星間のハンディマン

空戸乃間

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第一話 Killer Likes Candy

Edge of Seventeen 10

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 天蓋に覆われたドーム都市に求められた潤い。ビル街のど真ん中にある八ブロック分の巨大な憩いの場、中央公園にはサイクリングロードに池もある。日中は親子連れやカップルで賑わう都会のオアシスなのだが、深夜の公園は事件の所為か全くの無人で、薄暗いベンチで乳繰り合うカップルどころか野良猫一匹さえいやしない。
 池の周りの遊歩道を照らす街灯が不気味な雰囲気を醸しだし、まるでゴーストタウンを進んでいる気分だが、独りになりたいヴィンセントには寧ろ好都合だった。

 憂鬱にヴィンセントは石ころを蹴飛ばすが気分は晴れない。問題と答えは自分の中に全て揃っているのだから、吐き出さない限りスッキリなどしないと判りきってはいても、だが、ルイーズには話せない、絶対に。彼女の身の安全を考えるならそれが賢明だ。
 もう少しマシな言い方があったのではとは思うが……。

「臆病者、憶病者か……、堪えるねぇ」

 反芻するヴィンセントはだが、それで構わないと考えていた。そのおかげで、まだ生きているのだから。
 遙か上空、閉ざされた天蓋には――造られた夜空には人口の星々がある。本物そっくりに見えるが所詮は偽物、あの星空に想いを馳せるのは虚しい気分になる。アルバトロス号がドームを離れて三日だというのに、狭く小汚い船室が恋しく感じ、何よりも愛機のコックピットに飛び乗って空を駆けたい気持ちが高まっていた。そうすれば、とぼとぼとしょぼくれた公園を歩くよりはよっぽどマシな思考になれる。

 なんて上をみながら十字路に出ると彼は何かとぶつかった。これ以上なく余所見をしていたヴィンセントは反応さえ出来ず、驚きの声を漏らす。
「うおッとぉ⁉」
「きゃあ……ッ!」
 と、女の悲鳴。フードを被った女がよろめく。

 ヴィンセントも体勢を崩していたが、反射的に女の腕を掴もうと手を伸ばしていた。

 触れるか触れないか、刹那――

 風を唸らせつつ二人の間を何かが飛び抜けていき、見えはしなかったが、反射的にヴィンセントは上体を引く。
 すると――ピシィィィィイィィン!

 甲高く鞭打つような破裂音が静寂を破った。
 背筋が寒くなり頭の中では警告音が鳴り響く。ヴィンセントの目は勝手に動き、闇夜に霞む音の元を確かめると、遊歩道が菱形に抉れていた。あの破裂音は銃弾が跳ねた音だ。

「ちッくしょうがッ!」
 ヴィンセントは瞬間の判断で銃を抜き、同時に女の腕を掴んで、石壁の裏に力一杯引き込んだ。弾痕の形からみるに狙撃手は南側から狙いをつけている、教会での経験がこんなにすぐに役に立つとは誰が想像しただろう。

 低い石壁の下に女を伏せさせ、ヴィンセントもすぐ隣に飛び込んでいた。南側からは遊歩道に沿った並木と石壁が目隠しになって狙えないので、頭を上げない限りは安全だ。
 もし女とぶつかっていなければ、飛来した弾丸に脳幹を吹っ飛ばされて転がっていたことだろう。不意打ちは襲われただけで寿命が縮むもので、まだ生きているのは偶然だった。

 石壁に身を寄せ、俯せになっている女を見遣るが、黒服の女は動かない。
「おい、あんた。大丈夫かッ?」

 揺すってみると震えているのが分かった。彼女にしてみれば、真夜中近い公園で銃を持った男に襲われているのだから、怯えるのは当然だ。

 ヴィンセントは「大丈夫か」と、落ち着いた声を作ってもう一度尋ねるが、一方的に狙われる立場で他人を気遣うのは難しく怒鳴り声に近かった。だが、パニック状態の女には聞こえていないのか、フードの下で怯えながら彼女は何度も呟いていた。

「たすけて…………! しらない、わたし知らない……ッ! ちがう、ちがうちがう、わたしなにもしてない!」

 聞いた声だとヴィンセントは思う。眉根を寄せてフードをゆっくり下ろしてやれば、漆黒のフードが白い癖っ毛に変わった。
「お前、ノーラじゃねえかッ! こんなトコで何やってんだ、お前⁉」

 肩を揺するが反応を示さず、ノーラは膝を抱えて震えている。
 どうやら無事らしいが、まずは彼女を落ち着かせなければ移動もままならない。

「しっかりしろ。大丈夫だ、逃がしてやるから」
「ああぁぁ、……。にげないと……はやく…………!」
 緊急時に恐ろしいのはパニックに陥ること――判断力の低下はそのまま死に繋がる。挙動不審に、ノーラは視線を巡らせていた。
「こっち見ろノーラ、ゆっくり息吸って吐け、深呼吸するんだ」

 冷静さが命を繋ぐ。空戦と同じで欠けば墜とされる。地上にあって良いことがあるとすれば、空よりもほんの少しだけ息をつけるところだろう。
 一言一言を丁寧に、ヴィンセントは自らにも言い聞かせながら、ノーラの恐慌状態が収まるのを待つ。段々と呼吸が整っていき、やがて彼女と目が合った。混乱こそしているもののどうにか話は出来そうだ、そう思った矢先である。

 突然ノーラは立ち上がり逃げようとした。

 泡を食ったのはヴィンセントだ。慌てて飛びつき伏せさせると、待っていましたとばかりに飛来した銃弾が彼の肩を掠め、割れるような着弾音にノーラが悲鳴を上げた。
 正確な位置の割れていない狙撃手相手に身を晒すなど自殺行為で、相手は初弾を外した時点から標的がどちらだろうと関係なく銃弾を見舞うだろう。立ち上がれば死。銃口を押しつけられているも同義だというのに、ノーラはだが必死に抵抗する。

「いててて、力強ェな! 暴れンなってのッ!」

 放してはならないのは明白で、振り回す腕に殴られても、ヴィンセントは全力を尽くしてノーラをねじ伏せたが、左腕一本では抑えられず、限界を悟ったヴィンセントは右手の銃を手放し、両腕を使って今度こそ彼女を制圧した。俯せに組み伏せ押え付ける。

「落ち着け、大丈夫だ、大丈夫だから」
 ヴィンセントは囁く。取り憑かれたように何度も「逃げなきゃ」と呟くノーラに向けて。
 彼女の不安を塗りつぶそうと? それとも自分のか? 優しい声だったかも知れないし、脅しに近かったかも知れない、ヴィンセントにすら曖昧だった。

 暫く押え付けていると、ノーラの呼吸が収まりを見せはじめた。
「ヴィンス、さん……、どうして……なんでここに……?」
「こっちの台詞だ、お前こそ、こんなトコで何してる。お子様は寝る時間だろ」
「わたし……わたし…………」
「分かってる、きちんと家に帰してやるから安心しろ。ノーラ、俺の言ってること分かるか?」

 暫くヴィンセントを見つめてから、ノーラはこくりと頷いた。
「安心しろ、便利屋さんに任しとけ。よし、放すけど頭上げるなよ」

 とは言ったがどうしたものか。落ち着いたノーラを自由にしてやってから石壁にもたれ、見えない狙撃手を睨み付ける。逃げるのが賢い選択肢なのだが、来た道を戻ろうにも遮蔽物がない為、狙撃手から丸見えになってしまう。撃ち合おうにもヴィンセントの手には拳銃のみ、二挺あるがそれがどうしたという話だ。射程はいいとこ二十メートル、狙撃手の得物は不明だが、勝負になる間合いにはいないのは明白。

 おそらくだが、狙撃手は公園内全てを狙撃範囲に収めているはずだ。更に悪いことに公園から出るには必ずどこかで銃口に身を晒す羽目になり、ノーラを連れて逃げるにはきつい条件ばかり。舞台は完全に相手に有利、そして手持ちの武器ではひっくり返せる状況にない。

 ふぅ~っと息を吐き、ヴィンセントは欠けた石畳に目をやる。
 撃たれないということは、やはりこの場所は狙撃手から見えていない。二人が隠れている石壁は腰の高さ程度だが、弾痕は思ったよりも近くにあった。高角度から撃ち降ろされたからだ。移動するにしても先に相手の位置を把握しなければならない。

 遮蔽物から顔を出すと考えるだけでもちびりそうだったが、胸の中でありったけの罵声を吐いて覚悟を決め、動いた。
 一瞬、南側を覗き込み、左右に目を走らせて引っ込む。

 公園南口へ伸びる道の先、表彰台よろしく並んだ三棟のビルから狙われている。公園を囲んでいるビルの中でも特に高く、さぞ狙いやすいポジションだろう。

「ヴィンスさん」
「悪いなノーラ、どうやら巻き込んじまったらしい」
 狙われているのはヴィンセントだが、狩りの邪魔をしたノーラを賞金首が見逃がすとは考えにくい。彼女の無事を考えるなら安全な場所まで連れて行かなければ。

「ちゃんと逃がしてやるからな、怖えかもしれねぇけど言うこと聞いてくれ」
「…………はい」

 少しでも勇気づけられればと、ヴィンセントは軽く彼女の肩を叩いてやった、鉄火場においてはそれが精一杯。
「いいか、あそこまで走るぞ」
 ヴィンセントは通りにの向こうにある自転車の貸し出し場を指さした。石壁一枚に頼り切るのは精神衛生上よくないし、プレッシャーに圧殺されてノーラがまた走り出したら堪らない。安全を求め、ならば冷静なうちにと無茶を強いる。

「ぱっと、走るだけだ、大した距離じゃない。それにもう少し待ってからだ」
 ケータイで時間を確認し、それから空を見上げるヴィンセント。右手の拳銃が街灯の光を受けてさらりと光る。頼りないがないよりはマシだった。

「だ、だいじょうでなんですか」
「神様に祈るほどじゃねえや、まあ見てろ」
 ヴィンセントはおどけてみせ、煙草に火をつけた。昇る紫煙を追いかけて唸っているが、その意味がノーラには分からない。と、一緒に天を仰いでいたノーラの頬がひたりと濡れた。

「雨……?」
「きたきた、降ってきたな。準備しとけ」
 雨に注ぎ、風も吹き始め、ヴィンセントはご機嫌に口角を歪める。天候管理システムは正常に作動中、彼はこれを待っていた。

 狙撃とは実に繊細なもので、その弾道には様々な要素が混ざり合う。例えば一度の差違が着弾点ではメートル単位のズレとして現れ、風に距離、重力による落下、湿度――その上、突然雨が降り出したらどうなる?

 吸いさしの煙草を石畳で押し消すと、ヴィンセントはスーツのジャケットを脱いだ。地面には水玉模様が増え、乾いた石畳を染めていく。

 タイミングはここだ、ここしかない。神のお恵みでもなく人工の雨。否、さしずめ散水だ。それでも二人には恵みの雨で、雨脚はみるみる強くなる。

 あめあめ、ふれふれ、もっとふれ、風も吹いてもいいんだぜ?

 狙撃に必要な条件がひっくり返るこの瞬間を待っていた。ノーラに目配せしてから、ヴィンセントはもう一度、瞬間だけ顔を晒す。――ここにいるぞ、走るぞ、撃ってこい。

 一秒。

 引っ込んで銃を構え、街灯を狙う。
「いくぜノーラ、耳塞いでろ」
 銃声が轟き、割れる街灯。辺りが一段階暗くなった。

 街灯途絶えた十字路にスーツを投げる。
 宙を舞う黒のスーツは湖面を漂う枯れ葉のよう。
 ピシィッ――、と破裂音。
 スーツに小さな風穴が開き、それを合図にノーラの腕を引く。
 一〇メートル、僅かに三秒程度、だが長い。
 時間が延びたようだ。
 一歩、二歩、
 雨水を踏み散らし、頭低く駆ける。
 二秒、やっと半分。
 一秒、目前。
 ノーラが先に建物の陰へ。
 風が唸って破裂音。

 ヴィンセントがぐらりとよろめいて、「ヴィンスさんッ⁉」とノーラが叫んだ。走った勢いそのままに建物の陰に倒れ込んだヴィンセントが、水溜りを豪快に蹴散らした。

「ぷっへぇ! 俺は平気だ。こっちくるな、狙われるぞ」
 這いながら隠れ、ヴィンセントは訊く。
「怪我はないか、ノーラ」
「ヴィンスさんこそ」
「コケただけだ、当たっちゃいねえ。怪我は?」
 ノーラは首をぷるぷると振った。
「ありません」
「ならよかった。……スーツはおじゃんだな、借り物なのによ」

 ヴィンセントはドア窓から貸し出し所を覗き、入れるかどうか試すが施錠されていた。
 更に強くなる風雨。ここまで降れとは祈っていないし、二人は既にびしょびしょだ。仕方ないと眉を吊り上げてから、ヴィンセントは肘打ちで硝子をたたき割り、そこから腕を突っ込み鍵を開ける。

「ひとまずここでやり過ごそう。ノーラ、電気に触るなよ」
 丁度、照明のスイッチを探していたノーラは驚き手を戻した。

 ヴィンセントが街灯を撃ち壊したので、貸し出し所内は目隠しをされているくらいに真っ暗闇で一歩先も見えない。不便だが明かりをつけて、わざわざ狙撃手に居場所を知らせてやることはない。狙撃手だって、まさか危険を冒し移動したのに、そのまま貸し出し所に留まっているとは思うまい。

「ナイスランだ、座って休んどけ」
 なけなしの勇気も品切れらしく、椅子に腰掛けたノーラはまた震えだしていた。安心したのか、それとも寒いのかもしれない。しきりに身体を擦り、白い息を吐く。
 おかげで助かったと言えるが、激しい雨に打たれた所為で二人とも濡れ鼠状態だった。

 ともあれ無事貸し出し所には入れたので、あとは助けを呼んで大人しくしていればいい。あとは誰に応援を請うかだが、思い返せば気が重くなりケータイを操作する手も鈍る。一服つけたい気分になってヴィンセントは胸ポケットを弄るが、そこに煙草はなかった。

「……あ~、しまった」

 煙草はスーツの胸ポケットで、今頃、雨でぐずぐずになっている。勿体ないことをしたと溜息一つ、彼はそれだけで観念し通話ボタンを押した。
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