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19 ー漁夫の砦にてー
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譲治は自宅に帰ると、また仕事に戻った。
夕方4時過ぎに、依子からのメールが来ていたことに気づく。
時間を見ると、どうやら依子もあの後すぐ帰って約束通り調査地のリストアップをしてくれたようだ。
内容を確認する。
チェックポイントは、さっき店で聞いたように、ブダペスト周辺で済む博物館とショップ、蚤の市、陶磁器製品が使われている観光地。それと、郊外のヘレンド村の関連施設。
譲治がリサーチが必要だと思われる場所、依子が同行する必要があればその場所、依子が下調べする必要がある場所をまずピックアップしてくれ、とあった。
依子が動ける日時も添えられていて、同行する必要がある場合は、スケジュールの指示もください、とあった。
ブダペスト周辺のショップや博物館は、どうせ展示品を自分で見て説明を聞くだけなので、1人でも支障なしと思う。
ヘレンド村も見学主体の観光施設のようなので、1人でドライブがてら行ってもいい。
問題は市とアンティークショップの掘り出し物探しで、これは同行してもらいつつ、リサーチもお願いしよう。あと、ブダペスト内の観光地もそろそろめんどくさがらずに行かねばなるまい。
早速、返信する。
まず来週いっぱいは自分で周るべきポイントを周るので、その間、依子には掘り出し物がありそうなアンティークショップをリサーチしてほしい。
挙げられていた蚤の市は開催日が決まっているので、その日に会いましょう、と書いた。
3つの市が近々ではあるようだったが、最初のものは今度の日曜日だ。
蚤の市は大抵土日だが、早朝から昼過ぎまでの開催が多いようで、バイトのある依子は、朝だけならご一緒できます、と言ってきていた。
すぐにまた返事がきた。
では現地集合で、と場所と日時を確認した簡単な内容だった。
それを確認して、本日の業務を終了する。
今日は木曜か。
土曜はちょっと観光しながら近くを回ってみるか。。と考える。
ハンガリーに来て4ヶ月も経つのに、めんどくさくて全く観光地など見ていなかったが、日曜には依子に体験談を話せるな、と考えれば、億劫さも感じないのだった。
ーーー
土曜日の夕方。
よく晴れた日だった。そろそろ日暮だ。
夕方から夜へと空の色が美しく神秘的な変化を遂げる様子が見られるんじゃないかと、この美しいわずかなタイミングを狙って、譲治は王宮の丘のふもとに来ていた。
観光兼仕事のリサーチと、ジョギングと、動画撮影をいっぺんにしてやろうという、一石三鳥の考えである。
丘のふもとに続く、最も有名なくさり橋も通って来た。
この鎖橋ももちろん撮影済み。
動画を撮りながらジョギングをして、王宮の丘を登る。
15分くらいで着いた。白亜の塔や、迷路のようなたくさんの回廊と階段が、おとぎの国のようだ。
いくつかの回廊を抜けて、市内を一望できるテラスに出てきた。
空は夕焼けからのオレンジから、ピンク、紫、水色へと変化している。
もう夜がせまっている方向には、細い針のような月がのぼっていた。
市内中央を流れるドナウの水面は今は凪いで鏡のようで、空の薄闇を映している。街には灯りが灯り始めている。
本当にきれいだった。
語彙が足りず、それ以外出てこない。
これか。
これを彼女は言ってたんだな。本当にきれいだって。
譲治は依子のことを思い出す。
あの人が言っていた、キラキラ光る日中のドナウも見に来なきゃ。
それまで赴任していたバンクーバーの気候風土とあまりに違うことに戸惑って、エラいとこに来ちゃったな、くらいに思っていた譲治は、自らを恥じた。
引きこもって周りを見ないにもほどがある。
新しい人との関わりの中で、新しい見識を得られたことに素直に感謝した。
空がすっかり群青色になり、やがて夜になり、5月のを夜風は寒い、と気づくまで、その場に立ち尽くして景色を見ていた。
寒さに耐えかねて、丘を降りることにする。
来る時にはけっこういた他の観光客の姿もほとんど見えない。
通り過ぎてきたいくつかの回廊の最後の一つで、男性がバイオリンを弾いていた。街頭に照らされて、弓を動かすバイオリン弾きの、腕から背中のなだらかな線が、宵闇にうっすら浮かび上がっている。
ハンチングに革ジャケットを着てマフラーを深く巻いた男性の表情は見えなかったが、年配の男性のようだった。
ハンガリーの民族音楽だろうか。
曲調は明るいのに、ゆっくりとむせびなくような音色で、なぜか、泣きそうになった。
離れた位置からしばらく眺めて、込み上げた何かを飲み込み、バイオリン弾きの前を通り過ぎる時、前に開いてあったバイオリンケースに、ポケットの小銭を全部入れた。
男性が相変わらずゆったりと弾きながら、にこりと譲治に微笑み、バイオリンを弾いて揺れながら会釈した。
夕方4時過ぎに、依子からのメールが来ていたことに気づく。
時間を見ると、どうやら依子もあの後すぐ帰って約束通り調査地のリストアップをしてくれたようだ。
内容を確認する。
チェックポイントは、さっき店で聞いたように、ブダペスト周辺で済む博物館とショップ、蚤の市、陶磁器製品が使われている観光地。それと、郊外のヘレンド村の関連施設。
譲治がリサーチが必要だと思われる場所、依子が同行する必要があればその場所、依子が下調べする必要がある場所をまずピックアップしてくれ、とあった。
依子が動ける日時も添えられていて、同行する必要がある場合は、スケジュールの指示もください、とあった。
ブダペスト周辺のショップや博物館は、どうせ展示品を自分で見て説明を聞くだけなので、1人でも支障なしと思う。
ヘレンド村も見学主体の観光施設のようなので、1人でドライブがてら行ってもいい。
問題は市とアンティークショップの掘り出し物探しで、これは同行してもらいつつ、リサーチもお願いしよう。あと、ブダペスト内の観光地もそろそろめんどくさがらずに行かねばなるまい。
早速、返信する。
まず来週いっぱいは自分で周るべきポイントを周るので、その間、依子には掘り出し物がありそうなアンティークショップをリサーチしてほしい。
挙げられていた蚤の市は開催日が決まっているので、その日に会いましょう、と書いた。
3つの市が近々ではあるようだったが、最初のものは今度の日曜日だ。
蚤の市は大抵土日だが、早朝から昼過ぎまでの開催が多いようで、バイトのある依子は、朝だけならご一緒できます、と言ってきていた。
すぐにまた返事がきた。
では現地集合で、と場所と日時を確認した簡単な内容だった。
それを確認して、本日の業務を終了する。
今日は木曜か。
土曜はちょっと観光しながら近くを回ってみるか。。と考える。
ハンガリーに来て4ヶ月も経つのに、めんどくさくて全く観光地など見ていなかったが、日曜には依子に体験談を話せるな、と考えれば、億劫さも感じないのだった。
ーーー
土曜日の夕方。
よく晴れた日だった。そろそろ日暮だ。
夕方から夜へと空の色が美しく神秘的な変化を遂げる様子が見られるんじゃないかと、この美しいわずかなタイミングを狙って、譲治は王宮の丘のふもとに来ていた。
観光兼仕事のリサーチと、ジョギングと、動画撮影をいっぺんにしてやろうという、一石三鳥の考えである。
丘のふもとに続く、最も有名なくさり橋も通って来た。
この鎖橋ももちろん撮影済み。
動画を撮りながらジョギングをして、王宮の丘を登る。
15分くらいで着いた。白亜の塔や、迷路のようなたくさんの回廊と階段が、おとぎの国のようだ。
いくつかの回廊を抜けて、市内を一望できるテラスに出てきた。
空は夕焼けからのオレンジから、ピンク、紫、水色へと変化している。
もう夜がせまっている方向には、細い針のような月がのぼっていた。
市内中央を流れるドナウの水面は今は凪いで鏡のようで、空の薄闇を映している。街には灯りが灯り始めている。
本当にきれいだった。
語彙が足りず、それ以外出てこない。
これか。
これを彼女は言ってたんだな。本当にきれいだって。
譲治は依子のことを思い出す。
あの人が言っていた、キラキラ光る日中のドナウも見に来なきゃ。
それまで赴任していたバンクーバーの気候風土とあまりに違うことに戸惑って、エラいとこに来ちゃったな、くらいに思っていた譲治は、自らを恥じた。
引きこもって周りを見ないにもほどがある。
新しい人との関わりの中で、新しい見識を得られたことに素直に感謝した。
空がすっかり群青色になり、やがて夜になり、5月のを夜風は寒い、と気づくまで、その場に立ち尽くして景色を見ていた。
寒さに耐えかねて、丘を降りることにする。
来る時にはけっこういた他の観光客の姿もほとんど見えない。
通り過ぎてきたいくつかの回廊の最後の一つで、男性がバイオリンを弾いていた。街頭に照らされて、弓を動かすバイオリン弾きの、腕から背中のなだらかな線が、宵闇にうっすら浮かび上がっている。
ハンチングに革ジャケットを着てマフラーを深く巻いた男性の表情は見えなかったが、年配の男性のようだった。
ハンガリーの民族音楽だろうか。
曲調は明るいのに、ゆっくりとむせびなくような音色で、なぜか、泣きそうになった。
離れた位置からしばらく眺めて、込み上げた何かを飲み込み、バイオリン弾きの前を通り過ぎる時、前に開いてあったバイオリンケースに、ポケットの小銭を全部入れた。
男性が相変わらずゆったりと弾きながら、にこりと譲治に微笑み、バイオリンを弾いて揺れながら会釈した。
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**********
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※他サイトからの転載(2018/11に書き上げたものです)
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※※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
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