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第一章
32 補佐のプロローグ
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城の廊下を歩いていると、一人の侍女に声をかけられた。
以前男に絡まれていたところをエルザ殿に助けられて以来、よく話すようになった侍女だ。
エルザ殿に憧れている彼女はクールな質なのか話していても落ち着いた印象だったが、今日はいささか興奮した様子で「今度の舞踏会で、エルザ様がエメラルドのネックレスを着けて行かれるんですよ」と耳打ちしてきた。
それを聞いた俺は「あの方ならエメラルドは当然ですが、ガーネットやサファイアもよくお似合いになるでしょうね」と答えた。
答えを聞いた侍女の何とも言えない表情をその時は不思議に思ったが、いざ舞踏会で目にしてみればひどく狼狽した。
顔や腕は日焼けしているものの、普段は隠されている白い首筋から胸元までを昂然と輝くエメラルドが飾っている。
瞬時にあの方の知り合いに該当する人を探したが、一人しか思い当たらずにまた内心慌てた。
しかしそれと同時に頭を振った。今までの経験から、あの人のことはそれなりにわかっているつもりだ。そんな可愛らしいことを考えるものか。
そうして頭の隅に動揺を追いやって、いつも通り離れていた。
あの方の近くにはいつもキングやクイーンがぴったりと付いていたし、たまには他国の方とも親しげに微笑みあっているのを見ていた。今もハートのクイーンと親しげに顔を寄せ合い、笑みを浮かべていてホッと安堵する。
先日の取り乱した様子には驚き、心配もしたが、人に話して気持ちが落ち着いたのか翌日からはいつも通りの彼女に戻っていた。
余裕ある笑顔も楽しげな笑顔も、あの人のそれはいつも暖かい気持ちにさせてくれる。
ぼうっと彼女を眺めていたらワルツが流れ出して一人の令嬢に声をかけられた。
それはダンスの申し込みだったが、受けることに躊躇していたらお話だけでもと気を利かせてくれた。話していても穏やかな女性で、自然と会話も弾んだ。
いずれ俺も相手を見つけて結婚するのだろうと漠然と考えてはいるが、今はどうしてもその気になれない。まだ仕事が落ち着かないことを理由に遠ざけているが、キングが成婚されればそのまま位持ち達は次々に結婚していくだろう。今までがそうだったし、俺もそのつもりだ。
あの方の幸せを見届ければ――。
ふと顔を上げるとエルザ殿がこちらをじっと見つめていて驚いた。
なぜ一人で? それもよりにもよって今日のこの舞踏会で。
今日の舞踏会は婚約者のいない未婚の男女が集められている。
普段よりも異性に声をかけやすい環境だ。だから女性も積極的に声をかけてきている。
混乱する頭を正気に戻したのは彼女の後ろに迫る見知らぬ男だ。彼女のむき出しの肌を品定めするように見つめていて頭が沸騰したように熱くなった。
令嬢に断り急ぎ足で近づくと、エルザ殿が今にも泣き出しそうな表情をしていることに気が付いた。
いったい何が、と中央に目を向ければそこには精悍な顔付きの我が国のキングと客人が手を取り踊っている。
そういうことかと舌打ちしそうになった。彼女とて彼らの間に何もないことは知っているだろうに、それでも抑えることの出来ない気持ちというのはよくわかる。……他ならぬこの人のお陰で。
見知らぬ男の手が彼女の肌に触れる寸前、ぐいと抱き寄せると同時に男を睨みつけた。
この人は、お前が触れていい人ではない。
※
「私を5の補佐に、ですか?」
突然の呼び出しに些か怯えていた俺は、初めて拝謁したキングにオウム返しに言った。
「ああ、この書類は君が作成したものだとクイーンから聞いている。他と比べて現地の様子もよくわかるし、最後に追記された君の考えには私も同意見だ。これを踏まえてこちらの問題は5に任せることで調整しているのだが、君にはそのまま彼の補佐についてもらいたいと考えている。どうかな?」
どうかなと言われても、というのが正直な感想だった。
キングが代替わりすればクイーン、ジャックと次々にキングからの信頼も厚い方に代替わりするのはどの国も共通のことで、継ぐ前には前任者の補佐につくことがほとんどだ。
つまりこの若いキングは、俺を次の5にすると言っている、らしい。
スペードの国の出身ではない上に会話したこともない、ただの一事務官の俺をだ。
「そちらに関しましては偶然近くを通る用がありましたので、現地の村人に意見を聞くことが出来たにすぎません。その都度現地に赴くことは現実的ではありませんので、その他の書類は推測で報告したものがほとんどでございますが……」
「確かにその通りだ。ただ君は以前にも別の案件を任された際には侍従や一般兵に現地出身の者がいないか、兵舎を走り回っていたそうじゃないか。先代のキングから折を見て手懐……気を配っておけと言われていてな。それで声をかけた」
思わず言葉に詰まった。
その頃は、故郷から逃げるようにこちらに移ってきたばかりで、これまでの努力を取り戻さなければと奮起していた時期だった。躍起になっていたといってもいい。
それゆえの青臭い行動だったと反省していたのに、よりにもよって先代のキングに見られていたとは。
というか、手懐けてと言いかけたか?
「まぁ、とにかくだ。この問題に最も詳しいのは君だからな。これに関しては5のジュノに従ってもらいたい。補佐の話はまた戻ってから話そうか」
なおも食い下がろうとするも、キングの有無を言わせぬ締めくくりで部屋から追い出された。
以前男に絡まれていたところをエルザ殿に助けられて以来、よく話すようになった侍女だ。
エルザ殿に憧れている彼女はクールな質なのか話していても落ち着いた印象だったが、今日はいささか興奮した様子で「今度の舞踏会で、エルザ様がエメラルドのネックレスを着けて行かれるんですよ」と耳打ちしてきた。
それを聞いた俺は「あの方ならエメラルドは当然ですが、ガーネットやサファイアもよくお似合いになるでしょうね」と答えた。
答えを聞いた侍女の何とも言えない表情をその時は不思議に思ったが、いざ舞踏会で目にしてみればひどく狼狽した。
顔や腕は日焼けしているものの、普段は隠されている白い首筋から胸元までを昂然と輝くエメラルドが飾っている。
瞬時にあの方の知り合いに該当する人を探したが、一人しか思い当たらずにまた内心慌てた。
しかしそれと同時に頭を振った。今までの経験から、あの人のことはそれなりにわかっているつもりだ。そんな可愛らしいことを考えるものか。
そうして頭の隅に動揺を追いやって、いつも通り離れていた。
あの方の近くにはいつもキングやクイーンがぴったりと付いていたし、たまには他国の方とも親しげに微笑みあっているのを見ていた。今もハートのクイーンと親しげに顔を寄せ合い、笑みを浮かべていてホッと安堵する。
先日の取り乱した様子には驚き、心配もしたが、人に話して気持ちが落ち着いたのか翌日からはいつも通りの彼女に戻っていた。
余裕ある笑顔も楽しげな笑顔も、あの人のそれはいつも暖かい気持ちにさせてくれる。
ぼうっと彼女を眺めていたらワルツが流れ出して一人の令嬢に声をかけられた。
それはダンスの申し込みだったが、受けることに躊躇していたらお話だけでもと気を利かせてくれた。話していても穏やかな女性で、自然と会話も弾んだ。
いずれ俺も相手を見つけて結婚するのだろうと漠然と考えてはいるが、今はどうしてもその気になれない。まだ仕事が落ち着かないことを理由に遠ざけているが、キングが成婚されればそのまま位持ち達は次々に結婚していくだろう。今までがそうだったし、俺もそのつもりだ。
あの方の幸せを見届ければ――。
ふと顔を上げるとエルザ殿がこちらをじっと見つめていて驚いた。
なぜ一人で? それもよりにもよって今日のこの舞踏会で。
今日の舞踏会は婚約者のいない未婚の男女が集められている。
普段よりも異性に声をかけやすい環境だ。だから女性も積極的に声をかけてきている。
混乱する頭を正気に戻したのは彼女の後ろに迫る見知らぬ男だ。彼女のむき出しの肌を品定めするように見つめていて頭が沸騰したように熱くなった。
令嬢に断り急ぎ足で近づくと、エルザ殿が今にも泣き出しそうな表情をしていることに気が付いた。
いったい何が、と中央に目を向ければそこには精悍な顔付きの我が国のキングと客人が手を取り踊っている。
そういうことかと舌打ちしそうになった。彼女とて彼らの間に何もないことは知っているだろうに、それでも抑えることの出来ない気持ちというのはよくわかる。……他ならぬこの人のお陰で。
見知らぬ男の手が彼女の肌に触れる寸前、ぐいと抱き寄せると同時に男を睨みつけた。
この人は、お前が触れていい人ではない。
※
「私を5の補佐に、ですか?」
突然の呼び出しに些か怯えていた俺は、初めて拝謁したキングにオウム返しに言った。
「ああ、この書類は君が作成したものだとクイーンから聞いている。他と比べて現地の様子もよくわかるし、最後に追記された君の考えには私も同意見だ。これを踏まえてこちらの問題は5に任せることで調整しているのだが、君にはそのまま彼の補佐についてもらいたいと考えている。どうかな?」
どうかなと言われても、というのが正直な感想だった。
キングが代替わりすればクイーン、ジャックと次々にキングからの信頼も厚い方に代替わりするのはどの国も共通のことで、継ぐ前には前任者の補佐につくことがほとんどだ。
つまりこの若いキングは、俺を次の5にすると言っている、らしい。
スペードの国の出身ではない上に会話したこともない、ただの一事務官の俺をだ。
「そちらに関しましては偶然近くを通る用がありましたので、現地の村人に意見を聞くことが出来たにすぎません。その都度現地に赴くことは現実的ではありませんので、その他の書類は推測で報告したものがほとんどでございますが……」
「確かにその通りだ。ただ君は以前にも別の案件を任された際には侍従や一般兵に現地出身の者がいないか、兵舎を走り回っていたそうじゃないか。先代のキングから折を見て手懐……気を配っておけと言われていてな。それで声をかけた」
思わず言葉に詰まった。
その頃は、故郷から逃げるようにこちらに移ってきたばかりで、これまでの努力を取り戻さなければと奮起していた時期だった。躍起になっていたといってもいい。
それゆえの青臭い行動だったと反省していたのに、よりにもよって先代のキングに見られていたとは。
というか、手懐けてと言いかけたか?
「まぁ、とにかくだ。この問題に最も詳しいのは君だからな。これに関しては5のジュノに従ってもらいたい。補佐の話はまた戻ってから話そうか」
なおも食い下がろうとするも、キングの有無を言わせぬ締めくくりで部屋から追い出された。
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