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Mission1 バベルの崩壊

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人間1人の重みと生ぬるい体温を感じて、チェリーははっと正気に返った。背中に感じるのは、冷たい石の床の固い感触。
耳をつんざくようにフロアー全体に鳴り響くのは、ベルを擬した警報。
「ちょっと、カート!!どきなさいよ、馬鹿ッ!!」
体の上に乗っかっている物体xに、チェリーはがなりたてた。その物体は小さく身じろぎすると、彼女の上から退くでもなく酷く掠れた辛そうな声で、
「…………バカ、ち、から」
と、それだけの言葉を返してくる。
焦れったくなって、チェリーはその胸板をガコンと殴ってみるが、少しも動かない。
力の差はないにせよ、体格差があるのですっぽりと彼女はカートの胸の中に収まっている。
「何よ!!さっさとどきなさいよっ!早くここから逃げないと、人が来るわよ!」
「……動くなってんだ、人の動きにセンサーが反応して……、レーザーが…………ッ」
あまりに酷い声だったので、チェリーも不審に感じてよくよく見れば、カートの姿は惨憺たるものであった。身体中をレーザーによって切り刻まれているのである。
そして、床は彼の髪の色に似た色に染められていた。
なによ!!
なんなのよ!!何であたしは無傷なのよ。
この体勢は、なんなのよ!!!!
「…………何してんのよ……血が……」
「バーカ…………そんな顔すんな。似合わねぇから……よ」
これだけの出血である。今は精神力だけで意識を保っているのだろう。
それなのに弱音を吐くでもなく憎まれ口をきくのである。
「うるさいッ…!!だいたいあんたが、先走るからっ!!」
つられてチェリーもついつい応戦してしまう。しかし、もう荒い呼吸を繰り返すだけでいらえはない。
どーしようもない、バカ…………。
警報の音に足音がこの部屋に向かってきているのが分かる。
確か、この部屋はVIPルームの最北端。メインルームの真横だし、警戒が厳しいのは仕方ないわ。
どうしよう……人がきた!!
シューゥゥッ
左に見える出入口のドアが開いて警備服を着た見るからに屈強そうな男達が入ってくる。
「貴様ッ、侵入者だな!?」

低い声が響いて中に入ってくる気配がした。
正規の入口が開かずに、人の気配を感じとるとトラップが始動するっていうことね。
でもどうやら、この人達はあたしに気づいてないわね。
「チーフ、こいつはもうトラップにやられてくたばってんじゃないっすか?」
こつこつと足のつま先で、カートの体をつき回しながら、まだ若い警備員が上司の指示を仰ぐ。
「しかし、ここはグエン家の大切な要人や、お客様が出入りする部屋だ。警戒は怠るな。暗殺者の可能性がある」
こういう時でも慎重であることにこしたことはないというのが、彼の長年の経験での結論である。
しかし、まだ入って来たばかりの警備員は、そんな上司を少し警戒しすぎなんではという目で見返し、
「けど、ぴくりともしねぇっすよ」
と、ガシガシと横たわるカートの身体を蹴り上げた。
「気をつけろよ」
その言葉が終わるか否か、傷ついた青年の下から勢いよく何かが飛び出してきた。
「死ねぇえええ!!!」
吐き出すような言葉と共に、繰り出されたのは鞭のようにしなやかな襲撃。
「うがっ!!!」
昏倒した警備員の男の体は、跳ね上がって床に打ち付けられる。はらっと、美しいほどに見事に着地したのは、細身の小柄な少女である。
息を呑んで見守ってしまった他の警備員たちは、はっとしたように我に返ると、
「こんのアマァ!!!」
と、一斉に彼女の方に襲いかかった。
「あんたたちなんか、簡単なんだからねっ!!」
まるで、芸術的な舞かなにかのように、細い足と腕を男たちに叩きつける。グレイの瞳は生き生きと輝き、舞台上のバレリーナを思わせる。

あまりにも破壊的な舞姫。

カチャリ
撃鉄をあげる微かな音が彼女の演舞を止めさせる。

「おとなしくしろ。侵入者!目的はなんだ!?」
それはチーフと呼ばれていた、警備員の責任者の声であった。
向けられた銃は、カートの顳顬に突きつけられていた。
「卑怯モノッ……」
悔しげにチェリーは歯噛みしながら、がたいの良い警備員を睨みつける。
「ネズミの癖に一人前のことをいう。さあ、言うんだ誰に頼まれたんだ?」
絶対の優位を確信して問いかける男は、カートの身体を引き摺りながらチェリーにゆっくりと近寄っていく。
もう、逃げ場はない…………。
目を伏せてチェリーは、白状しようと口を開きかけた瞬間、
「ぐああっ!」
男は強靱な肉体を震わせて、床に倒れ伏している。
その横で辛そうに膝を屈したまま、カートは大剣を支えにして男の身体を拳で殴り倒していた。
「カートッ!!」
「油断してんじゃねえよ……、ゴリラ女」
部屋の中に散乱している男達の有様と、チェリーを見比べてカートは小さく溜息を漏らす。
「あんたこそ、バカなの!?そんな怪我で動いてんじゃないわよ」
「動かなきゃ…………殺されンだろが」
チェリーが投げつけた怒鳴り声に、不服そうにカートはムッとしながら言い返した。

足音?!新手か、よ。これ以上は、もたねえ。
カートは眉を寄せて開いたままの扉を睨みつける。
深い傷は着実に熱を帯びて、彼の精神力すらも奪っていこうとする。
これ以上、動けねえ。
チェリーを見上げると、彼女は分かっているという表情を浮かべて戦闘態勢をとる。
任せる、しかねえか。
「何があったんだ。騒がしいな」
何人もの警備員を引き連れて、一見ノーブルな装いと物腰で、シルバーグレイの口ひげを蓄えた男が部屋に入ってくる。
口には葉巻などをくわえて、いかにも偉そうな風情を醸し出している。
彼は部屋の惨状を眺めて息を飲むと、頼りないものだと呟き、チェリーの方を興味深そうに見返した。
「…………バルソー·ハディ!!」
チェリーは目の前に立っている男を知っていた。正確には見知っていた。彼こそが今回の標的で、殺人教唆の罪状て五十二件の容疑かかかっている指名手配犯である。
指名手配してても、こんなところに逃げ込まれたら簡単には逮捕なんて出来ないだろう。それがブラックマーケットと呼ばれる所以でもある。
「いかにも、わたしがハディだが、何か用事があったのかな。お嬢ちゃん」
手を伸ばしてチェリーの腕を親しげに掴んでくる男を振り払う。
「汚い手で触らないでよ」
男は面白がる様に怒鳴りつけるチェリーの様子を見下ろし、興味深そうな視線を投げる。
だが、ここに倒れている男達をまさかこの少女が1人でやったとは考えてはいないようである。
そして、カートが倒れかけている方に視線をやると、警護の1人がハディの意図を察したように蹲っているカートの身体を掴み起こした。

どうしよう。助けたいけど…………。
チェリーは自分を取り囲む男達を見回して、絶望的に力の不足さを覚える。さっきの警備員たちなどとは全くランクがかけ離れている。
こいつらは鍛えられた戦士達で、戦いに慣れている。傭兵団の一味だろうか。
「てめぇ…………ぐぅっ、う」
力の入らない身体をもてあまし、視線のみで男達に挑みかかるカートを残忍そうな笑みを浮かべてハディは見下ろした。
「面白い趣向かもしれないな。ここは秘密倶楽部でもあることだし」
どうしよう、この男!マニアックすぎるわ。あたしに興味をもたずに、カートに興味をもつだなんて!?
いや、そうじゃないわ、カートの貞操と命の危機だわ。
ヤレと男達に命じると、カートを掴んでいた男はその手を振り上げて、カートの身体を床へと叩きつけた。
「やめてぇええ!!!」
悲鳴のようなチェリーの声が部屋に響き渡る。
ぐしゃっと音が響いて、げはっともんどりうちながら血反吐を吐き出したカートを容赦なく男は片足で踏み潰した。
ハディはカートに近寄り喉奥で笑いを漏らしながら、首に嵌る首輪を掴んで引き上げる。
「ネックリングを嵌めた奴隷か。大方下の階層の奴隷市場から脱走してきたのかな」
無抵抗なカートの首筋にあるバーコードを指先で撫でて、シャツを引き下ろすと、レーザーに貫かれた傷口に指を突っ込んでぐちゃぐちゃと掻き混ぜる。
「ッ……ひぐ、ぅうう」
苦痛で声も出ないのか、喉からはヒューヒューと息を漏らすだけになるほど、カートは衰弱している。
それを舌なめずりをしながら、ハディは見下ろしカートのベルトを外して全裸にひん剥く。
逃げださないと、カートが殺される。
チェリーは必死に逃走経路をみいだそうとするが、男達は隙無く身構えていて、カートを攫って逃げるのは困難だ。
ぐちゃりぐちゃりと傷にくいこむ男の指が、カートを壊しにかかっている。

やめて、やめて、やめて…………。
チェリーは、男の動きを止めることも出来ず、目から大量に涙が流しながら、為す術もなく茫然と立ち尽くした。
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