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第二話 イザリス砦に棲む獣
世界、滅ぼせし者 Part.7
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鉤爪を大地に食い込ませて、着実に、竜巻から逃れていく。人間さえも紙くず同然にあしらう風刃、その壁を一歩一歩と掻き分けて、ついに邪龍は脱出を果たしてみせた。鱗にはいくつもの斬撃が走っているが、やはり邪龍はいまだ健在だ。
「正直に言おう、女。これだけの規模で同時に魔術を発動させたのには驚いたぞ、威力も凄まじい。一瞬だが、我輩の心に焦りが生じたぞ――」
「…………」
「――だが、貴様如き魔力では不足ッ! 魔術ももう保つまい。我輩を打ち倒すにはあまりに貧弱である、自らの弱さを呪いながら死ぬがよい!」
「主は、やはり強いな……」
飛びかかる邪龍を前に、ヴァネッサは独りごちった。顔を伏せ、小さく小さく、諦観に暮れてしまったかのように、豪腕振りかざした邪龍がにじり寄ってきても、彼女はその場に立ち尽くしたままだった。
「不完全とはいえ、このディアボロスを追い詰めたのだ、精々あの世で誇るといい」
「……ふむ、思った……通りだのう……」
「まだ笑えとは諦めの悪い女だ。貴様とうに死んでいる、我輩を閉じ込めている聖女の加護を発動させたとき、貴様は自ら火刑台に登ったのだ。魔力も底を尽き、身体も動くまい?」
――と、ヴァネッサは僅かに顔を上げる。
強がるためではなく、見届けるために。
「貴様は強い、確実に、吾では敵わぬよ……、全てで吾の上をゆき、心の内さえも読み取る、こうして死力を尽くしても先延ばしにするのが精々だ。しかし、貴様はその力故に驕り、奢るが故に負けるのだ……」
邪龍が近づく、聖女の加護を踏み越えて――
「最早、貴様を護る物はないぞ、女。竜巻を維持しているのは立派だが、あれでは身を守れまい? さぁ、まだ笑えるか、我輩を倒すと、我が牙に砕かれながら」
「あぁ、笑えるともさ――」
弱々しくも、ヴァネッサはまだ笑っていた。
「――心を、読めるが故に聞き逃したのう? 貴様を倒すのは吾ではない、我々だ……」
荒ぶる竜巻、その陰に沿って拡がるのは闇夜に眩しい白翼、強風に乗ったアイリスが邪龍の横っ面目がけて殴りかかっている。視界の外、意識の外から、ヴァネッサが整えた舞台に上がった邪龍に固めた拳を叩きつけるために。
しかしだ――、反応されている。
「このディアボロスに、同じ手が何度も通じるか、小娘ッ!」
邪龍の迎撃、飛び迫るアイリスをねじ伏せんと振るわれる豪腕は鱗に覆われた丸太さながらで、今度こそ必殺と唸っている。
ところがだ、その声を間近に聞きながらも、アイリスの心に怯みはない。
レイヴンの勇気、ヴァネッサの策、二人の力になれなくて何が龍か。
「同じじゃありません! ハァァァァッ!」
小石と巨岩、比べるのさえ無駄に思える拳同士がぶつかる波濤はアイリスの骨身に染みた。さっきよりも大きな反動を感じながらも、力勝負だからこそ勝たなければ。
奥歯噛みしめアイリスは押し切る。世界を包もうとする絶望を、闇の彼方へ押し切ってみせる。
――ビキッ
何かが割れる音がした。
拳が砕けたのかもしれない。
体中が痛い所為でアイリス自身はっきりとしなかったが、構うものかと睨付ける。拳一つ、腕一本で世界を護れるというのなら、失うだけの価値はある。
――振り切れッ!
覚悟を宿したアイリスの瞳、そして土壇場の集中力で満身込めて一押ししてやれば、ぐしゃりと鈍い音がして、邪龍の腕が千切れ飛んだ。ヴァネッサの魔術は効果こそ薄かったが、着実に邪龍の肉体に傷跡を残していて、これまで束ねた三つの力が、邪龍の両腕をついにもいだのである。
「な……! なんだとォ…………ッ⁈」
「今のは蹄鉄君やキャロルさん、貴方に命を奪われた人達の分ですッ! 次は――」
即座の連打。
がら空きになった腹にねじ込むアイリス渾身の一撃は、巨体をくの字に畳んで宙に浮かせる。深々と突き刺さったボディブローには、邪龍といえども嗚咽を止められないようだった。
「おぉ……ご、えぇええ…………」
「――ヴァネッサの分です! そしてこれは――」
飛び込んだ勢いを生かして身を捻り、アイリスが放つは後ろ回し蹴り。
「――レイヴンを傷つけた分ですッ!」
尻尾まで利用した彼女の蹴り技の威力は凄まじく、ついに邪龍の鱗を砕き、巨岩さながらの肉体を竜巻の中へと蹴り返した。
邪龍はまだ息がある、しかし割れた鱗は、さながらぼろ小屋の屋根と同じで嵐を防ぐには脆すぎる、そして一度剥がれたが最後、アイリスに砕かれた部分から風の刃に切り刻まれて、邪龍の悲鳴が荒ぶる竜巻を押しのけて木霊しはじめた。
とはいえ、時期に聞こえなくなる。
これで決着だと安堵の息を吐いたアイリスは急にのしかかった疲労感に肩で息をしていることに気が付いた。だが、ヴァネッサはまだまだ険しい表情のままで、竜巻の中からは力に満ちあふれた怒号が響いてくる。
「この程度でェェエ、この程度の力で、我輩を打ち倒せると思うなッッ、虫ケラ共が!」
「そんな……、まだ、動けるなんて…………」
不慣れな身体に、不慣れな戦い、なによりも両腕で受けた火球はアイリスに深いダメージを与えていて、身体を支えていた魔力も先ほどの攻防で絞りきってしまっていた。膝も震え、立っているのもやっと、それなのに邪龍はまだ闘えると言う。
刃の谷間、その細い筋に邪龍の眼がギラ付いている。
「顔を上げろ小娘、まだ絶望することは揺るさぬぞ、一人一人時間をかけて縊り殺してくれる。ダークエルフの女、次いで人間だ、此奴らが苦しみ喘ぐ様を貴様に拝ませてやろう、自ら死を懇願するまで責め立ててくれるぞ」
「さ、させません……わたしだって、まだまだ、闘えます…………」
「青息吐息のその身体でか、笑わせる」
あぁ、まったく笑えるな――
彼の声が聞こえるなんて誰も思っていなかった、しかし、彼はそこに立っていた。
よれよれポンチョ、土塗れのハット、額を朱に染めた様はまるで踏みつけられた雑草のような出で立ちで、彼はそこに立っている。
「レ、レイヴン!」
「ふふ、とうに諦めたものかと思ったがのう、小僧」
「女に任せっきりじゃあ男が廃る、だろう?」
「おいしいとこだけ持っていく者が、漢かどうかは怪しいがのう」
やはりヴァネッサは口減らず、レイヴンは苦笑しながら頭を振ると手にしていた空瓶を投げ捨てる。良薬口に苦しというが、このクソ不味い万能薬を、二度も呑むことになるとは思ってもいなかった。
「魔力を感じ取れぬ人間は不便だな、最早貴様ではなんの役にも立たぬぞ。黙して死を――」
――ズドンッ!
聞く耳持たず、レイヴンの抜き撃つ魔銃が竜巻を貫き、邪龍を黙らせた。風に遮られ目標は見えていなかったが、当たりはせずとも至近弾にはなったらしい。
「――……無知か、無謀か、身の程知らずの人間が、貴様の出る幕はとうに無いと理解が及ばぬようだな」
「よく喋る死体だ。無知だ、無謀だと、大層な台詞を吐く割には全く勘違いをしてやがる、だから耳かっぽじってよく聞いとけ、お前がくたばる理由をな」
正直なところ、邪龍が何人ぶっ殺そうが、復活して世界をどうしようが、レイヴンには興味なんか微塵もなかった。ただ、一つだけどうにも頭にくる事があった。
「――こいつは許せねえよ、アイリスに傷を付けやがったのはなぁ!」
次弾は考えず魔力を集中すれば、魔銃の銃身は攻撃的な輝きを纏い、そしてレイヴンが銃爪を落とすと同時、瞬く魔弾が空気を裂いた。
だが――、銃口から放たれた雷は邪龍を閉じ込めた竜巻ではなく、ヴァネッサの足下に着弾したのである。
「クッハハハハ! 意気込みすぎて外したか、どこを狙っている、人間!」
「……いいえ、命中しています」
力なくも、そう言ったのはアイリスだ。彼女が向ける視線の先、そこはヴァネッサの足下で、術式の刻まれたナイフが深々と地面に突き刺さっている、銃爪を引く直前にヴァネッサが意味深に――聖女の術式の上に――踏み刺した刃の意味を、レイヴンは確かに汲み取っていたのである。
「直接撃ち込んでも、今の魔弾じゃあ倒しきれるか怪しいが、ヴァネッサの魔術に乗せてやれば逃げようがねえだろ」
徐々に、そして確実に、風刃渦巻く竜巻が黒い雷雲を纏い始める。
魔力の制御はヴァネッサの方が格段に上手く、レイヴンが単純に撃ち出した魔力を巧みに操り、その威力を何倍にも高めてみせる。
風で切り裂き、雷で焼く、細に刻み、灰に帰す。再生を阻みバラバラに倒すために。
傷口から少しずつ肉体を裁断する、間断なく続く攻撃に邪龍は絶叫を上げていた。
「ぬぅぐっぐぅぅぅうおおぉぉぉッ! き、貴様らぁぁぁぁッ、欲に塗れた下賎の者共がァ、このディアボロスにーーーーッ!」
「この世はとっくに悪党だらけ、手前ェの席は空いてねえってこった」
雷鳴轟き、邪龍が悶える。すでに刻み焼かれた肉片が、竜巻から弾き飛ばされ周囲に降り注ぎ始めている。勝負は遂に決した、焼き焦げた肉片は地面に落ちるや、粉々になって消えていくばかり、最早再生もしない。
だというのに、だ――「くっくっく……」と、邪龍は堪えきれない笑い声を漏らし始めた。
「……何時であれ、笑ろうてこその邪龍だのう」
「その通り。我輩は愉快なのだ、女――」
今度こそ、完全に勝敗は決した。邪龍が今更何を言おうと負け惜しみ過ぎず、レイヴンは冷ややかに耳を貸してやった。
「――いやなに単純な事だ、今回の敗北、認めてやろうと思うてな。貴様らはよく闘ったと褒めてやろう、このディアボロスを退けたのだ誇って良いぞ。だがな……、そこの人間が言ったように、かつて我輩が打ち倒された時代よりも遙かに人間が増えているようだ、この事実が意味するところ、貴様ならば理解できるな、女」
「…………」
「クッハハハ! さぁトドメを刺すが良いッ!」
邪龍の問いかけにヴァネッサはまだ眉根を寄せている、が、これ以上の問答など不要だ。
「こいつの声も聞き飽きた、闇の中に追い返してやれよ」
「ヴァネッサ! お願いしますッ!」
跪いたヴァネッサは、ナイフに手を添えると静かに呪文を唱える。邪龍の魂を再び砕く、強烈な魔術を見舞うために。
「《集いし力よ、御することなく、律することなく、奔る白にて存分に鞭打たん! 我が名の下に招来せよ! 熱り起つ雷撃女帝ッ!》」
唱え終わると同時、内臓揺さぶる爆音が轟き、目もくらむ雷撃が天へと昇る。ヴァネッサの術式に練り込まれた魔力は、竜巻を銃身とし、巨大な雷の柱を天空へと打ちあげた、その威力たるや、邪龍を骨の髄まで焦がすほどだ。
あまりの閃光に目を庇ったレイヴン、ようやく白飛びした視界が戻ってくれば、聳え立っていた竜巻は、幻のように消え去っていた。
突然に訪れた静寂
波間のように煌めく星々
一切の風が止み、自分の呼吸しか聞こえない
この夜の出来事が、まるで全て壮大な悪夢だったかのよう、綺麗さっぱり消えたかのようだが、鈍く弾んだ肉塊が現実であるとレイヴンに告げ、黒く焼け焦げた、邪龍の頭部を彼は睨み下ろしていた。
今際の際、地獄の縁に指先かけていても、情など微塵も感じない。
「しぶとい野郎だ、まだ生きてやがるか……」
「ふ……、は、はは…………。そうして、我輩を見下ろせ、る、人間も貴様が、最後となろう。貴様らは、確かに勝利した……だが、これは終わりではなく、始まり、だ。我輩は、いずれ必ずまた蘇る、それまでの間、精々、つかの間の平和を謳歌するがいい……。再び我輩が目覚めし時こそ、この世界を食らい尽くして――――」
まったく喋らせただけ損だった。
意気地汚え奴ってのは、最後の時でも無駄に喋りやがるから困りものだ、幕引きの手伝いまでさせられるとは、面倒なことこの上ない。
「――……おやすみ」
ぐしゃり、と、レイヴンは気怠く持ち上げた足で邪龍の頭を踏み潰し、まるで雪を踏むかのような無抵抗感に、こんなもんかと息を吐く。
「ふぅ…………意外と、呆気なかったな…………」
「正直に言おう、女。これだけの規模で同時に魔術を発動させたのには驚いたぞ、威力も凄まじい。一瞬だが、我輩の心に焦りが生じたぞ――」
「…………」
「――だが、貴様如き魔力では不足ッ! 魔術ももう保つまい。我輩を打ち倒すにはあまりに貧弱である、自らの弱さを呪いながら死ぬがよい!」
「主は、やはり強いな……」
飛びかかる邪龍を前に、ヴァネッサは独りごちった。顔を伏せ、小さく小さく、諦観に暮れてしまったかのように、豪腕振りかざした邪龍がにじり寄ってきても、彼女はその場に立ち尽くしたままだった。
「不完全とはいえ、このディアボロスを追い詰めたのだ、精々あの世で誇るといい」
「……ふむ、思った……通りだのう……」
「まだ笑えとは諦めの悪い女だ。貴様とうに死んでいる、我輩を閉じ込めている聖女の加護を発動させたとき、貴様は自ら火刑台に登ったのだ。魔力も底を尽き、身体も動くまい?」
――と、ヴァネッサは僅かに顔を上げる。
強がるためではなく、見届けるために。
「貴様は強い、確実に、吾では敵わぬよ……、全てで吾の上をゆき、心の内さえも読み取る、こうして死力を尽くしても先延ばしにするのが精々だ。しかし、貴様はその力故に驕り、奢るが故に負けるのだ……」
邪龍が近づく、聖女の加護を踏み越えて――
「最早、貴様を護る物はないぞ、女。竜巻を維持しているのは立派だが、あれでは身を守れまい? さぁ、まだ笑えるか、我輩を倒すと、我が牙に砕かれながら」
「あぁ、笑えるともさ――」
弱々しくも、ヴァネッサはまだ笑っていた。
「――心を、読めるが故に聞き逃したのう? 貴様を倒すのは吾ではない、我々だ……」
荒ぶる竜巻、その陰に沿って拡がるのは闇夜に眩しい白翼、強風に乗ったアイリスが邪龍の横っ面目がけて殴りかかっている。視界の外、意識の外から、ヴァネッサが整えた舞台に上がった邪龍に固めた拳を叩きつけるために。
しかしだ――、反応されている。
「このディアボロスに、同じ手が何度も通じるか、小娘ッ!」
邪龍の迎撃、飛び迫るアイリスをねじ伏せんと振るわれる豪腕は鱗に覆われた丸太さながらで、今度こそ必殺と唸っている。
ところがだ、その声を間近に聞きながらも、アイリスの心に怯みはない。
レイヴンの勇気、ヴァネッサの策、二人の力になれなくて何が龍か。
「同じじゃありません! ハァァァァッ!」
小石と巨岩、比べるのさえ無駄に思える拳同士がぶつかる波濤はアイリスの骨身に染みた。さっきよりも大きな反動を感じながらも、力勝負だからこそ勝たなければ。
奥歯噛みしめアイリスは押し切る。世界を包もうとする絶望を、闇の彼方へ押し切ってみせる。
――ビキッ
何かが割れる音がした。
拳が砕けたのかもしれない。
体中が痛い所為でアイリス自身はっきりとしなかったが、構うものかと睨付ける。拳一つ、腕一本で世界を護れるというのなら、失うだけの価値はある。
――振り切れッ!
覚悟を宿したアイリスの瞳、そして土壇場の集中力で満身込めて一押ししてやれば、ぐしゃりと鈍い音がして、邪龍の腕が千切れ飛んだ。ヴァネッサの魔術は効果こそ薄かったが、着実に邪龍の肉体に傷跡を残していて、これまで束ねた三つの力が、邪龍の両腕をついにもいだのである。
「な……! なんだとォ…………ッ⁈」
「今のは蹄鉄君やキャロルさん、貴方に命を奪われた人達の分ですッ! 次は――」
即座の連打。
がら空きになった腹にねじ込むアイリス渾身の一撃は、巨体をくの字に畳んで宙に浮かせる。深々と突き刺さったボディブローには、邪龍といえども嗚咽を止められないようだった。
「おぉ……ご、えぇええ…………」
「――ヴァネッサの分です! そしてこれは――」
飛び込んだ勢いを生かして身を捻り、アイリスが放つは後ろ回し蹴り。
「――レイヴンを傷つけた分ですッ!」
尻尾まで利用した彼女の蹴り技の威力は凄まじく、ついに邪龍の鱗を砕き、巨岩さながらの肉体を竜巻の中へと蹴り返した。
邪龍はまだ息がある、しかし割れた鱗は、さながらぼろ小屋の屋根と同じで嵐を防ぐには脆すぎる、そして一度剥がれたが最後、アイリスに砕かれた部分から風の刃に切り刻まれて、邪龍の悲鳴が荒ぶる竜巻を押しのけて木霊しはじめた。
とはいえ、時期に聞こえなくなる。
これで決着だと安堵の息を吐いたアイリスは急にのしかかった疲労感に肩で息をしていることに気が付いた。だが、ヴァネッサはまだまだ険しい表情のままで、竜巻の中からは力に満ちあふれた怒号が響いてくる。
「この程度でェェエ、この程度の力で、我輩を打ち倒せると思うなッッ、虫ケラ共が!」
「そんな……、まだ、動けるなんて…………」
不慣れな身体に、不慣れな戦い、なによりも両腕で受けた火球はアイリスに深いダメージを与えていて、身体を支えていた魔力も先ほどの攻防で絞りきってしまっていた。膝も震え、立っているのもやっと、それなのに邪龍はまだ闘えると言う。
刃の谷間、その細い筋に邪龍の眼がギラ付いている。
「顔を上げろ小娘、まだ絶望することは揺るさぬぞ、一人一人時間をかけて縊り殺してくれる。ダークエルフの女、次いで人間だ、此奴らが苦しみ喘ぐ様を貴様に拝ませてやろう、自ら死を懇願するまで責め立ててくれるぞ」
「さ、させません……わたしだって、まだまだ、闘えます…………」
「青息吐息のその身体でか、笑わせる」
あぁ、まったく笑えるな――
彼の声が聞こえるなんて誰も思っていなかった、しかし、彼はそこに立っていた。
よれよれポンチョ、土塗れのハット、額を朱に染めた様はまるで踏みつけられた雑草のような出で立ちで、彼はそこに立っている。
「レ、レイヴン!」
「ふふ、とうに諦めたものかと思ったがのう、小僧」
「女に任せっきりじゃあ男が廃る、だろう?」
「おいしいとこだけ持っていく者が、漢かどうかは怪しいがのう」
やはりヴァネッサは口減らず、レイヴンは苦笑しながら頭を振ると手にしていた空瓶を投げ捨てる。良薬口に苦しというが、このクソ不味い万能薬を、二度も呑むことになるとは思ってもいなかった。
「魔力を感じ取れぬ人間は不便だな、最早貴様ではなんの役にも立たぬぞ。黙して死を――」
――ズドンッ!
聞く耳持たず、レイヴンの抜き撃つ魔銃が竜巻を貫き、邪龍を黙らせた。風に遮られ目標は見えていなかったが、当たりはせずとも至近弾にはなったらしい。
「――……無知か、無謀か、身の程知らずの人間が、貴様の出る幕はとうに無いと理解が及ばぬようだな」
「よく喋る死体だ。無知だ、無謀だと、大層な台詞を吐く割には全く勘違いをしてやがる、だから耳かっぽじってよく聞いとけ、お前がくたばる理由をな」
正直なところ、邪龍が何人ぶっ殺そうが、復活して世界をどうしようが、レイヴンには興味なんか微塵もなかった。ただ、一つだけどうにも頭にくる事があった。
「――こいつは許せねえよ、アイリスに傷を付けやがったのはなぁ!」
次弾は考えず魔力を集中すれば、魔銃の銃身は攻撃的な輝きを纏い、そしてレイヴンが銃爪を落とすと同時、瞬く魔弾が空気を裂いた。
だが――、銃口から放たれた雷は邪龍を閉じ込めた竜巻ではなく、ヴァネッサの足下に着弾したのである。
「クッハハハハ! 意気込みすぎて外したか、どこを狙っている、人間!」
「……いいえ、命中しています」
力なくも、そう言ったのはアイリスだ。彼女が向ける視線の先、そこはヴァネッサの足下で、術式の刻まれたナイフが深々と地面に突き刺さっている、銃爪を引く直前にヴァネッサが意味深に――聖女の術式の上に――踏み刺した刃の意味を、レイヴンは確かに汲み取っていたのである。
「直接撃ち込んでも、今の魔弾じゃあ倒しきれるか怪しいが、ヴァネッサの魔術に乗せてやれば逃げようがねえだろ」
徐々に、そして確実に、風刃渦巻く竜巻が黒い雷雲を纏い始める。
魔力の制御はヴァネッサの方が格段に上手く、レイヴンが単純に撃ち出した魔力を巧みに操り、その威力を何倍にも高めてみせる。
風で切り裂き、雷で焼く、細に刻み、灰に帰す。再生を阻みバラバラに倒すために。
傷口から少しずつ肉体を裁断する、間断なく続く攻撃に邪龍は絶叫を上げていた。
「ぬぅぐっぐぅぅぅうおおぉぉぉッ! き、貴様らぁぁぁぁッ、欲に塗れた下賎の者共がァ、このディアボロスにーーーーッ!」
「この世はとっくに悪党だらけ、手前ェの席は空いてねえってこった」
雷鳴轟き、邪龍が悶える。すでに刻み焼かれた肉片が、竜巻から弾き飛ばされ周囲に降り注ぎ始めている。勝負は遂に決した、焼き焦げた肉片は地面に落ちるや、粉々になって消えていくばかり、最早再生もしない。
だというのに、だ――「くっくっく……」と、邪龍は堪えきれない笑い声を漏らし始めた。
「……何時であれ、笑ろうてこその邪龍だのう」
「その通り。我輩は愉快なのだ、女――」
今度こそ、完全に勝敗は決した。邪龍が今更何を言おうと負け惜しみ過ぎず、レイヴンは冷ややかに耳を貸してやった。
「――いやなに単純な事だ、今回の敗北、認めてやろうと思うてな。貴様らはよく闘ったと褒めてやろう、このディアボロスを退けたのだ誇って良いぞ。だがな……、そこの人間が言ったように、かつて我輩が打ち倒された時代よりも遙かに人間が増えているようだ、この事実が意味するところ、貴様ならば理解できるな、女」
「…………」
「クッハハハ! さぁトドメを刺すが良いッ!」
邪龍の問いかけにヴァネッサはまだ眉根を寄せている、が、これ以上の問答など不要だ。
「こいつの声も聞き飽きた、闇の中に追い返してやれよ」
「ヴァネッサ! お願いしますッ!」
跪いたヴァネッサは、ナイフに手を添えると静かに呪文を唱える。邪龍の魂を再び砕く、強烈な魔術を見舞うために。
「《集いし力よ、御することなく、律することなく、奔る白にて存分に鞭打たん! 我が名の下に招来せよ! 熱り起つ雷撃女帝ッ!》」
唱え終わると同時、内臓揺さぶる爆音が轟き、目もくらむ雷撃が天へと昇る。ヴァネッサの術式に練り込まれた魔力は、竜巻を銃身とし、巨大な雷の柱を天空へと打ちあげた、その威力たるや、邪龍を骨の髄まで焦がすほどだ。
あまりの閃光に目を庇ったレイヴン、ようやく白飛びした視界が戻ってくれば、聳え立っていた竜巻は、幻のように消え去っていた。
突然に訪れた静寂
波間のように煌めく星々
一切の風が止み、自分の呼吸しか聞こえない
この夜の出来事が、まるで全て壮大な悪夢だったかのよう、綺麗さっぱり消えたかのようだが、鈍く弾んだ肉塊が現実であるとレイヴンに告げ、黒く焼け焦げた、邪龍の頭部を彼は睨み下ろしていた。
今際の際、地獄の縁に指先かけていても、情など微塵も感じない。
「しぶとい野郎だ、まだ生きてやがるか……」
「ふ……、は、はは…………。そうして、我輩を見下ろせ、る、人間も貴様が、最後となろう。貴様らは、確かに勝利した……だが、これは終わりではなく、始まり、だ。我輩は、いずれ必ずまた蘇る、それまでの間、精々、つかの間の平和を謳歌するがいい……。再び我輩が目覚めし時こそ、この世界を食らい尽くして――――」
まったく喋らせただけ損だった。
意気地汚え奴ってのは、最後の時でも無駄に喋りやがるから困りものだ、幕引きの手伝いまでさせられるとは、面倒なことこの上ない。
「――……おやすみ」
ぐしゃり、と、レイヴンは気怠く持ち上げた足で邪龍の頭を踏み潰し、まるで雪を踏むかのような無抵抗感に、こんなもんかと息を吐く。
「ふぅ…………意外と、呆気なかったな…………」
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