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第一話 拳銃遣いと龍少女

正義の代償Part.4

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 最大の戦力が離れてしまったのだ、牧場主のリーダーであるボビーにとっては、痛すぎる戦力低下で、彼は仲間に説明する為に、二人を残して酒場へと姿を消した。
 顔見知りではあるが親しいわけでもなく、そんな二人が通りに放り出されて会話が弾むかとなれば微妙だったが、ヘザーは思いの丈を忌憚なく吐きだした。しかし、アイリスはと言うと上の空である。

「ヘイ!」
「は、はい! なんです? なんですかッ?」
「あたしの話聞いてた?」
「聞いてました。すいません、考え事をしていて……。もう一度、最初からお願いできます?」
「だから、よくあんな男に付いていく気になったなって。守銭奴だし、血も涙もない人殺しさ。いくら命を助けてもらっても、悪いことは言わないから逃げた方が良いよ。絶対に不幸になる」
「善悪の境界は曖昧です、ヘザーさん。レイヴンは確かに善人だとは言い切れないでしょう、けれど同時に悪人だとも言い切れません」

 その境目は水に垂らした油よりも揺らぎやすく、線のどちら側が光に近いかは見方による。指先で弄れば容易く変形する境界線の脆弱さは、そのまま人間の脆さを示しているといっても過言ではない。
 とても繊細だ。触れ方一つ、力加減を間違えばいとも容易く砕けるくらいに。だからこそ愛おしく思えるのだ、人の身でないからこそ。

「彼は……なんていうかいい人なんです。助けてもらったからじゃありません、上手く説明できないんですけど。強いんですけど弱くって、分かりやすいようで複雑で……、そこがとても人間的で愛おしく思えてしまって。ヘンですかね?」
「待ってよ、あんた……。まさか、惚れてんの? あのロクデナシに」
「有り体に言えば、はい。その通りです」
「まったく人が良すぎさね、騙されてる」
「レイヴンにも同じ事を言われました、自分から離れた方が良いと。けれど放っておけなくて……気になってしまうんです。この気持ちが『好き』という感情なら、わたしは彼が好きなんでしょうね、まちがいなく」

 右の掌をアイリスは揉んだ、まだ彼を叩いた感触が残っている。

「どこがいいのか、あたしにはサッパリだ」
「あれで優しいところもありますから、不器用な所為で誤解されがちみたいですけど」

 最初の印象は後々まで影響するもので、アイリスには救い主であっても、ヘザーには金にがめついガンマンでしかない。オーロックでの出会いは二人にとって真逆の形で残っていた。

「……レイヴンは責めませんでした、わたし達を」
「何もしてないのに、なんで責められなきゃならないのさ」
「原因が貴女にあり、そしてわたしにあるからですよ」

 言葉にすることで憶測は次第に形を持つ、口を噤めば誰に知られることもないが、それは内側に秘密という名の毒を貯めるのに等しかった。

 魔女は町を焼くのに、オーロックスを焼くのに忙しい――レイヴンはそう言った。

 保安官に頼まれても断ることだって出来たはずだ、牧場で待っていればいずれ魔女はやってくるのだから。なのに彼は引き受けた。

 オーロックスで彼は盗賊を射殺した。
 頼み込んだのはヘザーである。
 そして、その原因を作ったのは――

「わたしなんです……迂闊すぎたから……」

 憧れに目が曇り、現実から目を逸らした結果の失敗だった。
 優しく、思いやりに溢れ、他者を愛すると信じていたが、二度続けて痛い目を見るまでは信じ切っていた、人間は皆素晴らしいと。
 目が醒めたのはレイヴンのおかげだ。

「彼は全てを察したはずです、なのにわたし達を責めはしなかった。レイヴンにも目的はありますよ? それでも、巻き込まれたのは事実です。彼は撃たなくて良い相手を撃ち、その報復として町が焼かれている」
「じゃあ、あいつはあたしも庇って……」
「いえ、責めを負うべきはわたしです。それなのに彼は、何も告げずに魔女を追いました」
「…………」
「感情とは如何ともし難いですね。彼がヘザーさんの無力を責めた時、わたしの心はざわめきました、あまりに理不尽な言葉と思ったからです。酷いことを言う彼を見ていたら……気が付いたら彼に暴力を振るっていました、やめて欲しくて。わたしには彼を責める資格などないというのに」

 不慣れな人間の矮小な掌は、ひりひりと熱を持っていた。その所為だろうか、思考がかき乱されて、アイリスは困惑し続けている。

 反射的に手が出ていた、暴力を振るうつもりなど一切無かったのに……。それはまるで誰も触れたことのない逆鱗を撫でつけられたような衝撃で、彼女自身にとっても驚きしかなかった。そして冷静になった今だからこそ後悔が募る、思考や言葉を置き去りにした、瞬間の感情に振り回された行為は、恥じ入るに充分だ。

「……すみません、ヘザーさん。話すべきではなかったかもしれません、レイヴンもきっと知られたくは無かったでしょうから」

 そしてアイリスは小さく息を吐いた。

「ふぅ……少し、歩いてきます。頭を冷やさなければ」
「アイリス!」

 首を傾げる彼女に向けて、ヘザーはばつが悪そうに唇を鳴らした。

「……あたしも言い過ぎた、悪かったよ」
「気にしないでください、誤解を招く言動はレイヴンの悪いところですから。でも分かっていると可愛いと思いませんか?」

 悲しげな雰囲気は消えないが、それでもアイリスの微笑みは幸せも湛えていた。

 人と龍――違いは歴然だというのに、共通点を見つけるのは森ではぐれた木の葉の片割れを探すに等しく、いっそ泣きたくなるほどだ。よくあるお伽話のように、運命的でもなければ美しくもない、むしろ咳き込むほどの砂埃で飾られた出会いは、誰に聞かせても首を振られる至極残念なものである。

 しかし、アイリスにはそれでよかった。

 その砂埃のおかげで、こうして彼女は悩んでいるのだから。

 たった一人の人間への想いに苛まれているなど、他のドラゴンが知ったら呆れられるだろう。相手はたかが人間。地上狭しと這いずり回り、互いを憎み合う愚かな生き物に情を寄せるなど有り得ないと。

 嗤われるだろう、だがそれで構わない。アイリスの胸をいつまでもざわめかせるのは、その矮小と評される生物への深い好意だった。確かに辛いが、それは嗤われる恐怖と程遠い感覚だ。他者への気持ち一つで、こんなに混乱することの不安感は初めてのこと、そして同時に感じる期待感は、レイヴンの返答によせる想いである。

 相反する感情に挟まれるなんてこれまでなかっただけに、彼女の頭はそれで一杯だった。

「アイリス姉ちゃん、どこ行くんだよーッ!」

 呼ばれてふと振り返れば、駆け寄ってくる子供の姿。

「おや、ジョンじゃないですか。どうしたんです、そんなに慌てて?」
「どうしたって……、ぼけ~っとしたまま歩いて行くから追っかけてきたんじゃないか。そのまま町の外に出るのかと思ったよ」
「心配をかけてしまったようですね。いえ、ちょっと考え事をしていただけですよ」

 ジョンは柵に登って座った。アイリスはまだぽけ~っとして空を見上げたままである。

「……なに考えてんの? にいちゃんの事?」
「みんな、わたしの考えを当ててきますね。そんなに分かりやすいです? それともジョンが特別鋭いのでしょうか」
「だってほら、さっきの見ちゃったらさぁ……」

 スイングされるジョンの右手、銃砲店の窓から通りの様子はよく見えるのだ。

「これはお恥ずかしいです」
「姉ちゃんが怒るなんて、ひどいこと言ったんだろ。僕でよかったら聞くけど」
「ジョンは紳士ですね、きっと素敵な男性になりますよ」

 一桁の年齢でしかない少年でも深い思いやりに満ちている、短い人生を歩む人間の成長速度には目を見張るばかりで、少年を撫でるアイリスは自分がまだまだ未熟であると思い知る。

「僕のパパとママを知ってるでしょ?」
「仲睦まじい素敵な夫婦でした。同席しているわたしが恥ずかしくなってしまうくらいに」
「へへ、ありがとう。――パパが言ってたんだ、ママと結婚したのはたくさんケンカしたからだって。ご飯の好き嫌いで言い合ったり、最初は全然仲が良くなかったんだってさ。でもパパはこう思ったんだって、ケンカしててもママの愛情はいつだって本物だって」
「けれど暴力は振るわなかったでしょう? わたしはレイヴンを叩いてしまいました」
「……ううん、一度だけあったってさ」

 温厚で愛妻家であるボビーがそんな事をするとは到底思えず、アイリスが驚きに目を見開いていると話は続く。

「すごく後悔してるって。だからよく言われるんだ、優しい大人になりなさい、大事な人を守れる強い男になれって。……姉ちゃんは、どう? 後悔してるの?」
「出来る事なら時間を戻してしまいたいくらいです」
「にいちゃんの事、好きなんだ」
「ええ、それはもう大好きですよ」
「……愛してるの?」

 それは不思議な響きだった。

 長く生きてきているが、単語として耳にしたことはあっても感じたことはない深き情。レイヴンは確かに大好きだが、その感情が所謂『愛』なのか、彼女にはまったく判別できず言葉に詰まる。

 窒息だ、顔も真っ赤になってしまう。

「えぇ、え……っと、どうなんでしょうか……」
「はっきり言えない時って、本当の答えが決まってるのに認めたくない時なんだってさ。恥ずかしくって」
「参考になります。それもボビーさんが?」
「ううん、クリスタルさ」

 気まずそうに俯くジョン、誰に向けた言葉だったのかは聞かなくてもわかった。

「成る程です。彼女は思慮深い魔女になりますね」
「と、とにかくさ、にいちゃんが好きなんだろ? 僕からみてもレイヴンだって姉ちゃんのこと好きなはずさ、謝れば許してくれるよ」
「だといいのですが……」

 未来は不明、不安は尽きない。
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