ヒロインは私のルートを選択したようです

深川ねず

文字の大きさ
上 下
150 / 206
第二章

32 ピュア系弟属性

しおりを挟む
「俺と話すくらいで、そんなに楽しいってこともないだろ。……相槌くらいなら、してやってもいいけどさ」

 この人が話したいと言うなら相手くらいはしてやろうと思う。牢に入れられて退屈しているのだろうし、何より恋人が怖い。

「もちろん楽しいわよ。ありがとう! グレン君は、ここで働いて長いの?」
「アカデミーを卒業してからだから、そうでもないよ。まだ二年目だ」
「じゃあ今年で十九歳になるのね? ノエルよりも年下か……これはいい素材だわ……っ」

 他愛もない話題で、のんびりと話をする。
 この女性の昨晩と変わらない姿には、まさか先輩にからかわれたのかと疑うほどだったが──あの先輩の目は、ふざけているようには見えなくて。
 相槌を打ちながらも頭の中は、下された理不尽な命令に、支配されていた。

「それでね、白ウサギ殿が蹴飛ばされて」
「なぁ」

 楽しそうに話すのを、遮った。

 気付かない振りをすれば良かった。この人の優しさに甘えて、交代の時間まで素知らぬ顔で楽しい時間を過ごせば良かったのに。

「今日の晩飯、なんだった」

 まるで世間話のように、問いかけた。
 声が震えてしまいそうだった。

 スペードの10は、わずかにも迷わずに笑顔を浮かべた。

「パンとシチューだったわ。美味しかったわよ」

 俺は、自分が情けない。檻の中のこの人が笑って言ったのに。表情を取り繕うことすら、出来ないなんて。
 俺の表情に、スペードの10は全てを察したようだった。

「……なんだ。知ってたのね。グレン君が気にすることじゃないでしょう。スペードのキング方も来てくださっているのだし、どうせすぐに出られるわ。数日何も食べないくらい、どうってことないわよ」

 本当になんてことない様子で言われた言葉に、返事ができなかった。



 昨日の晩は確かに運ばれてきていたのを、俺がこの目で見ている。
 今朝は? 先ほど、命令を伝えてくれた先輩が担当だったはずだ。つまり、先輩は今朝命令を聞いて──従ったのか。
 この人は、今朝から何も食べていないということになる。

 テーブルに置かれたグラスに水を注いだ。見張りの兵士用の飲み水だ。スペードの10の前で、一口含んで飲み込んでから、グラスを渡す。

「……そんなに話してたら、喉が乾くだろ」
「飲み水も渡すなって、言われていないの? グレン君が叱られない?」
「水は言われてない。……いいから、さっさと飲んで、グラス返せよ」

 どうせ誰も来ないだろうが、少し焦る。水は渡すなと言われてないのは本当でも、かなりグレーゾーンだとは思う。
 俺の立場を理解してか、この人はすんなりと受け取ってグラスに口をつけた。

 喉がコクコクと上下して、一気に飲み干した。グラスを離し、濡れた唇を舌で舐める姿に、頬が、火がついたように熱くなって──あの鋭い視線を思い出して頭を振った。

「はぁ……生き返ったわ。本当はね、喉はちょっと乾いてたのよ。助かったわ。ありがとう」

 返答に困り、グラスを戻すフリをして返事をしなかった。

 ソフィア様は知っているのだろうか。
 人は水がなければ数日も保たないと。

 知っていて、命令したのなら──。



 ああ、もう。命令違反は今更だ。
 ポケットから包んだパンを取り出して、鉄格子の隙間に押し込んだ。

「俺の夜食にするつもりだったけど、腹いっぱいだから、その、食っていいよ」

 瞬いた水色の視線に、体がむず痒くなる。その視線から逃げて、包みから手を離せば、スペードの10は地面に落ちる前にそれを手に取った。

「……これはさすがに貰えないわ。叱られるだけじゃ、済まないわよ」
「夜食を捨てただけだし。あ、あんたが食えば、証拠も残らないだろ」

 返されては困ると離れたところに移動して、まだ話しかけてくるのを無視した。
「いただきます」と聞こえてきて、体から力が抜けるようだった。自分で思っていたよりもずっと、俺は気を張っていたらしい。この女性に少しでも食事を取らせられたことで、ものすごく安堵していた。

「ねぇ、グレン君。そんなところにいないで、戻ってきて。寂しいわ。お話ししましょうよ」

 甘えたように言われて口を引き結ぶ。この人は牢に入れられて心細いだけだ。あの怖い恋人を思い出せ。

 顔が緩まないよう気を付けて、檻の前に腰を下ろした。
 鉄格子の隙間から包み紙を返される。

「本当にありがとう。やっぱりお腹がすいてたのね。すごく美味しかった。グレン君がいてくれて本当に良かったわ。あなたがいなければ、もう心が参っちゃってたかも」
「……あっそ」

 笑顔が眩しくて、目を逸らす。親しく話せば話すほど、絡みとられるように心が寄せられていって、逃げ場をなくしていく。

「迷惑ついでに、一つお願いがあるんだけど……」

 スペードの10がこちらに身を乗り出して来て、鉄格子に手を添えた。

 思いの外、鉄格子の近くに腰を下ろしてしまっていたせいで、目の前に座られているようだった。息がかかるような錯覚に、逃げられなくなる。

「な、なんだよ。聞けるかは、わかんないぞ」

 昨夜のこの人と恋人の逢瀬を思い出す。あの時も鉄格子に添えられていた手は、今、俺にも触れられるところにあって──。

「あのね、頭を撫でさせて欲しいの! 可愛い男の子不足で、心が癒しを求めてるのよ!」

 ……………………頭を…………撫で……?

 伸ばされた腕から、壁際まで飛び退いて、一気に逃げた。

「な、なな何を言うかと思えば……っあ、あんた、馬鹿なのか!?」
「あー、もうちょっとだったのに……」
「恋人がいるくせに、そ、そういうの、良くないぞ! そもそも可愛い男の子ってなんだよ!? 俺もう十九だぞ! 大人の男だ!!」
「いやいや、二十歳以下なら全然範囲内というか、むしろちょっと大人ぶって背伸びしてるとこがポイント高くって」
「なにわけわかんないこと言ってんだよ!!」

 これが牢に放り込まれた女のすることか!?

 俺の悩みが馬鹿みたいに思えるほど、スペードの10は楽しそうに笑っていて、心臓があらゆる意味でうるさく騒いだ。

 結局、言葉巧みに引き寄せられて、散々頭を撫でまわされた。
 細い指が頭を梳く心地よさに、体中が熱くなって、恋人はこの手にキスしたりするんだろうな、などと考えて、正気を保った。
しおりを挟む
感想 109

あなたにおすすめの小説

誰からも愛されない悪役令嬢に転生したので、自由気ままに生きていきたいと思います。

木山楽斗
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢であるエルファリナに転生した私は、彼女のその境遇に対して深い悲しみを覚えていた。 彼女は、家族からも婚約者からも愛されていない。それどころか、その存在を疎まれているのだ。 こんな環境なら歪んでも仕方ない。そう思う程に、彼女の境遇は悲惨だったのである。 だが、彼女のように歪んでしまえば、ゲームと同じように罪を暴かれて牢屋に行くだけだ。 そのため、私は心を強く持つしかなかった。悲惨な結末を迎えないためにも、どんなに不当な扱いをされても、耐え抜くしかなかったのである。 そんな私に、解放される日がやって来た。 それは、ゲームの始まりである魔法学園入学の日だ。 全寮制の学園には、歪な家族は存在しない。 私は、自由を得たのである。 その自由を謳歌しながら、私は思っていた。 悲惨な境遇から必ず抜け出し、自由気ままに生きるのだと。

雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜

川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。 前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。 恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。 だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。 そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。 「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」 レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。 実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。 女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。 過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。 二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。

【完結】断罪された悪役令嬢は、全てを捨てる事にした

miniko
恋愛
悪役令嬢に生まれ変わったのだと気付いた時、私は既に王太子の婚約者になった後だった。 婚約回避は手遅れだったが、思いの外、彼と円満な関係を築く。 (ゲーム通りになるとは限らないのかも) ・・・とか思ってたら、学園入学後に状況は激変。 周囲に疎まれる様になり、まんまと卒業パーティーで断罪&婚約破棄のテンプレ展開。 馬鹿馬鹿しい。こんな国、こっちから捨ててやろう。 冤罪を晴らして、意気揚々と単身で出国しようとするのだが、ある人物に捕まって・・・。 強制力と言う名の運命に翻弄される私は、幸せになれるのか!? ※感想欄はネタバレあり/なし の振り分けをしていません。本編より先にお読みになる場合はご注意ください。

婚約破棄をいたしましょう。

見丘ユタ
恋愛
悪役令嬢である侯爵令嬢、コーデリアに転生したと気づいた主人公は、卒業パーティーの婚約破棄を回避するために奔走する。 しかし無慈悲にも卒業パーティーの最中、婚約者の王太子、テリーに呼び出されてしまうのだった。

好きでした、さようなら

豆狸
恋愛
「……すまない」 初夜の床で、彼は言いました。 「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」 悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。 なろう様でも公開中です。

【コミカライズ&書籍化・取り下げ予定】お幸せに、婚約者様。私も私で、幸せになりますので。

ごろごろみかん。
恋愛
仕事と私、どっちが大切なの? ……なんて、本気で思う日が来るとは思わなかった。 彼は、王族に仕える近衛騎士だ。そして、婚約者の私より護衛対象である王女を優先する。彼は、「王女殿下とは何も無い」と言うけれど、彼女の方はそうでもないみたいですよ? 婚約を解消しろ、と王女殿下にあまりに迫られるので──全て、手放すことにしました。 お幸せに、婚約者様。 私も私で、幸せになりますので。

公爵令嬢は、どう考えても悪役の器じゃないようです。

三歩ミチ
恋愛
*本編は完結しました*  公爵令嬢のキャサリンは、婚約者であるベイル王子から、婚約破棄を言い渡された。その瞬間、「この世界はゲームだ」という認識が流れ込んでくる。そして私は「悪役」らしい。ところがどう考えても悪役らしいことはしていないし、そんなことができる器じゃない。  どうやら破滅は回避したし、ゲームのストーリーも終わっちゃったようだから、あとはまわりのみんなを幸せにしたい!……そこへ攻略対象達や、不遇なヒロインも絡んでくる始末。博愛主義の「悪役令嬢」が奮闘します。 ※小説家になろう様で連載しています。バックアップを兼ねて、こちらでも投稿しています。 ※以前打ち切ったものを、初めから改稿し、完結させました。73以降、展開が大きく変わっています。

ご安心を、2度とその手を求める事はありません

ポチ
恋愛
大好きな婚約者様。 ‘’愛してる‘’ その言葉私の宝物だった。例え貴方の気持ちが私から離れたとしても。お飾りの妻になるかもしれないとしても・・・ それでも、私は貴方を想っていたい。 独り過ごす刻もそれだけで幸せを感じられた。たった一つの希望

処理中です...