上 下
3 / 51
長編版

しおりを挟む
 アーチ形を描く窓からは暖かな日差しが射し込む室内では小鳥のさえずりさながらの品の良い笑い声が溢れる。
 ここは王立学園にある、高位貴族にのみ与えられるサロンだ。つまりレストリド公爵家の令嬢である私に与えられた、専用のサロンである。

「先日の舞踏会でリシュフィ様がお召しになっていたドレスは本当に素敵でしたわ……リシュフィ様ならば、どのようなドレスも着こなしてしまわれるでしょうけれど」
「本当に。このサロンも、とても素敵なご趣味でいらっしゃって。あちらのキャビネットはもしや、ロンズバーグの作では?」
「まぁ。さすが、リシュフィ様だわ! ロンズバーグといえば作品数も多くなく、選ばれた方しか持つことはできないと言われている不遇の名工ではありませんか」

 ご令嬢方のヨイショが止まらない。

「ええ、仰る通り、ロンズバーグの作品ですわ。さすが皆様は博識でいらっしゃってお見せする甲斐がありますわね」

 ついでに私もヨイショ。

 今このサロンにいるご令嬢方は右からフォード侯爵令嬢、オズワフ伯爵令嬢、ハリソン侯爵令嬢と、次代の社交界を担うと言われているそうそうたる面々である。

 そんなお三方にヨイショの集中攻撃をされている私はというと──。

 コツコツと靴音が響き、サロンに緊張が走る。
 本日のお茶会に招待したのは、普段から親しくしてくださっているこのお三方ともう一人友人を招いているが、令嬢である彼女があのように靴音を響かせて歩くことはあり得ない。ということは、無断で侵入した誰かの靴音、ということになるが、残念ながらそんなことが出来るのは一人しかいない。

「リシュフィ嬢。お茶会の最中と聞いたが、私も邪魔をして良いか」

 帰れ! 帰れ!!

「まぁ、殿下。お越しになるなら事前に一報くださいませと、いつも申しておりますのに」

 父親譲りの柔和な雰囲気に、次代の王たる自信に満ちた堂々たる御姿へと成長なされた王太子殿下は、私の手を取りそっと手の甲に唇を寄せた。

「たった今聞いたばかりでな。許してくれ」

 相手の都合を無視したこの台詞。モラハラ予備軍ぶりは相変わらず健在なのである。

 それでも麗しい殿下の姿を間近で見られたご令嬢方は上気した頬を扇子で隠して、後は若いお二人でとばかりに、次々に退出の挨拶を始めた。婚約者同士の逢瀬のお邪魔をするわけにはいかないということだ。いつものことである。

 そうしてサロンには私と殿下の二人きり。

 私は床にそっと腰を下ろした。

「いち、にっ、さん、し!」
「婚約者の前で突然腹筋を鍛え始めるなと、いつも言っているだろう!!」

 すみませんね。今食べた分のお菓子の消費を済ませたいので。

「殿下がわたくしの都合を聞いてくださらないので、わたくしも聞く必要はないと判断いたしました。はい! ごぉ、ろく、しち、はちっ!」
「まてまて、せめて声は落とせ!! 外に聞こえる!!」

 殿下とのこんにゃく騒動の後、お父様にさりげなく嫌だなぁ、怖いなぁと伝えてみようとはしたものの、次々にお祝いの挨拶や贈り物が届き、おまけにお披露目パーティーまで開かれてしまった私は心に決めた。

「それで、本日はどういった御用向きですの? まぁ、やっと婚約破棄のお手続きが完了致しまして!?」

 殿下に破棄してもらおう! と。

「手続きが完了ってなんだ! そもそもそんな話は進めておらんわ!」

 なんだ、残念……。

「残念……」
「せめてその気持ちは心の中に留めておけ……俺達の婚約は父上と叔父上の取り決めだぞ。解消するなど俺の一存で進められるわけがない。まったく、あからさまに嫌がりおって……いい加減不敬罪で投獄してやろうか……」
「わたくしはもうすでに殿下の婚約者という牢獄に囚われております!」
「誰が上手いこと言えと言った! このっ、デブ女が!!」

 あーらあら。

「まぁまぁ。お口だけでなくお目まで悪くなされたのかしら」

 私は勝ち誇るように豊かに育った胸を張った。



 銀の絹糸のような艶やかな美しい髪に囲われた肌はまるで陶器のように白く滑らかで、さながら降り積もる雪のよう。長い睫毛が縁取る藍色の瞳は静かな夜を思わせ、その瞳が伏せられた時、すべての男が彼女の前に傅き、唯一赤く映える唇に触れることへの赦しを乞うのだ。

「……と、評されるグランドーラ国の若き至宝、このリシュフィ・レストリドに対してそのような物言いをなさるなんて!!」

 お母様の扱きを耐え抜いてからの十年、現在十八歳になった私は、未だ甘い物を極力控え、運動を継続している。
 そのお陰か、美しいお母様の遺伝なのか、今では社交界の一番の華と言われるほどの美貌を誇るまでになった。

「それは自分で言うことではないのだぞ……」

 この美しさは我ら母子の執念であり、努力の結晶だ。自慢しないでどうする!

「どこにおデブさんがいると仰るのかしら! オーホッホッホ!」

 高笑いする私に、殿下は疲れたようなため息とともに眉間のシワを伸ばした。
 このモラハラ予備軍を言い負かすことの、気持ちいいこと! これぞ痩せた甲斐があったというもの!

「ああ、よりにもよって、どうしてこれなんだ……」
「そのような言い方をなさるなら、早く破棄してくださればよろしいのに」
「そんな意味で言ったのではないわ!! ったく……」

 席についた殿下に仕方なしにお茶を淹れて差し上げると、眉間のシワをそのままに優雅な手つきでカップを取り上げ傾けた。
 腐っても王太子殿下である。

「それより、来週の予定はわかっていような?」

 音を立てずにカップを戻した殿下に問われ、笑顔で首を大きく傾ける。

「何か大切な用事でもありましたかしら?」
「やはり忘れておったか! 来週は俺が出場する剣術大会の開催日だろうが!!」
「はぁ……冗談でございます。覚えておりますよ。どうか、頑張ってきてくださいませ」
「他人事のように……お前は婚約者なのだから、当然、応援に来なければならんぞ」

 やはり応援の催促だったか……。

「はいはい、行きますとも、もちろん。もしかしたら風邪を引いてしまうやもしれませんが……ゴホゴホ」
「なんだ、その棒読みの咳は! やはりすっぽかす気満々だったようだな。そう来ると思って、お前の友人らにすでに話は通しておいたわ!」
「なっ、なんてことを!!」


 当日は自室に篭ってベッドでごろごろする予定だったのに!!

「チッ……こうなればお父様にご病気にでもなっていただくしか……」
「その公爵令嬢にあるまじき見事な舌打ちは練習でもしなければ出せない完成度だが、外で練習したわけではなかろうな!?」

 頼むからやめてくれよ、と言われて思わず「前世での不遇の成果です」と喉まで出かかったが、なんとか飲み込んだ。

「まぁ、諦めて観戦に来るのだな。ふっ……久しぶりにお前に一矢報いてやったわ。残念だったな!!」

 思わずぐぬぬと令嬢にあるまじき唸り声が出てしまう。
 これ以上ないほど悔しいが、こちらに指を差し勝ち誇る姿は昔から変わらないままで、思わず吹き出してしまった。

「なんですか、嬉しそうに。殿下ったら、そんなところは本当に子供なんですから」

 なんだかんだと言って婚約して十年。
 さっさと解消していただくはずが、すっかり長い付き合いになってしまった。
 破棄していただきたいのは当然だが、前世で言うなら息子ほどの歳の男の子だ。モラハラ予備軍ぶりは健在とはいえ、多少なりとも情は湧いている。

「冗談でございますよ。殿下の晴れ姿に婚約者が顔を見せぬわけにいきませんでしょう。もちろん、晴れ姿を見せてくださるのでしょう?」
「うっ、あ、ああ、もちろん、だ」

 急に顔を真っ赤に染める殿下にも、もう慣れた。最初の頃はお熱でもあるのかとオバさんの性でおでこに手を当ててしまい、振り払われてしまったが。

「必ず、優勝してやろう……お、お前のために」

 ん? 私のため?

「どうしてわたくしのために優勝なさるんですの? 殿下ご自身の大会でございましょう?」

 そもそも、賞金も出ない名誉だけの大会の優勝が、どうして私のためになるんだ?
 首を傾げれば、殿下は赤い顔を更に赤くして、ぶるぶると震え出した。

「お、お前のそういうところが……そういうところが……っこのアホデブ女!!」
「なっ! まだ言いますか! 本っ当に全然成長しませんわねっ、このお子ちゃま王子!!」

 散々デブデブ叫んだ殿下は、風邪を引かぬよう暖かくして寝るようにと念を押して帰っていった。

 私はロンズバーグ作のキャビネットの扉を開き、常備している白い粉をむんずと掴んだ。
 片足を高く掲げ、大きく振りかぶる。

 二度と来んな!!
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

殿下には既に奥様がいらっしゃる様なので私は消える事にします

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のアナスタシアは、毒を盛られて3年間眠り続けていた。そして3年後目を覚ますと、婚約者で王太子のルイスは親友のマルモットと結婚していた。さらに自分を毒殺した犯人は、家族以上に信頼していた、専属メイドのリーナだと聞かされる。 真実を知ったアナスタシアは、深いショックを受ける。追い打ちをかける様に、家族からは役立たずと罵られ、ルイスからは側室として迎える準備をしていると告げられた。 そして輿入れ前日、マルモットから恐ろしい真実を聞かされたアナスタシアは、生きる希望を失い、着の身着のまま屋敷から逃げ出したのだが… 7万文字くらいのお話です。 よろしくお願いいたしますm(__)m

婚約者が実は私を嫌っていたので、全て忘れる事にしました

Kouei
恋愛
私セイシェル・メルハーフェンは、 あこがれていたルパート・プレトリア伯爵令息と婚約できて幸せだった。 ルパート様も私に歩み寄ろうとして下さっている。 けれど私は聞いてしまった。ルパート様の本音を。 『我慢するしかない』 『彼女といると疲れる』 私はルパート様に嫌われていたの? 本当は厭わしく思っていたの? だから私は決めました。 あなたを忘れようと… ※この作品は、他投稿サイトにも公開しています。

【完結】初恋相手に失恋したので社交から距離を置いて、慎ましく観察眼を磨いていたのですが

藍生蕗
恋愛
 子供の頃、一目惚れした相手から素気無い態度で振られてしまったリエラは、異性に好意を寄せる自信を無くしてしまっていた。  しかし貴族令嬢として十八歳は適齢期。  いつまでも家でくすぶっている妹へと、兄が持ち込んだお見合いに応じる事にした。しかしその相手には既に非公式ながらも恋人がいたようで、リエラは衆目の場で醜聞に巻き込まれてしまう。 ※ 本編は4万字くらいのお話です ※ 他のサイトでも公開してます ※ 女性の立場が弱い世界観です。苦手な方はご注意下さい。 ※ ご都合主義 ※ 性格の悪い腹黒王子が出ます(不快注意!) ※ 6/19 HOTランキング7位! 10位以内初めてなので嬉しいです、ありがとうございます。゚(゚´ω`゚)゚。  →同日2位! 書いてて良かった! ありがとうございます(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

運命の番?棄てたのは貴方です

ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。 番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。 ※自己設定満載ですので気を付けてください。 ※性描写はないですが、一線を越える個所もあります ※多少の残酷表現あります。 以上2点からセルフレイティング

彼はもう終わりです。

豆狸
恋愛
悪夢は、終わらせなくてはいけません。

結婚して5年、冷たい夫に離縁を申し立てたらみんなに止められています。

真田どんぐり
恋愛
ー5年前、ストレイ伯爵家の美しい令嬢、アルヴィラ・ストレイはアレンベル侯爵家の侯爵、ダリウス・アレンベルと結婚してアルヴィラ・アレンベルへとなった。 親同士に決められた政略結婚だったが、アルヴィラは旦那様とちゃんと愛し合ってやっていこうと決意していたのに……。 そんな決意を打ち砕くかのように旦那様の態度はずっと冷たかった。 (しかも私にだけ!!) 社交界に行っても、使用人の前でもどんな時でも冷たい態度を取られた私は周りの噂の恰好の的。 最初こそ我慢していたが、ある日、偶然旦那様とその幼馴染の不倫疑惑を耳にする。 (((こんな仕打ち、あんまりよーー!!))) 旦那様の態度にとうとう耐えられなくなった私は、ついに離縁を決意したーーーー。

婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました

Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。 順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。 特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。 そんなアメリアに対し、オスカーは… とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。

処理中です...