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5 ーギャラリー Bellezzaー
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「Jó napot!(おはよう)」
濃い緑の重いドアを開けて、依子は中にいた人物にハンガリー語で声をかける。
「Ciao!(チャオ)」
こちらはイタリア語で応える。
この5坪ほどの小さな小さなギャラリーのオーナーはマルコ。
ハンガリーの冷たく寡黙な、でも冴え冴えと美しい風土に魅せられて、イタリアから移住してきた変わり者である。
世界的に有名な陽キャ人種だと思われがちなイタリア人だが、当たり前ながらそうでない者もいる。
あまりに人生に対して楽観的すぎる、という理由で住みづらいイタリアを後にしてハンガリーに流れ着いたのだとか。
本人も彫刻家で、依子と同じく足りない分の生活費を、市内の民宿バイトで賄いながら、ギャラリーを運営している。
日本文化が好きで、依子が片っ端からブダペスト市内のギャラリーに飛び込み営業をかけた時に、依子の作品を気に入ってくれたのだった。
マルコの外見は一目で言うと、ちょっとオドオドしたジャン・レノ。
年周りは同じくらいだが、バツ2らしい。とは言え、中身はさすがのイタリア人なので、何かと依子を誘おうとしてくるが、本気にせず適当にあしらう。
ちなみに、これは、依子がイケてるから、とかではない。
女と見たら、年齢外見に寄らずとりあえずナンパするのは、イタリア男の習慣であり、息を吸うくらいに自然なことである。
若かったらうかうかと乗ってしまっていただろうが、以前旅先で知り合ったイタリア人に遊ばれた経験があるので、プライベートで相手にしないようにしている。
2人とも母国語が違う上に、お世辞にも英語も堪能ではないので、最低限の英会話で必要なことだけ打ち合わせをする。
依子は出来上がったばかりのDMの束を渡して、改めて搬入の日時手順など確認して、相変わらずのお茶のお誘いを丁重に断ってそそくさとギャラリーを出た。
ーーー
自分に合う、心地よいと思えるような、医者やギャラリーに出会えるのはラッキーなことだ。
これは努力とはあんまり関係なくて、巡り合わせだと思う。
さっき会ったマルコの鬱陶しさにため息をつきながらも、彼は展示内容には一切口出ししないので、大変ありがたい。
ギャラリーによっては、賃料を払って作家側が借りているにも関わらず、オーナーの思い通り、好み通りに、展示内容を操縦しようとする人がいる。
ギャラリーがマネージメントを兼ねている場合は、それは普通のことだが、依子の場合は、自分の展示は全て自分で演出したかった。
展示も搬入搬出も手伝ってもらわなくてけっこうである。
誰かいると逆に気を遣いすぎて集中できないから。なので、自由にやらせてもらえるギャラリーを探していた。
マルコは日本贔屓だから、依子の作品内容を除いても、日本人であるというだけで有利だった。
ブダペスト市内の、好みのギャラリーをリストアップして片っ端から訪ね歩き、それでも5-6件目だったろうか。
マルコのギャラリー Bellezza に出会ったのは、これもラッキーとしか言いようがない。
そんな風に、思い返しながら、依子はブダペスト随一の観光地、“漁夫の砦”の高台に登ってきた。
ここからだと、ドナウ川を挟んだブダペスト市内が一望である。
高低差がかなりあるのでウォーキングにももってこいだ。
ただ歩きたい時、物思いに耽りたい時、冷たい鈍色の空を眺めたい時。よくここに登ってくる。
依子は1人が好きだ。
元々大勢の人とつるむのが苦手で、空気を読むのも下手なので、周りの人に嫌われたくない、不快感を与えたくない、という思いから、積極的に人の輪には入れない。
ただ、だからと言って寂しくないわけではない。おしゃべりも好きだ。
いつも、人に好かれたい、嫌われたくない、と思っている。
性格の似た、ウマが合う人とは、細く長く付き合っている。そういう居心地の良い人と生涯を添い遂げたい、と思っている。
でも、これまでの人生で幾度も失敗してきた。
それで、何かヒタヒタと静かに知らないうちに押し寄せた諦めを糧に、ハンガリーに来たのだ。
何もかも捨てて、誰も私を知らない場所で、淡々と日々を生きて、朽ちていきたい、そう思った。
なぜハンガリーかと言えば、10代の頃からのハンガリー人の友人がいるからだ。親同士が仕事仲間で、若いうちに知り合った。
年に一回、便りを出し合うくらいの仲で、めちゃくちゃ親密というわけではないが、心の友、と言えるだろうか。友人も内向的な繊細な人だ。
頼り合うというわけでもなく、心の片隅に置いといてくれるだろう、程度の距離感がありがたい存在だった。
移住に際しても、特に助けを求めたわけではない。無事に転入が完了して、ささやかに食事会を近所のレストランでした。
放っておいてくれた、その心遣いがありがたかった。
冬の夕暮れは早い。砦の上だから風も強い。
いよいよ寒さに耐えかねて、家に帰って残り物でも食べるか、安ワインをあっためて砂糖とスパイスでも入れて、などと考えながら依子は帰り道を下っていった。
濃い緑の重いドアを開けて、依子は中にいた人物にハンガリー語で声をかける。
「Ciao!(チャオ)」
こちらはイタリア語で応える。
この5坪ほどの小さな小さなギャラリーのオーナーはマルコ。
ハンガリーの冷たく寡黙な、でも冴え冴えと美しい風土に魅せられて、イタリアから移住してきた変わり者である。
世界的に有名な陽キャ人種だと思われがちなイタリア人だが、当たり前ながらそうでない者もいる。
あまりに人生に対して楽観的すぎる、という理由で住みづらいイタリアを後にしてハンガリーに流れ着いたのだとか。
本人も彫刻家で、依子と同じく足りない分の生活費を、市内の民宿バイトで賄いながら、ギャラリーを運営している。
日本文化が好きで、依子が片っ端からブダペスト市内のギャラリーに飛び込み営業をかけた時に、依子の作品を気に入ってくれたのだった。
マルコの外見は一目で言うと、ちょっとオドオドしたジャン・レノ。
年周りは同じくらいだが、バツ2らしい。とは言え、中身はさすがのイタリア人なので、何かと依子を誘おうとしてくるが、本気にせず適当にあしらう。
ちなみに、これは、依子がイケてるから、とかではない。
女と見たら、年齢外見に寄らずとりあえずナンパするのは、イタリア男の習慣であり、息を吸うくらいに自然なことである。
若かったらうかうかと乗ってしまっていただろうが、以前旅先で知り合ったイタリア人に遊ばれた経験があるので、プライベートで相手にしないようにしている。
2人とも母国語が違う上に、お世辞にも英語も堪能ではないので、最低限の英会話で必要なことだけ打ち合わせをする。
依子は出来上がったばかりのDMの束を渡して、改めて搬入の日時手順など確認して、相変わらずのお茶のお誘いを丁重に断ってそそくさとギャラリーを出た。
ーーー
自分に合う、心地よいと思えるような、医者やギャラリーに出会えるのはラッキーなことだ。
これは努力とはあんまり関係なくて、巡り合わせだと思う。
さっき会ったマルコの鬱陶しさにため息をつきながらも、彼は展示内容には一切口出ししないので、大変ありがたい。
ギャラリーによっては、賃料を払って作家側が借りているにも関わらず、オーナーの思い通り、好み通りに、展示内容を操縦しようとする人がいる。
ギャラリーがマネージメントを兼ねている場合は、それは普通のことだが、依子の場合は、自分の展示は全て自分で演出したかった。
展示も搬入搬出も手伝ってもらわなくてけっこうである。
誰かいると逆に気を遣いすぎて集中できないから。なので、自由にやらせてもらえるギャラリーを探していた。
マルコは日本贔屓だから、依子の作品内容を除いても、日本人であるというだけで有利だった。
ブダペスト市内の、好みのギャラリーをリストアップして片っ端から訪ね歩き、それでも5-6件目だったろうか。
マルコのギャラリー Bellezza に出会ったのは、これもラッキーとしか言いようがない。
そんな風に、思い返しながら、依子はブダペスト随一の観光地、“漁夫の砦”の高台に登ってきた。
ここからだと、ドナウ川を挟んだブダペスト市内が一望である。
高低差がかなりあるのでウォーキングにももってこいだ。
ただ歩きたい時、物思いに耽りたい時、冷たい鈍色の空を眺めたい時。よくここに登ってくる。
依子は1人が好きだ。
元々大勢の人とつるむのが苦手で、空気を読むのも下手なので、周りの人に嫌われたくない、不快感を与えたくない、という思いから、積極的に人の輪には入れない。
ただ、だからと言って寂しくないわけではない。おしゃべりも好きだ。
いつも、人に好かれたい、嫌われたくない、と思っている。
性格の似た、ウマが合う人とは、細く長く付き合っている。そういう居心地の良い人と生涯を添い遂げたい、と思っている。
でも、これまでの人生で幾度も失敗してきた。
それで、何かヒタヒタと静かに知らないうちに押し寄せた諦めを糧に、ハンガリーに来たのだ。
何もかも捨てて、誰も私を知らない場所で、淡々と日々を生きて、朽ちていきたい、そう思った。
なぜハンガリーかと言えば、10代の頃からのハンガリー人の友人がいるからだ。親同士が仕事仲間で、若いうちに知り合った。
年に一回、便りを出し合うくらいの仲で、めちゃくちゃ親密というわけではないが、心の友、と言えるだろうか。友人も内向的な繊細な人だ。
頼り合うというわけでもなく、心の片隅に置いといてくれるだろう、程度の距離感がありがたい存在だった。
移住に際しても、特に助けを求めたわけではない。無事に転入が完了して、ささやかに食事会を近所のレストランでした。
放っておいてくれた、その心遣いがありがたかった。
冬の夕暮れは早い。砦の上だから風も強い。
いよいよ寒さに耐えかねて、家に帰って残り物でも食べるか、安ワインをあっためて砂糖とスパイスでも入れて、などと考えながら依子は帰り道を下っていった。
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