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やや辿々しいながらも丁寧に語りかけられたのは人間の言葉だった。
「族長に是非、挨拶をしていってください。喜びます」
そうしてまるで案内するように片方の翼が馬車の進む先を示す。
思わず三人で目を見合わせた。
「いつの間に扉を通ったんだ……?」
妖精のサラは確かに多くの種族の住う地域への扉があると言っていたが、馬車に乗っていてそんなものを通ったはずがない。
誰にともなく呟いたキースの言葉に答えたのはハーピーの女性だった。
「あそこの二本の樫の木の間、通ると魔王様の城、あります」
指されたのは魔王城から続く道と言えなくもない悪路だった。
どうやら馬車が通れるようになっている道を走ると自動的に各種族の住む地域へと飛ばされるらしい。つまり今、キース達がいるのは魔王城から遠く離れたハーピー達の住む森の中、ということになる。
間違えて奥へと入り込んだら二度と戻れないのではないか、と思い至り、少し背筋が冷えた。
しかしそれよりも、キースの頭を締めたのは焦りだ。意識せずとはいえ領地侵犯を犯してしまった。
「報せも出さずに大変失礼をいたしました。改めて族長様には文を出しまして、訪問させていただきます」
先導しようとしたらしいハーピーの女性が翼を広げた飛び立つ寸前の格好で固まり、目を瞬いた。
「ここまで来たのに? 出直す?」
その顔があまりにも突拍子もないことを言われた女性そのものだったのでキースは面食らった。
「し……報せも出さずにお伺いするのは失礼にあたるのでは……?」
「報せなら受けています。魔王様の側近のサラ殿から」
この返答に胸を撫で下ろした。サラが先に知らせてくれていたならなんの問題もない。
「それでしたら是非ともお会いさせ──」
「ひと月ほど前だったか、人間の方がいつか森に来るかもしれないと教えてもらっていましたから。族長にはこれから知らせます」
それは報せもなく突然訪問したと同義だ! との叫びは喉元まで出掛かったが、残念なことに女性は大きく羽ばたいて馬車から飛び立ってしまった。
突然押しかけたとも取れるキースの中の常識ではあまりにも無礼な行いに、族長殿は気分を害されるのではと頭を痛める乗客の心を知らない馬車は順調に走り続け、道を外れた広場へとたどり着いた。
木造の小屋が地面と、見上げるほどの大木の上に縦横無尽に建てられていた。小屋は王都からかなり離れた村の村人達が住む家と似ているが、彼らの家は床を上げて鼠返しが付けられていたが、ここにはそれがない。地面にぴたりと床がついている。
女性の案内で村の中を歩くと、多くの無遠慮な視線が刺さった。
耳打ちまでして話しているふたりの女性達が視界の端に引っ掛かり、気持ちがどんどんと冷めていく。
こそこそと、しかし見えるように話される内容は、悪意あるものであると容易に想像がついた。
しかしすぐにどうでもいいことだと気持ちを切り替える。
居心地の悪さも不快な気持ちすらも、もはや感じない程度には向けられる悪意にキースは慣れているのだ。
無視して歩くキース達を先導する女性が突然金切り声を上げた。威嚇するような、神経が張り詰めるような高い声は、まさに猛禽のものだ。
耳打ちをしていた二人がそれを聞いて慌てて立ち去る。
この女性が追い払ってくれたことは明らかだった。
そのようなことをしてくれなくても良いのにと、なんだか可笑しくなって言った。
「私は気にしていませんから、あなたもお気になさらないでください」
「……申し訳ございません。人間が珍しいようで、失礼しました」
「参考までに、彼女らが話していた内容をお聞かせいただけませんか」
悪く言われることには慣れている。むしろ楽しい話題であるかのようにキースは気軽に女性に尋ねた。
ほんの一瞬言い淀んだ彼女は、しかし足を止めて大木を見上げて教えてくれたのだ。
「その……あのように鉤爪を覆っていては木の上に立っていられない。どうして覆っているのか、と話していました」
「……はい?」
「忘れてください。あとで叱り付けておきます」
眉間にシワを寄せて改めて謝罪の言葉を口にして、女性は再び歩き始めた。
その背に、言うべきかどうかキースは悩んだ。
──それは悪口なんですか?
しかし怒りに歩調がやや早まった女性に尋ねるのは憚られ、キースは慌ててその背を追いかけた。
ようやく辿り着いた族長の家もまた木造の質素な平屋だった。
聞けば族長の本来の住居は木の上にあるらしく、ここは応接間のような扱いの建物らしい。
玄関もなく、扉を潜ればそこは床張りの一間で、奥には大柄の男性が腰を下ろしていた。
真っ白い髪を掻き上げて、背中まである長い髪をそのまま流している。肌は浅黒く、女性と違って男性は胸までがまるで人間のもののように露出していた。
族長は、こちらを見て白い歯を覗かせて笑みを浮かべた。
突然の訪問にも怒っていないようで、こっそりと胸を撫で下ろしたキースだった。
「ようこそ参られた。人間殿。お会いできるのを楽しみにしていたぞ」
ハーピーの族長は翼で板張りの床を指し示す動作をしたのちに、「さぁ座ってくれ」と言った。
床には円形に織られた布が置かれている。赤や白、黄色などの多色で細かく織られた布は分厚く、見た目にも柔らかそうだったが、キースは文化の違いというものを深く感じていた。
これまでの人生では椅子に腰掛けるばかりで、客人の前で床に尻をつけるなどキースの中の常識ではあり得ないことだが、ハーピーの文化ではどうやらこれが当たり前らしい。
郷に入りてはだと自分に言い聞かせるも、族長が大きな足を組んでゆったりと腰を下ろしている姿を見て、自分がこの方と同じ格好で座るのは少し不躾なのではないかと再び不安になる。
わずかに迷っていると、ここまでキース達を案内してくれた女性が族長の後ろに下がり、同じく円形の布地に膝を揃えて腰を下ろした。
見たことのない座り方だが、どうやらこれが目上の人の前で座る形らしいと判断して、キース達も真似をして膝を揃えて腰を下ろす。
そうして、ようやく満足気に笑っている族長の前で外交用の笑みを浮かべて見せた。
初めて会ったハーピーという種族の前でキース達が計り知れない醜態を晒すのは、このわずか五分後のことである。
「族長に是非、挨拶をしていってください。喜びます」
そうしてまるで案内するように片方の翼が馬車の進む先を示す。
思わず三人で目を見合わせた。
「いつの間に扉を通ったんだ……?」
妖精のサラは確かに多くの種族の住う地域への扉があると言っていたが、馬車に乗っていてそんなものを通ったはずがない。
誰にともなく呟いたキースの言葉に答えたのはハーピーの女性だった。
「あそこの二本の樫の木の間、通ると魔王様の城、あります」
指されたのは魔王城から続く道と言えなくもない悪路だった。
どうやら馬車が通れるようになっている道を走ると自動的に各種族の住む地域へと飛ばされるらしい。つまり今、キース達がいるのは魔王城から遠く離れたハーピー達の住む森の中、ということになる。
間違えて奥へと入り込んだら二度と戻れないのではないか、と思い至り、少し背筋が冷えた。
しかしそれよりも、キースの頭を締めたのは焦りだ。意識せずとはいえ領地侵犯を犯してしまった。
「報せも出さずに大変失礼をいたしました。改めて族長様には文を出しまして、訪問させていただきます」
先導しようとしたらしいハーピーの女性が翼を広げた飛び立つ寸前の格好で固まり、目を瞬いた。
「ここまで来たのに? 出直す?」
その顔があまりにも突拍子もないことを言われた女性そのものだったのでキースは面食らった。
「し……報せも出さずにお伺いするのは失礼にあたるのでは……?」
「報せなら受けています。魔王様の側近のサラ殿から」
この返答に胸を撫で下ろした。サラが先に知らせてくれていたならなんの問題もない。
「それでしたら是非ともお会いさせ──」
「ひと月ほど前だったか、人間の方がいつか森に来るかもしれないと教えてもらっていましたから。族長にはこれから知らせます」
それは報せもなく突然訪問したと同義だ! との叫びは喉元まで出掛かったが、残念なことに女性は大きく羽ばたいて馬車から飛び立ってしまった。
突然押しかけたとも取れるキースの中の常識ではあまりにも無礼な行いに、族長殿は気分を害されるのではと頭を痛める乗客の心を知らない馬車は順調に走り続け、道を外れた広場へとたどり着いた。
木造の小屋が地面と、見上げるほどの大木の上に縦横無尽に建てられていた。小屋は王都からかなり離れた村の村人達が住む家と似ているが、彼らの家は床を上げて鼠返しが付けられていたが、ここにはそれがない。地面にぴたりと床がついている。
女性の案内で村の中を歩くと、多くの無遠慮な視線が刺さった。
耳打ちまでして話しているふたりの女性達が視界の端に引っ掛かり、気持ちがどんどんと冷めていく。
こそこそと、しかし見えるように話される内容は、悪意あるものであると容易に想像がついた。
しかしすぐにどうでもいいことだと気持ちを切り替える。
居心地の悪さも不快な気持ちすらも、もはや感じない程度には向けられる悪意にキースは慣れているのだ。
無視して歩くキース達を先導する女性が突然金切り声を上げた。威嚇するような、神経が張り詰めるような高い声は、まさに猛禽のものだ。
耳打ちをしていた二人がそれを聞いて慌てて立ち去る。
この女性が追い払ってくれたことは明らかだった。
そのようなことをしてくれなくても良いのにと、なんだか可笑しくなって言った。
「私は気にしていませんから、あなたもお気になさらないでください」
「……申し訳ございません。人間が珍しいようで、失礼しました」
「参考までに、彼女らが話していた内容をお聞かせいただけませんか」
悪く言われることには慣れている。むしろ楽しい話題であるかのようにキースは気軽に女性に尋ねた。
ほんの一瞬言い淀んだ彼女は、しかし足を止めて大木を見上げて教えてくれたのだ。
「その……あのように鉤爪を覆っていては木の上に立っていられない。どうして覆っているのか、と話していました」
「……はい?」
「忘れてください。あとで叱り付けておきます」
眉間にシワを寄せて改めて謝罪の言葉を口にして、女性は再び歩き始めた。
その背に、言うべきかどうかキースは悩んだ。
──それは悪口なんですか?
しかし怒りに歩調がやや早まった女性に尋ねるのは憚られ、キースは慌ててその背を追いかけた。
ようやく辿り着いた族長の家もまた木造の質素な平屋だった。
聞けば族長の本来の住居は木の上にあるらしく、ここは応接間のような扱いの建物らしい。
玄関もなく、扉を潜ればそこは床張りの一間で、奥には大柄の男性が腰を下ろしていた。
真っ白い髪を掻き上げて、背中まである長い髪をそのまま流している。肌は浅黒く、女性と違って男性は胸までがまるで人間のもののように露出していた。
族長は、こちらを見て白い歯を覗かせて笑みを浮かべた。
突然の訪問にも怒っていないようで、こっそりと胸を撫で下ろしたキースだった。
「ようこそ参られた。人間殿。お会いできるのを楽しみにしていたぞ」
ハーピーの族長は翼で板張りの床を指し示す動作をしたのちに、「さぁ座ってくれ」と言った。
床には円形に織られた布が置かれている。赤や白、黄色などの多色で細かく織られた布は分厚く、見た目にも柔らかそうだったが、キースは文化の違いというものを深く感じていた。
これまでの人生では椅子に腰掛けるばかりで、客人の前で床に尻をつけるなどキースの中の常識ではあり得ないことだが、ハーピーの文化ではどうやらこれが当たり前らしい。
郷に入りてはだと自分に言い聞かせるも、族長が大きな足を組んでゆったりと腰を下ろしている姿を見て、自分がこの方と同じ格好で座るのは少し不躾なのではないかと再び不安になる。
わずかに迷っていると、ここまでキース達を案内してくれた女性が族長の後ろに下がり、同じく円形の布地に膝を揃えて腰を下ろした。
見たことのない座り方だが、どうやらこれが目上の人の前で座る形らしいと判断して、キース達も真似をして膝を揃えて腰を下ろす。
そうして、ようやく満足気に笑っている族長の前で外交用の笑みを浮かべて見せた。
初めて会ったハーピーという種族の前でキース達が計り知れない醜態を晒すのは、このわずか五分後のことである。
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