと考えている貴族は、ごまんといるのだ。

 アイラは嘆息し、大きく息を吸い込んで叫んだ。

「エルド! 何度も言っているけど、その話は、はっきりとお断りさせてもらうからね!」

 どよめきを破ってホール中に響く固辞の声。野伏レンジャーの固有魔法、〈拡声魔法スピーカー〉の効果である。
 歓声も怨嗟も、歓喜の音楽も全てが、アイラの発言で一瞬にして凍り付く。

「ははっ……ははは……。やっぱりダメか。僕が君に振られるのは、これで何度目だい?」

 蜜蝋のささやかな光沢を放つオーク材の床に、エルドは両手両膝を突いてがっくりと項垂れていた。

「ほっほ。儂の知る限りでは、これは記念すべき百回目じゃな! アイラ嬢は魔王なんぞよりも余程手強いのぉ!」

 駆け寄ったフランシスはエルドの身体を引き上げ、声高らかに笑う。

「……ねえ、エルド? エルドだって自分の立場、分かってるんでしょ?」

 エルドにも弟はいるが、第二王子以下にはエルドほどのカリスマも才覚もあるとはとてもいえない。
 人類共通の敵である魔王が倒された今、世界の中心ともいえるここセレニアル王国が求心力を失えば、世が乱れることは必定。勇者エルドの存在こそが、平安の要なのだ。

「うぅ……」

 呻くエルドは、目にうっすら涙を浮かべていた。

「ああ、皆の衆、宴に水を差して悪かった! 今宵は世界の平和が約束された記念すべき日だ! 小童の失恋もまた良い肴。大いに盛り上がろうではないか! ほぉら、祝杯だ! ヤケクソで構わん。音頭をとれ、勇者エルド!」

 最高のタイミングで、エルドの侍従が四人の英雄に発泡性の葡萄酒が入ったグラスを手渡していく。

「ちくしょう! 恋に破れようとも、世界の平和と、我らの友情は不滅だ!!」

 高々と掲げたグラスを四人の英雄がちんと合わせ、銘々が一気に飲み干す。周囲から、喝采が巻き起こった。

  ▽

 余興が一通り済み、参加者ほどよい酒精に浸り始めた頃。
 ホールの窓からのぞく宵の闇に、炸裂音と共に一輪二輪と光の花が咲いた。

「あれ……? 花火??」

 すっかり調子を取り戻した楽団が奏でる音楽と、無数の蝋燭の火に隠れるほどのささやかな光と音。
 だが、世界最高のレンジャーとして鍛え上げられたアイラの鼻は、僅かに漂う硝煙の臭いを嗅ぎ取っていた。

「おお、儂としたことがすっかり忘れておった! 道中で和平の盟約を結んだドワーフ王が、『今宵のパーティーに花を添える』と短い腕を回しておったわい」
「ドワーフの花火だって!? そんなの最高じゃないか! シチュエーション効果があれば、アイラも首を縦に振るに違いない! さあ、アイラ! 僕と共にバルコニーへ――……ぐぎゃあぁああ!!」
「ほらほらエルド王子! 参りますわよ」
「……女々しいお方。くすっ。それもエルド様の魅力の一つですの」
「私が殿下の失恋の傷を癒やして差し上げますわっ!」

 性懲りも無くアイラにエスコートの手を伸ばそうとしたエルドだが、その身体は、色とりどりのドレスの濁流に呑み込まれていった。

「頑張ってねー。……エルド」

 そんな様子をちらりと一瞥。アイラは小さく手を振った。

「さあさあ皆の衆! 儂らも行こうではないか。最高の技術を、最上の場所から見届けようぞ」

 アイラに目配せをして微笑んだフランシスは、炎の魔法で矢印を形作り参加者の行動を促す。

「……爺、ありがと」

 目線が切れたことを確認してアイラは、魔法で着付けた深緑のドレスを脱ぎ捨て、テーブルの下に隠しておいた軽鎧と弓矢、馴染みの装備を身につけた。

「うんうん。やっぱり私、こっちの方が好きみたい。ドレスは柄じゃないんだ。せっかく仕立ててくれたけど……ごめんね、エルド」

 ボリュームのあるドレスなので畳むことが出来ず。エルドの鎧の上にかけておくことにする。「ありがとう」としたためた懐紙を添えて。

 西の夜空には、ドワーフの花火が次々と打ち上がっていた。
 光の祭典を望むバルコニーには、宮殿が傾いてしまうのではないかと思えるほどの、黒山の人だかりが出来ている。

 もぬけの殻となったダンス・ホールには対して、水を打ったような深閑が訪れていた。

「もう行くのか? アイラ嬢」

 薄暗い東側の窓の側。宮殿を支える巨大な柱に回したロープを結びながら、アイラは声の方に顔を向ける。

「うん。人払いありがとね、フランシス爺。お葬式には顔を出すから、連絡が届くようにしておいてよ」
「かっか! 言うものじゃ。……残念じゃが、儂は其方らの平和な世作りを見届けるまで、死ぬつもりはないぞ?」
「……もう、そういうのはエルドの仕事だよ。そうだ、だったら、私の領地に一度遊びに来てよ。美味しい野菜でもてなすから」
「ほっほ。農業の発展もまた、平和のあるべき姿じゃな。うむうむ、長生きの楽しみがまた一つ増えたのぅ」
「よりにもよって、北の辺境ホウリックなどを選ぶとはな。彼の地は長く領主が不在の、とんだ僻地ではないか。魔王討伐は至上の功績。領地など、どこも選びたい放題だっただろう?」

 遅れてやって来たホムラが小首を傾げる。
 実際、拝領の際に国王に提案された地は、どこも王都付近の一等地ばかりだった。エルドの根回しがあったに違いない。

「人の領地を横取りするなんて最悪。揉め事の予感しかしないよ。それに、ホウリックのネール村はね、旅で立ち寄ったときから、素敵だなって思ってたの。私の故郷ふるさとに、とってもよく似てるんだ」
「お主は常々言っておったのう、大自然と美味しいモノが沢山ある場所に住みたいとな」
「アイラの作る料理や、買い求める作物はどれも絶品だったからな。落ち着いたら、私も一度お邪魔するとしよう。……もちろんあの男、エルドには内緒でな」

 ホムラは、自らの口元に人差し指を立てて微笑んだ。

「うんうん! みんなで農村パーティー、楽しみにしてる! エルドのことは……そうしてくれると助かるよ。お妃様と、ご子息と一緒だったら大歓迎なんだけどね」
「あの男がそれを聞いたら、悲しむぞ」
「……もう。エルド、私の事なんて早く忘れてくれると良いんだけど――……よし!」

 話しながらも、ロープを締め終えたアイラは、一方の端を窓から放り投げた。
 結び目を強く引っ張ってその強度を確認。右手に荷物、左手でロープを握り、躊躇う事無く自らの身体を放り投げる――

「じゃあね! お互い生きてたらまた会お!」

 窓から顔を覗かせるフランシスとホムラに微笑みかけると、アイラは尖塔の壁を伝いながら、するすると下って行った。

  ▽

「これで、良かったんだよね……」

 花咲き誇る王宮の庭園に着地するとすぐにアイラは、塔の反対側にいるであろうエルドの姿を思い浮かべ、呟いた。

「あれだけ好意を向けてくれるんだから正直、悪い気なんてしないんだ。私が公爵令嬢とか、違う立場で生まれていたら……違ってたのかな?」

 邪念と酒精を振り払うように首を左右に勢いよく振るとアイラは、ぴゅうと指笛を鳴らした。

 夜霧を割って翠の閃光が走る。瞬きの後には、淡い緑の艶やかな毛並みを持った巨大な――人が五人は余裕を持って騎乗できるほどの――犬の精霊クーシーが、アイラの前に頭を垂れていた。

 祝勝パーティーの流れはアイラが事前に予測し、フランシスとホムラに共有していた通りだった。もちろん、エルドの求婚も含めて。
 花火の音と光に紛れて逃げ出すべく、王宮の庭園にアイラは従魔の神獣クーシーを忍ばせておいたのだ。

「お待たせ、クッキー」

 クッキーと呼ばれた従魔のもふもふ頭を、わしゃわしゃとアイラはかき交ぜた。クッキーは大あくびで応える。

「眠っていたから一瞬だったよ。お嬢、パーティーは楽しめた?」
「……まあまあ、かな。だけど、やっぱり私には向いてないよ。密林で野営している方がずっと気楽」

 そう言ってアイラは、クッキーの大きな背中に飛び乗った。

「そう? 『心残りがあります』って、顔に書いてあるけど?」

 クッキーは首を動かし、アイラの瞳の奥をのぞき込んで悪戯に笑う。

「勇者パーティーで一緒に旅したっていっても、侯爵になったっていってもさ、さすがに成り上がりの農家の娘と一国の王子様とじゃ釣り合わない。敵を作り過ぎちゃうよ。……王族や上位貴族にとって婚姻は大事なカードだって、色んな国で嫌っていうほど目にしたから」
「人間って、本当に面倒な生き物。愛憎くらい、心のままで良いのにさ」
「……そうだね。だけど、それが人の社会。きっとどの世界でも、千年経っても変わらない。だから、私は私の出来ることで、エルド王を支えるよ」

 防寒用に纏ったローブのフードを目深に被り、アイラはクッキーのもふもふに顔を埋める。
 なめらかな毛並みを伝って雫は流れ落ち、乾いた大地に吸い込まれ、消えた。

「ホウリックで素敵な出会いがあると良いね。お嬢」
「……ありがと、クッキー。行って」

 小さく頷くと、クッキーは大通りの石畳を蹴った。
 宮殿では再び音楽が流れ始めたようだが、アイラは決して後ろを振り向かない。

「ねえ。生まれ変わったらまた一緒に冒険しようよ、エルド――」

 目指すは北の地、アイラが領主として着任するホウリック。
 流れる春の宵に、置き去りになった儚い言葉は溶けていく。
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