鈍色の空と四十肩

いろは

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36 ータクシーの中でー

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 パーティーはつつがなく終了した。
 開始前は斉藤が、ケイタリングの搬入を愛と一緒に行い、その後店に戻って依子と追加の物資をピックアップ、終了後は愛が搬出して斉藤の車に乗って帰る、という手はずで、滞りなく全行程が終了。
 今は、斉藤と依子が帰りのタクシーの中、2人で並んで後部座席に収まった。

「いやあ、やっぱり依子さんに頼んで正解だったよ。
本当に助かりました。お疲れ様。」
 斉藤が労う。
「営業とか挨拶周りも上手くいったし、愛ちゃんの売り込みもできた。
具体的な案件ももらえそうだし。良かった良かった。
 とにかく、依子さんの色っぽい和装がもう大人気でめちゃくちゃ効果発揮してたよね。」
 斉藤は満足気だ。
「お役に立てたなら良かったです。
 この赤い差し色も日本だったらお下品、って言われそうですけど、外国なんでね。いいアイキャッチになったみたいです。
 若くてきれいな着物女子だったらもっと良かったと思いますけどね。」

「いやいや~、こういうのはさ、大人の政治とビジネスの場だから、依子さんみたいにちゃんと社会経験豊富な人じゃないと。
 咄嗟の事でも対処できるし、臨機応変に立ち回れるでしょ。
 見た目にしたって、ただでさえ日本人は若く見られるから、依子さんの大人の魅力が丁度効果的だったよね。」
「いやいや。恐れ多いですよ。」
 依子は申し訳なくて苦笑いだ。

 しばらく腕組みして黙っていた斉藤がぽつり、と声を出す。
「依子さんさ」
「はい?」
 間が空いたのがどうしたのかと思って、依子は斉藤の方を向いて顔を覗き込んだ。
「俺の嫁さんにならない?」
 斉藤は依子の方を向いて言った。

「は? ええ?」
 あんまり意外な言葉に依子は驚いた。
「そんなに驚かなくても。
 ちょっとは意識してもらえてるかと思っていたんだがな。」
 斉藤は口の端でちょっと笑った。

「真剣なんだけどな。
 初めてあなたに会った時から、ユニークな人だな、信頼おける人だな、と思ったんだよ。
 ウチで働いてもらったら、自分の目は間違ってなかったと思った。
 依子さんは自己評価がすごく低いけど、才能のある努力の人だよ。
 弱いって言うけど芯の強い人だ。
 俺と一緒になったら、もっと成功させてあげられると思う。
 俺もあなたの姿を見て、もっと奮起することができる。」

 斉藤の目を見て、その話を聞いて、本気なんだと依子にもわかった。
「私なんかのことをそんな風に評価していただいて、本当にありがたいです。
 いつも、私の仕事のことも気にかけていただいて。
 私にできる限り恩返ししていきたいと思っています。」
 姿勢を前に戻して、一所懸命返答する。
「でも、結婚についてはお受けできません。ごめんなさい。」
 頭を下げて謝る。

「謝ることないよ。まあ、ダメだと思ってたから。
 今日のあなたの姿見て、あんまり綺麗だったから。つい焦っちゃった。
 依子さんを逃したら、もうドンピシャな女性には出会えないかな、って。
 ま、気にしないで。これまで通り、よろしくお願いしますよ。」
 斉藤は軽く笑いながら言う。
「でもさ、なんで? 
 俺ってさあ、一応界隈じゃ有名人だし、事業でも成功してるし、イケおじでしょ?頭いいし。」

 依子は、軽く流そうとしてくれている斉藤に感謝した。
 斉藤は表面的におちゃらけてはいるが、中身はちゃんと気遣いのできる真っ当な人間だ。
「そうですね。
 私が30代だったら、迷いなく斉藤さんに夢中になっていたと思います。私、年上好きだったし。
 でも、以前お話ししたみたいに、私が一方的に夢中になってしまう関係性ではいずれ破綻してしまうと思うんです。
 斉藤さんも私に夢中ならいいですよ。でも、違いますよね?
 私が、斉藤さんにとってそつなく振る舞えるから。
 あるいは、お互いに利のある関係になれるから、ていう理由ですよね。それって、愛情の話ではなく、ビジネスの話に聞こえます。」
 依子は正直に言う。

「そうかなあ。俺、ちゃんと依子さんが好きだよ。弱い所も。
 俺なら引っ張っていってあげられる。」
「ありがとうございます。本当に光栄だと思います。」

「自分でも、だったらどういうのがいいの、ってよくわからないんです。
 ただ、斉藤さんは鋼のメンタルで、とても強いから、私引きちぎられちゃうんじゃないか、って怖さがあります。
 もし、斉藤さんと一緒になったら、きっと私やっぱりのめり込むと思うんですよね。
 もっと愛されようと、できないことを無理して、ぼろぼろになる気がします。」
 依子は俯いてしまう。

「そっかあ、俺、ぼろぼろにしちゃうかあ。」
 斉藤はうーん、と唸っている。
「ほんとにごめんなさい。」
 依子はますます頭を下げる。
「だから、謝らなくていいって。」
 斉藤は笑う。

「なるほど。
 俺みたいに、俺についてこい!って人より、君のそばにいるよ、くらいの人の方が、自分らしくいられる、ってことかな。」
 斉藤は顎に手を当てて考えている。
「もしかして、具体的に好きな人が他にいるのかな?」
 ニヤリとして斉藤が聞く。
 依子はその質問には声を出せず、口元を歪めるだけだった。

「斉藤さんみたいに、頭の良いカリスマ性のあるイケおじは、もっと高スペックの女性が相応しいですよ。
 斉藤さんを崇め、全人生をかけて支えられる人。
 私は、傲慢な人間だから、誰かを崇めるってことができません。対等でいたいんです。」

「そうねえ。俺を崇めてくれる人ねえ、確かに。
 でも好みは、あなたみたいな自立した人なんだよな。
 でもそういう人は大抵、俺みたいな不遜な奴にはついて来てはくれないんだよね。」
 斉藤はまた依子を見て言う。
「やっぱり、相性の良さと好みってなかなか一致しないね?」
 斉藤はちょっと悲しそうに笑った。

 タクシーは依子のアパートの前に着く。
「今ここで言ったこと、全部忘れてくれていいからね。
 引きずって変な空気になられても困るから。
 また来週からいつも通りお願いしますよ。」
 斉藤はそう言いながら、依子を見送る。
 タクシーのドアが閉まった。
 またね、というように斉藤が手をあげた。
 依子は走り去る車に手を振って見送った。

 私。私はいったいどうしたんだろう。
 斉藤さんの申し出に、否、と答えるのは自分でも驚くほど簡単だった。
なぜ?

 ちゃんと好きだよ、と言われても全く胸が熱くならず、冷静なままだった。
 数年前の私なら、愛情に飢えすぎていて、そんなふうに言われたらすぐふらっとなっていた。
 どんなに合わない相手と思っていても。

 斉藤さんは、自分で言っていたように、高スペックのイケおじだ。
 真っ当な人間だ。でも、全く心を委ねられない。
 今、私が心を委ねられるのは、安心できるのは。自然でいられるのは。
 譲治の顔が浮かんだ。

 わかってる。私にとって今一番あたたかい場所にいる人はだれか。
 でも彼は、姉のような存在として私に懐いてくれている。
 私は年長者として、あくまで姉のように、あるいは叔母のように、彼の応援をしなければ。
 ちょっと不器用な彼が幸せそうに笑うのを見たかった。
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