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第二話 イザリス砦に棲む獣

デンジャラス・ウィスパー Part.1

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 夜分遅くでも、酒場は常に飲んだくれ達の受け皿として、灯りを絶やす事はなく、気が付けばレイヴンは、羽虫がライトに釣られるようにしてイザリス砦の酒場の前に立っていて、自分の足で立っている事以外は、店の前で酔い潰れている男共と、大した違いは無いかもしれない。

 どうやって戻ってきたのか彼自身、正直なところ曖昧だった。とりあえず確かなのは五体満足で帰って来れた事、そして町長から報酬を受け取っている事くらいのもの。
 事態が事態だったので、夜遅くにも関わらず町長は館に迎え入れてくれたが、連れ帰った女や、一体何が起きていたのかという、町長からの至極当然の質問はすべてヴァネッサに押し付け、レイヴンは約束の賞金を手に、一人、宿まで戻ってきていた。

 ……戻ってきていたが、さて、レイヴンにはもう一つ面倒が残っている。賞金は得たが、肝心の魔具はヴァネッサが取っているので、さてどうアイリスに説明するかが、今夜レイヴンに残されたやるべき事であった。

 酒場に入って見回してみれば、アイリスは、カウンターの一番奥に寄り掛り、グンニャリと額をカウンターに押し付けている。しかも手にはウィスキーの注がれたグラスを握ったまま、一夜と経たず、すっかり一人前の酒浸りだ。

「これは旦那、もうお戻りですか?」
「……世話やかせたみたいだな」

 アイリスが無事に酔っていられるのは、バーテンダーが約束通り彼女の面倒を見ていたからに他ならない、そうでなければ、無防備なまま酒場にいる若い女など、股ぐらが餓えた男共の餌食になっているはずだ。

「あんたに頼んでおいて正解だった、注意しとけと言ったのにこいつは……」

 揺すってやってもアイリスはムニャムニャ言うだけ。彼女の頬も耳もすっかり紅潮していて、突っ伏している顔はきっと赤ら顔で、楽しく微睡んでいるのだろう。

「おい、アイリス、起きろ」
「むぅ~~~、なんれす? だれれふ……?」

 完全に酔っ払いの言動である。
 アイリスはレモンでも食ったようにしぼんだ目を擦り、口も全然回ってない。しかし、まだ夢の中にいそうな胡乱な眼付きだったのに、レイヴンの姿を認めるや、すぐに彼に飛びついた。

「ふぁ~~ぅ! れいぶんら~、お帰りなさいれふ~!」

 美人に抱きつかれ、しかも胸に顔まで埋められて歓迎されるなんて嬉しいかぎりだが、酔ってる所為か、力加減というものを彼女は忘れているらしく、とりあえず宥めてやるのも一苦労だった。

「らいじょ~ぶれふ? ケガしてまふぇんか?」
「おいおい、平気だから落ち着けよ。――バーテン、こいつ何杯吞んだんだ」
「単位が違いますよ、旦那。知りたいなら、何本かを訊かねえと」
「……なに?」

 何かの冗談かと、アイリスを引き剥がそうと格闘しながら店の隅へと目をやるレイヴンは、そこに並んだ大量の空き瓶を見つけ、顔が引き攣る。
 冗談みたいな本数である、どうりでバーテンダーが満足げな訳だ、きっと一ヶ月分の売り上げを一夜で上げた事だろう。

「朝には棚中、ボトルで一杯だったんですがね、御覧の通りで。あぁ、お代の心配は無用です、お嬢さんからいただいてますんで」
「……半分以上カラじゃねえか。とんだ蟒蛇うわばみだぜ」
「えへへ~、ほめないれくらさいよ~。このこのぉ~」
「なに照れてんだ。褒めてねえんだ、呆れてんだよ。――待てよ、一人で吞んだのか?」

 だとしたらとんでもない、人間なら死んでる量だ。
 ところが、ダーテンダーはこれまた愉快そうに笑い出すのだった。

「まさか、他の客と一緒でしたよ、彼女と一発ヤりたがってた連中とね。それにしても、凄い量を飲んでましたが、とにかく男共より彼女の方が強くて、言い寄ってた連中は揃って表で嘔吐塗れ。危うく、店中汚されるところでしたよ、ははは!」
「落とし物が金だけでよかったな」
「ええ、まったく。それにしてもMS.アイリスは変わった人だ、長い事バーテンやってますが、彼女みたいに個性的な女性とは初めてお目に掛かる、話も楽しませて貰いましたよ」
「的外れな事言うから付き合うのも一苦労だったろ」

 そもそも龍であるアイリスは、人間の尺度から考えれば常識外れであり、時たまぶっ飛んだ事を口走る。その言動を楽しめるかどうかは、大きく個人差が出るところだが、バーテンダーも又、レイヴンと同じく聞く耳を持つ人間だったらしい。

 それ故に冗談と取ったのだろうが、レイヴンは内心、ひやりとすることになる。
「そうですねぇ、私が訊いた中では五本の指に入る冗談でしたよ。なにせ彼女は、自分は本当はドラゴン・・・・・・・だって言って聞かないんですからね」
「そ~なんれす! みぃ~んな笑うんれすよ、ひろいれすよね~?」

 アイリスに酒を教えたのは失敗だったようである。この酔いどれ龍ときたら、見事に口を滑らせたらしい。

「ほらほら、れいぶんからも言ってあげてくらさいです! わたしは、すごくて、つよくて、きれ~ィなどらごんなんだって!」
「……すまねえな、酔っ払いの相手させちまって」
「ははは、構いませんですよ、旦那。俺も正直、最初は頭がどうかしてるのかと思いましたが、中身は色々と詳細でしてついつい聞き入ってました、酒の肴には丁度いい塩梅で。彼女には物書きの才能でもあるんじゃないですかね、……ただ、酒は控えさせた方が良いかもしれませんが」

 バーテンに酒を控えろと言われちゃあ救いようがねぇ。
 レイヴンはまだ抱きついているアイリスに呆れて頭を振ると、彼女が残していたグラスの中身を一息に煽った。

「旦那、もう一杯どうです。奢りますよ、いや、是非奢らせてください」
「……何故? 何かした訳でもねえのに」
「旦那が無事に戻ったってことは、そういう事・・・・・でしょう」

 バーテンダーは多くは語らなかった。
 しかし、言葉少ない中にも深い感謝が感じられ、レイヴンはその一杯を快く流し込んだ。

「ごちそうさん。――ほれ、行くぞアイリス、寝るなら部屋で寝ろ」
「………………ふぇ?」

 と、ようやく引っぺがしたレイヴンだったが、足にまで酒の回っているアイリスは足取り怪しくよろけるばかりで、このままでは酒場の床ででも寝かねない。なので溜息一つ吐いたレイヴンは、仕方なく彼女を背負うしかなった。

 あんな千鳥足じゃあ階段から転げ落ちるだろう。
「えへへ~、レイヴンにおぶってもらえるなんれ、わたし、幸せれす~」
「静かにしてろ、落とすぞ」
「じゃあ、ちゃんと掴まりまふ!」

 首に回した腕にアイリスがきゅうと力を込めれば、背中と胸が密着する。だが小さく、柔らかな膨らみをその背に感じても、レイヴンの眉間は皺を刻んだままだった。

「旦那、差し出がましいかもしれませんが、そんなに怒らんでやってください。お嬢さんは、ずっと旦那の身を案じながら、一人で待ってたんですぜ? 酒に酔いたくもなるでしょう、少しくらい優しくやってもバチは当たりませんよ」
「甘やかすとこいつの為にならねえんだ、すぐに調子に乗るからな」
「バーテンさん、良いこと言いまふね! 聞きましたか、レイヴン? もっとわたしに優しくしてくらさいです! でもでふねバーテンさん、わたしは本当にどらごんなので、レイヴンがどれほど優しいか、いちばんよく知っているのでふっ!」

 支離滅裂に――しかも耳元で――叫ぶアイリスに、それ見た事かとレイヴンが片眉上げてみせれば、バーテンダーは苦笑を浮かべるのだった。

「けれども旦那。羨ましいですよ、じつに。なにしろ美人に想われてるんですからね」
「良い事ばかりとはも限らねえさ、寿命が縮む。……それじゃあな」
「ええ、おやすみなさい旦那。階段、気を付けて」

 荷物とアイリスを背負って階段を上がれば、木板を踏むごとに疲労の溜まった筋肉も軋む。だのに背中の荷物の方は、酒臭い吐息と一緒に階下のバーテンに、まだ自分は龍なのだと訴えていた。
 まぁ、そこまでは良かった。幸い、二階に上がってしまえば部屋までは狭い廊下を通るのでバーテンダーからは見えない。が、べたんと肉感のある音がした所為でレイヴンは早足になる事を余儀なくされるのだった。

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