ヒロインは私のルートを選択したようです

深川ねず

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第一章

99番外編 9の逆襲

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 その日は遠方への出張から城へは帰らず、田舎町を経由してまた地方へと出向く予定だった。

 事前に部屋を取ってある宿に向かう途中、急な雨に降られた。これでは山道を行く旅行者は足止めを食らうだろうという大雨だ。案の定、宿の前は人でごった返していたが、それにしては集まる連中の表情がおかしい。

「えらく騒がしいな。何かあったのか?」

 宿の前で中を覗く年配の男に話しかけると、どうやら集まっているのは野次馬らしく、含み笑いが返ってきた。

「ああ、なんでも宿があと一部屋しかないってんで、連れの男女が揉めてるらしい」
「へぇ」

 それは笑える、と思った。
 これを好機とばかりに女を連れ込もうとする男と嫌がる女で揉めてるんだろう。

「嫌がる女を連れ込むなんざ、男の程度も知れたもんだな」

 しかし嘲笑まじりに言えば、返ってきたのは複数の苦笑だった。

「いいや、どうやら逆らしい」

 逆?



「仕方ないじゃない! 一部屋しかないんだから!」
「仕方なくなんてありません。あなたが一人で使えばいいんです。俺は他を探しますから」
「他なんてなかったじゃないの。私がソファで寝るって言ってるのに!」
「それが問題だって言ってるんだ! ああ、いやそれ以前の問題か……あなたは俺と一緒の部屋で本当に問題がないと思ってるんですか!?」
「も、問題がない、とは言わないけど……あなたをこの雨の中に放り出すほうが問題よ!」
「いいえ。あなたと同じ部屋で寝るくらいなら大雨だろうと野宿したほうがマシだ!」
「そこまで言う!?」

 頭が痛くなってきた……。

「な? あんな美人がいいっつってんのに、何が嫌なのかね、あの兄ちゃんは」

 泊まったりなんかしたら、そのことをペラペラと保護者共に話すからだ。決まってる。

「アカデミーの学生かね?」
「いや、今時学生だって同じ部屋で寝るくらいのことで、あんな騒ぎやしないだろうよ」

 学生どころか。
 この国を代表する十三人の内の二人だ。

 ……他人のふりしよ。

 未だ騒いでいる二人にそっと背を向けーー。

「レグ!? ちょうどよかった! あなたもここに泊まるのね!」

 渦中の女の声に、多くの視線が後頭部に刺さる。

「……兄ちゃん、あの二人と知り合いか?」

 今日だけは他人でいたかったよ。



「あー、何を騒いでおいでかな、お嬢様」

 目立ってんぞと付け加えると、さすがに気まずげな表情が二つ返ってくる。

「雨で足止めされちゃったんだけど、部屋があと一つしかないのよ。それなのにオーウェンが一緒に泊まるのを嫌がるの」
「当たり前です」
「そんなに嫌がることないじゃない……」

 唇を尖らせてエルザは補佐を睨め付けるが、オーウェンにも譲る気はないらしい。うん、当たり前だな。

「ソファで良ければ使っていいぞ」

 この状況で放り出すほど俺は嫌な奴でも、まして良い奴でもない。
 安堵の表情を浮かべたオーウェンは珍しく俺に軽く頭を下げた。

「ありが」
「助かるわ。もちろんソファで問題ないわよ。あなたの方が背が高いんだから、私がソファなのは当然よ」

「なんでそうなるんだよ!!」
「どうしてそうなるんですか!!」

 二重の抗議にきょとんとした表情を返すエルザに、野次馬たちはさもありなんと頷き、散っていった。



 ドサリと重い音がして、オーウェンはソファに深く腰掛けて深く息を吐いた。

「あー、お疲れ」
「……ありがとうございます。助かりました」

 項垂れたままのオーウェンに「先に風呂入って来てもいいぞ」と伝えるが、断られた。

「あなたの部屋ですから、俺は後で結構です」
「そうかい。なら先に入らせてもらうぜ」
「ごゆっくり」

 背中からまたしても大きなため息が聞こえてきて、今日はからかうのはやめてやろうと密かに決めた。



 雨に濡れた服を脱いで熱い湯を浴びれば、色々と溜まった疲れが一気に吹き飛んだ。……早く出てやるか。

 部屋に戻ると、仕事着のローブを脱いだオーウェンが温かいお茶を用意してくれていた。

「さすが、優秀な補佐様だな」
「あなたは酒の方がいいかと思いましたが、夕食前ですからね」

 夕食前だろうが酒で良かったが、真面目なこの男に言うのも憚られる。

「有り難くいただ……ぬるくねぇか、これ」

 一口含んだそれは生ぬるく、茶が出ていない……白湯だ。色の着いたぬるい白湯。

「え? そんなはず……すみません、火加減を誤りました」

 同じく口をつけたオーウェンは眉間にシワを寄せ、ポットに手を添えて温め直している。

「……動揺しすぎだろ」
「すみません……」

 気持ちはわかるけどな。今度こそ温かいお茶で一息つき、着替えを片手にオーウェンが部屋を出ようとしたところで。

 けたたましいノックの音が響いた。



「オーウェン、助けて!!」
「どうしました!?」

 緊急事態かと表情を引き締めたオーウェンの背中に脳内で語りかける。

 断言するぞ。どうせ下らない用事だ。

 しかし扉を開けたオーウェンが呻き声を上げたので、思わず首を傾げてその背中に近付く。
 扉の外にいる女に目を向けて、同じく呻いてしまった。



 風呂上りにろくに乾かさずに飛び出してきたのだろう。
 雨に濡れたのではないとわかるしっとりと落ち着いた髪には水が滴っている。
 その滴が落ちるのは素肌がさらされた鎖骨。

 まさかタンクトップ一枚で廊下を歩いてきやがるとはな。補佐の苦労は計り知れない。

「助けて! 部屋にガが出たのよぉ!」
「……が?」
「がぁ!!」

 喚くエルザに視線を合わさないオーウェンが「ああ、蛾ですか……」と遠い目をしながら、自分の着替えのシャツをエルザの肩に羽織らせ……れず、手がふらふらと彷徨っている。

 そんな男を馬鹿にすることなど、誰に出来ようか。
 なんとかシャツを羽織らせることに成功したオーウェンが「少しお待ちください」と扉を閉めた。

「……頑張れー」

 その背中にエールを送る。と同時に勢いよく振り返ったその表情は、これから死地に赴く者のそれだった。

「……ついてきて下さい」
「嫌だよ!!」
「俺一人で行かせる気ですか!!」
「当たり前だろ、ご指名なんだから!! ほれ、行ってこい!」

 しっしっと振る手を強く握られる。掴む強さには逃してなるものかという凄まじい気迫が篭っている。

「惚れた女性が日も落ちた時間に部屋に呼んでるんですよ!? 何を逃げ腰になることがあるんだ!!」
「それを言うならお前だってそうだろ!! そもそも二人で泊まるはずの部屋じゃねーか!」
「んな予定あるか!! ……あの姿を見ただろ。きっと風呂上りに部屋に蛾がいることに気付いて、そのまま飛び出してきたんだ……ということはベッドにはきっと荷物が散乱しているし、脱いだものを持っていなかったから逃げる時に放り出したかもしれない……あの人の風呂上りの部屋だぞ! そんな部屋に俺一人で赴けと言うのか!?」
「お前のそういうとこほんと気色わりーな!!」

 混乱してたくせに、しっかり見てやがる。

「だいたいお前、たまにエルザと手ぇ繋いで歩いてるの見かけるぞ! もうすでにデキてんじゃねーのか!?」
「首に縄をかけるわけにいかないだろうが!!」

 この不憫な補佐の逃げる上司を追う姿は、もはやスペードの名物といっていい。手綱代わりか……。



 大声を張り上げ続ければ、さすがに息が上がる。ふぅと意識して息を吐いた。

「……一旦落ち着こうぜ。俺達は今、惚れた女の部屋に行くか行かないかの話をしてるんだよな。それを押し付け合ってるってどういう状況だよ」
「…………そうですね。どうぞ、あなたに譲りますから楽しんできてください。キングには私から報告を入れさせていただきます」
「密告する気か! この野郎!!」
「うるさい!! こうなれば絶対道連れにしてやるからな!!」
「何を喧嘩してるのよ! あなたたち!!」

 バァンと大きな音がして扉が勢いよく開かれた。

「同じ部屋がいいって言った時はいつの間に仲良くなったのかしらって喜んだのに! まったくもう、男の子ってすぐに喧嘩するんだから!」

 引率の教師のような顔をして腰に手を当て、お説教を始めるエルザに恨めしい目を向けてしまうのは、仕方のないことだ。

「元凶がよく言うよ……」
「まったくです……」

 オーウェンと珍しくも気があった瞬間だった。
 結局蛾は二人で部屋に向かったのちに、オーウェンが八つ当たりとばかりに一瞬で処理した。



「……っとに、ひでー目に合ったわ」

 報告のついでにこの話をすると、我が国のキングは机に突っ伏した。肩が震えてやがる。

「エルザは飛ぶ虫が苦手なんですよ。蝶が飛んでいても逃げますからね」
「……へぇ」

 長年近くにいたが知らなかった。……オーウェンは知っていたようだったが。

 まぁ、いいか。

 こいつらの妹から受けた精神的苦痛に対する保障として、我らがキングの晩酌のご相伴に預かる権利を要求させてもらうことにした。



「さすが我らがキングはいいもの飲んでんな」
「おう。キングのいいとこなんざ、これくらいなもんだからな」

 ゼンは早々に自室へと戻り、二人きりになる。
 わずかに訪れた静寂を破ったのは、ルーファスだ。

「レグは、エルザに気持ちを伝えないのか?」

 グビリとグラスを煽ったと同時に言われたせいで、酒が気管に入った。
 一人で咽せる俺を、ルーファスが面白げに見ていて腹立たしい。

「……それを、お前が言うのかよ」
「俺以外の誰が言うんだよ。というか、こっちの身にもなってみろ。他クラスの話したこともない奴が、いきなり親友ともう話すなって言いにきたんだぞ? 腹も立つだろ」

 マドラーでピシリと指され、言葉に詰まる。
 しかも目の前の男は「おまけに」と続けた。

「お前、あの時はエルザのこと好きでもなんでもなかっただろ」
「……悪かったよ」

 いつから見抜かれていたのか。
 目の前でニヤけているであろう男の顔を見ることは出来ない。



 当時の俺は中途半端にモテていて、そのせいで自分がどこか優れた人間のように感じていた。
 だから、俺よりもモテるルーファス達が目障りで、こいつらの女を取ってやると、ある種挑戦のような気持ちで喧嘩を売ったんだ。

 その結果がこの様だ。

 俺に勝ったルーファスは女共からキャアキャア言われ、それを見ていたエルザに話しかけられて、蜘蛛の巣に絡め取られたみたいに惚れてしまった。

 この様だ、が。
 ふうと息を漏らして目の前の男に視線を合わせる。

「男に二言はねーよってカッコつけてもいいけどな。残念だが、俺は勝てない戦はしない主義なんで」
「確かにお前、しばらく俺と手合わせしてねぇもんな。今ならお前の方が強いと思うぞ」
「ああ、デスクワークばっかじゃ鈍りそうだな」

 それでもこの男に勝てる気はしないが、そもそも戦う相手が違う。

「……オーウェンと俺なら、どっちが強いかね」
「オーウェン?」

 どうして急に5の話になるのかと、問いかける目に笑ってしまう。

「ま、俺の圧勝だよな」
「じゃ、ねぇか? そもそもあいつ戦えんのか?」

 酒を呷ることで返事にした。

 そういや、こいつはエルザの変化に気付いているのかね、と口を開きかけ、やめた。

「んじゃあ、そろそろ帰るわ。ごちそーさん」
「なんだよ、早いな。まだ付き合えよ」

 手をひらひらと振り、部屋を後にした。



 いい気分で廊下を歩いていると、正面から男が歩いてくる。

「よう、オーウェン。ルーファスに用か?」
「こんばんは。ええ、戻るのが遅れまして」

 挨拶を返す男の敵意は、以前よりは薄れている。同じ死線を生き抜いた同志だからか。

「そうかい。もう呑んでるから明日にしちゃどうだ」
「ひと足遅かったか……そうします。それでは」

 頭を下げて言うオーウェンに「そういや」と言葉が滑り出た。

「エルザも可愛いとこがあるもんだな。虫が苦手なんて。あんな取り乱す姿は初めて見たわ」

 言われた男は一瞬で顔を険しく歪め。

「あの人のあれはいつものことだ。やれ書類を失くしただ、会議の時間を勘違いするわ。印を上下逆さまに押して出してきたこともある。あの人の『助けて!』が夢に出てきた日にはもう……悪夢だ、悪夢。……ま、まぁ、そういうところも、か、可愛い、とは思う、が……」

 ぼそぼそと言われた最後の言葉には、腹を抱えて笑った。

 なぁ、オーウェン。
 エルザが。昔から美人で格好いいあの女が。
 可愛いのは、お前の前でだけなんだって。
 保護者共が勘付く前に、いい加減気付けよ。

「この、幸せもんが!」
「……嫌味か!」

 これが嫌味になるのだから、こいつらはなんとも前途多難だと思う。

 けどまぁ、あいつらよりは、こいつの味方でいてやるか。
 初恋を潰された仕返しだ。
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