炎上ラプソディ 

怜悧(サトシ)

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第九十六章

 同じ時、戦場の上空には鴉に化身したコルウスが円を描いて飛んでいた。地上の様子はまさにコルウスが願っていた通りの混沌とした有様だった。
(俺が思っていた以上にナホ族どもは欲深いらしいや。おお、あの醜いこと。あんなに血みどろになるほど土地やカネが欲しいのか。ほどほどってことを知らねえらしいや)
 コルウスは自分にも身に覚えのある灼けつくような欲望を感じてギャアギャアと鳴き声を上げた。
(カナ族は思った以上に腰抜けだったな。しかし、カラゲルが相手じゃ、そうなるのも道理だ。稲妻の刺青は伊達じゃねえや。バレルはどこへ行きやがった。軍師を気取ってやがったが、いざとなると戦場放棄じゃ、ブルクット族の恥さらしだな)
 漆黒の翼に風を受けながらコルウスは砂塵の舞う地上に目を凝らした。
(しかし、おかしなもんだぜ。ここには顔に部族の刺青のある野郎が三人も集まってる。屍肉を漁る禿鷹じゃあるめえし。ブルクット族も命運尽きたか)
 目を閉じると、鴉の目ではあるが明暗反転した戦場に死霊が飛び交うのが見えた。それに続いて空から湧き出すようにして黒い虫が現れた。
(そろそろ俺も地上に降りる時が来たようだぜ。死霊が優勢となりゃあ、闇の王万歳ってわけだからな)
 コルウスは翼で空を切りながら急降下していった。
 その時、横合いから体当たりするように一羽の鷲が現れた。オローだ。
(あぶねえ!)
 あやうくかわしたコルウスは翼を乱され、錐揉み状態になって空中に足掻いた。
(あの鷲は……クランが来てやがるのか……)
 なんとか体勢を立て直したコルウスは地上を見回したがクランの姿はなかった。
 コルウスはサンペ族の森でクランに出会った時から、そのシャーマンとしての力、そして、父セレチェンの魂を承けた剣の力に密かな怖れを抱くようになっていた。
 改めて高く舞い上がったコルウスはオローの姿を探したが、空のどこにも鷲の巨大な翼は見えなかった。
(今のは何だ。俺の気のせいじゃねえだろうが……おや、あれは……)
 眼下に伸びる街道沿いに騎馬の一隊が近づいて来るのが見えた。
(ちぇっ、百姓どもの族長じゃねえか。ちゃんと閉じ込めておけって言ったはずだぜ。グインは何をしてやがるんだ。もしや、おじけづいたか)
 騎馬隊はまっすぐ戦場に向かってきていた。一隊の先頭にはナホ族族長ホワソンが手綱を取る姿が見えた。

 これより少し前、ホワソンはクランとアルテの手によって救い出されていたのだ。
 救出計画はクランの発案だが、これには町に残ったコウモリの巣の若者ブルーノとココが一役買っていた。
 クランとアルテを連れた二人は、まずこの件の首謀者長老グインの屋敷へ乗り込み、得意のはったりと腕っぷし、それに、ちょっとばかりの魔法を見せることで家の者を引き下がらせた。
 クランとアルテが中に入ると、グインはすっかり参っていて蒼白な顔で礼拝の間の床にうずくまっていた。いざ開戦だという段になって部族の男たちが馬車で進軍して行くのを見たグインは急に自分のしたことが恐ろしくなってしまったのだ。
 すでに戦場から伝令も来て、部族の民の死者が多数出ていると聞いていた。
「孫娘を……孫娘を助けて欲しかったのだ……ただ、それだけだった……」
 クランはグインに説いて監禁された族長の家の警備を解く命令を出させた。コルウスにそそのかされたグインのクーデターはここに挫折したのだ。
 クランはその命令書をアルテに託し、族長ホワソンを戦場へ連れて行くように言った。
 グインの命令書を持ったアルテは族長ホワソンの家へ急いだ。ブルーノとココはいつの間にか姿を消していた。これはいつものことだ。
 クランはグインとともに礼拝の間に残った。クランには、この長老とまだやることがあった。

 アルテの手で屋敷から連れ出された族長ホワソンは、クランの言葉に従い、アルテとともに戦場へ馬を駆った。
 今、街道を突っ走ってくるホワソンの脇にはアルテ、その後ろには白い長衣をひるがえすクレオンとユーグ、そして、ミアレ姫の姿が見えた。
 クレオン、ユーグ、ミアレ姫の三人は岩山の天幕に留まり中立を保つつもりだったが、街道を駆けてくるホワソンとアルテの姿を見て戦場へ介入する決心をした。
 族長ホワソンは戦場に臨む丘の斜面から部族の民へ呼びかけた。
「我が部族の民よ、無益な戦をやめよ。我らの長老グインは闇の王を称する者にたぶらかされていたのだ」
 ミアレ姫も声を限りに戦を止めようとしていた。あたりは黒い虫が唸りを上げて飛び回っていたが、姫の周囲には近づけないようだ。王の血脈に慕い寄る精霊の加護であろう。
 戦場はしだいに静まっていくようにも見えた。死霊が跋扈し、黒い虫が闇の力をはびこらせていることは戦に無我夢中の者たちにも分かっていた。すでに虫に食い殺された者も出ている。
 クレオンがナビ教祭司の白い袖を振って呼びかけた。
「これらのことはみな陰謀によるものだ。王の血脈の立ち会いにより、もう一度、和平を結ぶのだ。部族の民で争ってどうなる。お前たちは戦う相手を間違えているぞ」
 この光景は少し離れた丘の上から戦況を見極めていたカラゲルやアーメルの目にも入った。
 見ると、早くもアルテとミアレ姫は怪我人の世話と手当に入ったようだ。部族の民の目にはシャーマンのアルテの姿は心を静める効果があった。ミアレ姫の献身的な様子も尊く映った。
 しかし、頭上の空ではコルウスが黒いくちばしを歯ぎしりさせていた。
(ええい、面倒な奴らだ。せっかく死霊と闇の力が幅を利かせているところなんだぜ。邪魔するんじゃねえ!)
 翼をすぼめたコルウスは地上に向かって急降下した。
 コルウスは戦場の真っ只中に降り立った。人間の姿に戻って地面に両足をついたコルウスは闇をまとった玉座の剣を抜いて敵味方かまわず手当たり次第に斬りつけ始めた。
「へっ、最初っからこうすりゃよかったんだ。なまじっか、カナ族の腰抜けなんぞと関わったのがいけねえや!」
 コルウスの周囲にはどこからともなく七頭の黒い目の狼が出現し、吠え声とともに人間たちに襲いかかった。黒い虫の群れも勢いづいてキチキチという羽音とともに戦場を飛び回った。
 丘の上にいたカラゲルはコルウスめがけてまっしぐらに馬を駆った。その後ろにヤンゴが続いていた。族長アーメルと旗手の少年は丘の上に残してある。部族の民を一人でも多く戦場から撤退させるためだ。
 カラゲルが甲高い勢子声を上げながら駆け寄ると、コルウスより先に狼たちが飛びかかってきた。
 馬上で剣を抜いたカラゲルはその喉元めがけて刃を振るい、一頭、また一頭と闇の獣を地下へと追い払った。
 ヤンゴはいったんは馬から転げ落ちたが、すぐに立ち上がると広刃の大剣をぶん回して寄せ来る群れを叩きのめした。
 あたりは硫黄の臭気でむせ返るようだった。砂塵も、もうもうと舞い上がっている。
 この砂ぼこりもいよいよ尋常でないものと見えた。死霊と精霊とのせめぎ合いの中で大気にも異常が生じているのだった。
 濃霧のような砂ぼこりの中で人の姿もおぼろげな影法師と化していた。カラゲルの耳には虫の唸りばかりが聞こえ、戦場の物音が遠ざかっていった。
 気がつくと、カラゲルは一人になっていた。周囲は薄い褐色一色に染まり、硫黄の臭気は息苦しいほどになった。
「ヤンゴ、どこだ! コルウスはどこへ行った!」
 馬は浮足立ち、息遣いを荒げて右へ左へと鼻先を振った。カラゲルは手綱を握り直し、馬をなだめにかかった。
 その時、空を切る不穏な音とともに何かがカラゲルの首筋をかすめた。左手を上げて首の後ろに当ててみると、手のひらには真っ赤な血がついていた。
「ちぇっ、外したか。片目になったせいか、どうも調子が狂うぜ」
 砂ぼこりの幕の中からコルウスが姿を現した。カラゲルの首筋をかすめたのはコルウスの吹き矢だった。
「コルウス、お前はこの地をどうしようと……ううっ……」
 カラゲルは急に身体がぐらりと揺れるのを感じ、そのまま鞍の上から地面へ転げ落ちた。吹き矢は命中しなかったが、かすめた傷から毒が入ったのだ。
 カラゲルは起き上がろうとしたが、身体は急速に痺れていった。
「稲妻の刺青の者が毒で死ぬなんざ格好がつかねえな」
 カラゲルの横にコルウスが立って見下ろしていた。片目を隠した顔は蒼白で口元に嘲笑うような表情が浮かんでいる。
「このままじゃ、懐かしのベルーフ峰にもたどり着けねえだろう。この地で死霊の仲間になるのもいいだろうが、ここは同族のよしみだ……」
 コルウスは腰の剣を引き抜いた。闇をまとった刀身が低く唸りを上げているのが、カラゲルの耳にも聞こえた。
「この剣でとどめを刺してやろう。なにせ、この剣はシュメル王の玉座の剣だ。王の剣なら勇者の死にふさわしかろうぜ」
 コルウスは唇の両端を吊り上げて笑うと、頭上高く剣を振り上げた。
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