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第二話 イザリス砦に棲む獣

無法者と狩人に龍少女は憂いを抱き Part.1

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「ありがとう。よろしく頼むな」

 そう言ってレイヴンは、バーテンダーと握手を交す。
 砦はくだを巻く賞金稼ぎで溢れていて、一階の酒場は朝からでも賑わっていた。活気があるのはいい事だが寝起きの鼻には酒の臭いが強すぎるので、用事を済ませたレイヴンはなんの気無しに表に出て、綺麗な空気を肺に入れてやる。

 静かながら活気を感じられる、いい朝だ。砦全体がピリピリしているのを除けば、素晴らしい朝である。まぁ背中を伸ばしたうえに欠伸が出る程度にはリラックス出来ているから、実はそんなに緊張していないのかもしれないが――

「寝不足か、小僧」

 不意に背後から呼びかけられ、レイヴンは反射的に銃把に手を飛ばす。相手が誰かはすぐに分かったので抜く事はなかったが、ダークエルフの微笑が癪に障る。
「ったく……、太陽の下でも気配を消すのか、ヴァネッサ? 何から隠れてる」
「森で暮らす民の癖だ、気にするな。それにしても小僧、のんびりとした起床だな。他の二人はすでに砦を発ったぞ」

 仕事熱心な事だ。
 レイヴンは静かに首を振る。

「待ってるなら中で飯でも喰って待ってりゃ良かったのによ」
「歓迎されん。吾は気にせんが、人間というのは細かい事に敏感すぎる。食事一つの為に揉め事を起こそうとは思わんよ。――準備は万端か?」
「焦ったって仕方ねえだろ、水源までは半日もかからねえんだ」
「甘く見ていると怪我をするぞ?」
「焦ってても同じだ、それに甘くも見ちゃいねえさ」

 油断を挟む余地はない。だからこそ、気を緩めていられる間に緊張を解しておくのが重要だというのに、わざわざ思い出させてくれたものだ。

 しかし、恨めしく睨んでいたレイヴンから緊張感を取り除く声が、酒場の階段から駆け下りてくる。慌ただしいが、ピアノが跳ねるような足音で。
「ああ、よかった! ここにいたんですかレイヴン、おはようです! 部屋にいないからもう出発してしまったのか……と…………、あっ……」
「快活で可愛らしいのう。おはよう、アイリス」

 たじろぐアイリスに、また気まずくなるのかとレイヴンは思ったが、意外や意外、彼女はむしろ元気よく笑ってみせた。まだ気後れしているらしいが、それでも不満を垂れ流されるよりはいい。

「えっとぉ……ヴァネッサも、おはようです! 調子はどうです?」
「すこぶる良好だ、ありがとう」

 とりあえずは一安心。ギスギスされて困るのは当人達より周りの人間だ。だからこそ歩み寄ろうとしている二人のおかげでレイヴンの気は緩み、またも欠伸が出てくるのだった。

「ふむ……」
 と、彼の様子を観察していたヴァネッサは、何かを見定めるように瞳を細める。
「なにをジロジロ見てんだよ」
「小僧、先程からいやに眠そうだが夜通しまぐわっていたのか?」

 聞き慣れない単語に、レイヴンの頭には「?」が浮かぶ。しかし、こいつは何を訊きたいんだ、と思った矢先に、頬を真っ赤に染め上げてアイリスが大声を上げたので、むしろ彼が目を丸くする事になった。
 しかもアイリスは動揺著しく、舌が追いついていないときている。

「そー! そっそそ、そんなことわたしはしてませんひょ! ヴァネッサの痴れ者! 変態! 好色! このぉ……淫魔ァ!」
「フフッ、酷い言われようだのう。小僧は疲れたままだし、主は精気に満ちておるから吾はてっきり――」
「なんの話をしてるんだ?」
「交尾ですよ! ヴァネッサは、わたし達が朝まで交尾を――」

 パシッ――と、レイヴンが赤面したままのアイリスの額を指先で突いた。
「イ~ッタィですね、レイヴン! どうしてわたしを叩くんです⁈」
「往来で馬鹿な事を叫ぶからだ」
「けどけど、言い出したは彼女じゃないですかぁ~!」
「気ィ遣って、ヴァネッサは声落としてたろ」
「むぅ~~~、それでも異議ありです」

 アイリスの頬はぷっくりと膨らみを帯びて、彼女は自分から美人を台無しにしていく。と、クスクス笑いがもう一人の美女から漏れ聞こえ出す。

「もう! ヴァネッサも笑わないでくださいです!」
「すまぬすまぬ。あまりに主等が愉快で、ついからかってしまった。許してくれアイリス」
「だとよ、勘弁してやれって」

 ヴァネッサの方が一枚上手だ。口の巧さは会話の中でこそ磨かれる、森に篭っていた龍少女では敵うはずもない。が、止めてやったのに矛先はレイヴンへと向く。

「大体です! レイヴンがお馬鹿さんなのがいけないんじゃないですか」
「学がねえのは知ってるだろ」

 そして当然、口の巧さで言えば、アイリスよりもレイヴンの方が上。するりと矛先を躱された彼女はやっぱり不満げに頬を膨らませて、不満も露わにそっぽを向いた。
 いじらしいその素振りは可愛らしく、見る者の心を穏やかにする。きっと猛獣さえも彼女前では子犬みたいに喉を鳴らすはず。だが、可愛いだけの女性なら世に溢れている、その中でもアイリスが輝いて見えるのは、彼女自身が子犬ではないからに他ならない。

 向き直った瞳は変わらず綺麗な黄金で、されど輝きには力があった。
「行ってしまうんですね、レイヴン」
「ああ。二、三日で済むと思うが宿は一週間借りてある、金と荷物は部屋に」
「はい。でもお金は必要ありませんよ、わたしには」

 龍には不要だろうが、人間社会には必要不可欠なのが先立つ物。一週間、町で過ごすとなれば絶対に必要になる。いらないと彼女は言うが――
「あって困るもんでもないだろ? 何か入り用になるかもしれねえしな」
「う~ん、それもそうですね。ではレイヴン――」

 そしてアイリスは、両腕を大きく広げて何かを待っている。
 いや、彼女が何を待っているか分からないのは、流石にとぼけすぎか。レイヴンは優しく彼女抱きしめて、背中を軽くたたいてやった。

「行ってくる、アイリス」
「どうか気を付けて。――ヴァネッサ、あなたも」
「うむ、精々用心する事にしよう。さぁ征くぞ、小僧」

 装備を積んだ愛馬に跨がる、レイヴンとヴァネッサの姿の凜々しさ。だが遠くを臨む眼差しにアイリスが感じるのは、やはり一抹の不安である。

「ヴァネッサ! あの……」
「なんだ? 吾に用があるのか?」
「彼の事をよろしくおねがいします、どうか守ってあげてください」
「……主に頼られるとは、正直驚きだ。……吾を信じられるのか?」
「あなたは、わたし達を騙しました。その事はまだ許せていません。けれど、わたしには、どうしても悪い人に思えないんです、どうしても嫌いになれないんです。だからわたしは、わたしの直感を信じて頼むのです」

 暫し、二人は見つめ合い、ヴァネッサは頷いた。
 ゆっくりと、静かに、そして深く。

「よかろう、任された。小僧の身は吾が守ってみせよう」
「ありがとうですヴァネッサ。二人とも、無事を祈ってますから」
「お前こそ、大人しく留守番してろよ?」
「早く戻ってきてくださいね、じゃないと砦を焼いてしまうかもです」
「ふん、その前に砦の中を見て回れよ。焼く気も失せるさ」

 中々面白い冗談を言えるようになったものだ。
 意地の悪い笑顔が一つ。最後にそれをアイリスに見せると、レイヴンは砦の門へと馬を向けた。夢の時間は一時お預け、ここからは鉄と火薬が香る現実の時間で、彼女には不似合いのやりとりである。

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