ヒロインは私のルートを選択したようです

深川ねず

文字の大きさ
上 下
160 / 206
第二章

42 グレン視点

しおりを挟む
 肩を落とし、悄然と地下へと帰った。
 どれだけ探してもあの人の恋人は見つからなかった。
 いっそ部屋の前で帰りを待ってしまうかとも考えたが、侍女や侍従に見咎められる可能性がある。諦めるしかなかった。

 頼みのスペードのキングやクイーンがあの有様で、ジャックも恋人も姿を見ることは出来なかった。まだこの国にいるのかすらも分からない。

 自分が孤立無援であると知れば、あの人がどれだけ悲しむか。いや、悲しむで済めばいいくらいか。
 食事も満足に取らせてもらえず、ギリギリの理性で耐えていたところに、あの大怪我だ。
 もしも、あの人の心が壊れてしまったら。

 そんな姿は、見たくなかった。



「だからちょっとだけだったら! 指先でほんのちょっと撫でるだけよ!」
「その言い方がすでに嫌だっつってんだよ! このセクハラ変態女が!!」
「セクッ……あなたはほんっとうに口が悪いわね。お説教してあげるから、ちょっとこっちに来なさい」
「…………その手に乗るか! 騙されるわけねぇだろ!」
「そんなこと言って、ちょっと体が動いてたわよ。本当は年上のお姉さんに撫でられたいんでしょう! 素直になりなさい!」

 もしも、あの人の心が壊れたら…………?

「あっ、グレン! 戻ったのか! 丁度よかった、助けてくれ! 俺の男としての尊厳が、危機に瀕してるんだよ!!」
「グレン! よく戻ったわね! 丁度よかったわ。その子をこっちまで連行してきなさい!」

 右と左からギラついた視線が向けられ、大声で名を呼ばれる。堪らず震える拳を握って叫んだ。

「うるさい!!!」



「……たしかに、ちょっとはしゃぎすぎたのは私が悪かったけど、そんなに怒らなくてもいいじゃないの」

 綺麗な顔で拗ねたスペードの10が、恨めしい声で言い訳まがいなことを言ってくる。

 俺がどれだけ気落ちして戻ってきたと思ってるんだ。おまけに危うく殺されるところだったというのに、こいつらときたら。

「ふざけてる場合じゃ……っ」

 苛立つままに言葉を発しようとして、慌てて口を閉じた。

 なんと伝えればいい? あんたの仲間達はソフィアに陥落していたから助けは来ないぞ。というのを、どう伝えればこの人を悲しませずに済む?
 おまけに恋人はすでに城にいなかった、などと。

「……誰も連れて来なかったのね」

 顔に出てしまっていたらしい。スペードの10は拗ねた表情を消して、落ち着いた声音でそう言った。

「ごめん……その……お、俺、スペードの人達の顔を知らなくてさ。見つけられなくって……」
「グレン」

 ピシリと鞭で打たれたような、厳しい声に体が跳ねた。

「何を見て、聞いたのか。全て正直に言いなさい」

 まっすぐにこちらを射抜く、空色の瞳から逃れる術など、ない。

 観念した俺は、全て、正直に話していた。



 滴の落ちる音だけが静かに響く。
 俺の話を聞いて目を伏せたスペードの10が長く吐いた息の音が、やけに大きく聞こえた。

「グレン、ザック。少し、これから離れていなさい」

 これ、と言って、スペードの10は左手で鉄格子を二回、コンコンと叩いた。

 首を鳴らして、牢の奥へゆっくりと歩いていく。

 何をするつもりなんだと聞きたいのに、この人から発せられる圧に呑まれて声が出ない。

 いつの間に下がっていたのか、背中が地下の壁に触れて、ひどく冷えた。

 振り返ったスペードの10の空色の瞳に、激しく燃える炎が見えたようだった。

「脱獄するわ。あの女を叩きのめして、その次はあの三人よ。力づくで目を覚まさせてやるわ」

 そう言いながら、スペードの10の左手には小さな渦が生まれ、地下に、ごうごうと轟いた。
 あれに触れれば間違いなくミンチになる。
 これは、そう察せられるほどの力強さで。

 先ほどのキングやクイーンの姿が、脳裏に浮かんだ。



『君に会えない時間は味のない食事をしているような、色のない風景を見ているような、そんな物悲しさが募るばかりだった』



 …………ん?



「…………あれ、『君恋』の王子のセリフじゃねぇか!!」

 シュンと音を立てて、嵐が止んだのが視界の端に見えた。

「…………………………きみこい?」
「あっご、ごめ…………っち、違うんだよ。さっき聞いたスペードのキングのセリフがさ。昔読んだ恋愛小説に出てきたセリフと全く同じだなと、思って」

 魔法を維持できないほど驚いたらしいスペードの10の眉が険しく寄っていて、内心酷く焦る。
 どうして今になって思い出してしまったんだ。そしてこの場においてツッコミを止められなかった自分のバカさ加減が恨めしい。

「君恋って……そういえば……私も昔読んでたわね。王子が優しくて格好良くって、いつか私もこんな人と結婚したいなって思っ……て……」

 言いながら、首がどんどん傾いていき、燃えていた目が瞬いた。

 と、思ったら、スペードの10は突然、腹を抱えてしゃがみ込んだ。

「ど、どうした!? 大丈夫……」
「……ふふっ懐かしいわね、きみこい! あの子ったら、ちゃんと貸したのを読んでたのね! あははははっ!」

 大口を開けて、腹を抱えて笑い出したスペードの10に、ザックと二人で唖然としてしまう。

「こんなもん読めるかって言ってたくせに、ほんと、そういうところは可愛いんだから!」

 涙が出るほど笑っている。
 何の話をしているのか、聞いても大丈夫だろうか。

「やっぱり、本はなんでも読んでおくものよね。いつ何時、その知識が自分を助けるかわからないんだから。……それが女の子を口説く時でもね」

 ぐぅと腕を垂直に伸ばしたスペードの10の雰囲気は和らぎ、いつもの穏やかさに戻っていて、肩から力が抜けた。

「何があったんだよ……」
「ああ、ごめんなさいね。でも安心していいわよ。きっとスペードのキングもクイーンも、あの女に落ちてなんかいないわ。本気で口説きたい相手には、ちゃんと自分の言葉を伝える人だもの。きっと、私を嵌めた理由でも探るために、惚れたフリをしてるのね」

 そう言って、ベッドへと向かったスペードの10は、隠していたらしい食べかけのエビと、手をつけていないチキンのバゲットサンドを手に鉄格子の前まで戻ってきた。

「そのつもりなら、大人しく待っててあげるわよ。腹ごしらえには問題ないしね」

 片目を瞑ってエビのサンドイッチにかぶりつく姿を茫然と眺めている間に、大きなサンドイッチはあっという間に消え去った。

「ほら、ザック。あなたのパンも出しなさい。食事はいくらあったって困らないのよ」

 友人のポケットの中身も強奪した上で。



 あっという間に食事を平らげたスペードの10は「さて、それじゃあ確認しておきたいんだけど」と、いつもの穏やかな笑顔で切り出した。

「あなた達は肩書き上はソフィアの部下だけど、もうあの女の部下で居続けるつもりはないわよね?」

 思わず、ザックと目を見合わせた。

「当たり前だろ。友達を殺したやつの言うことなんか聞きたくない」

 ザックも頷いて言った。

「俺はそれだけじゃない。あなたに命を救われましたから、これからはスペードの10に従います」
「なら頭をこっちに……」
「それは断わる。男の尊厳の問題だ」

 むぅと唇を尖らせたスペードの10に、ザックは顔を背けて抵抗している。
 そうだよな……普通、撫でさせたりしないよな……。

「あなた達の気持ちは分かったわ。なら私は、一時的にでもあなた達の上官になるってわけね」

 一時的に。
 この言葉は思ったよりも俺の心を深く抉った。
 俺はダイヤの国に所属する兵士だ。
 この人の本当の部下には、なり得ない。
しおりを挟む
感想 109

あなたにおすすめの小説

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

誰からも愛されない悪役令嬢に転生したので、自由気ままに生きていきたいと思います。

木山楽斗
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢であるエルファリナに転生した私は、彼女のその境遇に対して深い悲しみを覚えていた。 彼女は、家族からも婚約者からも愛されていない。それどころか、その存在を疎まれているのだ。 こんな環境なら歪んでも仕方ない。そう思う程に、彼女の境遇は悲惨だったのである。 だが、彼女のように歪んでしまえば、ゲームと同じように罪を暴かれて牢屋に行くだけだ。 そのため、私は心を強く持つしかなかった。悲惨な結末を迎えないためにも、どんなに不当な扱いをされても、耐え抜くしかなかったのである。 そんな私に、解放される日がやって来た。 それは、ゲームの始まりである魔法学園入学の日だ。 全寮制の学園には、歪な家族は存在しない。 私は、自由を得たのである。 その自由を謳歌しながら、私は思っていた。 悲惨な境遇から必ず抜け出し、自由気ままに生きるのだと。

雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜

川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。 前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。 恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。 だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。 そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。 「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」 レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。 実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。 女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。 過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。 二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。

婚約破棄をいたしましょう。

見丘ユタ
恋愛
悪役令嬢である侯爵令嬢、コーデリアに転生したと気づいた主人公は、卒業パーティーの婚約破棄を回避するために奔走する。 しかし無慈悲にも卒業パーティーの最中、婚約者の王太子、テリーに呼び出されてしまうのだった。

【完結】断罪された悪役令嬢は、全てを捨てる事にした

miniko
恋愛
悪役令嬢に生まれ変わったのだと気付いた時、私は既に王太子の婚約者になった後だった。 婚約回避は手遅れだったが、思いの外、彼と円満な関係を築く。 (ゲーム通りになるとは限らないのかも) ・・・とか思ってたら、学園入学後に状況は激変。 周囲に疎まれる様になり、まんまと卒業パーティーで断罪&婚約破棄のテンプレ展開。 馬鹿馬鹿しい。こんな国、こっちから捨ててやろう。 冤罪を晴らして、意気揚々と単身で出国しようとするのだが、ある人物に捕まって・・・。 強制力と言う名の運命に翻弄される私は、幸せになれるのか!? ※感想欄はネタバレあり/なし の振り分けをしていません。本編より先にお読みになる場合はご注意ください。

【完】愛人に王妃の座を奪い取られました。

112
恋愛
クインツ国の王妃アンは、王レイナルドの命を受け廃妃となった。 愛人であったリディア嬢が新しい王妃となり、アンはその日のうちに王宮を出ていく。 実家の伯爵家の屋敷へ帰るが、継母のダーナによって身を寄せることも敵わない。 アンは動じることなく、継母に一つの提案をする。 「私に娼館を紹介してください」 娼婦になると思った継母は喜んでアンを娼館へと送り出して──

公爵令嬢は、どう考えても悪役の器じゃないようです。

三歩ミチ
恋愛
*本編は完結しました*  公爵令嬢のキャサリンは、婚約者であるベイル王子から、婚約破棄を言い渡された。その瞬間、「この世界はゲームだ」という認識が流れ込んでくる。そして私は「悪役」らしい。ところがどう考えても悪役らしいことはしていないし、そんなことができる器じゃない。  どうやら破滅は回避したし、ゲームのストーリーも終わっちゃったようだから、あとはまわりのみんなを幸せにしたい!……そこへ攻略対象達や、不遇なヒロインも絡んでくる始末。博愛主義の「悪役令嬢」が奮闘します。 ※小説家になろう様で連載しています。バックアップを兼ねて、こちらでも投稿しています。 ※以前打ち切ったものを、初めから改稿し、完結させました。73以降、展開が大きく変わっています。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...