ヒロインは私のルートを選択したようです

深川ねず

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第二章

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「今回は災難でしたわね」

 コツリとカップを置いて、ベルが言った。わざとらしく、うんざりとして答えた。

「本当よ。まさか人生で地下牢に入る日が来るなんて、思ってもみなかったわ」

 今日は定期的に私が主催しているベルとパンジーとの女子お茶会の日だ。
 あのダイヤでの事件から初めてのお茶会だからか、自然と話題は私の話になる。
 残念ながら、ララは用があるらしく不参加だった。

「でもエルザったら、転んでもただじゃあ起きないよねー。可愛いの、もらって帰ってきたじゃん」

 にんまりと笑うパンジーに、同じ笑みを返す。

「いいでしょ。まだまだ初々しくって可愛いのよ。グレンは頭を撫でさせてくれるし」

 いまだにザックからは激しく拒否されているが……大丈夫。慣れたらきっと撫でさせてくれるはずだ。……多分。

「いいねーいいねー。手の怪我はもういいのー?」

 パンジーの言葉には、気遣う調子がある。にっこり笑って、右掌を開いては閉じて見せた。

「ええ。剣が握れなくなるんじゃないかって心配だったけど、すぐに応急処置してもらったのが良かったみたいね。まだ本調子ではないけど、まったく使えないわけじゃないから」

 そう言ってカップを右手で持ってみる。うん。大丈夫だ。

 傷を改めて見てみれば、出血量に反して浅かった。ソフィアの剣の熟練度が低かったからだろう。力も弱かった。
 もしもあれがノエルだったら──きっと指は全部なくなっていたはずだ。運が良かった。

「まぁ、恋人にあれだけ甲斐甲斐しく世話を焼いていただいたら、どれほどの大怪我でもすぐに治ってしまいますわよねぇ」
「そーだよねー」

 二人は、ねー、とニヤニヤとした顔を見合わせる。揶揄われているらしい。
 別にいいわよ。冷やかしくらい、どんとこいという気分だわ。

「いいでしょう。お世話してくれてるオーウェンはとっても優しくて素敵なのよ」

 しっかりと惚気てやる。
 本当に、スペードの城に帰ってからのオーウェンはなにかと気を配ってくれて、とっても嬉しかったのだから。


 ※


 差し出されたスプーンに、口を開ける。ゆっくりと口の中に入ってきたスープは、熱すぎず冷めてもおらず、ちょうどいい塩梅だ。

 スープを食べ終えると、オーウェンはパンを一口大に千切った。

「バターは?」
「ええ、お願い」

 丁寧にバターが塗られたパンが口元へと運ばれて、ふわふわの食感と甘さに頰が緩む。

「美味しい?」

 大好きな人からかけられる声もものすごく甘い。「とっても」と答えると、優しく微笑まれて、胸が暖かくなる。



「腕を通す時、引っ掛けないよう気をつけて」

 服の着替えすら、毎日恋人が手伝ってくれた。後ろから抱き込むようにしてボタンを付けてくれて、そっと見上げたら大好きな顔が目の前にある。
 私の視線に気がついたのか、オーウェンはボタンから私へと目を移し、小さく笑って耳元にそっと唇を寄せた。

「んっ……ふふっ、くすぐったいわ」

 笑いながら身動ぐも、オーウェンは手を緩めず、妖しくお腹やその上へと動く。小さく声が漏れた。

「せっかく服を着せたのに」

 甘く意地悪に囁かれた耳元が痺れて、回る腕に縋り付く。首筋を舌が這う感覚に体が跳ねて、大好きな恋人の指が、せっかく付けたボタンを外した。


 ※


 ダイヤの国から帰ってきてからのオーウェンは、甘くて優しくて、毎日こんな調子だった。
 思い出しただけで体の芯がカッと熱くなる。それが顔にも出ていたらしく、二人には更にニヤニヤとされてしまった。

 それでも、ついこの間まで牢屋に閉じ込められていたのに大好きな恋人とまた過ごせるようになって、毎日本当に幸せだ。

「大変。そろそろ行かなきゃ。忙しなくてごめんなさい。今日は用事があるのよ。またね、ベル、パンジー」

 時計を見て慌てて立ち上がる。
 はいはいと二人に手を振られ、その場を後にした。


 ※


「ねぇ、パンジー」
「なーに、ベル」

 エルザが完全に離れたことを確認して、ベルは口火を切った。

「オーウェンさん。優しいんですってね」
「そーだねー」
「エルザ。怪我はもうすっかりいいみたいですわね」
「そーだねー」
「確認なのですけれど。あの子……地下牢に大人しく入った挙句、大虎との戦闘を、うきうきしながら楽しんだそうね」
「その上、怪我のことは隠してたらしいねー」
「…………それで、オーウェンさんが優しい、と。どう思います?」
「今日が峠だろうねー」
「ですわよね……」

 怪我も治ったらしいしー。とパンジーはぼそりと呟いた。
 怪我の回復を待って行動に移す予定なのだろう補佐の考えが、透けて見えるようだとベルは内心ため息を漏らした。

「あの子、あんなに喜んでいますのに、なんだか可哀想……」
「まー、自業自得だと思えてからが、エルザとの付き合いってもんよー」

 長年の付き合いにより余裕で構える様子の友人を前にして、自らの手で輪切りのレモンを紅茶に浮かべたお嬢様は、音もなく茶を啜った。

「……わたくしもまだまだですわね」


 ※


 ディナーのチキンステーキが一口大に切られ、口元へと運ばれる。今晩も恋人の世話焼きは健在だ。

「美味しい?」
「ええ。でももう手も良くなったし、自分で食べられるわよ」

 照れ隠しに手を振って見せるが、断られた。

「今日で最後なんだから、世話くらい焼かせてくれてもいいだろう。ほら、口を開けて」

 差し出されたフォークに苦笑して咥えたら、ソースが口元に垂れてしまった。
 拭おうとハンカチを取り出して──温かく柔らかいものが頰を這った。

「ごめん。溢したな」

 唇を触れさせたまま話されると、息が濡れた頰にかかってぞくりとくる。
 思わず体を離そうとすれば、肩を抱き寄せられた。
 そのまま頰から私の唇へと移動してきて、深く合わさった。カタリと食器がぶつかる音がした。
 左手には私の肩を、右手には頬を撫でられて、どんどんと息が荒くなっていく。

「オーウェ、ン……っ」

 離れたほんの一瞬に声を上げれば唇はやっと解放されるも、くすくすと笑われた。

「本当に、息継ぎが下手だな」
「だって……」

 恋人からの揶揄いには、ほんの少し拗ねた気持ちになる。心臓がドキドキして、息どころじゃないんだと言ってしまいたくなるが、きっと余計に揶揄われるだけだ。

 また楽しげに笑って、オーウェンは私のこめかみに唇で触れ、私の右手を慎重に取り上げた。

「怪我は本当にもう、いいんだな?」
「ええ。今日は紅茶の入ったカップを持ってみたけど、痛くもなんともなかったわ」

 笑って言えば、オーウェンは「良かった……」と心から安堵したように囁いて、私の右手に口付けた。

 そうして食事を時間をかけて終えて、最後なのだからとオーウェンはお風呂まで手伝ってくれた。上がったら火と風の魔法を使って髪を乾かしてくれて、その日は早めにベッドで一緒に横になった。私を包むようにして眠るオーウェンの頰に唇を寄せる。
 ああ、本当になんて幸せ。



 ──な、はずだったのに。

 朝日の眩しさに目を覚ましたら、なぜか私の両手は後ろ手に固く縛られていて、大好きな恋人に見下ろされていたのだった。
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