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「……姫、『戻っておいで』」
何度目かの声かけにも、池の中央で籠城してしまった人魚がご機嫌を取り戻すことはなかった。
膨らんだ頬が、ほっそりとした後ろ姿からでもよく分かる。
珍しく友達を連れてきた人魚の少女は、いつにもなく不機嫌そうだった。
乱れたままの髪を綺麗に整えれば機嫌もなおるかなと考えてみたが、現在、人魚は清廉な青に新緑のグリーン、見事な輝きを称える銀の尾びれを持つ友人達に囲まれて、ふてくされている。
「『フェル、────』」
「『────? フェル、──?』」
「……──?」
声が小さくてあまり聞き取れない。
しかし三人は同時にこちらを振り返り、やれやれと首を振る動作をした。
……どうやら、自分は何かしてしまったらしい。
そっと後ろへと問いかけの目を向けると、ゴードンが「髪型が気に入らないのでは?」と首を捻った。
なるほど、と納得しかけたが、その横にいるライルがお腹を抱えて笑いを堪えている。
……違うらしい。
「ライル。理由が分かるなら笑ってないで教えろ」
「……ですから私は昔から言っていたでしょうに。女性とのお付き合いをおざなりになさっていてはいつか苦労しますよ、と」
笑い混じりの声だった。
「……どう言う意味だ?」
キースの怪訝な表情に、ライルはこっそりと、しかし大きく思い切り呆れていた。
あれだけ滅茶苦茶にされた髪をそのままでいいと言い、翌日もその頭のまま来た人魚の少女の心はライルには手に取るようにわかる。おまけに友達がそのお相手を見に来たとなれば……。
アホですかという声をこっそりと飲み込んだライルだった。
しかしそれを正直に言えばこの王子は態度を硬化させてしまうのは長い付き合いで分かっている。
「ほら、早く呼び戻さないと彼女が帰ってしまいますよ。よろしいのですか?」
途端にキースは慌てて振り返って人魚に声をかけた。
「『ほら、戻っておいで。僕が何か、したのかな? か……髪型が駄目だった?』」
三人分の白い目がキースに刺さる。
しまった、これは違うんだった。
「『あっ お、お菓子があるよ。一緒に食べよう?』」
お菓子という単語に人魚の耳はぴくりと動き、水中の赤い尾びれが左右に揺れる。分かりやすい。
「えっと……『クッキーと……』キッシュって魔族語でなんというんだったかな……『とにかく、たくさんあるよ。お友達も一緒に食べよう』」
一人、綺麗な青い尾びれの人魚がスイスイと泳ぎ寄り、耳貸せとばかりのジェスチャーをしてきた。
「『友達も一緒で──!? フェルは────!』」
耳元で怒られた。意味はほとんど分からないが、友達も一緒は駄目なのか、とはさすがに察する。
ところで、先ほどから聞こえる『フェル』とはどういう意味だろうか。
聞き取りながらずっと考えているが、いまだに答えが出ない。
怒る青い人魚が戻りながら『フェル!』と声を上げた。
なんだかそれは、呼びかけのようで──。
「もしかして、彼女の名前か……?」
四人の人魚の会話に注意深く耳をすませる。断片的にでも聞き取れれば。
「『フェルも──、帰る?』」
「『そうね、────、フェルは──?』」
「『フェルったらいつまで──。可愛い髪型──』」
ふてくされた人魚が池の水面に目を向けて、自らの姿を見とめて頬の膨らみが緩む。
いまだに目に拗ねた光を残しながら、人魚はそろそろと戻ってきた。
「『これ、かわいい?』」
頭に手を添えて、少し唇を尖らせて言ってくる。
思わず大きく頷いた。
「『うん、可愛いよ』」
伝えるつもりのない言葉が口からするりと出た。
しまったと思った時には人魚の顔には満面の笑顔が戻り、いつものように尾びれを振っている。
「『どうして、急に結ぶ、上手になったの?』」
急いで後ろを振り返り、一人の男を指す。肩よりも長い髪を一つに束ねる近習の一人の髪には妙な癖がついてしまっている。
「『後ろの一人に、練習台になってもらったんだよ。あの男。見えるかな、髪が長い人』」
こちらの目線を追ったらしい人魚がくすくすと心地の良い声で笑った。
「『あの人を、この髪型にしたの?』」
『そう』と頷いて、悪戯気を出して口元に手を添えて『全然似合ってなかった。悪いことしちゃったね』と声を潜めて言った。
途端に人魚はお腹を抱えて笑う。笑い声ですら彼女のものは、美声を誇る歌手の歌声を目の前で披露されているような、なんとも心地の良い澄んだ声だ。
まるで眩しいものを見るように目を細めた。
「君は、可愛いよ」
「『今の、なんて言ったの?』」
人間の言葉が彼女に分からなくて本当に良かった。
でなければ自らの心に蓋をしたまま、国に帰るところだ。
「『なんでもないよ。ほら、お菓子、食べる?』」
もうすぐ自分は国に帰る。あと少しだけだ。あと少しだけ側に居させて欲しくて、人魚の飾り気のない笑顔を一番近くで見つめていたくて、今日もキースはお菓子で人魚を釣るのだった。
何度目かの声かけにも、池の中央で籠城してしまった人魚がご機嫌を取り戻すことはなかった。
膨らんだ頬が、ほっそりとした後ろ姿からでもよく分かる。
珍しく友達を連れてきた人魚の少女は、いつにもなく不機嫌そうだった。
乱れたままの髪を綺麗に整えれば機嫌もなおるかなと考えてみたが、現在、人魚は清廉な青に新緑のグリーン、見事な輝きを称える銀の尾びれを持つ友人達に囲まれて、ふてくされている。
「『フェル、────』」
「『────? フェル、──?』」
「……──?」
声が小さくてあまり聞き取れない。
しかし三人は同時にこちらを振り返り、やれやれと首を振る動作をした。
……どうやら、自分は何かしてしまったらしい。
そっと後ろへと問いかけの目を向けると、ゴードンが「髪型が気に入らないのでは?」と首を捻った。
なるほど、と納得しかけたが、その横にいるライルがお腹を抱えて笑いを堪えている。
……違うらしい。
「ライル。理由が分かるなら笑ってないで教えろ」
「……ですから私は昔から言っていたでしょうに。女性とのお付き合いをおざなりになさっていてはいつか苦労しますよ、と」
笑い混じりの声だった。
「……どう言う意味だ?」
キースの怪訝な表情に、ライルはこっそりと、しかし大きく思い切り呆れていた。
あれだけ滅茶苦茶にされた髪をそのままでいいと言い、翌日もその頭のまま来た人魚の少女の心はライルには手に取るようにわかる。おまけに友達がそのお相手を見に来たとなれば……。
アホですかという声をこっそりと飲み込んだライルだった。
しかしそれを正直に言えばこの王子は態度を硬化させてしまうのは長い付き合いで分かっている。
「ほら、早く呼び戻さないと彼女が帰ってしまいますよ。よろしいのですか?」
途端にキースは慌てて振り返って人魚に声をかけた。
「『ほら、戻っておいで。僕が何か、したのかな? か……髪型が駄目だった?』」
三人分の白い目がキースに刺さる。
しまった、これは違うんだった。
「『あっ お、お菓子があるよ。一緒に食べよう?』」
お菓子という単語に人魚の耳はぴくりと動き、水中の赤い尾びれが左右に揺れる。分かりやすい。
「えっと……『クッキーと……』キッシュって魔族語でなんというんだったかな……『とにかく、たくさんあるよ。お友達も一緒に食べよう』」
一人、綺麗な青い尾びれの人魚がスイスイと泳ぎ寄り、耳貸せとばかりのジェスチャーをしてきた。
「『友達も一緒で──!? フェルは────!』」
耳元で怒られた。意味はほとんど分からないが、友達も一緒は駄目なのか、とはさすがに察する。
ところで、先ほどから聞こえる『フェル』とはどういう意味だろうか。
聞き取りながらずっと考えているが、いまだに答えが出ない。
怒る青い人魚が戻りながら『フェル!』と声を上げた。
なんだかそれは、呼びかけのようで──。
「もしかして、彼女の名前か……?」
四人の人魚の会話に注意深く耳をすませる。断片的にでも聞き取れれば。
「『フェルも──、帰る?』」
「『そうね、────、フェルは──?』」
「『フェルったらいつまで──。可愛い髪型──』」
ふてくされた人魚が池の水面に目を向けて、自らの姿を見とめて頬の膨らみが緩む。
いまだに目に拗ねた光を残しながら、人魚はそろそろと戻ってきた。
「『これ、かわいい?』」
頭に手を添えて、少し唇を尖らせて言ってくる。
思わず大きく頷いた。
「『うん、可愛いよ』」
伝えるつもりのない言葉が口からするりと出た。
しまったと思った時には人魚の顔には満面の笑顔が戻り、いつものように尾びれを振っている。
「『どうして、急に結ぶ、上手になったの?』」
急いで後ろを振り返り、一人の男を指す。肩よりも長い髪を一つに束ねる近習の一人の髪には妙な癖がついてしまっている。
「『後ろの一人に、練習台になってもらったんだよ。あの男。見えるかな、髪が長い人』」
こちらの目線を追ったらしい人魚がくすくすと心地の良い声で笑った。
「『あの人を、この髪型にしたの?』」
『そう』と頷いて、悪戯気を出して口元に手を添えて『全然似合ってなかった。悪いことしちゃったね』と声を潜めて言った。
途端に人魚はお腹を抱えて笑う。笑い声ですら彼女のものは、美声を誇る歌手の歌声を目の前で披露されているような、なんとも心地の良い澄んだ声だ。
まるで眩しいものを見るように目を細めた。
「君は、可愛いよ」
「『今の、なんて言ったの?』」
人間の言葉が彼女に分からなくて本当に良かった。
でなければ自らの心に蓋をしたまま、国に帰るところだ。
「『なんでもないよ。ほら、お菓子、食べる?』」
もうすぐ自分は国に帰る。あと少しだけだ。あと少しだけ側に居させて欲しくて、人魚の飾り気のない笑顔を一番近くで見つめていたくて、今日もキースはお菓子で人魚を釣るのだった。
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