145 / 206
第二章
27
しおりを挟む
非常識な訪問者を追い返してもなお、苛立ちが消えることはなかった。そうしてムカムカとしていたら、いつのまにか私の体は宙に浮き「今日はそこまではしないから」という不穏すぎるセリフが、恐ろしく近くから聞こえた。
遅れて言葉の意味を、おまけに自分がどこに下されたかを理解して、右手を振りかぶった。
手のひらが温かい頰に当たり、弾けたように痛みが走る。混乱は酷くなった。
「えっ、な、なんで当たっ……」
「……迷惑かけた詫びだ。俺がここに来れば、あの女が来るかもしれないと分かっていたのにな。一人で戦わせて、悪かった」
ベッドには腰掛けず、ルーファスさんは床に膝をついて頭を下げた。
「……分かってはいたんだ。けどどうしても、お前に会いたくなった。明日からは、ちゃんとあの女の相手をするよ。お前に敵意が向いたら困る」
上がった顔にかける言葉は、喉の奥に留まったままだ。
「エルザを嵌めた理由が俺達の籠絡なら、俺達を落とした後の目的を知る必要がある。あの女一人の企みではなく組織的な犯罪の可能性もあるからな。だから……そんな顔させて、ごめんな」
伸ばされた指が目元に触れて、赤い瞳と真っ直ぐに視線が合わさった。
困ったような、苦笑するような表情に、頬が燃えたように熱くなる。
「そ、そんな顔ってどんな顔ですか。変な顔なんかしてませんよ」
視線から逃げるも、視界の端にはどうしても赤いものがちらつく。その赤が、心を落ち着かせてくれない。
「そうだな……威嚇してくるくせに、去ろうとしたら妙にチラチラこっちを見てくる猫、かな」
「猫なんですか……」
「エルザも、ララは猫みたいだっつってたぞ。毛を逆立てるとかなんとか」
「それ、あなたのせいで怒ってた時のやつじゃないですか!」
怒鳴ればルーファスさんはお腹を抱えて笑い、そのまま床に座り込んだ。それには思わず慌ててしまった。
一応にも一国のキングだ。そんな人を床に座らせるなんて。
「こ、こっちに座っていいですから、そこはダメです。ソフィアに劣ってるとかなんとか、また言われますよ」
「……それを言うなよ……せっかく忘れてたのに」
一気に忌々しくなった顔でため息をついたルーファスさんは、私が手で指した『こっち』に目を向けた。
「……そこに座っても、いいのか?」
「床よりはマシでしょ。もちろんいいです、よ……」
どうしてわざわざ確認なんて、と思いながら答え、私は改めて『こっち』というのが、ベッドであると思い出した。
身体中が、汗が噴き出すほど熱くなる。
これは、一人の成人男性……それも、ついさっきまで私のことを好きだと勘違いしていた男性を、ベッドに誘った……ってこと……!?
「ち、ちが、違います!! ゆ、床よりはって思っただけで!!」
「ああ、いや、分かってるから落ち着け」
大きな手で宥められても、騒ぐ心臓は鎮まる気配が全くない。
しかしこの人をいつまでも床に置いておくわけには……!!
私はむんずと大きく柔らかな枕を掴んだ。
「こ、ここまでならいいです! ここより先は立ち入り禁止ですからね!!」
ベッドの端と自分の体の間に枕を置く。境界線だ。これならどうだ!?
爆笑された。ベッドに突っ伏して。
「ぶっ……くく……ほんっと、お前は……か、かわい……ははっ」
「……ベッドで言われる可愛いが、これほど憎たらしいものだなんて、知りませんでしたよ…………」
これでもかと睨みつけるが、効いていないらしく、この憎たらしい男はのんびりと涙を拭っている。
さっさと追い出してやろうと口を開いて──言葉が出なくなった。
「それじゃあ、お言葉に甘えるかな」
流れるような動きでベッドの端に腰を下ろし、赤い瞳が真っ直ぐに私を見つめてくる。
優しい、じゃない。楽しい、でもない。
この瞳にこもった感情は、どの言葉が適切なのか。分かってしまったそれを、自覚してもいいのかどうか、判断できない。
自分の都合のいいように見えているだけかもしれない。
けど、この人がこんな目を、一番信頼している女性に向けたところは、見たことがない。
「……この間の舞踏会で、お前が言っていた言葉の意味を、ずっと考えてた」
ルーファスさんの静かな声に、胸がズキズキと痛んだ。
『ルーファスが好きなのはララです! エルザさんでも……私でもない!!』
あんなことが言いたかったわけじゃない。困らせるだけだと分かっていたし、そもそも好きだなんて言われてなかった。
それでも、どうしても私は、あのドレスを見てから、この人のことが信じられなくなった。
ゲームで、桃色のドレスを着たララは本当にうっとりするほど可愛くて、ララとダンスするルーファスは……ララに優しい視線を向けるルーファスは、身悶えするくらい素敵だった。
だから、そんな目をしていたこの人から贈られたドレスが、ゲームでララに贈ったものと同じデザインだったことが、どうしても許せなくて……。
「だが、どうしても分からなくてな。でもちゃんと考えるから、もう少し時間をくれるか」
いつの間にか俯いていた顔を上げると、優しい視線がぶつかった。大きな手が頰へと伸ばされ、触れる寸前、引いていく。「立ち入り禁止だったか」と笑い声混じりに。
「あんな、意味のわからない言葉を、いつまで考えるつもりですか……」
さっさと諦めちゃったらいいのに。だって答えなんて出るわけが──。
「ララが、俺が好きなのは誰か。信じてくれるまでだ」
ララが。そう言って見つめられるのは自分だ。赤い瞳には、スチルで見た美少女が映っている。
視界がどんどんとぼやけて、俯いたら額が大きな肩にぶつかった。優しく頭を撫でられ髪を梳かれ、溢れる涙は止められそうにない。
この人が好きなのは、ララだ。
でも、この人のララは、私なんだ。
「あなたは……私が好きなんですか……」
顔を上げて問い掛ければ、見たこともないほど優しい瞳には私が映っている。
「ああ。俺は、お前が好きだよ。ララ」
遅れて言葉の意味を、おまけに自分がどこに下されたかを理解して、右手を振りかぶった。
手のひらが温かい頰に当たり、弾けたように痛みが走る。混乱は酷くなった。
「えっ、な、なんで当たっ……」
「……迷惑かけた詫びだ。俺がここに来れば、あの女が来るかもしれないと分かっていたのにな。一人で戦わせて、悪かった」
ベッドには腰掛けず、ルーファスさんは床に膝をついて頭を下げた。
「……分かってはいたんだ。けどどうしても、お前に会いたくなった。明日からは、ちゃんとあの女の相手をするよ。お前に敵意が向いたら困る」
上がった顔にかける言葉は、喉の奥に留まったままだ。
「エルザを嵌めた理由が俺達の籠絡なら、俺達を落とした後の目的を知る必要がある。あの女一人の企みではなく組織的な犯罪の可能性もあるからな。だから……そんな顔させて、ごめんな」
伸ばされた指が目元に触れて、赤い瞳と真っ直ぐに視線が合わさった。
困ったような、苦笑するような表情に、頬が燃えたように熱くなる。
「そ、そんな顔ってどんな顔ですか。変な顔なんかしてませんよ」
視線から逃げるも、視界の端にはどうしても赤いものがちらつく。その赤が、心を落ち着かせてくれない。
「そうだな……威嚇してくるくせに、去ろうとしたら妙にチラチラこっちを見てくる猫、かな」
「猫なんですか……」
「エルザも、ララは猫みたいだっつってたぞ。毛を逆立てるとかなんとか」
「それ、あなたのせいで怒ってた時のやつじゃないですか!」
怒鳴ればルーファスさんはお腹を抱えて笑い、そのまま床に座り込んだ。それには思わず慌ててしまった。
一応にも一国のキングだ。そんな人を床に座らせるなんて。
「こ、こっちに座っていいですから、そこはダメです。ソフィアに劣ってるとかなんとか、また言われますよ」
「……それを言うなよ……せっかく忘れてたのに」
一気に忌々しくなった顔でため息をついたルーファスさんは、私が手で指した『こっち』に目を向けた。
「……そこに座っても、いいのか?」
「床よりはマシでしょ。もちろんいいです、よ……」
どうしてわざわざ確認なんて、と思いながら答え、私は改めて『こっち』というのが、ベッドであると思い出した。
身体中が、汗が噴き出すほど熱くなる。
これは、一人の成人男性……それも、ついさっきまで私のことを好きだと勘違いしていた男性を、ベッドに誘った……ってこと……!?
「ち、ちが、違います!! ゆ、床よりはって思っただけで!!」
「ああ、いや、分かってるから落ち着け」
大きな手で宥められても、騒ぐ心臓は鎮まる気配が全くない。
しかしこの人をいつまでも床に置いておくわけには……!!
私はむんずと大きく柔らかな枕を掴んだ。
「こ、ここまでならいいです! ここより先は立ち入り禁止ですからね!!」
ベッドの端と自分の体の間に枕を置く。境界線だ。これならどうだ!?
爆笑された。ベッドに突っ伏して。
「ぶっ……くく……ほんっと、お前は……か、かわい……ははっ」
「……ベッドで言われる可愛いが、これほど憎たらしいものだなんて、知りませんでしたよ…………」
これでもかと睨みつけるが、効いていないらしく、この憎たらしい男はのんびりと涙を拭っている。
さっさと追い出してやろうと口を開いて──言葉が出なくなった。
「それじゃあ、お言葉に甘えるかな」
流れるような動きでベッドの端に腰を下ろし、赤い瞳が真っ直ぐに私を見つめてくる。
優しい、じゃない。楽しい、でもない。
この瞳にこもった感情は、どの言葉が適切なのか。分かってしまったそれを、自覚してもいいのかどうか、判断できない。
自分の都合のいいように見えているだけかもしれない。
けど、この人がこんな目を、一番信頼している女性に向けたところは、見たことがない。
「……この間の舞踏会で、お前が言っていた言葉の意味を、ずっと考えてた」
ルーファスさんの静かな声に、胸がズキズキと痛んだ。
『ルーファスが好きなのはララです! エルザさんでも……私でもない!!』
あんなことが言いたかったわけじゃない。困らせるだけだと分かっていたし、そもそも好きだなんて言われてなかった。
それでも、どうしても私は、あのドレスを見てから、この人のことが信じられなくなった。
ゲームで、桃色のドレスを着たララは本当にうっとりするほど可愛くて、ララとダンスするルーファスは……ララに優しい視線を向けるルーファスは、身悶えするくらい素敵だった。
だから、そんな目をしていたこの人から贈られたドレスが、ゲームでララに贈ったものと同じデザインだったことが、どうしても許せなくて……。
「だが、どうしても分からなくてな。でもちゃんと考えるから、もう少し時間をくれるか」
いつの間にか俯いていた顔を上げると、優しい視線がぶつかった。大きな手が頰へと伸ばされ、触れる寸前、引いていく。「立ち入り禁止だったか」と笑い声混じりに。
「あんな、意味のわからない言葉を、いつまで考えるつもりですか……」
さっさと諦めちゃったらいいのに。だって答えなんて出るわけが──。
「ララが、俺が好きなのは誰か。信じてくれるまでだ」
ララが。そう言って見つめられるのは自分だ。赤い瞳には、スチルで見た美少女が映っている。
視界がどんどんとぼやけて、俯いたら額が大きな肩にぶつかった。優しく頭を撫でられ髪を梳かれ、溢れる涙は止められそうにない。
この人が好きなのは、ララだ。
でも、この人のララは、私なんだ。
「あなたは……私が好きなんですか……」
顔を上げて問い掛ければ、見たこともないほど優しい瞳には私が映っている。
「ああ。俺は、お前が好きだよ。ララ」
0
お気に入りに追加
1,161
あなたにおすすめの小説

誰からも愛されない悪役令嬢に転生したので、自由気ままに生きていきたいと思います。
木山楽斗
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢であるエルファリナに転生した私は、彼女のその境遇に対して深い悲しみを覚えていた。
彼女は、家族からも婚約者からも愛されていない。それどころか、その存在を疎まれているのだ。
こんな環境なら歪んでも仕方ない。そう思う程に、彼女の境遇は悲惨だったのである。
だが、彼女のように歪んでしまえば、ゲームと同じように罪を暴かれて牢屋に行くだけだ。
そのため、私は心を強く持つしかなかった。悲惨な結末を迎えないためにも、どんなに不当な扱いをされても、耐え抜くしかなかったのである。
そんな私に、解放される日がやって来た。
それは、ゲームの始まりである魔法学園入学の日だ。
全寮制の学園には、歪な家族は存在しない。
私は、自由を得たのである。
その自由を謳歌しながら、私は思っていた。
悲惨な境遇から必ず抜け出し、自由気ままに生きるのだと。

雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜
川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。
前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。
恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。
だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。
そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。
「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」
レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。
実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。
女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。
過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。
二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。

【完結】断罪された悪役令嬢は、全てを捨てる事にした
miniko
恋愛
悪役令嬢に生まれ変わったのだと気付いた時、私は既に王太子の婚約者になった後だった。
婚約回避は手遅れだったが、思いの外、彼と円満な関係を築く。
(ゲーム通りになるとは限らないのかも)
・・・とか思ってたら、学園入学後に状況は激変。
周囲に疎まれる様になり、まんまと卒業パーティーで断罪&婚約破棄のテンプレ展開。
馬鹿馬鹿しい。こんな国、こっちから捨ててやろう。
冤罪を晴らして、意気揚々と単身で出国しようとするのだが、ある人物に捕まって・・・。
強制力と言う名の運命に翻弄される私は、幸せになれるのか!?
※感想欄はネタバレあり/なし の振り分けをしていません。本編より先にお読みになる場合はご注意ください。

婚約破棄をいたしましょう。
見丘ユタ
恋愛
悪役令嬢である侯爵令嬢、コーデリアに転生したと気づいた主人公は、卒業パーティーの婚約破棄を回避するために奔走する。
しかし無慈悲にも卒業パーティーの最中、婚約者の王太子、テリーに呼び出されてしまうのだった。

好きでした、さようなら
豆狸
恋愛
「……すまない」
初夜の床で、彼は言いました。
「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」
悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。
なろう様でも公開中です。

【コミカライズ&書籍化・取り下げ予定】お幸せに、婚約者様。私も私で、幸せになりますので。
ごろごろみかん。
恋愛
仕事と私、どっちが大切なの?
……なんて、本気で思う日が来るとは思わなかった。
彼は、王族に仕える近衛騎士だ。そして、婚約者の私より護衛対象である王女を優先する。彼は、「王女殿下とは何も無い」と言うけれど、彼女の方はそうでもないみたいですよ?
婚約を解消しろ、と王女殿下にあまりに迫られるので──全て、手放すことにしました。
お幸せに、婚約者様。
私も私で、幸せになりますので。

公爵令嬢は、どう考えても悪役の器じゃないようです。
三歩ミチ
恋愛
*本編は完結しました*
公爵令嬢のキャサリンは、婚約者であるベイル王子から、婚約破棄を言い渡された。その瞬間、「この世界はゲームだ」という認識が流れ込んでくる。そして私は「悪役」らしい。ところがどう考えても悪役らしいことはしていないし、そんなことができる器じゃない。
どうやら破滅は回避したし、ゲームのストーリーも終わっちゃったようだから、あとはまわりのみんなを幸せにしたい!……そこへ攻略対象達や、不遇なヒロインも絡んでくる始末。博愛主義の「悪役令嬢」が奮闘します。
※小説家になろう様で連載しています。バックアップを兼ねて、こちらでも投稿しています。
※以前打ち切ったものを、初めから改稿し、完結させました。73以降、展開が大きく変わっています。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる