91 / 206
第一章
91番外編 あの男と残りの七人
しおりを挟む
あの流れではどれだけ堅い女でも間違いなくついていくだろう。
偶然であっても鬱陶しい男からは逃げられるし、故意であるなら水をかけた男は助けてくれたことになる。
ただしこれは二人組でナンパを成功させる常套手段でもあるが。
女を諦めきれない振りをして二人を追いかけた。
エルザの腰にさりげなく手を添えたピエロ男は彼女をエスコートして二階へと上がっていく。
見つからないように気を付けて後を追い、部屋に入ったのを確認して、周りに人がいなくなってから扉に近付き耳を当てた。
音がしない。
会話していないということはないだろうから、扉が厚いのかもしれない。
エルザのことだから相手が妙な動きをすればすぐに取り押さえるだろうが、うっかり酒を飲んで寝こける可能性は十分ある。
部屋を間違えた振りをして扉を開けた。
目に入ったのは床に突っ伏す男の姿だ。
もう張り倒されたのか、と思った瞬間に視界がぐらりと歪んだ。
「……っ!?」
慌てて扉を閉めて離れる。
すぐに視界は元に戻ったものの、内心に抑えきれない焦燥が湧き上がった。
倒れていたのは紛れもなくエルザを連れ出した男だ。部屋の中に怪しいものも臭いもなかったが、これは。
すぐに息を止めて部屋に入り、中を探すもエルザは見当たらない。仕方なく倒れている男を引きずって部屋から出した。
「っおい起きろ! 連れ出した女はどこだ!!」
意識が朦朧としている男を遠慮なく殴りつけて問いただすが、男はぼそりぼそりと脈略のないことを呟く。
「金は」
「つれてきたのに」
思わず舌打ちして近くの扉を片っ端から開くもエルザはいない。
被害者の証言に統一性がないとはこのことだったのか。
女に声をかけるのと犯人は別の人間だ。
「くそっ……エルザ……っ!」
わずかに逡巡し、会場にとって返した。
会場について不審に思われない速度で歩き、ルーファスに近付く。
「お兄さんをちょっと借りるよ」
笑顔になっているか不安だが囲む女共からルーファスを引っ張り出して端に連れ出す。
「どうし」
「エルザの現在地はどこだ!?」
一瞬で顔を険しくしたルーファスは何かを言いかけて止め、目を閉じた。
「二階、南側。階段手前から二つか三つ目の部屋だ」
聞いてすぐに走り出した。周りのことなどどうでもいい。
彼女の髪の一房でも触れられていたらと思うと腹わたが煮えくりかえった。
扉の鍵がかかっているなら魔法で強引に押し入ってやると考えていたが、杞憂だった。
着いてみればすでに扉はへしゃげていて、扉の意味をなしていなかった。
中を覗けば目を閉じる白いドレスの女を、給仕姿の男が横抱きにしてソファに寝かせている。
「……補佐殿……なんで……」
「あなたが慌てて会場に戻ってきたので」
「だからって……」
なんでルーファスに聞いた俺より先にたどり着けるんだ。
……もしかしてこいつ、エルザに鈴をつけてるのか?
補佐ならあり得なくはないか、と考えてエルザの言葉を思い出した。
『どうしてここにいるってわかったの?』
エルザは鈴をつけられていることを知らない。
「犯罪じゃねーの。それ」
エルザが無事だったことにほっと息をついて、軽口が零れだす。
そんな俺を補佐は射抜くように睨みつけた。
「許可は頂いています。徒労であれば良かったのですがね。……まさかここまで、お前が無能だとは思わなくてな」
刺し殺されそうなほどの、鋭い殺気の篭もった目を向けられてたじろぐ。
この誹りは受け入れなければならない。
「……悪かった」
「私に謝るのは筋違いでは。謝罪はキングとクイーンへどうぞ。お呼びしてきます」
扉前で立ち尽くす俺の横を通り際「すぐに押し入ったので、ご安心を」と言い、補佐は会場に向かっていった。
俺へのフォローも忘れないのか。
優秀すぎて涙が出るな。
エルザが眠るソファの肘掛に腰を下ろして息を吐いた。どっと疲れた。もうこんな役目はごめんだな。
小さく声を漏らしてエルザが目を覚ました。
緩慢な動きで体を起こし、部屋を見渡したエルザは体をびくりと震わせた。
その顔が見る間に血の気が引いていき、慌てて声をかける。
「エルザ、落ち着け」
「えっ……あ……わた、し……?」
俺は長く近くにいたくせに、この女のことをちゃんと理解していなかったのかもしれない。
いつも頼りになる強くて凛とした女性。
俺はこの、目の前で小さく震える女をずっとそう思ってきた。
「大丈夫だ。補佐殿がすぐに助けてくれたから、何もされてない」
「……オーウェン、が?」
補佐殿の名前を呼んだ途端に震えは収まり、荒くなった息も落ち着き始めた。
「ああ。俺は役に立たなかった。怖い思いをさせて、ごめんな」
「……そんなこと、ないわ。あなたのお陰で作戦がうまくいったんだから、気にしないで」
それも補佐の指示だ。俺は本当に何もできなかった。
「そういえば声をかけてくる男共を軒並み振ってたが、あれもまさか補佐殿の指示か?」
何か気を逸らせればと先ほど気になった疑問を問えば、やはりエルザは頷いた。
「ええ。調べたら今までの被害者も男性からの誘いは全て断っていたんですって。それも共通点だから、遠慮なく振っていいって言われたの」
「そうか。本当に、あの補佐殿に出来ないことはないな」
ため息混じりに言えば、エルザはまるで自分が褒められたかのように嬉しそうに笑った。
「でしょう? ゼンには宝の持ち腐れって言われてる。失礼よね」
「間違っちゃいねーな」
「あら、酷いわ。本人には言わないでね? 辞めるなんて言われたらさみしいもの」
さみしい、な。
「お前、補佐殿のこと、大好きだな」
頬を染めもせずに「当たり前でしょう」と答える彼女に降参の意味を込めて両手を上げてみせた。
意味のわからないらしいエルザは首を傾げているが、説明するつもりはない。
偶然であっても鬱陶しい男からは逃げられるし、故意であるなら水をかけた男は助けてくれたことになる。
ただしこれは二人組でナンパを成功させる常套手段でもあるが。
女を諦めきれない振りをして二人を追いかけた。
エルザの腰にさりげなく手を添えたピエロ男は彼女をエスコートして二階へと上がっていく。
見つからないように気を付けて後を追い、部屋に入ったのを確認して、周りに人がいなくなってから扉に近付き耳を当てた。
音がしない。
会話していないということはないだろうから、扉が厚いのかもしれない。
エルザのことだから相手が妙な動きをすればすぐに取り押さえるだろうが、うっかり酒を飲んで寝こける可能性は十分ある。
部屋を間違えた振りをして扉を開けた。
目に入ったのは床に突っ伏す男の姿だ。
もう張り倒されたのか、と思った瞬間に視界がぐらりと歪んだ。
「……っ!?」
慌てて扉を閉めて離れる。
すぐに視界は元に戻ったものの、内心に抑えきれない焦燥が湧き上がった。
倒れていたのは紛れもなくエルザを連れ出した男だ。部屋の中に怪しいものも臭いもなかったが、これは。
すぐに息を止めて部屋に入り、中を探すもエルザは見当たらない。仕方なく倒れている男を引きずって部屋から出した。
「っおい起きろ! 連れ出した女はどこだ!!」
意識が朦朧としている男を遠慮なく殴りつけて問いただすが、男はぼそりぼそりと脈略のないことを呟く。
「金は」
「つれてきたのに」
思わず舌打ちして近くの扉を片っ端から開くもエルザはいない。
被害者の証言に統一性がないとはこのことだったのか。
女に声をかけるのと犯人は別の人間だ。
「くそっ……エルザ……っ!」
わずかに逡巡し、会場にとって返した。
会場について不審に思われない速度で歩き、ルーファスに近付く。
「お兄さんをちょっと借りるよ」
笑顔になっているか不安だが囲む女共からルーファスを引っ張り出して端に連れ出す。
「どうし」
「エルザの現在地はどこだ!?」
一瞬で顔を険しくしたルーファスは何かを言いかけて止め、目を閉じた。
「二階、南側。階段手前から二つか三つ目の部屋だ」
聞いてすぐに走り出した。周りのことなどどうでもいい。
彼女の髪の一房でも触れられていたらと思うと腹わたが煮えくりかえった。
扉の鍵がかかっているなら魔法で強引に押し入ってやると考えていたが、杞憂だった。
着いてみればすでに扉はへしゃげていて、扉の意味をなしていなかった。
中を覗けば目を閉じる白いドレスの女を、給仕姿の男が横抱きにしてソファに寝かせている。
「……補佐殿……なんで……」
「あなたが慌てて会場に戻ってきたので」
「だからって……」
なんでルーファスに聞いた俺より先にたどり着けるんだ。
……もしかしてこいつ、エルザに鈴をつけてるのか?
補佐ならあり得なくはないか、と考えてエルザの言葉を思い出した。
『どうしてここにいるってわかったの?』
エルザは鈴をつけられていることを知らない。
「犯罪じゃねーの。それ」
エルザが無事だったことにほっと息をついて、軽口が零れだす。
そんな俺を補佐は射抜くように睨みつけた。
「許可は頂いています。徒労であれば良かったのですがね。……まさかここまで、お前が無能だとは思わなくてな」
刺し殺されそうなほどの、鋭い殺気の篭もった目を向けられてたじろぐ。
この誹りは受け入れなければならない。
「……悪かった」
「私に謝るのは筋違いでは。謝罪はキングとクイーンへどうぞ。お呼びしてきます」
扉前で立ち尽くす俺の横を通り際「すぐに押し入ったので、ご安心を」と言い、補佐は会場に向かっていった。
俺へのフォローも忘れないのか。
優秀すぎて涙が出るな。
エルザが眠るソファの肘掛に腰を下ろして息を吐いた。どっと疲れた。もうこんな役目はごめんだな。
小さく声を漏らしてエルザが目を覚ました。
緩慢な動きで体を起こし、部屋を見渡したエルザは体をびくりと震わせた。
その顔が見る間に血の気が引いていき、慌てて声をかける。
「エルザ、落ち着け」
「えっ……あ……わた、し……?」
俺は長く近くにいたくせに、この女のことをちゃんと理解していなかったのかもしれない。
いつも頼りになる強くて凛とした女性。
俺はこの、目の前で小さく震える女をずっとそう思ってきた。
「大丈夫だ。補佐殿がすぐに助けてくれたから、何もされてない」
「……オーウェン、が?」
補佐殿の名前を呼んだ途端に震えは収まり、荒くなった息も落ち着き始めた。
「ああ。俺は役に立たなかった。怖い思いをさせて、ごめんな」
「……そんなこと、ないわ。あなたのお陰で作戦がうまくいったんだから、気にしないで」
それも補佐の指示だ。俺は本当に何もできなかった。
「そういえば声をかけてくる男共を軒並み振ってたが、あれもまさか補佐殿の指示か?」
何か気を逸らせればと先ほど気になった疑問を問えば、やはりエルザは頷いた。
「ええ。調べたら今までの被害者も男性からの誘いは全て断っていたんですって。それも共通点だから、遠慮なく振っていいって言われたの」
「そうか。本当に、あの補佐殿に出来ないことはないな」
ため息混じりに言えば、エルザはまるで自分が褒められたかのように嬉しそうに笑った。
「でしょう? ゼンには宝の持ち腐れって言われてる。失礼よね」
「間違っちゃいねーな」
「あら、酷いわ。本人には言わないでね? 辞めるなんて言われたらさみしいもの」
さみしい、な。
「お前、補佐殿のこと、大好きだな」
頬を染めもせずに「当たり前でしょう」と答える彼女に降参の意味を込めて両手を上げてみせた。
意味のわからないらしいエルザは首を傾げているが、説明するつもりはない。
0
お気に入りに追加
1,161
あなたにおすすめの小説

誰からも愛されない悪役令嬢に転生したので、自由気ままに生きていきたいと思います。
木山楽斗
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢であるエルファリナに転生した私は、彼女のその境遇に対して深い悲しみを覚えていた。
彼女は、家族からも婚約者からも愛されていない。それどころか、その存在を疎まれているのだ。
こんな環境なら歪んでも仕方ない。そう思う程に、彼女の境遇は悲惨だったのである。
だが、彼女のように歪んでしまえば、ゲームと同じように罪を暴かれて牢屋に行くだけだ。
そのため、私は心を強く持つしかなかった。悲惨な結末を迎えないためにも、どんなに不当な扱いをされても、耐え抜くしかなかったのである。
そんな私に、解放される日がやって来た。
それは、ゲームの始まりである魔法学園入学の日だ。
全寮制の学園には、歪な家族は存在しない。
私は、自由を得たのである。
その自由を謳歌しながら、私は思っていた。
悲惨な境遇から必ず抜け出し、自由気ままに生きるのだと。

雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜
川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。
前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。
恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。
だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。
そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。
「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」
レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。
実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。
女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。
過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。
二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。
白い結婚三年目。つまり離縁できるまで、あと七日ですわ旦那様。
あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
異世界に転生したフランカは公爵夫人として暮らしてきたが、前世から叶えたい夢があった。パティシエールになる。その夢を叶えようと夫である王国財務総括大臣ドミニクに相談するも答えはノー。夫婦らしい交流も、信頼もない中、三年の月日が近づき──フランカは賭に出る。白い結婚三年目で離縁できる条件を満たしていると迫り、夢を叶えられないのなら離縁すると宣言。そこから公爵家一同でフランカに考え直すように動き、ドミニクと話し合いの機会を得るのだがこの夫、山のように隠し事はあった。
無言で睨む夫だが、心の中は──。
【詰んだああああああああああ! もうチェックメイトじゃないか!? 情状酌量の余地はないと!? ああ、どうにかして侍女の準備を阻まなければ! いやそれでは根本的な解決にならない! だいたいなぜ後妻? そんな者はいないのに……。ど、どどどどどうしよう。いなくなるって聞いただけで悲しい。死にたい……うう】
4万文字ぐらいの中編になります。
※小説なろう、エブリスタに記載してます

【完結】断罪された悪役令嬢は、全てを捨てる事にした
miniko
恋愛
悪役令嬢に生まれ変わったのだと気付いた時、私は既に王太子の婚約者になった後だった。
婚約回避は手遅れだったが、思いの外、彼と円満な関係を築く。
(ゲーム通りになるとは限らないのかも)
・・・とか思ってたら、学園入学後に状況は激変。
周囲に疎まれる様になり、まんまと卒業パーティーで断罪&婚約破棄のテンプレ展開。
馬鹿馬鹿しい。こんな国、こっちから捨ててやろう。
冤罪を晴らして、意気揚々と単身で出国しようとするのだが、ある人物に捕まって・・・。
強制力と言う名の運命に翻弄される私は、幸せになれるのか!?
※感想欄はネタバレあり/なし の振り分けをしていません。本編より先にお読みになる場合はご注意ください。

婚約破棄をいたしましょう。
見丘ユタ
恋愛
悪役令嬢である侯爵令嬢、コーデリアに転生したと気づいた主人公は、卒業パーティーの婚約破棄を回避するために奔走する。
しかし無慈悲にも卒業パーティーの最中、婚約者の王太子、テリーに呼び出されてしまうのだった。

好きでした、さようなら
豆狸
恋愛
「……すまない」
初夜の床で、彼は言いました。
「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」
悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。
なろう様でも公開中です。

【完結】もう辛い片想いは卒業して結婚相手を探そうと思います
ユユ
恋愛
大家族で大富豪の伯爵家に産まれた令嬢には
好きな人がいた。
彼からすれば誰にでも向ける微笑みだったが
令嬢はそれで恋に落ちてしまった。
だけど彼は私を利用するだけで
振り向いてはくれない。
ある日、薬の過剰摂取をして
彼から離れようとした令嬢の話。
* 完結保証付き
* 3万文字未満
* 暇つぶしにご利用下さい

公爵令嬢は、どう考えても悪役の器じゃないようです。
三歩ミチ
恋愛
*本編は完結しました*
公爵令嬢のキャサリンは、婚約者であるベイル王子から、婚約破棄を言い渡された。その瞬間、「この世界はゲームだ」という認識が流れ込んでくる。そして私は「悪役」らしい。ところがどう考えても悪役らしいことはしていないし、そんなことができる器じゃない。
どうやら破滅は回避したし、ゲームのストーリーも終わっちゃったようだから、あとはまわりのみんなを幸せにしたい!……そこへ攻略対象達や、不遇なヒロインも絡んでくる始末。博愛主義の「悪役令嬢」が奮闘します。
※小説家になろう様で連載しています。バックアップを兼ねて、こちらでも投稿しています。
※以前打ち切ったものを、初めから改稿し、完結させました。73以降、展開が大きく変わっています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる