鈍色の空と四十肩

いろは

文字の大きさ
上 下
16 / 86

15 ー『さくら』にてー

しおりを挟む
 身なりにこだわらない譲治は基本的に昼も夜もTシャツ短パン裸足である。
 全て黒やネイビーなのでいつも同じに見えるが、朝晩ちゃんと着替えはしていて衛生にはむしろ気をつけている方だ。
 欧米はセントラルヒーティングが普通なので、冬でも短パン。

 バンクーバーにいる頃は、年中常春なので出かけるのもそのままだったが、ハンガリーでそんなことをしていたら凍死してしまうので、ちゃんと着替えた。
 一応、ビジネスの話をするかもしれないので、ベストとジャケットも着る。
 携帯と財布、タブレットを持って外に出た。


ーーー


 街を歩いて見れば、すっかり春が来ていて驚いた。
 いつまでも冬かと思ったら世間はちゃんと時が進んでいる。

 ぱっと見まだ気づきにくいが、ケヤキの大木や、川縁の柳からは薄い黄緑の新緑がエネルギッシュに出ているし、街路樹の足元にもたんぽぽやらスミレやらが花を咲かせている。
 水仙やチューリップは既に満開だ。
 北国の春は一瞬で来て一瞬で盛りになるのでまるでカーニバルのような、空気がお祭り騒ぎのように感じられる。

 トラムと地下鉄を乗り継いで、ブダペスト中心部の『さくら』に着いた。
 今日は水曜日、時間は2時半。
 オーナーと話ができれば、したい、という下心があったので、店が混まなそうな、昼の部の中途半端な時間帯を狙った。

カランカラン

 店の扉を開ける。
「いらっしゃいませ~。」
 元気な女性シェフの声が出迎えてくれた。
 良かった。お客さん他にいない。
 前回と同じく、隅っこの席に座る。

「本日のランチです。」

 今日は男性シェフがメニューとお冷を持ってきてくれた。
 本日のメニューは、餃子定食、山菜そば、カレーライス。
 今日も白飯、と思っていたが、カレーの文字を見て、めちゃくちゃ悩んでしまった。
 結局、なんとなればカレーライスは自分でも作れるが、餃子はめんどくさいからやらんな、と思って餃子定食にする。

 顔を上げると、カウンター横でこちらを見ていた男性と目があう。
 にっこりして男性シェフが来てくれた。
「お決まりですか?」
「餃子定食をお願いします。」
「ありがとうございます。」
 愛ちゃん!餃子! とシェフはそのままの位置で、顔だけ厨房に向けてオーダーを出した。

「あの、失礼ですけれど、田中さんじゃないですか? ウチの依子さんから聞いてます。」
 一瞬、ほとんど知らない人から名前を呼ばれてびびったが、依子さん、と聞いて安心した。

「彼女、ウチに置いていたDM見て、個展に来てくれた、ってめちゃくちゃ喜んでましたよ。僕からもお礼申し上げます。
 あ、申し遅れましたが、僕はここのオーナーシェフの斉藤です。
 あと、あっちの厨房にいる威勢のいいのは副シェフの中村です。今後ともどうぞご贔屓にしてくださいね。」
「あ、こちらこそ。」
 譲治も頭を下げる。
 頭のいい感じの洒脱な人で、スラスラと話すと、厨房へ引っ込んでいった。


ーーー


 間もなく熱々の餃子定食を運んできてくれたのは、女性シェフの中村の方だった。
 ごゆっくりどうぞ~と明るく言ってサッとはけていく。

 向こうがこちらのことを知っているのは、打ち解けるまでの手間が省ける。 
 しかも印象は悪くないようだ。
 小石川さんに感謝だな。と思いながら、ハフハフしながら餃子を平らげた。

 お会計する際に、がんばって話を切り出してみよう。そう気合いを入れて譲治は席を立つ。

「ごちそうさまでした。」
「ありがとうございます。」
 そう言って斉藤が出てくる。

 お会計を済ませて譲治は切り出した。
「あのですね、アポイントも取らずこんなお話をして大変失礼かとは思うんですが、ちょっとご相談がありまして。」
「はい、なんでしょう?」
 斉藤は聞く。

「実は私こういうものでして。」
 そう言って譲治が会社の名刺を渡す。

「小さな貿易会社の駐在員なんですが、今度、ハンガリーのヘレンドという食器を扱うか、という話になったんです。
 なんですが、ヘレンドは日本における輸入代理店は決まってまして、新作は扱えないんですね。
 それで古物、アンティークの調査、買付をしなければならないんです。
 1ヶ月後にそれを希望されているバイヤーさんをアテンドするんですが、恥ずかしなが、私まったく疎いんです。
 それで、ヘレンドが好きで、なんとか基本的なことだけでもご教授いただける人がいないかと思いまして。」

 舌足らずながらも誠実な口ぶりでゆっくり話す、無表情な譲治を観察しながら、斉藤は真面目な男なんだろうな、と思っていた。

「私、まだハンガリー歴4ヶ月で知人友人ツテというモノが全くなく困り果てていたんですが、食器と言えば、と『さくら』さんを思い出したんです。
 お客さんの方もディープなマニアというわけではなく、初心者なので、ごく入り口を教えていただけたりしないでしょうか?
 もちろんアドバイザー料はお支払いいたします。」
 譲治は頭を下げる。

「なるほどなるほど。面白い話しですね。そういうことでしたらご協力したいですね。でも、僕もそんなに知らないんだよなあ。
 磁器より陶器が好きだから、店で使ってるのも専ら作家モノの陶器だし。」
 斉藤は顎に手を当てて考えている。

(磁器と陶器って違うのか?わからね~、あなたでいいから教えてくれ~。)
 譲治は無表情のまま心で叫んでいた。

 すると厨房から様子をうかがっていた中村が呑気な声を出した。
「依子さんヘレンド好きですよ。前にけっこう熱く語ってました。食器類全般のマイルドファンですよね。」

 えっ、そうなの?と斉藤が振り返る。
「ですって。
 依子さんに聞いてみたらどうですか。彼女アーティストだから見どころについてはしっかり教えてくれるんじゃないかな。 連絡先知ってます?」
 そう言いながら、斉藤はレジ横のメモを漁り始める。

「あ、大丈夫です。一応うかがってます。」
 それじゃ聞いてみます、と言って譲治は立ち去る。
「ありがとうございました。」と譲治は言って扉の前でまた会釈をして出て行った。


ーーー


「すげえ、真面目そうな人ですね。無表情だけど。」
 愛が厨房から身を乗り出して言った。
「良さそうな人じゃない。おじさんは安心しました。」
 斉藤はにっこりしながら厨房に戻っていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

大好きな背中

詩織
恋愛
4年付き合ってた彼氏に振られて、同僚に合コンに誘われた。 あまり合コンなんか参加したことないから何話したらいいのか… 同じように困ってる男性が1人いた

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~

吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。 結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。 何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。

優しい愛に包まれて~イケメンとの同居生活はドキドキの連続です~

けいこ
恋愛
人生に疲れ、自暴自棄になり、私はいろんなことから逃げていた。 してはいけないことをしてしまった自分を恥ながらも、この関係を断ち切れないままでいた。 そんな私に、ひょんなことから同居生活を始めた個性的なイケメン男子達が、それぞれに甘く優しく、大人の女の恋心をくすぐるような言葉をかけてくる… ピアノが得意で大企業の御曹司、山崎祥太君、24歳。 有名大学に通い医師を目指してる、神田文都君、23歳。 美大生で画家志望の、望月颯君、21歳。 真っ直ぐで素直なみんなとの関わりの中で、ひどく冷め切った心が、ゆっくり溶けていくのがわかった。 家族、同居の女子達ともいろいろあって、大きく揺れ動く気持ちに戸惑いを隠せない。 こんな私でもやり直せるの? 幸せを願っても…いいの? 動き出す私の未来には、いったい何が待ち受けているの?

社長室の蜜月

ゆる
恋愛
内容紹介: 若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。 一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。 仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。

処理中です...