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長編版
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アーチ形を描く窓からは暖かな日差しが射し込む室内では小鳥のさえずりさながらの品の良い笑い声が溢れる。
ここは王立学園にある、高位貴族にのみ与えられるサロンだ。つまりレストリド公爵家の令嬢である私に与えられた、専用のサロンである。
「先日の舞踏会でリシュフィ様がお召しになっていたドレスは本当に素敵でしたわ……リシュフィ様ならば、どのようなドレスも着こなしてしまわれるでしょうけれど」
「本当に。このサロンも、とても素敵なご趣味でいらっしゃって。あちらのキャビネットはもしや、ロンズバーグの作では?」
「まぁ。さすが、リシュフィ様だわ! ロンズバーグといえば作品数も多くなく、選ばれた方しか持つことはできないと言われている不遇の名工ではありませんか」
ご令嬢方のヨイショが止まらない。
「ええ、仰る通り、ロンズバーグの作品ですわ。さすが皆様は博識でいらっしゃってお見せする甲斐がありますわね」
ついでに私もヨイショ。
今このサロンにいるご令嬢方は右からフォード侯爵令嬢、オズワフ伯爵令嬢、ハリソン侯爵令嬢と、次代の社交界を担うと言われているそうそうたる面々である。
そんなお三方にヨイショの集中攻撃をされている私はというと──。
コツコツと靴音が響き、サロンに緊張が走る。
本日のお茶会に招待したのは、普段から親しくしてくださっているこのお三方ともう一人友人を招いているが、令嬢である彼女があのように靴音を響かせて歩くことはあり得ない。ということは、無断で侵入した誰かの靴音、ということになるが、残念ながらそんなことが出来るのは一人しかいない。
「リシュフィ嬢。お茶会の最中と聞いたが、私も邪魔をして良いか」
帰れ! 帰れ!!
「まぁ、殿下。お越しになるなら事前に一報くださいませと、いつも申しておりますのに」
父親譲りの柔和な雰囲気に、次代の王たる自信に満ちた堂々たる御姿へと成長なされた王太子殿下は、私の手を取りそっと手の甲に唇を寄せた。
「たった今聞いたばかりでな。許してくれ」
相手の都合を無視したこの台詞。モラハラ予備軍ぶりは相変わらず健在なのである。
それでも麗しい殿下の姿を間近で見られたご令嬢方は上気した頬を扇子で隠して、後は若いお二人でとばかりに、次々に退出の挨拶を始めた。婚約者同士の逢瀬のお邪魔をするわけにはいかないということだ。いつものことである。
そうしてサロンには私と殿下の二人きり。
私は床にそっと腰を下ろした。
「いち、にっ、さん、し!」
「婚約者の前で突然腹筋を鍛え始めるなと、いつも言っているだろう!!」
すみませんね。今食べた分のお菓子の消費を済ませたいので。
「殿下がわたくしの都合を聞いてくださらないので、わたくしも聞く必要はないと判断いたしました。はい! ごぉ、ろく、しち、はちっ!」
「まてまて、せめて声は落とせ!! 外に聞こえる!!」
殿下とのこんにゃく騒動の後、お父様にさりげなく嫌だなぁ、怖いなぁと伝えてみようとはしたものの、次々にお祝いの挨拶や贈り物が届き、おまけにお披露目パーティーまで開かれてしまった私は心に決めた。
「それで、本日はどういった御用向きですの? まぁ、やっと婚約破棄のお手続きが完了致しまして!?」
殿下に破棄してもらおう! と。
「手続きが完了ってなんだ! そもそもそんな話は進めておらんわ!」
なんだ、残念……。
「残念……」
「せめてその気持ちは心の中に留めておけ……俺達の婚約は父上と叔父上の取り決めだぞ。解消するなど俺の一存で進められるわけがない。まったく、あからさまに嫌がりおって……いい加減不敬罪で投獄してやろうか……」
「わたくしはもうすでに殿下の婚約者という牢獄に囚われております!」
「誰が上手いこと言えと言った! このっ、デブ女が!!」
あーらあら。
「まぁまぁ。お口だけでなくお目まで悪くなされたのかしら」
私は勝ち誇るように豊かに育った胸を張った。
銀の絹糸のような艶やかな美しい髪に囲われた肌はまるで陶器のように白く滑らかで、さながら降り積もる雪のよう。長い睫毛が縁取る藍色の瞳は静かな夜を思わせ、その瞳が伏せられた時、すべての男が彼女の前に傅き、唯一赤く映える唇に触れることへの赦しを乞うのだ。
「……と、評されるグランドーラ国の若き至宝、このリシュフィ・レストリドに対してそのような物言いをなさるなんて!!」
お母様の扱きを耐え抜いてからの十年、現在十八歳になった私は、未だ甘い物を極力控え、運動を継続している。
そのお陰か、美しいお母様の遺伝なのか、今では社交界の一番の華と言われるほどの美貌を誇るまでになった。
「それは自分で言うことではないのだぞ……」
この美しさは我ら母子の執念であり、努力の結晶だ。自慢しないでどうする!
「どこにおデブさんがいると仰るのかしら! オーホッホッホ!」
高笑いする私に、殿下は疲れたようなため息とともに眉間のシワを伸ばした。
このモラハラ予備軍を言い負かすことの、気持ちいいこと! これぞ痩せた甲斐があったというもの!
「ああ、よりにもよって、どうしてこれなんだ……」
「そのような言い方をなさるなら、早く破棄してくださればよろしいのに」
「そんな意味で言ったのではないわ!! ったく……」
席についた殿下に仕方なしにお茶を淹れて差し上げると、眉間のシワをそのままに優雅な手つきでカップを取り上げ傾けた。
腐っても王太子殿下である。
「それより、来週の予定はわかっていような?」
音を立てずにカップを戻した殿下に問われ、笑顔で首を大きく傾ける。
「何か大切な用事でもありましたかしら?」
「やはり忘れておったか! 来週は俺が出場する剣術大会の開催日だろうが!!」
「はぁ……冗談でございます。覚えておりますよ。どうか、頑張ってきてくださいませ」
「他人事のように……お前は婚約者なのだから、当然、応援に来なければならんぞ」
やはり応援の催促だったか……。
「はいはい、行きますとも、もちろん。もしかしたら風邪を引いてしまうやもしれませんが……ゴホゴホ」
「なんだ、その棒読みの咳は! やはりすっぽかす気満々だったようだな。そう来ると思って、お前の友人らにすでに話は通しておいたわ!」
「なっ、なんてことを!!」
当日は自室に篭ってベッドでごろごろする予定だったのに!!
「チッ……こうなればお父様にご病気にでもなっていただくしか……」
「その公爵令嬢にあるまじき見事な舌打ちは練習でもしなければ出せない完成度だが、外で練習したわけではなかろうな!?」
頼むからやめてくれよ、と言われて思わず「前世での不遇の成果です」と喉まで出かかったが、なんとか飲み込んだ。
「まぁ、諦めて観戦に来るのだな。ふっ……久しぶりにお前に一矢報いてやったわ。残念だったな!!」
思わずぐぬぬと令嬢にあるまじき唸り声が出てしまう。
これ以上ないほど悔しいが、こちらに指を差し勝ち誇る姿は昔から変わらないままで、思わず吹き出してしまった。
「なんですか、嬉しそうに。殿下ったら、そんなところは本当に子供なんですから」
なんだかんだと言って婚約して十年。
さっさと解消していただくはずが、すっかり長い付き合いになってしまった。
破棄していただきたいのは当然だが、前世で言うなら息子ほどの歳の男の子だ。モラハラ予備軍ぶりは健在とはいえ、多少なりとも情は湧いている。
「冗談でございますよ。殿下の晴れ姿に婚約者が顔を見せぬわけにいきませんでしょう。もちろん、晴れ姿を見せてくださるのでしょう?」
「うっ、あ、ああ、もちろん、だ」
急に顔を真っ赤に染める殿下にも、もう慣れた。最初の頃はお熱でもあるのかとオバさんの性でおでこに手を当ててしまい、振り払われてしまったが。
「必ず、優勝してやろう……お、お前のために」
ん? 私のため?
「どうしてわたくしのために優勝なさるんですの? 殿下ご自身の大会でございましょう?」
そもそも、賞金も出ない名誉だけの大会の優勝が、どうして私のためになるんだ?
首を傾げれば、殿下は赤い顔を更に赤くして、ぶるぶると震え出した。
「お、お前のそういうところが……そういうところが……っこのアホデブ女!!」
「なっ! まだ言いますか! 本っ当に全然成長しませんわねっ、このお子ちゃま王子!!」
散々デブデブ叫んだ殿下は、風邪を引かぬよう暖かくして寝るようにと念を押して帰っていった。
私はロンズバーグ作のキャビネットの扉を開き、常備している白い粉をむんずと掴んだ。
片足を高く掲げ、大きく振りかぶる。
二度と来んな!!
ここは王立学園にある、高位貴族にのみ与えられるサロンだ。つまりレストリド公爵家の令嬢である私に与えられた、専用のサロンである。
「先日の舞踏会でリシュフィ様がお召しになっていたドレスは本当に素敵でしたわ……リシュフィ様ならば、どのようなドレスも着こなしてしまわれるでしょうけれど」
「本当に。このサロンも、とても素敵なご趣味でいらっしゃって。あちらのキャビネットはもしや、ロンズバーグの作では?」
「まぁ。さすが、リシュフィ様だわ! ロンズバーグといえば作品数も多くなく、選ばれた方しか持つことはできないと言われている不遇の名工ではありませんか」
ご令嬢方のヨイショが止まらない。
「ええ、仰る通り、ロンズバーグの作品ですわ。さすが皆様は博識でいらっしゃってお見せする甲斐がありますわね」
ついでに私もヨイショ。
今このサロンにいるご令嬢方は右からフォード侯爵令嬢、オズワフ伯爵令嬢、ハリソン侯爵令嬢と、次代の社交界を担うと言われているそうそうたる面々である。
そんなお三方にヨイショの集中攻撃をされている私はというと──。
コツコツと靴音が響き、サロンに緊張が走る。
本日のお茶会に招待したのは、普段から親しくしてくださっているこのお三方ともう一人友人を招いているが、令嬢である彼女があのように靴音を響かせて歩くことはあり得ない。ということは、無断で侵入した誰かの靴音、ということになるが、残念ながらそんなことが出来るのは一人しかいない。
「リシュフィ嬢。お茶会の最中と聞いたが、私も邪魔をして良いか」
帰れ! 帰れ!!
「まぁ、殿下。お越しになるなら事前に一報くださいませと、いつも申しておりますのに」
父親譲りの柔和な雰囲気に、次代の王たる自信に満ちた堂々たる御姿へと成長なされた王太子殿下は、私の手を取りそっと手の甲に唇を寄せた。
「たった今聞いたばかりでな。許してくれ」
相手の都合を無視したこの台詞。モラハラ予備軍ぶりは相変わらず健在なのである。
それでも麗しい殿下の姿を間近で見られたご令嬢方は上気した頬を扇子で隠して、後は若いお二人でとばかりに、次々に退出の挨拶を始めた。婚約者同士の逢瀬のお邪魔をするわけにはいかないということだ。いつものことである。
そうしてサロンには私と殿下の二人きり。
私は床にそっと腰を下ろした。
「いち、にっ、さん、し!」
「婚約者の前で突然腹筋を鍛え始めるなと、いつも言っているだろう!!」
すみませんね。今食べた分のお菓子の消費を済ませたいので。
「殿下がわたくしの都合を聞いてくださらないので、わたくしも聞く必要はないと判断いたしました。はい! ごぉ、ろく、しち、はちっ!」
「まてまて、せめて声は落とせ!! 外に聞こえる!!」
殿下とのこんにゃく騒動の後、お父様にさりげなく嫌だなぁ、怖いなぁと伝えてみようとはしたものの、次々にお祝いの挨拶や贈り物が届き、おまけにお披露目パーティーまで開かれてしまった私は心に決めた。
「それで、本日はどういった御用向きですの? まぁ、やっと婚約破棄のお手続きが完了致しまして!?」
殿下に破棄してもらおう! と。
「手続きが完了ってなんだ! そもそもそんな話は進めておらんわ!」
なんだ、残念……。
「残念……」
「せめてその気持ちは心の中に留めておけ……俺達の婚約は父上と叔父上の取り決めだぞ。解消するなど俺の一存で進められるわけがない。まったく、あからさまに嫌がりおって……いい加減不敬罪で投獄してやろうか……」
「わたくしはもうすでに殿下の婚約者という牢獄に囚われております!」
「誰が上手いこと言えと言った! このっ、デブ女が!!」
あーらあら。
「まぁまぁ。お口だけでなくお目まで悪くなされたのかしら」
私は勝ち誇るように豊かに育った胸を張った。
銀の絹糸のような艶やかな美しい髪に囲われた肌はまるで陶器のように白く滑らかで、さながら降り積もる雪のよう。長い睫毛が縁取る藍色の瞳は静かな夜を思わせ、その瞳が伏せられた時、すべての男が彼女の前に傅き、唯一赤く映える唇に触れることへの赦しを乞うのだ。
「……と、評されるグランドーラ国の若き至宝、このリシュフィ・レストリドに対してそのような物言いをなさるなんて!!」
お母様の扱きを耐え抜いてからの十年、現在十八歳になった私は、未だ甘い物を極力控え、運動を継続している。
そのお陰か、美しいお母様の遺伝なのか、今では社交界の一番の華と言われるほどの美貌を誇るまでになった。
「それは自分で言うことではないのだぞ……」
この美しさは我ら母子の執念であり、努力の結晶だ。自慢しないでどうする!
「どこにおデブさんがいると仰るのかしら! オーホッホッホ!」
高笑いする私に、殿下は疲れたようなため息とともに眉間のシワを伸ばした。
このモラハラ予備軍を言い負かすことの、気持ちいいこと! これぞ痩せた甲斐があったというもの!
「ああ、よりにもよって、どうしてこれなんだ……」
「そのような言い方をなさるなら、早く破棄してくださればよろしいのに」
「そんな意味で言ったのではないわ!! ったく……」
席についた殿下に仕方なしにお茶を淹れて差し上げると、眉間のシワをそのままに優雅な手つきでカップを取り上げ傾けた。
腐っても王太子殿下である。
「それより、来週の予定はわかっていような?」
音を立てずにカップを戻した殿下に問われ、笑顔で首を大きく傾ける。
「何か大切な用事でもありましたかしら?」
「やはり忘れておったか! 来週は俺が出場する剣術大会の開催日だろうが!!」
「はぁ……冗談でございます。覚えておりますよ。どうか、頑張ってきてくださいませ」
「他人事のように……お前は婚約者なのだから、当然、応援に来なければならんぞ」
やはり応援の催促だったか……。
「はいはい、行きますとも、もちろん。もしかしたら風邪を引いてしまうやもしれませんが……ゴホゴホ」
「なんだ、その棒読みの咳は! やはりすっぽかす気満々だったようだな。そう来ると思って、お前の友人らにすでに話は通しておいたわ!」
「なっ、なんてことを!!」
当日は自室に篭ってベッドでごろごろする予定だったのに!!
「チッ……こうなればお父様にご病気にでもなっていただくしか……」
「その公爵令嬢にあるまじき見事な舌打ちは練習でもしなければ出せない完成度だが、外で練習したわけではなかろうな!?」
頼むからやめてくれよ、と言われて思わず「前世での不遇の成果です」と喉まで出かかったが、なんとか飲み込んだ。
「まぁ、諦めて観戦に来るのだな。ふっ……久しぶりにお前に一矢報いてやったわ。残念だったな!!」
思わずぐぬぬと令嬢にあるまじき唸り声が出てしまう。
これ以上ないほど悔しいが、こちらに指を差し勝ち誇る姿は昔から変わらないままで、思わず吹き出してしまった。
「なんですか、嬉しそうに。殿下ったら、そんなところは本当に子供なんですから」
なんだかんだと言って婚約して十年。
さっさと解消していただくはずが、すっかり長い付き合いになってしまった。
破棄していただきたいのは当然だが、前世で言うなら息子ほどの歳の男の子だ。モラハラ予備軍ぶりは健在とはいえ、多少なりとも情は湧いている。
「冗談でございますよ。殿下の晴れ姿に婚約者が顔を見せぬわけにいきませんでしょう。もちろん、晴れ姿を見せてくださるのでしょう?」
「うっ、あ、ああ、もちろん、だ」
急に顔を真っ赤に染める殿下にも、もう慣れた。最初の頃はお熱でもあるのかとオバさんの性でおでこに手を当ててしまい、振り払われてしまったが。
「必ず、優勝してやろう……お、お前のために」
ん? 私のため?
「どうしてわたくしのために優勝なさるんですの? 殿下ご自身の大会でございましょう?」
そもそも、賞金も出ない名誉だけの大会の優勝が、どうして私のためになるんだ?
首を傾げれば、殿下は赤い顔を更に赤くして、ぶるぶると震え出した。
「お、お前のそういうところが……そういうところが……っこのアホデブ女!!」
「なっ! まだ言いますか! 本っ当に全然成長しませんわねっ、このお子ちゃま王子!!」
散々デブデブ叫んだ殿下は、風邪を引かぬよう暖かくして寝るようにと念を押して帰っていった。
私はロンズバーグ作のキャビネットの扉を開き、常備している白い粉をむんずと掴んだ。
片足を高く掲げ、大きく振りかぶる。
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