ヒロインは私のルートを選択したようです

深川ねず

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第二章

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 この書類の提出を。と指示されて、「かしこまりました」と両手で受け取り執務室を出た。

 ザックとグレンがダイヤの城で事務仕事が主な侍従ではなく兵士職を選んだのは、単純に勉強が嫌いだったからだ。体を動かす方が好きだったともいう。
 だから、エルザの部下にと言われれば直属の部隊へ配属されるものと思っていたのに、城に着いてすぐ執務室へと連れてこられた時には、とんでもないことになったと内心焦った。

 だが、5でありエルザの補佐でもあるオーウェンは、凄い人だった。

 仕事内容の説明をする際には、すでに処理済みのものを取り出して、自分がなぜこのように対応したのか、とその理由を懇切丁寧に説明し、書類の提出を頼まれたザックの頭の中には、驚くべきことにいつの間にかスペードの城の地図が入っていた。

 オーウェンは仕事に関する会話の中で、どこそこに何があり、どの部屋の横の階段はどこに繋がっているのか、逐一説明して聞かせていたのだ。話をきちんと聞いていれば、自然と城の構造を覚えることができるという寸法だ。

 このくらい優秀でないと、あの人の補佐は出来ないのだろう。
 今までの上司が上司なだけに、尊敬できる人の元で働くことができて、ザックは幸せを噛み締めていた。

 そうして言われた通りに書類を届けて、迷いなく執務室へ戻る途中。

「── いいから離れろ! 気色の悪い!!」

 なんだろう。何か、トラブルだろうか。

 男女の言い争うような声に、兵士としての義務感と僅かな好奇心で顔を覗かせて、うわぁと思った。

 トラブルあるところに上司有り、だ。



「ザック。本当にごめんなさい……私が悪かったわ」

 そうでしょうねと言いそうになって、ぐっと堪える。

「えっと……今日はお休みと聞いていますが……どうしました……?」

 この問いかけは、謝罪の理由だけではなく──エルザの現状への問いでもある。

 目線を上司を縛る闇属性の拘束へと向けると、問いかけの意味を正確に察したらしいエルザが「オーウェンに縛られたのよ」と教えてくれた。

 その言葉に、足元が崩れ落ちるような錯覚があった。

 エルザとオーウェンは、ザックと知り合う前から交際している恋人同士だ。
 だから、多少特殊な行為があったとて、両者合意の上であるならば部外者があれこれと口を挟む道理など欠片もなく──しかし、後ろ手。

 まさかあの方にこのような性癖があったとは。

 腕が後ろにあることによって、一般的なものよりもやや大きめな双丘が妙に強調される結果となり、ザックは真っ直ぐに上司を見ることができない。

 尊敬するオーウェン様像も一瞬で木っ端微塵だった。

「俺……オーウェン様のこと、尊敬できる素晴らしい方だとばっかり……いやでも、仕事と性癖は違いますよね!! どれだけ変態だろうと、俺にとっては関係のないことですし!?」

 ほとんど涙声で訴えたザックだった。

「そもそもエルザ様とまともな神経をした人がお付き合い出来るわけがありませんしね!」

「なんだか、随分と失礼な事を言われている気がするわ……」
「気どころか、ド直球のように思えますがねぇ……」

 いやしかしこれは使える、と思ったナットだった。
 ニタニタとした笑みを浮かべて、そっとザックを手招きした。

「関係がないなどとタカをくくっていては危険ですよぉ……なにせオーウェン殿は男色の気がお有りとの噂が……」
「そっ、そそそんなこと、あ、あるはずが……!」
「いやいや……実は私や友人でエースのヴァン君も先日オーウェン殿の影で縛られたことがありましてねぇ……あの時のあの方のいやらしい笑みときたら……へぶぅっ!!」

 ザックの耳元に口を寄せようと身を屈めたナットが、突如吹っ飛び、床に転がった。
 驚きに固まるザックの背後に燃え盛る炎と暗い影が落ち、震えながら振り返る。

 当たり前のようにそこにいたのは、変態的な趣味の発覚した人だった。

「人の部下に、なに下らないことを吹き込んでやがる……このクソガキが」

 オーウェンは、ソフィアの信奉者に向けたよりも冷たい目をナットへと向け、聞いたこともないほど乱暴な言葉を吐き捨てた。そのあまりの恐怖に、ザックは己の身を守ることを放棄したのだった。



「エルザ……こんなところで、なにをしている」

 恋人の計り知れない怒気を前にして、いかにエルザでもさすがに居心地が悪い。

「ご、ごめんなさい……でももう少しで拘束を解いてもらえそうなのよ……? だからもう少し待っていて。あなたの試練に私は必ず打ち勝ってみせるわ! さぁ、ナット! 早くこれを……ってあの子はダメそうね……」

 遠くに見える大の字を見て、エルザの眉が下がる。

「待ちなさい。試練とはなんの話ですか? 俺はあなたに大人しく反省しているようにと──」
「オーウェン様……! ああ、良かった……やっと追いついた……って……どうしたんだよ、それ!?」

 オーウェンの問いかけは、追いかけてきたグレンの驚きの声にかき消された。
 周りなど目に入っていないらしいグレンはそう叫んでエルザの背後に回り、闇属性の拘束を近くで見て慄いた。

「一体何があってこんな……う、腕は痛くないのか? ザック! 何してんだよ! 早く外してやらないと!」

 心配そうに慌てるグレンの姿には、エルザも思わずニヤけ顔になる。

 グレンと共に到着していたレグサスが、固まるオーウェンの肩を叩き「トンビに油揚げを取られねーようにな」と忠告した。

「グレン! ち、違うんだって、それ……オ、オーウェン様が、その……そういうご趣味というか、なんというか、だ、そうで……!」
「……………………えっ……」

 二人の視線が同時に上司へと向くが、まるで見てはいけないものだとばかりに同時に逸らされる。
 思わず天を仰いだオーウェンは、渾身の力を振り絞り、叫んだ。

「違う!!!」




 拘束に至った経緯を説明し、なんとか変態の汚名は返上することができた。
 改めて、よく分かっていないらしい恋人に向き合う。

「俺は大人しく反省していろと言ったはずです。どうして部屋から出てきてしまったんですか!」
「えっ、でも自力で脱出を目指せってオーウェンが……」
「そんなアトラクションのようなことを指示した覚えはありません!! とにかく部屋に戻って、大人しく! 反省していなさい!」

 無駄だろうが大人しくを強調して伝える。「もうちょっとだったのに……」とどこか悔しげなエルザが、眉を下げた落ち込んだような目でオーウェンを見上げた。

「部屋に戻るにも、これじゃあまっすぐ歩けないわよ。おまけになんだか肩も痛くなってきて……ねぇこれ、外してくれない……?」

 一時的にでもいいから。そう言われると可哀想になってくるのが、惚れたものの弱味だった。

「……仕方ありませんね。わかりました。けど、反省はしてくださいよ」

 しゅるりと影がエルザの腕から離れる。

 後ろに立つレグサスが「あーあ……」と呆れた息を吐き、何事かと聞き返そうとしたオーウェンの視点が反転した。

 何が起きたのか。広がるのは、今朝と同じような視界だ。それが意味することとは──。

「外したわね? ふふっ。私の勝ちよ!」

 床に腹を付けた姿勢で見上げると、今朝とは違って勝ち誇った笑顔を浮かべたエルザがオーウェンの背に跨っていた。

「拘束して大人しく反省してろって言うなら、何があっても絶対に外したらダメだぞー、オーウェン」

 レグサスが揶揄うように言い、オーウェンはキングに吹っ飛ばされた時のことを思い出していた。──油断すると、こうなるのがスペード流なのだ。自分もまだまだということだ。

 これは説教を追加してやるか……と物騒に考えて体を起こすも、得意げな恋人の満面の笑みを前にしては、喜んでいる姿が可愛くて仕方ない。
 ため息をつき、抱き寄せた。

「俺の負けでいいから、次からはもう少し考えて行動してください」
「分かった。少なくとも、地下牢はお断りするべきだったわよね」

 言い訳が返ってくるかと思えば、珍しくエルザは素直だった。

「……でも、そうなるとグレンやザックとも仲良くなれていないかも? だから地下牢に入っても悪いことばかりじゃなかったわよね」

 と思えばやはりエルザはエルザで。

「……あなたという人がよくわかりました。反省するつもりがないなら仕方ありません。さぁ、執務室へ参りましょう。ちょうど溜まっている仕事がありますから」
「ええ!? いやよ! 今日はお休みって言ったじゃない!!」
「お休みではなく、反省する日です。仕事をしながら深く反省してください。……うん。今後あなたへの罰はこれにしましょう。縛るよりも効きそうだ」

 そんなぁ! と慌てるエルザに、一番胡散臭い笑顔を返す。
 仕返しに恋人が一番嫌がるだろう罰を与えることにした、オーウェンだった。



 仕事を終えて、肩を落とすエルザと共に廊下を歩く。

「もう二度と地下牢には入らないわ……」
「反省していただけたようで、なによりだ」

 鋭く睨まれようが、オーウェンには毛ほどのダメージもない。

 とはいえ、朝から手を拘束された上に苦手な事務仕事。
 さすがに愛する恋人が可哀想になってくる。

 新居の扉のノブに手を添えて、振り返った。

「頑張ったご褒美に甘いものでも食べようか。買い置きの焼き菓子があっただろう」
「いいわね。白の国のケーキ屋さんのクッキーがあったはずよ! たのし、み……」

 エルザの言葉尻が突然、妙な降下をみせた。
 思わず首を傾げるオーウェンの前でエルザの顔から血の気がサァァと引いていく。

「どうし」
「あっ、あ──っ! その、今日は誰かと飲み明かすというのはどうかしら!? 私、急にお酒が飲みたくなってきたわ!」

 くるりと身を反転させて、二人の新居から遠退こうとする恋人の肩を、新居のドアへと押し付ける。
 手をエルザの顔の横につき、嘘は全て見抜いてやるとばかりに顔を近付ける。

「どうした。急に。……あんた、何か隠してるな?」
「なっ、なにも隠してなんか……ほら、早く誰かの部屋にいきましょう! ルーファス? ゼン? 最近仲が良さそうなノエルの部屋に行くのもいいわよね!」
「エルザ」

 ドアに押し付けた恋人を剥がした。

「この中に何かあるらしいな……」
「ないない!! 二人の新居よ! そんな妙なものあるわけが……だから、開けちゃダメだったら──っ!!」

 ガチャリと開いた扉の先に、寝室への扉の無残な姿が横たわっていた。

 二人で暮らし始めてたったの数日。
 短い一生だった。

「………………エルザ」
「だ、だって逃走するのに鍵がかかった部屋を打ち破るのも試練かなと思って……」
「そんな頭の悪い試練があってたまるか!!」

 焼き菓子は当然のようにお預けだった。
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