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二章
155.流行?
しおりを挟む「マティアス、刺繍を教えてほしい」
帰宅したラルフ様にそんなことを言われて僕は聞き間違いかと思った。
「はい? 刺繍って言いました?」
「言った。刺繍だ」
ラルフ様が刺繍? それは冗談ーーではなさそうですね。
真剣な表情で、僕に向き合っているラルフ様がふざけているとは思えない。一体なぜ?
「いいですけど、僕は教えられるような腕ではありません。ミーナかリヴェラーニ夫夫の方が教えるのには向いていると思います」
「ダメだ。マティアスでないと意味がない」
意味がないってことないと思う。僕はまだ、というかいつまで経っても初心者の枠から抜け出せずにいる。
なんでそんなことを急に言い始めたのか気になった僕は、ラルフ様にことの経緯を聞いてみた。
ラルフ様の左腕には僕の下手な刺繍がしてあるハンカチが巻かれていて、それを騎士の人たちに見つかったそうだ。それでその下手な刺繍をバカにされたのかと思ったら逆だった。可愛いから欲しいと言われたのだとか。
だけどラルフ様は僕が縫ったハンカチは誰にもあげたくない。お金をもらって売るのも嫌だそうだ。それでラルフ様が代わりに縫おうと思い至ったのだとか。
そこで自分で縫おうと思うところが面白い。
「何枚縫うのか知りませんが、僕はあの刺繍をマスターするまでに二ヶ月かかりました」
「そんなにかかったのか。この刺繍はそれほどまでにマティアスが努力をした結晶なんだな。死ぬまで大切にする」
ハンカチなんてそんな大切にしなくていいよ。ちゃんと新しく綺麗に刺繍したものを作るから、それは早めに手放してくれて構わない。
「ミーナがみんなに教えて、自分たちで縫えばいいんじゃないですか? ミーナは教えるのも上手いですよ」
「そうだな。そうしよう」
うちに集まられるのは困るから、ミーナを騎士団に派遣することにした。
それにしてもポポってば確実に侵略を進めているようだ。まさか武器ではない武器から、ハンカチにまでなってしまうなんて。
そこから二週間、蝉の声が秋の虫の声に変わる頃、ラルフ様から緊張した様子でリボンがかけられた小包が手渡された。
「マティアスに受け取ってもらいたい」
「はい。ありがとうございます。開けてもいいですか?」
「気に入ってもらえると嬉しい」
いつも僕にプレゼントしてくれるものは防具が多かった。一緒に選んだことはあるけど、こんな小包をもらったことはない。
ラルフ様が緊張しているから、僕まで緊張してちょっと手元が震えてしまった。
包みを開くと、そこには畳まれたハンカチが入っていて、僕の名前とポポが刺繍されていた。
「これ、もしかしてラルフ様が刺繍してくれたんですか?」
「そうだ。マティアスのために縫った」
「嬉しいです。ありがとうございます」
名前……僕はまだラルフ様のRですら上手く縫えないのに、ラルフ様はたったの二週間で、しかも仕事の休憩時間とかにちょっとやったくらいですよね? 僕に刺繍の才能がないことがはっきり分かった。そしてラルフ様はとても器用だということも分かった。
もう刺繍の練習やめたくなってきちゃったな……
でもラルフ様が僕の下手なポポの刺繍をずっと持っているのは嫌だから、早く僕も刺繍をマスターしてラルフ様が持っていても恥ずかしくないようなハンカチを渡したい。それまではなんとか頑張ってみる。
夕食の時間に食堂に行くと、ニコラがポポの刺繍が入ったスカーフをしていた。
「ニコラ、もしかしてそれってアマデオから?」
「よく分かりましたね。今、騎士の間で刺繍が流行っているらしくて、アマデオが作ってくれました」
アマデオは元々器用だって知ってた。やっぱり僕より上手い……
気になった僕は翌日になるとルカくんにも聞いてみた。
「ルカくんももしかしてハリオから刺繍が入ったハンカチとかプレゼントされた?」
「プレゼントされました。最近習ったと聞いたのに、僕より上手いんです。もう下手な刺繍のものは渡せないです……」
「そうなんだ。騎士の人って意外と器用なのかな?」
「ハリオは戦場で傷を負った人の傷口を縫うことが多くて、懐かしかったと言っていました」
そんな理由? なんか一気に生々しい話になった。もしかしてラルフ様も戦場で怪我人の傷口を縫っていたから刺繍が上手いんだろうか?
何年も縫っていたのなら僕が敵わないのは仕方ない。思わずそう納得しそうになったけど、傷口を縫うのと刺繍って違うよね?
そんな話をしていると、いつものようにフェリーチェ様がやってきた。フェリーチェ様には聞かなくても分かる。副団長の方が刺繍が上手いって言っていたし、もう既に色々と刺繍が入った物をプレゼントされてそうだ。
ルカくんはまだハリオに言えないらしい。
「いきなり『抱いてほしい』は言えないよね。『キスして』とか『ハグして』から始めてみたら?」
「そうですね。それなら、頑張れば言えそうな気がしてきました」
うん、一歩ずつでいいよ。いきなり大きくジャンプするのは難しいけど、小さい一歩でも進んでいけばジャンプするより先に行けるかもしれないし。
「言えないならやっぱり押し倒すに限るよ」
フェリーチェ様が言ったけど、それはフェリーチェ様だからできるのであって、僕たちのような貧弱で戦闘力がない人が騎士を押し倒そうとしても、押し倒せないと思う。
下手したら倒れそうになったと勘違いされて、手厚い看病をされるだけだ。大騒ぎされて治療院にでも担ぎ込まれたら目も当てられない。
そういえば毎日のように来てはリーブの後ろにくっ付いていたグラートを、ここ一週間ほど見ていない。
どこかに遠征にでも行かされているんだろうか?
「ママ、あかいやねのとこいきたい」
シルが部屋を訪れて、孤児院に行きたいと言ってきた。そういえば最近行っていなかった。
「赤い屋根?」
フェリーチェ様が不思議そうな顔をして僕に聞いてきた。
「ルカくんとフェリーチェ様も行きますか? 赤い屋根の古い教会があるんですけど、そこに孤児院が併設されているんです」
「僕も孤児院に持っていくクッキーを作ったことはあるけど、行ったことはないから行ってみようかな」
「孤児院か、私も行ってみよう」
ルカくんとフェリーチェ様も一緒に行くことになった。
シルの鞄がパンパンなのは気になるけど、おもちゃが入っているのかもしれない。まさかポポ一族は孤児院にも侵略を開始する気じゃないよね?
バルドも連れて孤児院へ歩いて行く。フェリーチェ様も強いし、バルドがいれば護衛としては十分だろう。
ん?
僕は孤児院へ向かう途中でおかしな物を見た気がした。
気のせいかもしれないと二度見すると、やっぱり気のせいではなかった。向こうから歩いてくる女の人の首に巻かれたスカーフにポポの刺繍を見つけたんだ。思わず僕はすれ違い様にジッと見てしまった。
もしかして、騎士の奥様か彼女だろうか? ポポは孤児院どころか街にも侵略を開始していた。それ、堂々と外で着けるんですね。僕はどうしても木彫りのポポの印象が強くて、ちょっと握り心地とか思い出してしまうから恥ずかしいと思ってしまうんだ。
それって僕の心が汚れているからだろうか?
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