162 / 206
第二章
44 グレン視点
しおりを挟む
思わず首を傾げてしまった。
剣を扱うというのに細く長い指を持つ手が、甲を上にして伸ばされる。
手を取れということかと指を伸ばせば逃げられ、また同じ位置に添えられた。
一体これは、どういう……。
…………。
「…………っ!!」
行動の意味を悟り、口内で、声にならない呻きが漏れた。
顔全体が激しい熱を持つのを感じ、目の前の瞳に楽しげな色が浮かぶ。
分かってしまった。
この手は、詫びの要求だ。
頭を撫でさせろ、という。
だというのに手の高さは俺の背よりも低い位置を維持しており、頭を撫でさせるなら──自ら屈んで、手に頭を添えろというのか、この人は!
断れ。断ってもこの人は絶対に怒らない。あの女と違って。
ザックが言っていただろう。男の尊厳の問題だ、と。
一言、口にすればいい。
他のことにしてください、と。
なのに。
「グレン?」
悪戯に成功したような、それとも遊びに誘っている子供のようなといってもいい空色の瞳が、楽しげに俺を急かす。
俺は断りたいのか。この人に撫でられるのが、嫌なのか。
飲み込んだ唾液が、沸騰したように熱くなって喉を通り、酒を飲まされたように頭の中がグラグラと酩酊する。
ああ。
ダメだ。
俺はこの目に、すっかり躾けられてしまった。
心臓が大きく脈打ち、ゆっくりと腰をかがめ、手に向かって頭を下げる。
あの夜の細い指の感触が、待ち遠しいとすら思えてきて…………指が俺の、肩に垂らした髪へと伸びた。
「この髪を三つ編みにさせてもらってもいい? あなたにはずっと似合うと思ってたのよ」
…………。
「三つ編み……」
「そう。三つ編み。片手だけど、魔法を使えば簡単にできると思うわ」
楽しそうに微笑むスペードの10は、たくさん話したあの日のままで。
「お好きにどうぞ…………」
「ありがとう! ところでグレンも恋愛小説なんて読むのね」
ただの雑談が始まり、体から力が抜けるようだった。
これもまたこの人の素なのか?
すっかりあの時の悪戯な視線に魅入られてしまった俺は、これからどうすればいい。
視線の隅で、長く垂らした髪がどんどんと編まれていく。
「……姉さんが読んでたから借りただけだよ」
「姉さんって……グレンは弟なの!? やだ、天然物!! 最っ高!! ザックは? お兄ちゃんかお姉ちゃんはいる!?」
「食いつきが良すぎませんか……男の四人兄弟の三番目ですよ」
「そうなのね! なら姉が一人欲しくない?」
「姉は増えるもんじゃねぇよ!」
ザックの反応に歯を見せて笑っている。その姿があまりにも、綺麗で。
ああ、ちくしょう。
好きだなぁ。
観念したところで、失恋は決定事項だが、それでも構わない。この人の力になれれば。恋人と再開させてあげることができれば、俺はそれでいい。
ザックが何かに気付いたように、ちらりと時計を見た。その動作だけで分かった。そろそろ交代の兵が来る。
「いい? 必ず人目のある場所にいること。ソフィアの誘いは、はっきり断ってしまえばいいわ。人目があれば、その場で殺せるわけはないから。……グレン。もしもの時は、あなたがザックを守るのよ」
この人にいつまでも守られるわけにはいかない。大きく頷いた。
「機を見てスペードの人達に保護を求めなさい。ソフィアの犯行の証言をすると言えば、匿ってもらえるわ」
「それだと、あんたに情報を流せなくなるよ。ザックだけ匿ってもらえば……」
「ダメ。危ないから、あなたも保護してもらいなさい。私の現状を伝えてくれるだけで十分助かるから。これは上官命令よ」
同じ言葉でも、言う人が違えば胸に留まる温かさが全く違う。無言で頭を下げた。
だが、ザックは不安そうだった。
「俺達の言うことはスペードの皆様に信じていただけるでしょうか……」
俺達は未だ肩書き上はソフィアの部下だ。スペードの人達にとっては敵となる。
嘘をつけと跳ね除けられるかもしれない。
「……それもそうね。どうしようかしら」
「何か、あんたからの指示だとわかるものとか、合言葉みたいなのはないかな?」
合言葉。と呟いて、スペードの10は腕を組み目を閉じて──吹き出した。
「いいわね、合言葉。それでいきましょう。あの三人の、私しか知らない話をすればいいわけね」
そうして聞いた話はどれもこれも一国のキングやクイーン、ジャックにしていい話ではなくて。
「そんなこと言えるわけないだろ!! 他にないのか!?」
「ないわよー。それだけで十分伝わるわ。……ちょっと八つ当たりされるかもしれないけど」
「それが嫌なんだって!」
どれだけ言っても他に案は出してもらえなかった。こんな意地悪な姿ですら綺麗だと思えてしまう俺には、言わずに済むよう祈るしか出来ることはない……。
剣を扱うというのに細く長い指を持つ手が、甲を上にして伸ばされる。
手を取れということかと指を伸ばせば逃げられ、また同じ位置に添えられた。
一体これは、どういう……。
…………。
「…………っ!!」
行動の意味を悟り、口内で、声にならない呻きが漏れた。
顔全体が激しい熱を持つのを感じ、目の前の瞳に楽しげな色が浮かぶ。
分かってしまった。
この手は、詫びの要求だ。
頭を撫でさせろ、という。
だというのに手の高さは俺の背よりも低い位置を維持しており、頭を撫でさせるなら──自ら屈んで、手に頭を添えろというのか、この人は!
断れ。断ってもこの人は絶対に怒らない。あの女と違って。
ザックが言っていただろう。男の尊厳の問題だ、と。
一言、口にすればいい。
他のことにしてください、と。
なのに。
「グレン?」
悪戯に成功したような、それとも遊びに誘っている子供のようなといってもいい空色の瞳が、楽しげに俺を急かす。
俺は断りたいのか。この人に撫でられるのが、嫌なのか。
飲み込んだ唾液が、沸騰したように熱くなって喉を通り、酒を飲まされたように頭の中がグラグラと酩酊する。
ああ。
ダメだ。
俺はこの目に、すっかり躾けられてしまった。
心臓が大きく脈打ち、ゆっくりと腰をかがめ、手に向かって頭を下げる。
あの夜の細い指の感触が、待ち遠しいとすら思えてきて…………指が俺の、肩に垂らした髪へと伸びた。
「この髪を三つ編みにさせてもらってもいい? あなたにはずっと似合うと思ってたのよ」
…………。
「三つ編み……」
「そう。三つ編み。片手だけど、魔法を使えば簡単にできると思うわ」
楽しそうに微笑むスペードの10は、たくさん話したあの日のままで。
「お好きにどうぞ…………」
「ありがとう! ところでグレンも恋愛小説なんて読むのね」
ただの雑談が始まり、体から力が抜けるようだった。
これもまたこの人の素なのか?
すっかりあの時の悪戯な視線に魅入られてしまった俺は、これからどうすればいい。
視線の隅で、長く垂らした髪がどんどんと編まれていく。
「……姉さんが読んでたから借りただけだよ」
「姉さんって……グレンは弟なの!? やだ、天然物!! 最っ高!! ザックは? お兄ちゃんかお姉ちゃんはいる!?」
「食いつきが良すぎませんか……男の四人兄弟の三番目ですよ」
「そうなのね! なら姉が一人欲しくない?」
「姉は増えるもんじゃねぇよ!」
ザックの反応に歯を見せて笑っている。その姿があまりにも、綺麗で。
ああ、ちくしょう。
好きだなぁ。
観念したところで、失恋は決定事項だが、それでも構わない。この人の力になれれば。恋人と再開させてあげることができれば、俺はそれでいい。
ザックが何かに気付いたように、ちらりと時計を見た。その動作だけで分かった。そろそろ交代の兵が来る。
「いい? 必ず人目のある場所にいること。ソフィアの誘いは、はっきり断ってしまえばいいわ。人目があれば、その場で殺せるわけはないから。……グレン。もしもの時は、あなたがザックを守るのよ」
この人にいつまでも守られるわけにはいかない。大きく頷いた。
「機を見てスペードの人達に保護を求めなさい。ソフィアの犯行の証言をすると言えば、匿ってもらえるわ」
「それだと、あんたに情報を流せなくなるよ。ザックだけ匿ってもらえば……」
「ダメ。危ないから、あなたも保護してもらいなさい。私の現状を伝えてくれるだけで十分助かるから。これは上官命令よ」
同じ言葉でも、言う人が違えば胸に留まる温かさが全く違う。無言で頭を下げた。
だが、ザックは不安そうだった。
「俺達の言うことはスペードの皆様に信じていただけるでしょうか……」
俺達は未だ肩書き上はソフィアの部下だ。スペードの人達にとっては敵となる。
嘘をつけと跳ね除けられるかもしれない。
「……それもそうね。どうしようかしら」
「何か、あんたからの指示だとわかるものとか、合言葉みたいなのはないかな?」
合言葉。と呟いて、スペードの10は腕を組み目を閉じて──吹き出した。
「いいわね、合言葉。それでいきましょう。あの三人の、私しか知らない話をすればいいわけね」
そうして聞いた話はどれもこれも一国のキングやクイーン、ジャックにしていい話ではなくて。
「そんなこと言えるわけないだろ!! 他にないのか!?」
「ないわよー。それだけで十分伝わるわ。……ちょっと八つ当たりされるかもしれないけど」
「それが嫌なんだって!」
どれだけ言っても他に案は出してもらえなかった。こんな意地悪な姿ですら綺麗だと思えてしまう俺には、言わずに済むよう祈るしか出来ることはない……。
0
お気に入りに追加
1,161
あなたにおすすめの小説

誰からも愛されない悪役令嬢に転生したので、自由気ままに生きていきたいと思います。
木山楽斗
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢であるエルファリナに転生した私は、彼女のその境遇に対して深い悲しみを覚えていた。
彼女は、家族からも婚約者からも愛されていない。それどころか、その存在を疎まれているのだ。
こんな環境なら歪んでも仕方ない。そう思う程に、彼女の境遇は悲惨だったのである。
だが、彼女のように歪んでしまえば、ゲームと同じように罪を暴かれて牢屋に行くだけだ。
そのため、私は心を強く持つしかなかった。悲惨な結末を迎えないためにも、どんなに不当な扱いをされても、耐え抜くしかなかったのである。
そんな私に、解放される日がやって来た。
それは、ゲームの始まりである魔法学園入学の日だ。
全寮制の学園には、歪な家族は存在しない。
私は、自由を得たのである。
その自由を謳歌しながら、私は思っていた。
悲惨な境遇から必ず抜け出し、自由気ままに生きるのだと。

雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜
川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。
前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。
恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。
だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。
そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。
「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」
レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。
実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。
女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。
過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。
二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。

【完結】断罪された悪役令嬢は、全てを捨てる事にした
miniko
恋愛
悪役令嬢に生まれ変わったのだと気付いた時、私は既に王太子の婚約者になった後だった。
婚約回避は手遅れだったが、思いの外、彼と円満な関係を築く。
(ゲーム通りになるとは限らないのかも)
・・・とか思ってたら、学園入学後に状況は激変。
周囲に疎まれる様になり、まんまと卒業パーティーで断罪&婚約破棄のテンプレ展開。
馬鹿馬鹿しい。こんな国、こっちから捨ててやろう。
冤罪を晴らして、意気揚々と単身で出国しようとするのだが、ある人物に捕まって・・・。
強制力と言う名の運命に翻弄される私は、幸せになれるのか!?
※感想欄はネタバレあり/なし の振り分けをしていません。本編より先にお読みになる場合はご注意ください。

婚約破棄をいたしましょう。
見丘ユタ
恋愛
悪役令嬢である侯爵令嬢、コーデリアに転生したと気づいた主人公は、卒業パーティーの婚約破棄を回避するために奔走する。
しかし無慈悲にも卒業パーティーの最中、婚約者の王太子、テリーに呼び出されてしまうのだった。

好きでした、さようなら
豆狸
恋愛
「……すまない」
初夜の床で、彼は言いました。
「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」
悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。
なろう様でも公開中です。

【コミカライズ&書籍化・取り下げ予定】お幸せに、婚約者様。私も私で、幸せになりますので。
ごろごろみかん。
恋愛
仕事と私、どっちが大切なの?
……なんて、本気で思う日が来るとは思わなかった。
彼は、王族に仕える近衛騎士だ。そして、婚約者の私より護衛対象である王女を優先する。彼は、「王女殿下とは何も無い」と言うけれど、彼女の方はそうでもないみたいですよ?
婚約を解消しろ、と王女殿下にあまりに迫られるので──全て、手放すことにしました。
お幸せに、婚約者様。
私も私で、幸せになりますので。

公爵令嬢は、どう考えても悪役の器じゃないようです。
三歩ミチ
恋愛
*本編は完結しました*
公爵令嬢のキャサリンは、婚約者であるベイル王子から、婚約破棄を言い渡された。その瞬間、「この世界はゲームだ」という認識が流れ込んでくる。そして私は「悪役」らしい。ところがどう考えても悪役らしいことはしていないし、そんなことができる器じゃない。
どうやら破滅は回避したし、ゲームのストーリーも終わっちゃったようだから、あとはまわりのみんなを幸せにしたい!……そこへ攻略対象達や、不遇なヒロインも絡んでくる始末。博愛主義の「悪役令嬢」が奮闘します。
※小説家になろう様で連載しています。バックアップを兼ねて、こちらでも投稿しています。
※以前打ち切ったものを、初めから改稿し、完結させました。73以降、展開が大きく変わっています。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる