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第二話 イザリス砦に棲む獣
フォート・イザリスに寄りて Part.3
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レイヴンが宿として選んだのは酒場の二階にある一室だ。西部で店を開く酒場の多くが、二階に部屋がある場合、娼館との役目を兼ねていたりするのだが、この酒場は珍しく純然たる宿であった。
そのおかげか、部屋は存外に綺麗だ。階下に酒場があるので夜分でも賑わいが耳に届くが、気になるほどではない。密室で悶々とした苛立ちを抱えている女性といるのに比べれば、些細な事。ポンチョにガンベルト、ハットを脱いでも、レイヴンはまるで身軽になった気がしなかった。ベッドに腰掛けたアイリスが、パタパタと落ち着かずに足を動かす度に、重石が増えていくようだ。
「……なぁ、アイリス。いつまでそうして黙ってるんだ?」
「…………むぅ~」
「黙っててもいいけど、せめて飯は喰っとけ、朝からろくに喰ってないだろ」
バーテンに頼んで部屋に料理を届けさせたが、アイリスは以前そのまま。レイヴンが目の前で野菜スープで牛肉を流し込んでいても、まだウンウン悩んでいるのだ。食い意地張った彼女が料理を前にして頭を巡らせているなんて、気味が悪い。
遂にレイヴンも手を止めるしかなくなった。
「なにをそこまで考えてる?」
「たくさんです、たくさんですよ……。確かめたい事とか話しておきたい事とかが色々ありすぎて、わたしも何が何だか……。レイヴンは魔具も無しに魔弾を撃つし、ヴァネッサもまた現れるし、それに……、それにあなたは彼女と化物を退治しに行くと言うし……」
「こっち来て座れ」
「……いやです」
「いいから来い」
アイリスはふて腐れていた。
しかし、「ぐぅ~」と腹の鳴る音に渋々立ち上がり、渋々テーブルに座るのである。レイヴンがボールに残っていた分を全部よそってやると、やっぱり渋々彼女は受け取る。
「喰いながらでいいから聞け。お前が悩んでるウチの二つは説明してやれるから。――ほれ、スプーンだ」
「……わかりました。いただきます」
一口目が彼女の唇に吸い込まれるのを見届けてから、レイヴンは煙草に火を点けた。フリ消されたマッチが窓から解き放たれる。
「一つ目。ヴァネッサここにいるのは不思議でもなんでもないだろ、元からあいつは魔具を狙って砦に入ろうとしてたんだから、まぁサイモンの家にいたのは驚いたが」
「レイヴンは、どうやったと思います?」
「方法はいくらでもある。男を誘惑して、たらし込むのは得意そうだしな」
じぃ~、とふくれっ面のアイリスの視線がレイヴンに向けられる。
白目は黒く染まり瞳は縦に割れた、龍のそれになっていた。
「次に二つ目、俺があいつと組む理由」
「聞きたいです、是非に」
「…………」
背筋にゾクリとくる眼差しだ、しかしレイヴンは片眉を吊り上げるだけ。
「魔銃を取り返す、できる限り穏便に。あとは互いの援護だな、化物がどんななのか正直まったく分からないに等しい。不意打ち喰うのは御免だし、上手くいけばあの女囮にして化物を狩れる。ヴァネッサも似たような魂胆だろうが」
「危険は承知です? だからなんですか、わたしを連れて行かないのは? それとも……それとも、わたしじゃあ貴方の邪魔になると? 夜中ならわたしだって戦えます、龍の姿にもどれれば――」
「次の満月は一ヶ月後だ、それまで待つのか?」
「満月でなくとも月さえ出ていれば龍人にはなれます! わたしも連れて行ってください!」
「そりゃ龍人に化ければ戦えるだろうが、ヴァネッサがいるのを忘れてないか? あの姿見られる訳にはいかねえ、正体が広まれば次はお前が狩られる事になる。なにものけ者にしようってんじゃねえよ」
被害甚大な化物騒ぎのおかげで、イザリス砦の住人達はその手の噂に敏感になっているのだ、アイリスが呪われてしまった無害な龍だとしても、彼等は関係なく行動を起こすだろう。彼女を戦力として数えれば一軍をも凌ぐが、知れ渡った場合の危険性があまりに高い。
そうレイヴンが理路整然と告げてやると、彼女は残念そうに項垂れたのだった。
「つまり……役立たずですか、わたしは」
「今回はな。状況が悪いってだけだ、大人しく留守番しててくれ」
「うぅ、はいです……」
それからしばらくの間、しゅんとしたまま食事を続けるアイリスを眺めながら、レイヴンは考えていた。
どちらの選択肢が正解なのかは、彼にも分からないのだ。砦に残したとしても不安はある、ぼんやりふんわりした雰囲気の美しい女性など、男からしたら手軽に転がせる草葉同然、鬱憤が溜まっている男共が放っておくとは考えにくい。が、このトラブルは、アイリスがしっかりしていれば避ける事が出来る。
しかし連れて行った場合、アイリスの面倒を見つつ、ヴァネッサを警戒し、ついでに化物の相手もしなければならないのだ。後者の方が注意力が散漫するだけ、危険が増す。命のやりとりが生じる場では些細な隙が致命的すぎるので、ここはアイリスに我慢、――というよりも大人になってもらうほかない。
それに少し考えれば分かる事の筈だ。瞳もすっかり人型に戻り、食べ終わった食器をよけているさまが、まるで傷心の乙女のような彼女を打ち負かせる者などいない事に。
「ふぅ、ごちそうさまです。……あの、ところでレイヴン。身体に違和感とかは感じませんか? 疲れているとか、頭が重いとかはないです? 息苦しかったり」
「もう夜の十時だ。いい具合に疲れてるし、いい具合に眠い」
「つまり健康です? それならいいんですけど、通りでの事があったから心配で」
「決闘? 万能薬?」
「お薬です、決まってるじゃないですか」
そうだよな、とレイヴンは苦笑。
思い出すだけでも数分前まで皿に載ってた食材と再会しそうな強烈な味は、万能薬というより拷問薬だったが、アイリスは味はどうでもいいと言う。
「ふっ……。一滴でも舐めれば、そんな台詞は言えねえぞ」
「笑い話じゃないです、レイヴン」
アイリスの言葉は絞り出したようだった。安心しようと、或いはさせようとしているが、口元が緊張している。
「もう一回訊きますけど、大丈夫ですよね。倒れたりしません?」
「そんな深刻な顔するなって。そっちの方が心臓に悪いぜ」
「あなたは魔具を通さずに魔法を使ったんです。本来なら魔法を使えない男の人が、魔具や術式の補助を得ずに魔法を使うのは魂に大きな負荷が掛かるんですよ。わたしが説明した、魔法の原理は覚えてます?」
問われレイヴンは虚空の中に記憶を探す。ぼんやり天井を眺めると、そこにはサウスポイントで交した会話が浮いているようだった。
「生き物が持ってる生命力、あぁ……幻子だっけ? それを魔力に練り上げて呪文を唱えると魔法が発動する。んでもって魔力を作る事は男にも出来るが、魔法を発現させられるのは『命を生み出せる女』だけだ」
「そうです。けれど昼間のレイヴンは、その法則を無視して魔法を使ったんです。魔具を介していても消耗激しいのに……、威力こそ控えめでしたけど生身で魔弾を撃つなんて魂を削りかねない危険な行為なんです、心配になるに決まってます」
「……怒られてもなぁ、撃とうと思って撃った訳じゃねえし。自分でもどうして、ただの銃から魔弾が飛び出たのかわからねえんだよ。十ドルかそこらで買える、普通のリボルバーだ、誰でも持ってるような代物だぞ」
「ですです。だから、原因は一つしか考えられません」
あの胡散臭い商人、アーサー・ウェリントン印の万能薬だ。まかり違っても信じていなかったレイヴンだが、そうとしか考えられない。それか彼の股ぐらから自前の一挺が消え失せたのかもしれないが、さっき便所に行った時に付いている事は確認してあるので、前者が有力だ。どちらにせよ、驚きなのは同じだが――。
「あの薬が効いたってのか? まさか」
「だから笑い事じゃないです、レイヴン。真面目に聞いてください」
皮肉笑いも咎めるアイリスは真剣そのものだ。
「アーサーさんが言っていた薬の原料には、魔術の触媒として使われる物も含まれていました、だからこそレイヴンの魔力を底上げして魔弾を放つに至ったのかもしれません。けれどそれは、いわば大雨が水門から溢れた状態なんです、危険なのは分かるでしょ? でもです、薬が効いたかどうかはどうでもいいんです。わたしは――」
「――無理やり増幅された状態で魔弾撃って、平気かどうかを知りたいんだろ?」
巡り巡り、そして何度か交した応答。
それでもアイリスが尋ね続けたのは、その問いの深刻さをレイヴンが理解していなかったからだが、今はもう違う。
「心配させてわるかった、アイリス。この通り、ピンピンしてる。……安心したか?」
「ううぅ……、ちょっとだけです」
本当にちょっとだけなのだろう。彼女はまた頬を膨らませて不満を露わにしていたが、それがどれ程ありがたい事か。自分でも知らぬ間に口元が緩んでしまったレイヴンは、またしても彼女のお叱りを受けるのであった。
「ほら、そうやってレイヴンは笑うんです! わたしはこんなに心配してるのに!」
「分かってるよ、感謝してる。だから笑っちまうんだ」
「事の重大さを理解しているならシャッキリしてほしいです、いつまで経っても安心できません。どうして笑うんです?」
何故笑ってしまうのか、言われてみれば何故だろうとレイヴンは考える。
かつては仲間に囲まれていた、何度も死線を乗り越えた悪名高き仲間達だ。泣き、笑い心配され、拳銃一つで信頼され、互いにやりたいようにやってきた。絆と忠誠心で堅く結ばれた、血縁を超えた家族がいた。
それは厳しく辛くも、良き思い出である。
しかしだ、彼等とはちがう繋がりをアイリスに憶えているのかもしれない。
「そこまで俺の身を案じるのは、お前くらいのもんだからな。……嬉しいのかもしれん、正直よく分からん」
「わたしが、レイヴンのことを心配するのがそんなに不思議です? 些細なことであっても友達を想うのは当然じゃないですか。レイヴンは……イヤ、ですか?」
「戸惑ってるだけだ、慣れてないもんで」
窓の外の灯りを眺めるレイヴンの横顔を、微笑みが照らす。あまりに眩しく、彼はアイリスを直視できなかった。
「もう寝るぞ、ベッドはお前が使え」
「一人でです? 二人でも充分寝られますよ」
「大切なのは寝る場所じゃなく、安心して寝られるかだ。野宿じゃないだけで大分マシだよ」
レイヴンは枕代わりに野営用の丸めた毛布を隅に転がし、ハットを頭に乗せなおすと、さっさとランプの灯を消す。部屋が暗くなる前にアイリスは慌てていたようだが、彼は構わずふぅと吹き消した。
「もぅ……真っ暗でなにも見えないじゃな――イタッ! ほら、足ぶつけちゃいましたよ。ええとベッドは……。ああ、ありました……」
衣擦れの音が真っ暗の部屋にじんわり響き、シーツに滑り込む柔肌が目に浮かぶようだ。彼女がベッドに身を預けたのだろう、ぎしりと木材が軋む。ところが横になったのかと思ったら、また鈍い音が鳴った。――ごつん、と痛そうだった。
「頭ぶつけたか? 思い切りいったな」
「うぅ、眼がチカチカします……」
やれやれとレイヴンは頭を振るが、彼は顔を隠す前にハットを掴んだ手を止める。彼女には一言、言っておかねばならない事がある。
「アイリス」
「なんです? やっぱりベッド使いますか?」
「……お前は、化物じゃない。サイモンが言ってた事は気にするなよ」
「ふふ……、気にしてません」
――そして、夜が明けた。
そのおかげか、部屋は存外に綺麗だ。階下に酒場があるので夜分でも賑わいが耳に届くが、気になるほどではない。密室で悶々とした苛立ちを抱えている女性といるのに比べれば、些細な事。ポンチョにガンベルト、ハットを脱いでも、レイヴンはまるで身軽になった気がしなかった。ベッドに腰掛けたアイリスが、パタパタと落ち着かずに足を動かす度に、重石が増えていくようだ。
「……なぁ、アイリス。いつまでそうして黙ってるんだ?」
「…………むぅ~」
「黙っててもいいけど、せめて飯は喰っとけ、朝からろくに喰ってないだろ」
バーテンに頼んで部屋に料理を届けさせたが、アイリスは以前そのまま。レイヴンが目の前で野菜スープで牛肉を流し込んでいても、まだウンウン悩んでいるのだ。食い意地張った彼女が料理を前にして頭を巡らせているなんて、気味が悪い。
遂にレイヴンも手を止めるしかなくなった。
「なにをそこまで考えてる?」
「たくさんです、たくさんですよ……。確かめたい事とか話しておきたい事とかが色々ありすぎて、わたしも何が何だか……。レイヴンは魔具も無しに魔弾を撃つし、ヴァネッサもまた現れるし、それに……、それにあなたは彼女と化物を退治しに行くと言うし……」
「こっち来て座れ」
「……いやです」
「いいから来い」
アイリスはふて腐れていた。
しかし、「ぐぅ~」と腹の鳴る音に渋々立ち上がり、渋々テーブルに座るのである。レイヴンがボールに残っていた分を全部よそってやると、やっぱり渋々彼女は受け取る。
「喰いながらでいいから聞け。お前が悩んでるウチの二つは説明してやれるから。――ほれ、スプーンだ」
「……わかりました。いただきます」
一口目が彼女の唇に吸い込まれるのを見届けてから、レイヴンは煙草に火を点けた。フリ消されたマッチが窓から解き放たれる。
「一つ目。ヴァネッサここにいるのは不思議でもなんでもないだろ、元からあいつは魔具を狙って砦に入ろうとしてたんだから、まぁサイモンの家にいたのは驚いたが」
「レイヴンは、どうやったと思います?」
「方法はいくらでもある。男を誘惑して、たらし込むのは得意そうだしな」
じぃ~、とふくれっ面のアイリスの視線がレイヴンに向けられる。
白目は黒く染まり瞳は縦に割れた、龍のそれになっていた。
「次に二つ目、俺があいつと組む理由」
「聞きたいです、是非に」
「…………」
背筋にゾクリとくる眼差しだ、しかしレイヴンは片眉を吊り上げるだけ。
「魔銃を取り返す、できる限り穏便に。あとは互いの援護だな、化物がどんななのか正直まったく分からないに等しい。不意打ち喰うのは御免だし、上手くいけばあの女囮にして化物を狩れる。ヴァネッサも似たような魂胆だろうが」
「危険は承知です? だからなんですか、わたしを連れて行かないのは? それとも……それとも、わたしじゃあ貴方の邪魔になると? 夜中ならわたしだって戦えます、龍の姿にもどれれば――」
「次の満月は一ヶ月後だ、それまで待つのか?」
「満月でなくとも月さえ出ていれば龍人にはなれます! わたしも連れて行ってください!」
「そりゃ龍人に化ければ戦えるだろうが、ヴァネッサがいるのを忘れてないか? あの姿見られる訳にはいかねえ、正体が広まれば次はお前が狩られる事になる。なにものけ者にしようってんじゃねえよ」
被害甚大な化物騒ぎのおかげで、イザリス砦の住人達はその手の噂に敏感になっているのだ、アイリスが呪われてしまった無害な龍だとしても、彼等は関係なく行動を起こすだろう。彼女を戦力として数えれば一軍をも凌ぐが、知れ渡った場合の危険性があまりに高い。
そうレイヴンが理路整然と告げてやると、彼女は残念そうに項垂れたのだった。
「つまり……役立たずですか、わたしは」
「今回はな。状況が悪いってだけだ、大人しく留守番しててくれ」
「うぅ、はいです……」
それからしばらくの間、しゅんとしたまま食事を続けるアイリスを眺めながら、レイヴンは考えていた。
どちらの選択肢が正解なのかは、彼にも分からないのだ。砦に残したとしても不安はある、ぼんやりふんわりした雰囲気の美しい女性など、男からしたら手軽に転がせる草葉同然、鬱憤が溜まっている男共が放っておくとは考えにくい。が、このトラブルは、アイリスがしっかりしていれば避ける事が出来る。
しかし連れて行った場合、アイリスの面倒を見つつ、ヴァネッサを警戒し、ついでに化物の相手もしなければならないのだ。後者の方が注意力が散漫するだけ、危険が増す。命のやりとりが生じる場では些細な隙が致命的すぎるので、ここはアイリスに我慢、――というよりも大人になってもらうほかない。
それに少し考えれば分かる事の筈だ。瞳もすっかり人型に戻り、食べ終わった食器をよけているさまが、まるで傷心の乙女のような彼女を打ち負かせる者などいない事に。
「ふぅ、ごちそうさまです。……あの、ところでレイヴン。身体に違和感とかは感じませんか? 疲れているとか、頭が重いとかはないです? 息苦しかったり」
「もう夜の十時だ。いい具合に疲れてるし、いい具合に眠い」
「つまり健康です? それならいいんですけど、通りでの事があったから心配で」
「決闘? 万能薬?」
「お薬です、決まってるじゃないですか」
そうだよな、とレイヴンは苦笑。
思い出すだけでも数分前まで皿に載ってた食材と再会しそうな強烈な味は、万能薬というより拷問薬だったが、アイリスは味はどうでもいいと言う。
「ふっ……。一滴でも舐めれば、そんな台詞は言えねえぞ」
「笑い話じゃないです、レイヴン」
アイリスの言葉は絞り出したようだった。安心しようと、或いはさせようとしているが、口元が緊張している。
「もう一回訊きますけど、大丈夫ですよね。倒れたりしません?」
「そんな深刻な顔するなって。そっちの方が心臓に悪いぜ」
「あなたは魔具を通さずに魔法を使ったんです。本来なら魔法を使えない男の人が、魔具や術式の補助を得ずに魔法を使うのは魂に大きな負荷が掛かるんですよ。わたしが説明した、魔法の原理は覚えてます?」
問われレイヴンは虚空の中に記憶を探す。ぼんやり天井を眺めると、そこにはサウスポイントで交した会話が浮いているようだった。
「生き物が持ってる生命力、あぁ……幻子だっけ? それを魔力に練り上げて呪文を唱えると魔法が発動する。んでもって魔力を作る事は男にも出来るが、魔法を発現させられるのは『命を生み出せる女』だけだ」
「そうです。けれど昼間のレイヴンは、その法則を無視して魔法を使ったんです。魔具を介していても消耗激しいのに……、威力こそ控えめでしたけど生身で魔弾を撃つなんて魂を削りかねない危険な行為なんです、心配になるに決まってます」
「……怒られてもなぁ、撃とうと思って撃った訳じゃねえし。自分でもどうして、ただの銃から魔弾が飛び出たのかわからねえんだよ。十ドルかそこらで買える、普通のリボルバーだ、誰でも持ってるような代物だぞ」
「ですです。だから、原因は一つしか考えられません」
あの胡散臭い商人、アーサー・ウェリントン印の万能薬だ。まかり違っても信じていなかったレイヴンだが、そうとしか考えられない。それか彼の股ぐらから自前の一挺が消え失せたのかもしれないが、さっき便所に行った時に付いている事は確認してあるので、前者が有力だ。どちらにせよ、驚きなのは同じだが――。
「あの薬が効いたってのか? まさか」
「だから笑い事じゃないです、レイヴン。真面目に聞いてください」
皮肉笑いも咎めるアイリスは真剣そのものだ。
「アーサーさんが言っていた薬の原料には、魔術の触媒として使われる物も含まれていました、だからこそレイヴンの魔力を底上げして魔弾を放つに至ったのかもしれません。けれどそれは、いわば大雨が水門から溢れた状態なんです、危険なのは分かるでしょ? でもです、薬が効いたかどうかはどうでもいいんです。わたしは――」
「――無理やり増幅された状態で魔弾撃って、平気かどうかを知りたいんだろ?」
巡り巡り、そして何度か交した応答。
それでもアイリスが尋ね続けたのは、その問いの深刻さをレイヴンが理解していなかったからだが、今はもう違う。
「心配させてわるかった、アイリス。この通り、ピンピンしてる。……安心したか?」
「ううぅ……、ちょっとだけです」
本当にちょっとだけなのだろう。彼女はまた頬を膨らませて不満を露わにしていたが、それがどれ程ありがたい事か。自分でも知らぬ間に口元が緩んでしまったレイヴンは、またしても彼女のお叱りを受けるのであった。
「ほら、そうやってレイヴンは笑うんです! わたしはこんなに心配してるのに!」
「分かってるよ、感謝してる。だから笑っちまうんだ」
「事の重大さを理解しているならシャッキリしてほしいです、いつまで経っても安心できません。どうして笑うんです?」
何故笑ってしまうのか、言われてみれば何故だろうとレイヴンは考える。
かつては仲間に囲まれていた、何度も死線を乗り越えた悪名高き仲間達だ。泣き、笑い心配され、拳銃一つで信頼され、互いにやりたいようにやってきた。絆と忠誠心で堅く結ばれた、血縁を超えた家族がいた。
それは厳しく辛くも、良き思い出である。
しかしだ、彼等とはちがう繋がりをアイリスに憶えているのかもしれない。
「そこまで俺の身を案じるのは、お前くらいのもんだからな。……嬉しいのかもしれん、正直よく分からん」
「わたしが、レイヴンのことを心配するのがそんなに不思議です? 些細なことであっても友達を想うのは当然じゃないですか。レイヴンは……イヤ、ですか?」
「戸惑ってるだけだ、慣れてないもんで」
窓の外の灯りを眺めるレイヴンの横顔を、微笑みが照らす。あまりに眩しく、彼はアイリスを直視できなかった。
「もう寝るぞ、ベッドはお前が使え」
「一人でです? 二人でも充分寝られますよ」
「大切なのは寝る場所じゃなく、安心して寝られるかだ。野宿じゃないだけで大分マシだよ」
レイヴンは枕代わりに野営用の丸めた毛布を隅に転がし、ハットを頭に乗せなおすと、さっさとランプの灯を消す。部屋が暗くなる前にアイリスは慌てていたようだが、彼は構わずふぅと吹き消した。
「もぅ……真っ暗でなにも見えないじゃな――イタッ! ほら、足ぶつけちゃいましたよ。ええとベッドは……。ああ、ありました……」
衣擦れの音が真っ暗の部屋にじんわり響き、シーツに滑り込む柔肌が目に浮かぶようだ。彼女がベッドに身を預けたのだろう、ぎしりと木材が軋む。ところが横になったのかと思ったら、また鈍い音が鳴った。――ごつん、と痛そうだった。
「頭ぶつけたか? 思い切りいったな」
「うぅ、眼がチカチカします……」
やれやれとレイヴンは頭を振るが、彼は顔を隠す前にハットを掴んだ手を止める。彼女には一言、言っておかねばならない事がある。
「アイリス」
「なんです? やっぱりベッド使いますか?」
「……お前は、化物じゃない。サイモンが言ってた事は気にするなよ」
「ふふ……、気にしてません」
――そして、夜が明けた。
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