195 / 206
第二章
番外編 お説教の結末①
しおりを挟む
「お祭りでもないのに、どうしてこんなに人がいるわけ?」
王都の中央通りは、馬車が通る隙間もないほど人で埋め尽くされている。
思わず不満が口をついたが、道に面した耳聡い露天商の女店主が大きな声で笑いながら相槌を打ってきた。
「お嬢ちゃん、王都の人じゃないの? こんなの序の口だよ。祭りの時は地面も見えないからね」
「嘘でしょお……絶対住めない」
地元では人よりも猫の方が多いんじゃないかという有様だから、人が多いと歩くだけでひどく疲れる。
げんなりして見せると女店主が豪快に笑った。
「疲れたんなら休憩しなよ。うちの串焼き食ってさ」
抜け目のなさは田舎も都会も変わらないらしい。
この店が扱っているのは店主の言う通り串焼きだ。それも、ブドウやら苺やらの果物を薄い肉で巻いてタレをつけてある。
「都会では串焼きもお洒落なのねぇ」
どちらかといえば飲み物が欲しいところだが、ここぞとばかりに店主が串焼きにタレをつけて炭火で炙り始めた。漂うタレの香ばしい香りは素通りし難い。
「オススメはどれ?」
我慢できずに尋ねると、答えは後ろから返ってきた。
「意外とイチゴがオススメだそうだぜー」
心臓が飛び出すかと思った。聞き間違えるわけがない懐かしい声に、そっと騒ぐ心臓を押さえる。
振り返ると予想通りの人物が、にへらと笑っていた。普通に話しかけて来れるんだなと、嬉しいような残念なような複雑な気持ちになる。
「レグ。久しぶり」
「おう、ミア。王都まで来るなんて珍しいな」
私から目線を移して、レグは店主に「イチゴを二本」と頼み、威勢のいい声と共にレグの握る小銭が二本の串焼きへと姿を変えた。
「ほい」
「……ありがと」
一本差し出されて、思わず受け取る。こういうことがさらりと出来てしまうのか。
そのまま道の端へと寄って、二人で同時に三つ連なるうちの一つを口に入れた。
塩気のあるタレとイチゴの瑞々しい酸味、肉の旨味が、予想外にバランスよく口の中に広がる。
「ほんと、美味しいね。うちでも出してみようかな」
「いいんじゃねーの。漁港町だし、海鮮とフルーツってのも面白そうだ」
確かにそれは面白いかも。
あれこれとアイディアを出し合いながら、たわいもなく会話が紡がれていく。
それに甘えて、気になっていた疑問が口からこぼれ落ちた。
「……オススメって、エルザでしょ」
あの、食べ物に目がない友人は、王都でのお勧めのお店を聞いたら食べ物屋ばかりを勧めてくるような人だ。先ほどの露店も、前に「フルーツにお肉を巻いた串焼きが絶品なの!」と絶賛していたのを思い出した。
私の家でも炭火焼きが最高だの、帆立はわさびと和えたのが好きだの、食べ物にはとにかくうるさい。文字通りに。
「よく分かったな。王都にはエルザに会いにきたのか?」
平気で友人の名前を口にするレグに「違う」と答える。素っ気なくし過ぎたかと内心焦るも、盗み見たレグは気にしていない様子だった。
あることが聞きたくてエルザに手紙を送ったら、返事には今日は自分はお仕事だと書いてあった。部下がすっかり厳しくなっちゃったのと文字からでも寂しそうな姿が見えるような手紙だった。
可哀想なような、でもなんだか楽しそうで笑ってしまった。あの癒される手紙を思い出して、自分を奮い立たせる。
「レグは、仕事中?」
「いいや。今日は非番だから、だらだら暇潰してるとこー。エルザに会いにきたんじゃないなら、買い物か?」
──レグの次のお休みは三日後だって。休みの日は城に篭らずに街に出るらしいわよ。
「うん。今はどこかで休憩しようと思ってたとこ。喉が渇いたんだけど、いいお店知らない?」
「休憩な。それならこっちだ」
そう言うとレグは細い路地へと入って手招きしてきた。人の多い通りを避けて、裏通りへと向かうらしい。
私が人の多いのに慣れていないと分かっているのだと思う。こういう、女の子に慣れた対応をされると、嬉しいよりも複雑な気持ちが上回る。
「お」
店舗が少ないから人も少ない裏通りで、目立つ紺のローブと緑の頭が向かいから歩いて来るのが見えた。
たった一度しか会っていないのに見覚えのありすぎる姿に心臓が騒ぐ。
「よう、オーウェン。一人で町に出てるなんて珍しいな。見張ってなくていいのか?」
何を見張るのかは、私にも分かった。
その話題をレグから出したことに、そわそわと落ち着かない気持ちになる。
「ええ。今は良い見張り役が二人も出来ましたから安心して目を離せますよ。……あれ。ミアさんじゃないですか。先日はお世話になりました。王都までいらしたんですね」
当然のことながら顔は覚えられていて、この間とはまるっきり違う親しみの篭った笑顔が向けられた。
「どうもぉ……」
笑顔で返したが、なんとも気まずい……。
この男との初対面は、思い返すも最悪だった。
都会から来た真面目そうな男。
いい加減、長引かせ過ぎたこの気持ちを終わらせてしまおうと思っていたところで飛び込んできたこの年頃の近い男に、もうこれでいいかと言い寄った。
いっそタイプが違い過ぎるのも決め手だった。
しかしこの男はまったく自分に興味を示さず──ああ、いや。魔法を使ったときは興味を持っていた。けどあれは私に対してってわけじゃないよね。
口説きに入った私に対してとにかく素っ気ない態度のこの男が、ほんの少しだけ過去の恋愛と被った。
そうして意識せず口をついて出たのは──田舎女なんて、都会の男の人からしたら魅力はないかなという、無意識の弱音だった。
私は、自分を田舎の野暮ったい女だなんて思ってない。確かに王都の女の子は綺麗でオシャレで、ほんの少し気後れはしたけど、それでも私は馬鹿にされるほどの田舎者ではない。アカデミーも都会にあったし。
だから、この言葉が自分の口からこぼれ落ちた時、内心ひどく驚いた。
なのに、この目の前の緑色の男は言ったのだ。
『あなたのいう、都会の男の人に直接聞いたらいかがですか』と。
「なんだ、会ったことあるのか?」
「この間、店にエルザと来てくれたのよ」
言ってから、まずいと思った。
この男の気持ちを知っているくせに、これは言っていい話ではなかった。
だが、レグは平然としていた。
「ああ。言ってた出張だな。ってエルザは留守番になったんじゃなかったっけ?」
「ザックが厳しく監視して、仕事を終わらせて追いかけてきたんですよ。あの子達は本当に優秀なんです」
「お前は二人の親か」
「……末娘の手がかかる分、上の子はしっかりするようで……」
レグは顔に深い影が落ちたオーウェンさんから目を逸らした。
末娘が誰かは私にも分かった。
「あー……んじゃあ、それはエルザへの土産か?」
オーウェンさんは手に紙袋を持っていた。
表にはパティスリーと書かれているから、ケーキ屋さんのものらしい。
「ええ。昨日は遅くまで起きていて疲れているのに叱り付けてしまいましたから。ご褒美とお詫びですね」
オーウェンさんは軽く紙袋を持ち上げて、苦笑した。
それを聞いたレグの笑みも、どことなく苦くなったようだった。
「……もうお前から教えてやったらどうだよ。知ってるって」
このレグの言葉には主語がなくて、意味がわからなかった。けど、二人の纏う空気がほんの少し緊張して、私が聞いていいことではないのだと分かる。
「本人が知られたくないと思っていることをわざわざ言う必要はありませんよ。それにどちらにせよ、俺では足手纏いになるでしょうしね」
「んなことねーよ。俺としちゃあ、手が増えて助かるんだがな。お前がそう言うなら俺が口を挟むことじゃねーか」
レグが肩を竦めて笑い、それで重くなった空気は元通りになった。
「邪魔して悪かったな。早くそれを届けてやれよ。喜ぶぞ」
「そうします。それでは」
オーウェンさんは、そう言って会釈して私の横を通る瞬間、私にだけ聞こえるくらいの小声で「頑張ってください」と囁いて去っていった。
「あいつ、今何か言ったか?」
「……ううん。なにも」
あー。バレたなぁ。
レグが連れてきてくれたのは、落ち着いた雰囲気のカフェだった。路地裏にあり、小さな看板が飾られているだけだから、これが噂に聞く隠れ家カフェというものかもしれない。
「エルザはどれがおすすめって言ってた?」
聞くと、レグは「さぁ?」と首を傾けた。
「ここは俺の好きな店。エルザも知ってはいるだろうが、ここについて話したことはねーな。俺のお勧めはアイスのレモンティーかミントティーかな。フルーツティーが美味いけど、さっきイチゴ食ったばっかだしな」
「……それならフルーツティーにするよ。アイスの」
「あいよ。スイーツは如何致しますか、お嬢様?」
戯けたレグが恭しくメニューを見せてくる。初めて聞く丁寧な言葉が可笑しくて吹き出してしまった。
「なにそれ。どういう設定なの? オススメは何かしら?」
「わたくしめのお勧めはこちらのクレマカタラーナでございますよ、お嬢様……ああ、無理。キッツイわ」
せっかくノッてあげたのに降参が早過ぎる。
散々笑ってやっている間に、レグがさっさと注文してしまい、ふざけているうちに注文した紅茶とデザートがすぐに届いた。
フルーツティーの中はイチゴやキウイ、レモンにオレンジとカラフルなフルーツがたくさん沈められていて、目にも楽しい鮮やかさだ。一口含めば爽やかな味わいが人混みに揉まれた疲れが吹き飛ばしてくれる。
「はぁ……これ美味しい」
ため息と共に口角が上がり、向かいに座るレグの笑みが深くなった。
「地元から出てきて疲れただろ。遠いもんなー」
「あー、うん……田舎だからねぇ」
二人でふざけていて忘れていた、今日の目的を思い出して気持ちが僅かに沈む。
レグは私の様子がおかしいことに気付いたのか「田舎ってことはないだろ。遠いだけで、人も多いし賑やかな町だったじゃねーか」と取りなしてくれる。この人が、そんなことを思うはずも、まして言うはずもないことは誰よりもよく分かってる。けど──。
「ねぇ、私ってさー」
「ん? ミアがどうした?」
「──田舎者だよねぇ」
いつもニヤけた笑みを絶やさない目に僅かな冷たい光が射したように見えた。
「んなこと、誰が言った?」
聞いたこともない冷たい声に、酷く焦る。
「い、言われたんじゃなくって……自分で、田舎もんだなぁって思っただけだよ」
「地方に住んでるってことで? 俺が出張でよく通る山道は空気が美味しいし、ミアの住んでる漁港町も活気があって好きだぜ。俺は街生まれだから、むしろ地方の方がのどかで羨ましいけどな」
「そう言ってもらえると嬉しいけど……でも都会の人ってオシャレで……その、綺麗じゃない。……エルザも……」
エルザの名前を出せば、レグは目を瞬かせて首を傾げた。
「エルザはお洒落ってことはないんじゃねーか? あいつは服装にこだわりも何もないからな。ベルならお洒落でいつも可愛らしいのを着てはいるが……」
初めて聞いた女の子の名前に心臓が跳ねた。
「ベルって?」
「スペードの2だ。ネビルって覚えてるか? あれの嫁さん」
ネビルは知っているが、結婚したとは知らなかった。そもそもエルザとネビルはよく魔法の訓練で一緒になっていたが、私とはさほど話したことがないから仕方ない。
レグの言う通り、エルザはさほど服装に拘らない。いつも同じようなシャツとパンツスタイルだ。それでも、腰に剣帯、ショートブーツで堂々と歩く姿はかっこいいと思う。
自分が同じ姿をしたって、絶対似合わない。
そう言うとレグは「確かに」と笑った。
「ミアは、ああいうのは違うよな。なら今から服でも見に行くか?」
「今からって……まだ付き合ってくれるつもりなの?」
「おう。どうせ暇だしな。荷物持ちが必要だろ?」
なんてことないように言うレグに、二の句が告げない。
レグにとっては女の子と遊ぶときのいつも流れなのだろうが……私に、こんなことを言うなんて。
「もしかして……エルザから何か聞いた?」
目の前の男に、ほんの少しの非難を向けてしまう。
「あんたが好きだって言った私にそんなこと言うなんて、どういうつもりなの」
王都の中央通りは、馬車が通る隙間もないほど人で埋め尽くされている。
思わず不満が口をついたが、道に面した耳聡い露天商の女店主が大きな声で笑いながら相槌を打ってきた。
「お嬢ちゃん、王都の人じゃないの? こんなの序の口だよ。祭りの時は地面も見えないからね」
「嘘でしょお……絶対住めない」
地元では人よりも猫の方が多いんじゃないかという有様だから、人が多いと歩くだけでひどく疲れる。
げんなりして見せると女店主が豪快に笑った。
「疲れたんなら休憩しなよ。うちの串焼き食ってさ」
抜け目のなさは田舎も都会も変わらないらしい。
この店が扱っているのは店主の言う通り串焼きだ。それも、ブドウやら苺やらの果物を薄い肉で巻いてタレをつけてある。
「都会では串焼きもお洒落なのねぇ」
どちらかといえば飲み物が欲しいところだが、ここぞとばかりに店主が串焼きにタレをつけて炭火で炙り始めた。漂うタレの香ばしい香りは素通りし難い。
「オススメはどれ?」
我慢できずに尋ねると、答えは後ろから返ってきた。
「意外とイチゴがオススメだそうだぜー」
心臓が飛び出すかと思った。聞き間違えるわけがない懐かしい声に、そっと騒ぐ心臓を押さえる。
振り返ると予想通りの人物が、にへらと笑っていた。普通に話しかけて来れるんだなと、嬉しいような残念なような複雑な気持ちになる。
「レグ。久しぶり」
「おう、ミア。王都まで来るなんて珍しいな」
私から目線を移して、レグは店主に「イチゴを二本」と頼み、威勢のいい声と共にレグの握る小銭が二本の串焼きへと姿を変えた。
「ほい」
「……ありがと」
一本差し出されて、思わず受け取る。こういうことがさらりと出来てしまうのか。
そのまま道の端へと寄って、二人で同時に三つ連なるうちの一つを口に入れた。
塩気のあるタレとイチゴの瑞々しい酸味、肉の旨味が、予想外にバランスよく口の中に広がる。
「ほんと、美味しいね。うちでも出してみようかな」
「いいんじゃねーの。漁港町だし、海鮮とフルーツってのも面白そうだ」
確かにそれは面白いかも。
あれこれとアイディアを出し合いながら、たわいもなく会話が紡がれていく。
それに甘えて、気になっていた疑問が口からこぼれ落ちた。
「……オススメって、エルザでしょ」
あの、食べ物に目がない友人は、王都でのお勧めのお店を聞いたら食べ物屋ばかりを勧めてくるような人だ。先ほどの露店も、前に「フルーツにお肉を巻いた串焼きが絶品なの!」と絶賛していたのを思い出した。
私の家でも炭火焼きが最高だの、帆立はわさびと和えたのが好きだの、食べ物にはとにかくうるさい。文字通りに。
「よく分かったな。王都にはエルザに会いにきたのか?」
平気で友人の名前を口にするレグに「違う」と答える。素っ気なくし過ぎたかと内心焦るも、盗み見たレグは気にしていない様子だった。
あることが聞きたくてエルザに手紙を送ったら、返事には今日は自分はお仕事だと書いてあった。部下がすっかり厳しくなっちゃったのと文字からでも寂しそうな姿が見えるような手紙だった。
可哀想なような、でもなんだか楽しそうで笑ってしまった。あの癒される手紙を思い出して、自分を奮い立たせる。
「レグは、仕事中?」
「いいや。今日は非番だから、だらだら暇潰してるとこー。エルザに会いにきたんじゃないなら、買い物か?」
──レグの次のお休みは三日後だって。休みの日は城に篭らずに街に出るらしいわよ。
「うん。今はどこかで休憩しようと思ってたとこ。喉が渇いたんだけど、いいお店知らない?」
「休憩な。それならこっちだ」
そう言うとレグは細い路地へと入って手招きしてきた。人の多い通りを避けて、裏通りへと向かうらしい。
私が人の多いのに慣れていないと分かっているのだと思う。こういう、女の子に慣れた対応をされると、嬉しいよりも複雑な気持ちが上回る。
「お」
店舗が少ないから人も少ない裏通りで、目立つ紺のローブと緑の頭が向かいから歩いて来るのが見えた。
たった一度しか会っていないのに見覚えのありすぎる姿に心臓が騒ぐ。
「よう、オーウェン。一人で町に出てるなんて珍しいな。見張ってなくていいのか?」
何を見張るのかは、私にも分かった。
その話題をレグから出したことに、そわそわと落ち着かない気持ちになる。
「ええ。今は良い見張り役が二人も出来ましたから安心して目を離せますよ。……あれ。ミアさんじゃないですか。先日はお世話になりました。王都までいらしたんですね」
当然のことながら顔は覚えられていて、この間とはまるっきり違う親しみの篭った笑顔が向けられた。
「どうもぉ……」
笑顔で返したが、なんとも気まずい……。
この男との初対面は、思い返すも最悪だった。
都会から来た真面目そうな男。
いい加減、長引かせ過ぎたこの気持ちを終わらせてしまおうと思っていたところで飛び込んできたこの年頃の近い男に、もうこれでいいかと言い寄った。
いっそタイプが違い過ぎるのも決め手だった。
しかしこの男はまったく自分に興味を示さず──ああ、いや。魔法を使ったときは興味を持っていた。けどあれは私に対してってわけじゃないよね。
口説きに入った私に対してとにかく素っ気ない態度のこの男が、ほんの少しだけ過去の恋愛と被った。
そうして意識せず口をついて出たのは──田舎女なんて、都会の男の人からしたら魅力はないかなという、無意識の弱音だった。
私は、自分を田舎の野暮ったい女だなんて思ってない。確かに王都の女の子は綺麗でオシャレで、ほんの少し気後れはしたけど、それでも私は馬鹿にされるほどの田舎者ではない。アカデミーも都会にあったし。
だから、この言葉が自分の口からこぼれ落ちた時、内心ひどく驚いた。
なのに、この目の前の緑色の男は言ったのだ。
『あなたのいう、都会の男の人に直接聞いたらいかがですか』と。
「なんだ、会ったことあるのか?」
「この間、店にエルザと来てくれたのよ」
言ってから、まずいと思った。
この男の気持ちを知っているくせに、これは言っていい話ではなかった。
だが、レグは平然としていた。
「ああ。言ってた出張だな。ってエルザは留守番になったんじゃなかったっけ?」
「ザックが厳しく監視して、仕事を終わらせて追いかけてきたんですよ。あの子達は本当に優秀なんです」
「お前は二人の親か」
「……末娘の手がかかる分、上の子はしっかりするようで……」
レグは顔に深い影が落ちたオーウェンさんから目を逸らした。
末娘が誰かは私にも分かった。
「あー……んじゃあ、それはエルザへの土産か?」
オーウェンさんは手に紙袋を持っていた。
表にはパティスリーと書かれているから、ケーキ屋さんのものらしい。
「ええ。昨日は遅くまで起きていて疲れているのに叱り付けてしまいましたから。ご褒美とお詫びですね」
オーウェンさんは軽く紙袋を持ち上げて、苦笑した。
それを聞いたレグの笑みも、どことなく苦くなったようだった。
「……もうお前から教えてやったらどうだよ。知ってるって」
このレグの言葉には主語がなくて、意味がわからなかった。けど、二人の纏う空気がほんの少し緊張して、私が聞いていいことではないのだと分かる。
「本人が知られたくないと思っていることをわざわざ言う必要はありませんよ。それにどちらにせよ、俺では足手纏いになるでしょうしね」
「んなことねーよ。俺としちゃあ、手が増えて助かるんだがな。お前がそう言うなら俺が口を挟むことじゃねーか」
レグが肩を竦めて笑い、それで重くなった空気は元通りになった。
「邪魔して悪かったな。早くそれを届けてやれよ。喜ぶぞ」
「そうします。それでは」
オーウェンさんは、そう言って会釈して私の横を通る瞬間、私にだけ聞こえるくらいの小声で「頑張ってください」と囁いて去っていった。
「あいつ、今何か言ったか?」
「……ううん。なにも」
あー。バレたなぁ。
レグが連れてきてくれたのは、落ち着いた雰囲気のカフェだった。路地裏にあり、小さな看板が飾られているだけだから、これが噂に聞く隠れ家カフェというものかもしれない。
「エルザはどれがおすすめって言ってた?」
聞くと、レグは「さぁ?」と首を傾けた。
「ここは俺の好きな店。エルザも知ってはいるだろうが、ここについて話したことはねーな。俺のお勧めはアイスのレモンティーかミントティーかな。フルーツティーが美味いけど、さっきイチゴ食ったばっかだしな」
「……それならフルーツティーにするよ。アイスの」
「あいよ。スイーツは如何致しますか、お嬢様?」
戯けたレグが恭しくメニューを見せてくる。初めて聞く丁寧な言葉が可笑しくて吹き出してしまった。
「なにそれ。どういう設定なの? オススメは何かしら?」
「わたくしめのお勧めはこちらのクレマカタラーナでございますよ、お嬢様……ああ、無理。キッツイわ」
せっかくノッてあげたのに降参が早過ぎる。
散々笑ってやっている間に、レグがさっさと注文してしまい、ふざけているうちに注文した紅茶とデザートがすぐに届いた。
フルーツティーの中はイチゴやキウイ、レモンにオレンジとカラフルなフルーツがたくさん沈められていて、目にも楽しい鮮やかさだ。一口含めば爽やかな味わいが人混みに揉まれた疲れが吹き飛ばしてくれる。
「はぁ……これ美味しい」
ため息と共に口角が上がり、向かいに座るレグの笑みが深くなった。
「地元から出てきて疲れただろ。遠いもんなー」
「あー、うん……田舎だからねぇ」
二人でふざけていて忘れていた、今日の目的を思い出して気持ちが僅かに沈む。
レグは私の様子がおかしいことに気付いたのか「田舎ってことはないだろ。遠いだけで、人も多いし賑やかな町だったじゃねーか」と取りなしてくれる。この人が、そんなことを思うはずも、まして言うはずもないことは誰よりもよく分かってる。けど──。
「ねぇ、私ってさー」
「ん? ミアがどうした?」
「──田舎者だよねぇ」
いつもニヤけた笑みを絶やさない目に僅かな冷たい光が射したように見えた。
「んなこと、誰が言った?」
聞いたこともない冷たい声に、酷く焦る。
「い、言われたんじゃなくって……自分で、田舎もんだなぁって思っただけだよ」
「地方に住んでるってことで? 俺が出張でよく通る山道は空気が美味しいし、ミアの住んでる漁港町も活気があって好きだぜ。俺は街生まれだから、むしろ地方の方がのどかで羨ましいけどな」
「そう言ってもらえると嬉しいけど……でも都会の人ってオシャレで……その、綺麗じゃない。……エルザも……」
エルザの名前を出せば、レグは目を瞬かせて首を傾げた。
「エルザはお洒落ってことはないんじゃねーか? あいつは服装にこだわりも何もないからな。ベルならお洒落でいつも可愛らしいのを着てはいるが……」
初めて聞いた女の子の名前に心臓が跳ねた。
「ベルって?」
「スペードの2だ。ネビルって覚えてるか? あれの嫁さん」
ネビルは知っているが、結婚したとは知らなかった。そもそもエルザとネビルはよく魔法の訓練で一緒になっていたが、私とはさほど話したことがないから仕方ない。
レグの言う通り、エルザはさほど服装に拘らない。いつも同じようなシャツとパンツスタイルだ。それでも、腰に剣帯、ショートブーツで堂々と歩く姿はかっこいいと思う。
自分が同じ姿をしたって、絶対似合わない。
そう言うとレグは「確かに」と笑った。
「ミアは、ああいうのは違うよな。なら今から服でも見に行くか?」
「今からって……まだ付き合ってくれるつもりなの?」
「おう。どうせ暇だしな。荷物持ちが必要だろ?」
なんてことないように言うレグに、二の句が告げない。
レグにとっては女の子と遊ぶときのいつも流れなのだろうが……私に、こんなことを言うなんて。
「もしかして……エルザから何か聞いた?」
目の前の男に、ほんの少しの非難を向けてしまう。
「あんたが好きだって言った私にそんなこと言うなんて、どういうつもりなの」
0
お気に入りに追加
1,161
あなたにおすすめの小説

誰からも愛されない悪役令嬢に転生したので、自由気ままに生きていきたいと思います。
木山楽斗
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢であるエルファリナに転生した私は、彼女のその境遇に対して深い悲しみを覚えていた。
彼女は、家族からも婚約者からも愛されていない。それどころか、その存在を疎まれているのだ。
こんな環境なら歪んでも仕方ない。そう思う程に、彼女の境遇は悲惨だったのである。
だが、彼女のように歪んでしまえば、ゲームと同じように罪を暴かれて牢屋に行くだけだ。
そのため、私は心を強く持つしかなかった。悲惨な結末を迎えないためにも、どんなに不当な扱いをされても、耐え抜くしかなかったのである。
そんな私に、解放される日がやって来た。
それは、ゲームの始まりである魔法学園入学の日だ。
全寮制の学園には、歪な家族は存在しない。
私は、自由を得たのである。
その自由を謳歌しながら、私は思っていた。
悲惨な境遇から必ず抜け出し、自由気ままに生きるのだと。

雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜
川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。
前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。
恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。
だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。
そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。
「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」
レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。
実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。
女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。
過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。
二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。
白い結婚三年目。つまり離縁できるまで、あと七日ですわ旦那様。
あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
異世界に転生したフランカは公爵夫人として暮らしてきたが、前世から叶えたい夢があった。パティシエールになる。その夢を叶えようと夫である王国財務総括大臣ドミニクに相談するも答えはノー。夫婦らしい交流も、信頼もない中、三年の月日が近づき──フランカは賭に出る。白い結婚三年目で離縁できる条件を満たしていると迫り、夢を叶えられないのなら離縁すると宣言。そこから公爵家一同でフランカに考え直すように動き、ドミニクと話し合いの機会を得るのだがこの夫、山のように隠し事はあった。
無言で睨む夫だが、心の中は──。
【詰んだああああああああああ! もうチェックメイトじゃないか!? 情状酌量の余地はないと!? ああ、どうにかして侍女の準備を阻まなければ! いやそれでは根本的な解決にならない! だいたいなぜ後妻? そんな者はいないのに……。ど、どどどどどうしよう。いなくなるって聞いただけで悲しい。死にたい……うう】
4万文字ぐらいの中編になります。
※小説なろう、エブリスタに記載してます

【完結】断罪された悪役令嬢は、全てを捨てる事にした
miniko
恋愛
悪役令嬢に生まれ変わったのだと気付いた時、私は既に王太子の婚約者になった後だった。
婚約回避は手遅れだったが、思いの外、彼と円満な関係を築く。
(ゲーム通りになるとは限らないのかも)
・・・とか思ってたら、学園入学後に状況は激変。
周囲に疎まれる様になり、まんまと卒業パーティーで断罪&婚約破棄のテンプレ展開。
馬鹿馬鹿しい。こんな国、こっちから捨ててやろう。
冤罪を晴らして、意気揚々と単身で出国しようとするのだが、ある人物に捕まって・・・。
強制力と言う名の運命に翻弄される私は、幸せになれるのか!?
※感想欄はネタバレあり/なし の振り分けをしていません。本編より先にお読みになる場合はご注意ください。

婚約破棄をいたしましょう。
見丘ユタ
恋愛
悪役令嬢である侯爵令嬢、コーデリアに転生したと気づいた主人公は、卒業パーティーの婚約破棄を回避するために奔走する。
しかし無慈悲にも卒業パーティーの最中、婚約者の王太子、テリーに呼び出されてしまうのだった。

好きでした、さようなら
豆狸
恋愛
「……すまない」
初夜の床で、彼は言いました。
「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」
悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。
なろう様でも公開中です。

【完結】もう辛い片想いは卒業して結婚相手を探そうと思います
ユユ
恋愛
大家族で大富豪の伯爵家に産まれた令嬢には
好きな人がいた。
彼からすれば誰にでも向ける微笑みだったが
令嬢はそれで恋に落ちてしまった。
だけど彼は私を利用するだけで
振り向いてはくれない。
ある日、薬の過剰摂取をして
彼から離れようとした令嬢の話。
* 完結保証付き
* 3万文字未満
* 暇つぶしにご利用下さい

公爵令嬢は、どう考えても悪役の器じゃないようです。
三歩ミチ
恋愛
*本編は完結しました*
公爵令嬢のキャサリンは、婚約者であるベイル王子から、婚約破棄を言い渡された。その瞬間、「この世界はゲームだ」という認識が流れ込んでくる。そして私は「悪役」らしい。ところがどう考えても悪役らしいことはしていないし、そんなことができる器じゃない。
どうやら破滅は回避したし、ゲームのストーリーも終わっちゃったようだから、あとはまわりのみんなを幸せにしたい!……そこへ攻略対象達や、不遇なヒロインも絡んでくる始末。博愛主義の「悪役令嬢」が奮闘します。
※小説家になろう様で連載しています。バックアップを兼ねて、こちらでも投稿しています。
※以前打ち切ったものを、初めから改稿し、完結させました。73以降、展開が大きく変わっています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる