星間のハンディマン

空戸乃間

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第一話 Killer Likes Candy

Edge of Seventeen 8

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 そもそも彼女が一人で行くと言い出したのだ、付いていったところで邪魔になるならルイーズに任せた方がいい。曰く、「貴方ヴィンセントが一緒にいると面倒がある」とかなんとか――。

 護衛を引き受けている手前一度は引き下がったが、二度拒まれれば大人しくするしかない。そもそも獣人街なのでルイーズが危険に晒される可能性は低く、どちらかといえば現状で危険なのはヴィンセントの方だった。真夜中近い獣人街に人間が一人。知らぬ誰かの恨み辛みで刺されてもおかしくないのだから。

 おかげでヴィンセントは暗い車内で待機、遅滞する時の流れは不安と不満を抱えている証拠だろう。人間と獣人の関係を――ただでさえ険悪な両者の溝を――更に深く掘り下げることになる事実に。
 連続殺人事件の被害者に人間が連なることになった。

 今までは獣人が人間を疑っていた。元々長年向けられ続けていた差別と偏見は積もりに積もり一触即発だった。彼等の不満は燃え盛っていたはずで、その中に新たに生まれた火が人間の抱えた恐れ。連続殺人と似た手口で殺されたとなれば復讐を疑い、人間には不信が広まり、今度は人間側が獣人による報復だと決めてかかるだろう。

 どうなるか想像に難くない。憎しみ、嫌悪、侮蔑、あらゆる不の感情が燃料となり、怒りの火種を業火へと進化させる。既に燃料は街中にまかれているも同然で、マッチが落ちればあっという間に燃え広がる。そして一度燃え広がれば収めるのは至難だ。
 ルイーズの姿を視界に捉えてヴィンセントは確信を持つ。止められる可能性があるのは自身ではなく彼女の方なのだと。




 駐車場に車を戻す時も、事務所への階段を上がる時も、そして今、ドアノブの前に立っていても、どう切り出すのが正解なのかヴィンセントは悩み続けていた。
 路地での被害者が人間であったことは既に伝えてある。が、深刻な事態であるにもかかわらず、ルイーズはただ一言「そう……」と答えただけだった。薄暗く、くすんだ瞳で。

 事務所に入ればルイーズはデスクに腰掛け、ディスプレイ相手に話をしていた。事件に関する電話だろう。彼女は車のキーをデスクに置いたヴィンセントに一瞥だけくれ、すぐに画面に目を戻した。

「ええ、それじゃあ、くれぐれもよろしくお願いするわネェ」
 艶笑を浮かべてルイーズは別れの言葉を口にする。通話が終了したことを確認してから彼女はぐぅ~、と身体を伸ばした。

 ヴィンセントは応接ソファからその様子を眺め、見間違いであったらと願ってみたりした、間違いようがないと否定しながら。
 希望を押しつけられれば迷惑だろうが、思わずにはいられない、――どうか誤るなと。

「疲れてるな。俺じゃあ、どうやら力不足か」
「卑屈ネェ、貴方のおかげに寄るところだって大いにあるのに、助かっているわよ?」
「そうか」

 そんなことが訊きたいわけではなかった。ヴィンセントが黙っていると、今度はルイーズが冗談交じりに尋ねる。
「料理だって上手だもの、これも意外な収獲だったわ。どうかしらヴィンス、便利屋から情報屋に乗り換えてみる気はあるかしら? 貴方なら歓迎するわよ」
「電車じゃねえんだ、簡単に乗り換えなんかできねえよ。やる気のねえヘッドハンティングならやめてくれ、ルイーズ」
「……そう聞こえるの、貴方には。冗談に聞こえる?」
「……あぁ、これまで聞いた中でもとびきりだ」
「けれど笑わないのね、嬉しいわ」
 ヴィンセントは答え倦ねた。

 細められたルイーズの瞳は金色に美しく、満月のような優しさと艶やかさを以て彼に言葉を呑込ませた。そんな物は必要ないと語るように。

 見つめ合う二人の間に数瞬の沈黙、吐息すら響く沈黙を破ったのはメールの着信音だった。名残惜しそうにルイーズはディスプレイへと目を戻し、暫く画面を見つめて瞳をくすませた。

 ヴィンセントは魅入られた重い腰を上げる。
 馬鹿な妄想だ、いいようにからかわれているだけだ。果たしてそうか? 期待しているんじゃないのか? 舞い上がりかねない気持ちを否定し続ける、美貌に化かされているだけだ。

 ――仕事をしろ。
「遂に人間の被害者が出たな」
「そうねぇ、犯人の異常さを考えると遅かった方だと思うけれど」

 ルイーズは微笑んでいるが、このまま放っておけば大勢死ぬ事態になりかねないので、まったく笑えない。悪党が死ぬ分には構わないが一般人まで巻き込まれるのは止めておきたい。
 しかし思いとは裏腹に、ヴィンセントは賞金稼ぎとして、自分の手に余ると痛感したばかりだった。やれないことはないが、人手がほしい。せめてもう一人、或いは二人、この賞金首を使えるには頭数が必要だった。

「さてさて、どうなるのかしらねぇ、これから」
 ルイーズがぽつり、こぼした。眼差しは冷たく語り口は冷淡で、死神にでも魅入られているように冷ややかに過ぎる。
「人間達は獣人が復讐の為にやったと思うでしょうねぇ。膨れ上がる疑心暗鬼、その恐怖を賞金首の情報は天井知らずで上がっていく。ふふっ、素敵。懸賞金が増額されるまで待つ方が賢いかしら? ヴィンスはどう思う?」
「今すぐにでも売った方がいい。些細な情報でも」

 静かに問うたルイーズに、ヴィンセントは憂愁の眼差しで答える。
「警察は止める気ねぇみたいだしな、情報を欲しがる奴は多い。賞金にしたって十分にデケェ、釣られて集まってくる賞金稼ぎの数もだ。売るなら今だ」
 明らかに警察の動きがおかしく、頼れないことは明白だ。皮肉なことに、事態の収拾を図れるのは荒事になれた賞金稼ぎくらいのものだった。

「……何故?」
「俺だって高く売りてえけどよ、無駄な人死には止めてえ」
「違うわ……そんなことじゃないの、私が訊きたいのはそんなことじゃない」ルイーズは悲しく首を振り、尋ねる。「何故、いまなの?」と――

「だから止められるからだ」
「違うわ。誤魔化さないで」
「誤魔化してねえよ。放っておけば大勢死ぬぞ、しかも一般人同士で殺し合うことになる」

 これ以上の犠牲を止めたいのも本心だ、ただ想いが一つとは限らず、その隠れた思惑をルイーズは感じ取っていた。
「それならヴィンス、答えて頂戴。何故今になって? 焦り怖がっているように見えるわ、貴方は何を怯えているのよ?」
「…………」

 一体何を恐れているか、ヴィンセントは確かに、それを明確に表現する言葉が見つからない。多すぎるのかも知れないと彼は思うが、その一つはルイーズが時折見せる暗い瞳だ。人殺しとはまた違う、異質な濁りを宿した眼。
 金貨と命を秤に掛ける商人の、ある意味純粋で故に危険な眼差し。
 それが恐い、否、懼ろしいかった。

「『止められる』と、そう言ったわねェ、貴方は」
「ここが分水嶺だ、こいつを超えちまったら最後、金星を二つに割った、民族紛争さながらの惨状一直線だぞ。今ならまだ間に合うかも知れねえ」
「どうしてよ?」
「だから何が訊きたい、ハッキリ言えよ」

 苛立ち詰め寄るヴィンセントを、ルイーズの哀しい視線が射止めた。
「私達(獣人)が殺されている間は止める必要が無かったのね」
「……そうは言ってねえだろ」
「手を引くべきだと貴方は言ったわ。けれどもすぐに捕まえるべきだとは言わなかった、情報を売るべきだともね。人間が殺されるまではそこまで緊急性があると考えていなかったのでしょう、すでに大勢犠牲になっていたのに」

 見解の相違だが、ルイーズの言い分にも事実は含まれていた。獣人だけが狙われいた段階で焦りがなかったのは事実、そしてどこか期待があったことも。
 少しの間すら耐えられず、ルイーズは矢継ぎ早に続けた。

「貴方はいつもそう、肝心な部分ははぐらかしてばかり」
「そんなことは」
「――あるでしょう。その目に私を映していても、貴方の心は別のことを考えている。嘘が下手だと思っていたけどそうじゃない、信用していないのね。だから本心だけは頑なに口にしないんじゃないの?」

 話が厄介な方向へと流れていくのをヴィンセントは感じたが、切り上げることをルイーズは許さない。
「とんだ臆病者じゃない。その癖、銃で人を撃つ」
「公私を非難されるいわれはねえな、少なくとも今のお前には。忘れてるだろルイーズ、直接手に掛けていないだけで、お前の仕事は人の命を左右してる。俺のことは関係ねえだろ」
「あるわよ!」

 ルイーズは怒鳴り、椅子を飛ばし立ち上がる。
「……あったとして、だ。どうでもいい問題だ、事件とは無関係だ」
「関係ないなんて言わないで、他のなにを置いても重要なことなの! ……不安で仕方ないのよ、私は……、とても大切なことなのよ」

 ルイーズは俯き、デスクには水滴が落ちる。目を赤く腫らして力なく椅子に座ると、彼女は小さく鼻を啜った。

 話聞かせるのは簡単だ。だが世の中には災いが降りかかる類いの話があって、秘密を守るのには誰にも教えないことが一番手っ取り早く、そして確実だ。だからヴィンセントは黙したままルイーズに背を向ける。

 茹だる外気に反して事務所の扉は冷え切っていた。
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