ヒロインは私のルートを選択したようです

深川ねず

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第二章

番外編 お説教の結末②

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 レグ、と。女の声に呼ばれて振り返る。
 空色の尻尾を揺らしているようなエルザが大きく手を振って、こちらに駆けてきていた。

「どうした、エルザ。チビ達から逃げてきたのか?」

 ダイヤの国の騒動で二人の可愛い少年らを手に入れたエルザだったが、残念なことにオーウェンの英才教育により少年らは厳しい補佐代わりとなり、上官は逃げ場を失っていたはずだった。
 だが、なんてことはないらしい。普通に抜け出してきていやがる。

「そうそう。あなたを探してたの。二人に見つかる前に会えてよかったわ。あのね、聞きたいことがあるのよ」

 首を傾げて続きを促す。

「次のお休みはいつ?」
「休み? それなら三日後かな。丸一日空いてるが……何か頼み事かい?」
「ううん。そう言うわけじゃないのよ。三日後ね。その言い方だと、用事はないのね?」
「用事は、ねーけど……」

 俺の答えに、エルザは何かを企むような笑みを浮かべている。だが、質問の意図を教えてくれる気はないらしい。

「なら、次の休みは城下町に出かけてくれない? いい? 一人でよ。女の子とデートなんてしたらダメよ」

 細い人差し指が眼前を差し、言うことを聞かなければ承知しないぞとばかりの不敵な目が向けられる。

 女とデートするな、か。

 こんなことを言われては、以前までの俺なら心がざわついて、まともな思考なんてできなかっただろう。──が、今の俺にはわかる。

「……何を企んでるんだい、姐さん」
「た、企んでなんかないわよ。いいから、絶対絶対、デートしちゃダメだからね」

 焦りからか目があちこちに泳いだエルザの眼前に顔を近づける。
 逃さねーぞ、のポーズだ。

「正直に言わねーと、オーウェンの前に突き出すぞ」
「えっ、それは困……や、やれるもんならやってみなさい! 絶対逃げ切ってやるわよ!」
「……仕事だっつーのに」

 オーウェンも大変だな……。

 睨み合うこと数秒。バタバタと慌てた足音が二人分近付いてきた。

「エルザ様! やっと見つけた!」
「往生際が悪いですよ! たったあれだけの書類で逃げ出さないでくださいよ!」

 オーウェンに英才教育を施されたグレンとザックは、各々エルザの手を持って逃げ出さないように捕まえている。

 だがエルザは逃げ出すどころか天の助けとばかりに二人の手を握る力を強めた。

「ちょうどいいところに来たわね、二人とも! さぁ、執務室へ逃げるわよ!」

 何から逃げるのかはお察しだ。
 
 仕方ない。理由を問い詰めるのは諦めるかと思っていたら、口を丸く開けて固まっていたエルザの両側の少年らが、悲鳴のような声を上げた。

「具合でも悪いのか!?」
「頭でも打ったんですか!?」

「どういう意味よ、それ!!」

 エルザの抗議は無視された。
 上官の額に手を当てて熱を計るグレンはザックに「オーウェン様を呼んできて!」と頼み、ザックは大きく頷いて駆け出していった。さすが、兵士だけあって足が早い。あっという間にオーウェンが駆けつけてきた。

「確かに熱がある、気がしなくもない……!」

 ないだろ。

 恋人の額に手を当てたオーウェンへ、左右から少年らが「自分から執務室に戻るって言ったんです!」や「熱に浮かされて譫言を仰ったのかもしれません!」などと言いたい放題に訴えている。

「あなた達は、私をなんだと思ってるの!!」

 必死の主張も虚しく、エルザは医務室へと連行されていった。

 保護者が増えてるな。楽しそうでなによりだが。

 しかし、こうして見事に逃げ仰せられてしまったことに気が付いたのは、休み当日の朝だった。



「デートはするな、でも街には出ろ。ってか」

 首をひねりながら城下町を歩く。人の流れは穏やかで、祭りの時期の比ではない。のんびりと歩きながらエルザの、デートはするなという言葉の意味を考えた。

 一人で歩く俺に、以前遊んだことのある女友達がにこやかに話しかけてきた。手を振ってさっさと逃げ出す。
 デートはするなということは、おそらく女と二人きりになるなということだ。

 まさか、女と二人になると死ぬ呪いにでもかけられたか……? いやいや、飛躍しすぎだろ。

 エルザの性格から言って無意味なことを言うとは思えないし、なにより俺に不利益になることもしないだろう。
 だからここにいること自体は俺にとって得になるはずだ。

 エルザが、俺に得になることを。

 「……するか?」

 悲しいかな長年の付き合いがありながら、あの女が俺の為に何かをするかというと、自信がない。

 なら、これは他の誰かの為になることだと考えると……。

 脳裏に、髪を後ろで三つ編みにした一人の姿が浮かび、まさかと思った。

 あり得ない人物だった。

 なにせもう、最後に会ってから六年も経っている。

 そう思うのに、足は勝手に走り出し、目はその人物を探していた。



 エルザが呼んだのか。
 いや、それなら街に行けではなくどこかの店に行けと具体的な指示を出すはずだ。

 どうせならそうしてくれれば良かったのに。
 あの女は肝心なところが抜けている。

 恨めしく思いながら、女が向かいそうな店を片っ端から見て回った。

 服屋。アクセサリーショップ。カフェ。レストラン。

 大通り中の店を見て回ったんじゃないかと思うほど走り回ったが、どこにもいない。

 やはり俺の勘違いだ。あんなに綺麗で可愛い女が、六年も待っていてくれるはずがない──。

 いや、最後にもう一箇所だけ。

 乱れた呼吸を整える暇もなく、駆け出した。

 エルザが言ってた串焼きの屋台。

 もしもそこにいなければ。

 見慣れた色素の薄い髪に、いくらか大人びた女の後ろ姿。

「オススメはどれ?」

 懐かしい声が耳に届いて、目の奥がじわりと熱くなった。胸に湧き上がるこの感情は紛れもなく──。


 ※


 気まずいような苦笑を向けられて、察した。

 エルザは言ったわけじゃないんだろうけど、きっとバレているのだと。
 あの子は嘘をつくのが下手だ。

「……仕組んだって思ってる? エルザを利用して」

 レグの好きな相手に私があることを言えば、この男の恋は永遠に叶わなくなる。

 たった一言。

『レグが好きだから、協力して』と。

 そう言ってしまったら、律儀で友達想いのエルザは絶対にレグを好きにならない。

 もちろん、私はそんなことは言ってない。

 けど、エルザに恋人が出来たと知った私は、いてもたってもいられずに手紙を出してしまった。

 レグのお休みっていつかなと聞いた私にエルザがどう思ったか、手に取るようにわかる。

 きっともう、レグの恋が叶うことはない。



 アカデミーの学生だった時、ある噂を聞いた。

『エルザと付き合いたいならルーファスとゼンを倒さなきゃいけない』

 女子はみんな、馬鹿なんじゃないのと嘲笑っていて、エルザへの当たりが強くなったのを覚えてる。

 なにせそれを言われたのがレグだったから。

 女子にも優しいレグは、ある意味ではルーファス達よりもモテていた。そんな男が、よりにもよってエルザを好きになったらしい。今までそんな素振りを見せたことなんてなかったくせに。

 そしてルーファスにコテンパンに叩きのめされていた。

 保健室で手当てした後、傷口をパシンと叩く。
 痛ってー! と大袈裟に騒ぐレグに呆れた目を向けた。

「あんた、馬鹿でしょ。エルザを好きになったって無駄だって。どうせルーファスかゼンとくっつくよ」

「わかんねーだろ。そんなの。エルザに聞いても友達だっつってたし」

「今はそうだろうけどねぇ。ルーファスは子供だし。でもゼンとエルザならありそうじゃない? 二人とも大人っぽいしさ」

「そうなる前に俺が落とす!」

「はいはい。その前にルーファス達に勝たないとねぇ」

 言葉に詰まったレグが逃げるように目を逸らした。

 女子達はルーファスの宣言を馬鹿じゃないのと言っていたが、私は思った。

『良かった。これで、レグがエルザに告白することはない』と。

「ごめんね、レグ」

「ん? 何か言ったか?」

 なんでもないよとまた傷口を叩く。

 エルザのために作った傷。

 早く治って。跡もなく消えてほしい。



 その後、何度も挑んで、そのたびにレグは負けて傷が増えた。

 そうしているうちにレグの取り巻きのようだった女の子達は消えていき、あっという間に卒業式の日になった。



「普通さぁ。卒業式の日にまでやる? ほんと馬鹿だね」

 もはや慣れてしまった治療を手早く済ませる。
 いつからか持ち歩くようになった消毒薬と包帯は、今朝置いて行こうか悩んだけど持ってきて良かった。私も馬鹿だ。

「今日で最後のチャンスだと思ったんだよ……くっそー、あいつら本物のバケモンだぞ」

「なわけないでしょ」

 口調は呆れたものを維持して、治療した傷口を撫でて。騒ぐ心臓を落ち着かせる。
 最後のチャンスは私も同じ。

「あのさぁ、レグ──」

「でもあいつら、城に就職するらしいんだよ。だからまだ、俺にもチャンスはあるよな!」

 レグはゲームでもするかのような楽しげな表情で拳を握った。無邪気に笑って。

 酷い落胆に襲われる。卒業してしまえば、もうレグが傷を作ることはないと思っていたのに。

 まだ終わりじゃないのか。

 目の奥がじわりと熱くなり、歯を食いしばって耐えた。

 叶うはずもないのに、どうして。いつまで頑張るんだろう。

「じゃあさぁ」

 私の声は不自然に震えて、笑みを消したレグの目が真っ直ぐに私を映した。

「待っててあげるから、さっさと失恋してきなよ」

「……なんで泣いてんの」

「あんたが好きだからだよ」

 レグの表情を見れば、わかる。私の気持ちなんて、全く気付かれてもいなかったんだって。

「私はいつまであんたの傷の手当てをしたらいいんだよ。待ってるんだから、さっさと失恋してこいよ……」

 良かったと思ったルーファスの宣言が、今では呪縛のように私を動けなくしてしまった。

 涙の止まらない私に当時のレグはハンカチを差し出すことすら出来なくて、焦る声で「待たなくていい」と言った。

「ミ、ミアは……俺には、その、もったいねーよ。他にいいやつ、いくらでもいるだろ。待たなくていいって……」

 この男はこれで、格好つけているつもりだろうか、と心の芯が冷えたようだった。

「そんなの……」

 子供が、本ででも読んだような台詞を言って、ダサいのなんの。

「私の勝手でしょ!!」

 ほとんど苛立ちに変わった感情をぶつけて、その場から逃げ出して。

 それから、六年が経っている。



 私がエルザに手紙を送ってしまったせいで、レグの恋は叶わないものになってしまった。
 それが分かっていて、どうして買い物に付き合おうと思ったのか。さっさと恨み言でも言って、立ち去ってくれたらいいのに。

 だが、仕組んだと思っているのかと聞いた私を見るレグの目には、私に対する嫌悪など微塵もなくて。

 昔とは違う大人の男の顔が柔らかく綻び、口角の上がった唇を開いて出た声はひどく優しかった。

「いいや。……会いにきてくれたのかって思ったよ」

 そうして顔を伏せて感慨深く「六年は、長過ぎるよな……」と呟いた。

 その言葉は、最後に会ってから六年という意味か、それとも私が待ってると言ってから六年という意味か。
 もしも後者なら、許さない。

「たったの六年って、馬鹿じゃないの。もっとだよ!」

 驚きに目を見開いて固まるレグに、ひどく苛立つ。
 あんたが馬鹿みたいにルーファスに挑んでいた時だってずっと待ってた。情けないけど、勝てないからと諦めてくれるのを、ずっと。

 それを知るはずもないレグを責めるのは、私の身勝手だ。わかってはいるが、これ以上、一緒にはいられない。

「帰る。さよなら」

 テーブルにお金を置いて。席を立って。逃げ出した。
 これじゃあ、あの日と変わらないなと内心で自嘲しながら。

 後ろから名前を呼ぶ声がしたが、振り返ることも足を止めることもせずに店を出た。
 約束していたわけじゃないのだから、自分にけじめをつけたかっただけなんだから。

 『さよなら』だ。もう、待たなくていい。



 二の腕を強く引かれて、足がもつれた。懐かしい匂いに抱き留められて、動揺する。

 あの日と同じで、追いかけてくるはずがないと思ったのに。

「……六年なわけねーよな。俺が無神経だった。謝る。ごめん。卒業式の日に、ミアを追いかけなかったこと、ずっと後悔してたんだよ。だからもう、置いて行かないでくれ。……頼むよ」

 レグは、私を逃さないためなのか、抱きしめる腕に力を込めた。

「あの日の俺はエルザが好きだった。だからミアを追いかけたって意味がないって思って、ずっと逃げてた。けど、追いかけて、待たなくていいってちゃんと言ってやれば、お前の涙を拭いてやれば、ってずっと思ってたよ。そうすればお前はさっさと俺を見限って、恋人でも作れたのにな。卒業してからだって、会いに行くタイミングはいくらでもあったのに、いつまでも俺は、お前に甘えたままだ……」

 もう一度レグははっきりと「ごめん」と口にして、でも抱き留められた私にはレグの顔は見えない。

「どうしても俺は、お前を手放せなかった。ずっと待たせて、ごめんな」

 さっと見えたレグの表情は見たことないほど真剣で、いつの間にか溢れていた私の涙を拭う手はこれ以上ないほど優しかった。

 その手が頰を包む。至近距離で見つめられて、レグの瞳に私が映った。

「俺は、期待していいのか。ミアはまだ俺を待っててくれたんだって。それとも、やっぱり別れの挨拶に来てくれただけか……?」

 期待って何。と、口にしそうになって堪えた。
 答えなんて決まってる。

 待ってた。ずっと待ってたよ。

 けど、やっぱりさっきの『六年』は腹が立つ。

「それに答える前に、聞いてもいい……?」
「焦らすなよ……なんだ?」
「エルザはいつからオーウェンさんと付き合ってるの?」

 レグの表情には紛れもなく『まずい』と書いてあった。

「ねぇ。いつから?」

 容赦なく畳み掛ける。もしも予想通りなら、すんなり受け入れてなんてやるもんか。

「…………は、半年くらい前から、だとよ……」
「やっぱり! あれは数日の仲じゃないと思ったよ。エルザの両親に挨拶にも来てたしさ。……なら私は半年余計に待たされたってことだね」
「いや俺が知ったのは最近で………………ああもうごめんって!……ミアが結婚でもしてたら立ち直れないって思ったら会いに行けなかったんだよ!」

 何度もごめんと謝るレグを、腕を組んで見上げる。

 さて、どうしてやろうかと考えて、いい手を思い付いた。

 我ながら、なかなか意地悪な手だ。
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