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第一章
38 補佐のプロローグ
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「ジュノ様、補佐様。お疲れ様でございました」
無事に城に着き、馬車から降りると、すっかり気を取り直したエルザ殿が微笑んでいた。
「うん、ありがとうね、エルザ。ちゃんと頬は冷やすんだよ」
「ええ。おじいちゃんこそ、腰はちゃんとマッサージしないと明日辛いわよ」
そっとジュノ様の腰に手を添えて言うと、エルザ殿が「あっ、まずい」と小声で漏らした。
そして「それでは私はこれで失礼いたします」と慌てて言い、小走りに去っていってしまった。
どうしたのだろうと疑問に思い、助けていただいた礼を伝えてないことに気が付いてジュノ様に断って後を追いかけた。
もう少し彼女と話をしたいという下心もあった。
しかし中庭をしばらく進んでも彼女は見つからない。
「なんだよ。この傷」
どこかで道が分かれていたのかと戻ろうとした時、声が聞こえた。口調は違うがこの声は……。
「大した怪我ではございませんから、キングに気遣っていただくほどのことでは」
「やめろよその口調。喧嘩したのはゼンとだろ。俺関係ねぇし」
「……そうだったわね」
思わず物陰に身を潜めて覗き込めば、予想通りキングとエルザ殿がいた。
キングの手のひらはエルザ殿の腫れた頬に添えられている。
「……ったく、これ跡残んないだろうな」
「大丈夫でしょう。明日にはすっかり引いてるわ。あなたと喧嘩した時の方がよっぽどひどかったわよ」
「俺だけが悪いように言うなよ。あの時は俺だってしばらく痣だらけになってたんだぞ」
人目をはばかるためか小声で身を寄せ合い話す二人の纏う空気は濃厚で、完成されていた。
喧嘩しているような言葉の応酬ながら、声の調子は軽く、時々笑いが漏れる。
ああ、良かったと、そう思った。
芽生えたこの気持ちが育つ前で。
今ならまだ憧れで済ませられる程度のものだ。
あの二人の間に割って入るなど、考えることすら愚かしい。
「そういえば補佐のあいつ、どうだった?」
補佐という言葉にびくりと肩が跳ねた。
「ああ……」
心臓が痛いほど脈打つ。
「素敵な人ね。ちょっと真面目すぎるけど」
「そうか。お前がそう言うなら進めるかな。5にする話」
「無理に進めたら可哀想よ。嫌がってたらやめてあげて」
「そこはまぁ説得すれば。それに、なんで俺がって顔はしてたが嫌がってはなかったぞ」
バレていたのかと少し可笑しく思った。
「それならいいけど……そろそろ執務室に着いてる頃じゃない? 早く行ってあげなさいよ」
「そうだな。それ、ちゃんと冷やせよ。夜に見に行くから」
「はいはい、それじゃあね」
コツコツと歩く音が近付いて焦る。ここを曲がれば俺の姿は丸見えだ。
角から覗いたのは赤ではなく空色だった。
俺の姿に一瞬目を見開いた彼女だったが、そっと後ろを伺うと唇に人差し指を当て、イタズラっぽく微笑んだ。
そのまま去っていく後ろ姿に腰が抜ける。
とんでもない人だと、思った。
「報告は以上です」
あの後大急ぎでキングの執務室に向かえば、何事もなかったようにキングは椅子に座り、俺を出迎えた。
「そうか。まぁ船賃に関しては問題ない。上手くやってくれて助かったよ」
「ありがとうございます」
「で、だ」
ぐいと前のめりになりながらキングは「5に就く件は考えてくれたかな?」と期待のこもった眼差しで聞いてきた。
嫌だと言ってもさせる気なくせにと少し可笑しく思う。
しかし落ち着いて考えてみれば、答えはすでに出ていた。
「はい。精一杯務めさせていただきたく存じます」
あの人はいずれきっとただの部隊長ではなくなるだろう。
それなら俺も、彼女と同じ場所に立ちたい。
そういえば彼女は言っていたなと思い出した。
『位持ちにならないならキングとクイーンのことを名前で呼ぶのも気安く話すのも禁止するって言われて喧嘩中なんです』
「……護衛のエルザ殿と、キングやクイーンは親しくていらっしゃるんですね。名前でお呼びになられてましたよ」
にっこり笑ってそう言えば、キングが吹き出した口元を隠し、側に控えていたクイーンがこっそりとガッツポーズしていた。
逃げ場をなくした彼女を精々追い立ててほしい。
「いい拾い物をしたもんだ」
俺の意図に気付いたらしいキングがニヤリと笑ってそう言った。
そのわずかひと月後、ジュノ様は退位を宣言し、俺はスペードの5を継いだ。
ごねにごねられ長らく空席だった10が決まるのは、それからなんと一年も後になる。
無事に城に着き、馬車から降りると、すっかり気を取り直したエルザ殿が微笑んでいた。
「うん、ありがとうね、エルザ。ちゃんと頬は冷やすんだよ」
「ええ。おじいちゃんこそ、腰はちゃんとマッサージしないと明日辛いわよ」
そっとジュノ様の腰に手を添えて言うと、エルザ殿が「あっ、まずい」と小声で漏らした。
そして「それでは私はこれで失礼いたします」と慌てて言い、小走りに去っていってしまった。
どうしたのだろうと疑問に思い、助けていただいた礼を伝えてないことに気が付いてジュノ様に断って後を追いかけた。
もう少し彼女と話をしたいという下心もあった。
しかし中庭をしばらく進んでも彼女は見つからない。
「なんだよ。この傷」
どこかで道が分かれていたのかと戻ろうとした時、声が聞こえた。口調は違うがこの声は……。
「大した怪我ではございませんから、キングに気遣っていただくほどのことでは」
「やめろよその口調。喧嘩したのはゼンとだろ。俺関係ねぇし」
「……そうだったわね」
思わず物陰に身を潜めて覗き込めば、予想通りキングとエルザ殿がいた。
キングの手のひらはエルザ殿の腫れた頬に添えられている。
「……ったく、これ跡残んないだろうな」
「大丈夫でしょう。明日にはすっかり引いてるわ。あなたと喧嘩した時の方がよっぽどひどかったわよ」
「俺だけが悪いように言うなよ。あの時は俺だってしばらく痣だらけになってたんだぞ」
人目をはばかるためか小声で身を寄せ合い話す二人の纏う空気は濃厚で、完成されていた。
喧嘩しているような言葉の応酬ながら、声の調子は軽く、時々笑いが漏れる。
ああ、良かったと、そう思った。
芽生えたこの気持ちが育つ前で。
今ならまだ憧れで済ませられる程度のものだ。
あの二人の間に割って入るなど、考えることすら愚かしい。
「そういえば補佐のあいつ、どうだった?」
補佐という言葉にびくりと肩が跳ねた。
「ああ……」
心臓が痛いほど脈打つ。
「素敵な人ね。ちょっと真面目すぎるけど」
「そうか。お前がそう言うなら進めるかな。5にする話」
「無理に進めたら可哀想よ。嫌がってたらやめてあげて」
「そこはまぁ説得すれば。それに、なんで俺がって顔はしてたが嫌がってはなかったぞ」
バレていたのかと少し可笑しく思った。
「それならいいけど……そろそろ執務室に着いてる頃じゃない? 早く行ってあげなさいよ」
「そうだな。それ、ちゃんと冷やせよ。夜に見に行くから」
「はいはい、それじゃあね」
コツコツと歩く音が近付いて焦る。ここを曲がれば俺の姿は丸見えだ。
角から覗いたのは赤ではなく空色だった。
俺の姿に一瞬目を見開いた彼女だったが、そっと後ろを伺うと唇に人差し指を当て、イタズラっぽく微笑んだ。
そのまま去っていく後ろ姿に腰が抜ける。
とんでもない人だと、思った。
「報告は以上です」
あの後大急ぎでキングの執務室に向かえば、何事もなかったようにキングは椅子に座り、俺を出迎えた。
「そうか。まぁ船賃に関しては問題ない。上手くやってくれて助かったよ」
「ありがとうございます」
「で、だ」
ぐいと前のめりになりながらキングは「5に就く件は考えてくれたかな?」と期待のこもった眼差しで聞いてきた。
嫌だと言ってもさせる気なくせにと少し可笑しく思う。
しかし落ち着いて考えてみれば、答えはすでに出ていた。
「はい。精一杯務めさせていただきたく存じます」
あの人はいずれきっとただの部隊長ではなくなるだろう。
それなら俺も、彼女と同じ場所に立ちたい。
そういえば彼女は言っていたなと思い出した。
『位持ちにならないならキングとクイーンのことを名前で呼ぶのも気安く話すのも禁止するって言われて喧嘩中なんです』
「……護衛のエルザ殿と、キングやクイーンは親しくていらっしゃるんですね。名前でお呼びになられてましたよ」
にっこり笑ってそう言えば、キングが吹き出した口元を隠し、側に控えていたクイーンがこっそりとガッツポーズしていた。
逃げ場をなくした彼女を精々追い立ててほしい。
「いい拾い物をしたもんだ」
俺の意図に気付いたらしいキングがニヤリと笑ってそう言った。
そのわずかひと月後、ジュノ様は退位を宣言し、俺はスペードの5を継いだ。
ごねにごねられ長らく空席だった10が決まるのは、それからなんと一年も後になる。
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