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忘れえぬひと
side Hasegawa
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本当に少しも待つことなく、ただ過ぎ去っていく。
そして、記憶もなにもかも山積みになった目の前の課題の前にきえていくものだと、この十年で思い知らされた。
あのひとのことも………きっとこのまま風化されるものだと、思い込んでいた。
教授がオレに会わせたい人がいると、いつになく機嫌よく声をかけてきた。
現在、オレは大学の助教授として新薬の研究をしている。まだ、教授の助手程度で自分の新薬の研究はなかなか進んではいない。
教授いわく、会わせたい人というのは、オレの研究している新薬に興味をもっているとかで、一流の製薬会社の開発の人だといっていた。
というのも、こっちの研究は興味をもってくれる製薬会社があってこそ、研究費等が優遇されるかどうかが決まるのである。
オレが今研究しているのは、細胞を活性化させて機能をあげるためのクスリであり、今の医学で治療ができないような感染病や細菌を死滅させることができると思われている。
もうすぐ研究も佳境に入ってくるが、ここで企業がつくつかないでは、できる研究内容なども全く変わってきてしまう。
教授が上機嫌になるのもやむを得ないのだ。
「若い開発チームのリーダーさんらしくてね。君と同年代じゃないかな」
荒野教授は50歳になっており、今が一番ピークなのだろう。
育てている若手は結構いるが、中でもオレへの期待が大きいのは、いつも感じられる。
「若ければ機動力もあるだろうし、君もなじみやすいんじゃないかな」
「年代によらず…………人嫌いで人見知りですよ。僕は」
オレはあまり深く人と接したことはあまりない。
あったとしても、高校1年の時に出会った人くらいで、それ以外は人に敬遠されてきていた。
唯一恋人として付き合った人。
唯一、愛をオレが告げた人。
その人も、オレから逃げた。
何の別れの言葉もなく、学校も転校して目の前から消えてしまった。
父親がまっとうな職業ではなく、兄も地元で有名なヤンキーだった。
かかわりたくないと思うのは至極当然だ。
「コミュニケーション能力以外は、長谷川君は本当に優秀なんだけどね。さて……」
研究室の近くの応接間のドアの前で、教授はノックを2回して部屋に入っていく。
その背中を追ってオレは気乗りはせずながらも、ゆっくりと部屋へ入った。
「荒野先生、お忙しいところお時間をいただいちゃって」
立ち上がって頭を下げる男の身長は、考えていたより高かった。
綺麗に見目よく整えられた栗色の髪が、教授の背中の隙間から見える。
「いやいや。私の方もこの間話をした新薬の研究をしている助手を紹介しようと思ってね」
「この方が?ええっと………アサヒ製薬の瀬嵐です」
一歩オレに近づき、名刺を差し出した人好きのするような顔と、名刺に書かれた名前を見つめオレは固まった。
”瀬嵐 成春”
時間が止まった。
彼は、唯一、オレが恋人と呼んだ、その人だった。
名刺を凝視したまままったく身動きがとれなくなったオレを、彼は、不審そうに覗き込みオレをみつめたまま息を飲んだ。
「……しげはる……さん……」
何故呼びかけたのか、呼びかけてしまったのか。
……無意識だった。
高校1年だった時に、ただひとりこころを開いたその人の名前だ。
「長谷川君、瀬嵐君を知っているのかね」
教授の不審そうな声が、オレの様子に見かねたのか、ちょっと驚いた表情を浮かべる。
なんて答えていいかわからなくなるくらい、頭の中が真っ白になっている。
知ってるかと言われたら、yesである。
だけど、10年も会っていない。たった数ヶ月かだけ一緒にいたにすぎない相手である。
だけど、この10年の間、ずっと忘れられなかったヒトだ。
それが、今、オレの目の前に居る。
手を伸ばせば届く位置に……。
「荒野先生。…………彼は自分の高校の後輩だったんです。西覇、10年ぶりだよな、本当にびっくりした。オマエもだよな……。先生、彼とは私が急に引越しをしてしまったから、ちゃんと挨拶もできなかったんで」
オレの戸惑う様子を見かねたのかフォローするように、荒野教授に説明をすると、おもむろに彼はオレの腕を握る。
「そうだったのか。人付き合いが苦手な長谷川君にも先輩と呼べるヒトがいたとか私もびっくりだよ。10年ぶりじゃあ積もる話もあるだろうね。新薬の話も含めて、外で話してきたらどうかな」
荒野教授は、オレが頭を真っ白にしている間に余計な提案をしてくる。
彼としては、気をきかせて提案しているのだろうが、今のオレにとっては余計なお世話である。
「ありがとうございます。荒野先生。では、そうします。彼には…………無沙汰した詫びも入れたいので。西覇、いこうか」
彼は、まだ名刺をもったまま身動きできずにいるオレの腕を引いて、教授に一礼すると有無を言わせずに部屋から出たのだった。
そして、記憶もなにもかも山積みになった目の前の課題の前にきえていくものだと、この十年で思い知らされた。
あのひとのことも………きっとこのまま風化されるものだと、思い込んでいた。
教授がオレに会わせたい人がいると、いつになく機嫌よく声をかけてきた。
現在、オレは大学の助教授として新薬の研究をしている。まだ、教授の助手程度で自分の新薬の研究はなかなか進んではいない。
教授いわく、会わせたい人というのは、オレの研究している新薬に興味をもっているとかで、一流の製薬会社の開発の人だといっていた。
というのも、こっちの研究は興味をもってくれる製薬会社があってこそ、研究費等が優遇されるかどうかが決まるのである。
オレが今研究しているのは、細胞を活性化させて機能をあげるためのクスリであり、今の医学で治療ができないような感染病や細菌を死滅させることができると思われている。
もうすぐ研究も佳境に入ってくるが、ここで企業がつくつかないでは、できる研究内容なども全く変わってきてしまう。
教授が上機嫌になるのもやむを得ないのだ。
「若い開発チームのリーダーさんらしくてね。君と同年代じゃないかな」
荒野教授は50歳になっており、今が一番ピークなのだろう。
育てている若手は結構いるが、中でもオレへの期待が大きいのは、いつも感じられる。
「若ければ機動力もあるだろうし、君もなじみやすいんじゃないかな」
「年代によらず…………人嫌いで人見知りですよ。僕は」
オレはあまり深く人と接したことはあまりない。
あったとしても、高校1年の時に出会った人くらいで、それ以外は人に敬遠されてきていた。
唯一恋人として付き合った人。
唯一、愛をオレが告げた人。
その人も、オレから逃げた。
何の別れの言葉もなく、学校も転校して目の前から消えてしまった。
父親がまっとうな職業ではなく、兄も地元で有名なヤンキーだった。
かかわりたくないと思うのは至極当然だ。
「コミュニケーション能力以外は、長谷川君は本当に優秀なんだけどね。さて……」
研究室の近くの応接間のドアの前で、教授はノックを2回して部屋に入っていく。
その背中を追ってオレは気乗りはせずながらも、ゆっくりと部屋へ入った。
「荒野先生、お忙しいところお時間をいただいちゃって」
立ち上がって頭を下げる男の身長は、考えていたより高かった。
綺麗に見目よく整えられた栗色の髪が、教授の背中の隙間から見える。
「いやいや。私の方もこの間話をした新薬の研究をしている助手を紹介しようと思ってね」
「この方が?ええっと………アサヒ製薬の瀬嵐です」
一歩オレに近づき、名刺を差し出した人好きのするような顔と、名刺に書かれた名前を見つめオレは固まった。
”瀬嵐 成春”
時間が止まった。
彼は、唯一、オレが恋人と呼んだ、その人だった。
名刺を凝視したまままったく身動きがとれなくなったオレを、彼は、不審そうに覗き込みオレをみつめたまま息を飲んだ。
「……しげはる……さん……」
何故呼びかけたのか、呼びかけてしまったのか。
……無意識だった。
高校1年だった時に、ただひとりこころを開いたその人の名前だ。
「長谷川君、瀬嵐君を知っているのかね」
教授の不審そうな声が、オレの様子に見かねたのか、ちょっと驚いた表情を浮かべる。
なんて答えていいかわからなくなるくらい、頭の中が真っ白になっている。
知ってるかと言われたら、yesである。
だけど、10年も会っていない。たった数ヶ月かだけ一緒にいたにすぎない相手である。
だけど、この10年の間、ずっと忘れられなかったヒトだ。
それが、今、オレの目の前に居る。
手を伸ばせば届く位置に……。
「荒野先生。…………彼は自分の高校の後輩だったんです。西覇、10年ぶりだよな、本当にびっくりした。オマエもだよな……。先生、彼とは私が急に引越しをしてしまったから、ちゃんと挨拶もできなかったんで」
オレの戸惑う様子を見かねたのかフォローするように、荒野教授に説明をすると、おもむろに彼はオレの腕を握る。
「そうだったのか。人付き合いが苦手な長谷川君にも先輩と呼べるヒトがいたとか私もびっくりだよ。10年ぶりじゃあ積もる話もあるだろうね。新薬の話も含めて、外で話してきたらどうかな」
荒野教授は、オレが頭を真っ白にしている間に余計な提案をしてくる。
彼としては、気をきかせて提案しているのだろうが、今のオレにとっては余計なお世話である。
「ありがとうございます。荒野先生。では、そうします。彼には…………無沙汰した詫びも入れたいので。西覇、いこうか」
彼は、まだ名刺をもったまま身動きできずにいるオレの腕を引いて、教授に一礼すると有無を言わせずに部屋から出たのだった。
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