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26 ーエキスポの後ー
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季節が移ろいゆくのはあっという間である。
歳をとるとなおさらに、ふと振り返った時には驚くほど時が進んでいたりする。
そして後悔もまた先には立たないのだ。
依子と譲治が王宮の丘へ散歩してから、また一緒に行きましょうとか言ってはいたものの、結局2人とも仕事の整理がつかないままバタバタと夏になろうとしていた。
依子が言っていた7月末のジャパンエキスポは、なかなかに賑やかで、譲治が思っていたより盛況だった。緑豊かな公園の一角を会場にし、夏の暑さの中でも、たくさんの地元民が訪れていた。
『さくら』のブースも列ができるほどの人気ぶり。
斉藤と愛に一応挨拶はしたが、あまりに忙しそうだったので早々に引き上げてきた。
依子のテントにも行ってきた。
前に会った時よりもさらに、ちょっとやつれたような感じだったので、譲治は心配になるほどだったが、本人はいたって元気そうで目はキラキラとして張り切っていた。
お客さんもそこそこ出入りがあったので、邪魔しては悪いと思って2、3言会話をして失礼してきた。
「バタバタしてごめんなさいね。ゆっくりしていただけなくて。これが終わったらまたお散歩に行きましょ!」
そう言って依子は、譲治の手に、近くの飲食ブースで買ったという手作りお菓子を押し付けて、送り出してくれたのだった。
譲治は、植物園と温室のある公園をゆっくり散策して、夏のヨーロッパの気候を楽しんで帰った。
ーーー
イベントが終わって一週間。
8月に入っていよいよ夏本番である。
クーラーがないことが多いヨーロッパでの猛暑は、その暑さをどう乗り切るかが大問題である。
夕方になれば涼しい風が吹き、夜ともなれば寒いくらいになることもあるが、寒暖差に体調を崩さないようにしないといけない。
譲治はイベントの時に会った依子の顔色の悪さが気になっていた。
あれから連絡も取っていないし。
元気でいるだろうか。
自分も暑さに食欲が減退気味なので、久しぶりに『さくら』に言って元気出すか、と思った。今日は土曜日、依子がシフトに入っているはずだ。
カランカラン
久しぶりのドアベルの音である。
夕方の開店時間と同時に譲治は入店してみた。
他にまだお客さんがいない。
店に入ると、珍しくカウンターの前で斉藤と愛が何やら話し込んでいる。
「おう!田中君!ちょうどいいところに来てくれた~!」
斉藤がまあ入って入って、と言う。
店内はクーラーが効いていて涼しかった。
「こんにちは。先日はお忙しいところお邪魔してしまって。大盛況でしたね。」
譲治が言う。
おう、そうなのよ~、ありがたいことに、と言いつつ斉藤が冷たい麦茶を出してくれた。
「あのね、今話してたんだけど、依子さんが寝込んでて休んでるのよ。
もう一週間だからちょっと行って様子見たほうがいいかな、って。」
「ええっ?知りませんでした。そういえばこの前のイベントの時も疲れてそうでしたね。」
譲治は、心配しつつも連絡をとっていなかったことを悔やむ。どうして一言LINEしなかったのか。
「一応こういうご時世だから、病院行ってウイルス検査とかはしたんだって。
でもなんも出なくて、医者の言うにはまあ過労でしょう、てことらしいんだけど。
熱とか咳とかなんか症状が出てるわけじゃなくて、とにかく足に力が入らないから寝てる、っていうのよ。」
斉藤が説明する。
愛も次いで話し始める。
「でも、依子さん出かけられないから食べ物とか買えてないと思うんですよね。なんか差し入れしに行く、って言ったんですけど、味覚と嗅覚がなんか鈍くなってるからあまり食べられないって言うんですよ。」
いつもうるさい愛も心配顔だ。
「あの人さあ、なんでも自分で解決しないと嘘だ、ていうポリシーだから我々に頼らないんだよね。
特にあの人の中で我々って目上の人っていう位置付けだから。
どうしたもんだか、と思って。」
斉藤はむしろイラついているくらいだ。
「いくらなんでも、一週間じゃ。食べないと元気出ないですよ。」
愛が加えて言った。
「というわけで!
俺たち今から食べられそうなもの用意するからさ、田中君お届け屋さんやってくれない? 彼女んち知ってるよね?」
斉藤の勢いに押し負けて譲治は「はあ、」と即答せざるを得なかった。
「でも小石川さん、気を遣って斉藤さんたちの申し出を断るくらいなら、私なんかが行っても、いいよいいよ、って言われるのがオチじゃないですかね?
譲治は心配だ。
「そこはさあ、モノは言いようでさ。
『さくら』もイベント以降人気爆発しちゃって、早くバイトに戻ってくれないと困る、とか、この差し入れも有料なのでしっかり治してお代払いに来てくれ、とかさ。
斉藤と愛ちゃんが困ってます、と。」
斉藤が口早に言う。
さらに愛が横から言った。
「でも依子さん、田中さんには気を許してるから、あれこれ言わなくても、とにかく心配だから入れてください!って言えば通してくれるんじゃないですかね。」
「わかりました。やってみます。」
譲治は結局引き受けた。
お駄賃として奢るから!と斉藤が言って、譲治の夕飯、ざるそばセットを出してくれた。
それを食べているうちに、依子への差し入れを用意してくれるとのこと。
そのうち他のお客さんもちらほら入ってくる。
譲治が食べおわったところで、愛が紙袋を持ってきた。
「じゃ、これ、お願いします。食べやすいように、フルーツとリゾット、野菜スープ、柔らかめのつくねとか。全部すぐ食べられるし、余れば冷凍保存できますので。」
説明を受ける。
「みんな心配してますから。焦らずしっかり治してくださいって伝えてください。
長く休んだって誰も怒らないから気楽にね、って。」
愛はそそくさと説明して厨房に戻った。
斉藤も厨房で忙しなく注文を捌きながら、頼む、というポーズをして譲治を見送った。
本当に忙しそうだ。
店を出てすぐにLINEしようと思ったが、前もって連絡すると断られそうだと思ったので、直接依子のアパートに行くことにした。
あまりお行儀は良くないが、とりあえず心配である。
今アパートの下にいるんですが、と言えば、受け取ってもらえる可能性は高い。
そう思って譲治は地下鉄に向かった。
歳をとるとなおさらに、ふと振り返った時には驚くほど時が進んでいたりする。
そして後悔もまた先には立たないのだ。
依子と譲治が王宮の丘へ散歩してから、また一緒に行きましょうとか言ってはいたものの、結局2人とも仕事の整理がつかないままバタバタと夏になろうとしていた。
依子が言っていた7月末のジャパンエキスポは、なかなかに賑やかで、譲治が思っていたより盛況だった。緑豊かな公園の一角を会場にし、夏の暑さの中でも、たくさんの地元民が訪れていた。
『さくら』のブースも列ができるほどの人気ぶり。
斉藤と愛に一応挨拶はしたが、あまりに忙しそうだったので早々に引き上げてきた。
依子のテントにも行ってきた。
前に会った時よりもさらに、ちょっとやつれたような感じだったので、譲治は心配になるほどだったが、本人はいたって元気そうで目はキラキラとして張り切っていた。
お客さんもそこそこ出入りがあったので、邪魔しては悪いと思って2、3言会話をして失礼してきた。
「バタバタしてごめんなさいね。ゆっくりしていただけなくて。これが終わったらまたお散歩に行きましょ!」
そう言って依子は、譲治の手に、近くの飲食ブースで買ったという手作りお菓子を押し付けて、送り出してくれたのだった。
譲治は、植物園と温室のある公園をゆっくり散策して、夏のヨーロッパの気候を楽しんで帰った。
ーーー
イベントが終わって一週間。
8月に入っていよいよ夏本番である。
クーラーがないことが多いヨーロッパでの猛暑は、その暑さをどう乗り切るかが大問題である。
夕方になれば涼しい風が吹き、夜ともなれば寒いくらいになることもあるが、寒暖差に体調を崩さないようにしないといけない。
譲治はイベントの時に会った依子の顔色の悪さが気になっていた。
あれから連絡も取っていないし。
元気でいるだろうか。
自分も暑さに食欲が減退気味なので、久しぶりに『さくら』に言って元気出すか、と思った。今日は土曜日、依子がシフトに入っているはずだ。
カランカラン
久しぶりのドアベルの音である。
夕方の開店時間と同時に譲治は入店してみた。
他にまだお客さんがいない。
店に入ると、珍しくカウンターの前で斉藤と愛が何やら話し込んでいる。
「おう!田中君!ちょうどいいところに来てくれた~!」
斉藤がまあ入って入って、と言う。
店内はクーラーが効いていて涼しかった。
「こんにちは。先日はお忙しいところお邪魔してしまって。大盛況でしたね。」
譲治が言う。
おう、そうなのよ~、ありがたいことに、と言いつつ斉藤が冷たい麦茶を出してくれた。
「あのね、今話してたんだけど、依子さんが寝込んでて休んでるのよ。
もう一週間だからちょっと行って様子見たほうがいいかな、って。」
「ええっ?知りませんでした。そういえばこの前のイベントの時も疲れてそうでしたね。」
譲治は、心配しつつも連絡をとっていなかったことを悔やむ。どうして一言LINEしなかったのか。
「一応こういうご時世だから、病院行ってウイルス検査とかはしたんだって。
でもなんも出なくて、医者の言うにはまあ過労でしょう、てことらしいんだけど。
熱とか咳とかなんか症状が出てるわけじゃなくて、とにかく足に力が入らないから寝てる、っていうのよ。」
斉藤が説明する。
愛も次いで話し始める。
「でも、依子さん出かけられないから食べ物とか買えてないと思うんですよね。なんか差し入れしに行く、って言ったんですけど、味覚と嗅覚がなんか鈍くなってるからあまり食べられないって言うんですよ。」
いつもうるさい愛も心配顔だ。
「あの人さあ、なんでも自分で解決しないと嘘だ、ていうポリシーだから我々に頼らないんだよね。
特にあの人の中で我々って目上の人っていう位置付けだから。
どうしたもんだか、と思って。」
斉藤はむしろイラついているくらいだ。
「いくらなんでも、一週間じゃ。食べないと元気出ないですよ。」
愛が加えて言った。
「というわけで!
俺たち今から食べられそうなもの用意するからさ、田中君お届け屋さんやってくれない? 彼女んち知ってるよね?」
斉藤の勢いに押し負けて譲治は「はあ、」と即答せざるを得なかった。
「でも小石川さん、気を遣って斉藤さんたちの申し出を断るくらいなら、私なんかが行っても、いいよいいよ、って言われるのがオチじゃないですかね?
譲治は心配だ。
「そこはさあ、モノは言いようでさ。
『さくら』もイベント以降人気爆発しちゃって、早くバイトに戻ってくれないと困る、とか、この差し入れも有料なのでしっかり治してお代払いに来てくれ、とかさ。
斉藤と愛ちゃんが困ってます、と。」
斉藤が口早に言う。
さらに愛が横から言った。
「でも依子さん、田中さんには気を許してるから、あれこれ言わなくても、とにかく心配だから入れてください!って言えば通してくれるんじゃないですかね。」
「わかりました。やってみます。」
譲治は結局引き受けた。
お駄賃として奢るから!と斉藤が言って、譲治の夕飯、ざるそばセットを出してくれた。
それを食べているうちに、依子への差し入れを用意してくれるとのこと。
そのうち他のお客さんもちらほら入ってくる。
譲治が食べおわったところで、愛が紙袋を持ってきた。
「じゃ、これ、お願いします。食べやすいように、フルーツとリゾット、野菜スープ、柔らかめのつくねとか。全部すぐ食べられるし、余れば冷凍保存できますので。」
説明を受ける。
「みんな心配してますから。焦らずしっかり治してくださいって伝えてください。
長く休んだって誰も怒らないから気楽にね、って。」
愛はそそくさと説明して厨房に戻った。
斉藤も厨房で忙しなく注文を捌きながら、頼む、というポーズをして譲治を見送った。
本当に忙しそうだ。
店を出てすぐにLINEしようと思ったが、前もって連絡すると断られそうだと思ったので、直接依子のアパートに行くことにした。
あまりお行儀は良くないが、とりあえず心配である。
今アパートの下にいるんですが、と言えば、受け取ってもらえる可能性は高い。
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