僕の過保護な旦那様

cyan

文字の大きさ
上 下
155 / 189
二章

153.没収

しおりを挟む
 
 
「マティアス、『ちゅうして』と言ってもいいんだぞ」
 ソファに並んで座って今日あったことを話していると、話が途切れたタイミングでラルフ様が言った。
 ラルフ様は最近僕にそのセリフを言わせたがる。僕が酔った時に気分が高揚して言ってしまったセリフだ。薄っすらと記憶にある恥ずかしいセリフ。

「ラルフ様、ちゅうして」
 そう言うとラルフ様が嬉しそうに僕にキスしてくれるから、羞恥心を我慢して言う。ラルフ様の期待に応えたい気持ちも少しはあるんだけど、言った時のラルフ様の蕩けるような笑顔が好きなんだ。その笑顔見たさに、僕は羞恥心を我慢する。
 だけど何度も言っていると、そんなに恥ずかしがるようなことでもない気がしてきた。麻痺してきたってことかな? 但し人前では絶対に言えない。

 でも今日はラルフ様の様子が少し違った。一瞬不思議そうな顔をして、そして唇が重なるといつものように温かい舌がトロリと絡んできた。気のせいかな? 気持ちよくて吐息が漏れる。

「違うな」
 ラルフ様が急にキスをやめてそう言った。突然そんなことを言われて、僕はなんのことか分からなかった。
「へ?」
「可愛いことに変わりはないが、マティアスらしくない」
「なんのことですか?」
 僕は本気で分からない。刺繍のこと? それともハーブオイルのこと? ポポファミリーを量産していること?

「マティアスは大胆だが、あざとさはない」
「うん?」
 うん、そうだと思う。大胆って自覚はないけど、あざとさなんてもっとない。誰にもあざといなんて言われたことはないし、なんで急にラルフ様がそんなことを言ったのか分からなかった。

「『キスして』と言ってみてくれ」
「はい?」
 急になんなのか分からず、僕は「キスして?」と言ってみた。
「マティアス、好きだ」
「うん。僕もラルフ様のこと好きですよ」
「やっぱりマティアスは『ちゅうして』よりも『キスして』の方が似合う」
 はい?
 僕は似合わないのに、ラルフ様にそんな恥ずかしいセリフを言わされていたのかと思うと腹が立ってきた。確かに僕も少しは乗り気だったけど、酔っていないのに自ら言ったりしない。

「やっぱり僕はラルフ様のこと嫌いです!」
「なぜだ!?」
 僕がラルフ様を押し返してそっぽを向くと、ラルフ様は急に立ち上がって目を見開いた。横目で見ると握りしめた拳はプルプルと震えている。
「僕は今日はシルと寝ますから、ラルフ様は一人で寝てください」
 僕は立ち尽くすラルフ様を一人置いて部屋を出た。

 シルの部屋の扉を開けると、また増えたポポ一族がずらりと並んでいる。数々のポポ一族と目が合うと、一気に怒りは霧散して、こんなことで怒って逃げ出してきた僕が格好悪く思える。

 その横にはフェリーチェ様が刺繍してくれたポポスカーフも置いてある。
 シルの部屋は完全にポポに支配された。

「ママ、これよんで」
「うん、いいよ」
 ベッドに入ってシルが見ていた本を読んであげると、シルは物語が終わる前に眠ってしまった。
 腹が立ったからと言って、ラルフ様を置いて部屋を出てしまったのは大人気なかった。
 まだラルフ様が落ち込んでいるような気がして、少しだけ様子を見てみようとベッドをそっと抜け出す。部屋の扉に手をかけたのに、扉は開かなかった。
 もしかして、扉の外にはラルフ様がいて、寝ずの番ってやつをしているんだろうか?

「ラルフ様、そこにいるんですか?」
「マティアス……」
 やっぱりそこにはラルフ様がいた。僕は開かない扉にもたれて座ると、ラルフ様に話しかけた。
「嫌いなんて言ってごめんなさい」
「いいんだ。きっと俺がマティアスに嫌われるようなことをしてしまったんだ」
 別に嫌ってはいない。ただちょっと腹が立って嫌いなんて言ってしまっただけだ。

「恥ずかしかった」
「何があった? まさかアリーが何かしてきたか?」
 扉の向こうでガタンと音がした。夜なのに僕の返答によってはすぐにでも敵を倒しに向かう気なのかもしれない。
「いえ、クロッシー夫人は関係ありません。ラルフ様が僕に恥ずかしいことを言わせました」
「いつだ?」
「最近よく言わされていましたよ。『ちゅうして』って。それなのに似合わないって。ラルフ様が言わせたくせに酷いです」
 次はドゴッと鈍い音がした。それ何の音ですか?

「違うんだ! 似合わないのではない! とても似合う! 似合うんだが、俺の好みというか、マティアスには失礼なことを言った。すまない。怒らせるつもりはなかった」
 似合うんだ? それはそれで複雑な気分だけど……
 怒らせるつもりがなかったのはそうでしょうね。ラルフ様は僕を怒らせようとしたことなんてありませんし。

「分かっています。ちょっと腹が立っただけです」
「すまない。どうしたら許してもらえる?」
 さっきから断続的にドゴッと鈍い音が聞こえるんですが、それは何の音ですか? 聞きたいような聞きたくないような……

「もう怒ってないですよ」
「そうか」
 ふぅ~っとラルフ様の長い吐息が聞こえた。
「それでさっきから何をしているんですか?」
「反省しながらマティアスと話をしている」
 それはそうだけど、僕が気になってるのはその音です。

「ラルフ様、扉を開けてもらえますか?」
「今日はやめておこう。俺は朝までちゃんとここで番をする」
 そんなの必要ないよ。野営しているわけでもないし、ここは高い塀に囲まれた王都で最も安全と思われる家の中だ。
「そんなことしなくていいですから、部屋で寝てください」
「分かった」
 本当に分かったのかな? しばらく僕が静かにしていると、足音が去っていく音がした。ラルフ様が部屋に戻ったんだろう。僕は安心してシルのベッドに戻って目を閉じた。

 朝になると僕はラルフ様の部屋を訪ねた。ちゃんと寝れたのかな?
「昨日はごめんなさい。え? それ、どうしたんですか!」
 騎士団の制服を着ようとしていたラルフ様の脇腹に赤黒い、まだ新そうな痣をみつけた。ラルフ様がそんな傷を負った姿は初めて見る気がする。
「なんでもない」
 そう言うとラルフ様はサッとボタンを留めて隠してしまった。
 なんでもないわけないよね? 痛そうだったし。

「僕に隠し事ですか?」
「そうではないが、言いたくない」
 言いたくない? 模擬戦で負けたことが格好悪いから言いたくないとかそういうこと? ラルフ様が負けることなんてあるんだろうか? 僕の中ではラルフ様は最強で、ラルフ様が誰かに負けるなんて想像できないんだけど。
 僕はジッとラルフ様を見つめた。

「ふぅ、マティアス、怒らないでくれ」
「怒っていませんよ」
「反省のために自分でやった」
「はい?」
 もしかして、昨日扉越しに聞こえていた音って……
 なんてことだ。僕はラルフ様の制服を捲って痣を確認した。骨、折れてないよね?
 間近で見ると本当に痛そうだ。

「もうこんなことしないで下さい。ラルフ様は僕の大切な人なんですから」
「マティアス……」
 僕のせいだ。僕がラルフ様を追い詰めた。
 服で隠れるところにしたの? でもどうやって? こんなに痣になるまでって……

 まさか……ちょうど目が合った。机の上に置かれたポポママとピエール二号。
「これ、使いましたね?」
「…………」
 僕が見上げるとラルフ様は目を逸らした。

「これは没収です! ラルフ様はチンアナゴ使用禁止です!」

 ラルフ様を怪我させるようなものを持たせるわけにはいかない。
 するとラルフ様は僕があげた下手なポポの刺繍が入ったハンカチをパッと取って握りしめた。まるでこれだけは絶対に渡したくないとでも言うように。

「それは没収しませんよ。ハンカチは凶器ではありませんので」
「そうか。よかった」
 そんなに大切にしてくれているなんて。嬉しいけどちょっと複雑です。頑張ってラルフ様の名前や花を刺繍できるように練習するので待っていて下さい。

「マティアス、許してもらえるなら今日は一緒に寝たい」
「僕は怒っていませんよ。一緒に寝ましょう。それより怪我までさせてしまって、僕の方が謝らなければ……ごめんなさい」
「大丈夫だ。こんなのは大したことない」
 そう言ってラルフ様は僕のことを抱きしめてくれた。

「でも……」
「心配ない。マティアスは何も悪くない」
 ラルフ様は少し困ったような顔で、腕の中の僕の顔を覗き込んだ。
「ラルフ様、キスして?」
 一瞬驚いて、蕩けるような笑顔に変わると、大きな手は僕の背中からうなじに回されて、そっとキスしてくれた。

「ラルフ様、もう行かないと遅刻しますよ」
「大丈夫だ。全力で走れば俺は馬より速い」
 ええ!? 馬より速いの? それって人外じゃない? やっぱり僕の旦那様は最強だと思う。

 
しおりを挟む
感想 64

あなたにおすすめの小説

貴族軍人と聖夜の再会~ただ君の幸せだけを~

倉くらの
BL
「こんな姿であの人に会えるわけがない…」 大陸を2つに分けた戦争は終結した。 終戦間際に重症を負った軍人のルーカスは心から慕う上官のスノービル少佐と離れ離れになり、帝都の片隅で路上生活を送ることになる。 一方、少佐は屋敷の者の策略によってルーカスが死んだと知らされて…。 互いを思う2人が戦勝パレードが開催された聖夜祭の日に再会を果たす。 純愛のお話です。 主人公は顔の右半分に火傷を負っていて、右手が無いという状態です。 全3話完結。

もう人気者とは付き合っていられません

花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。 モテるのは当然だ。でも――。 『たまには二人だけで過ごしたい』 そう願うのは、贅沢なのだろうか。 いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。 「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。 ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。 生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。 ※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中

【第1章完結】悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!

梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!? 【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】 ▼第2章2025年1月18日より投稿予定 ▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。 ▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。

妹を侮辱した馬鹿の兄を嫁に貰います

ひづき
BL
妹のべルティシアが馬鹿王子ラグナルに婚約破棄を言い渡された。 フェルベードが怒りを露わにすると、馬鹿王子の兄アンセルが命を持って償うと言う。 「よし。お前が俺に嫁げ」

結婚式当日に「ちょっと待った」されたので、転生特典(執事)と旅に出たい

オオトリ
BL
とある教会で、今日一組の若い男女が結婚式を挙げようとしていた。 今、まさに新郎新婦が手を取り合おうとしたその時――― 「ちょっと待ったー!」 乱入者の声が響き渡った。 これは、とある事情で異世界転生した主人公が、結婚式当日に「ちょっと待った」されたので、 白米を求めて 俺TUEEEEせずに、執事TUEEEEな旅に出たい そんなお話 ※主人公は当初女性と婚約しています(タイトルの通り) ※主人公ではない部分で、男女の恋愛がお話に絡んでくることがあります ※BLは読むことも初心者の作者の初作品なので、タグ付けなど必要があれば教えてください ※完結しておりますが、今後番外編及び小話、続編をいずれ追加して参りたいと思っています ※小説家になろうさんでも同時公開中

【書籍化進行中】契約婚ですが可愛い継子を溺愛します

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
恋愛
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ  前世の記憶がうっすら残る私が転生したのは、貧乏伯爵家の長女。父親に頼まれ、公爵家の圧力と財力に負けた我が家は私を売った。  悲壮感漂う状況のようだが、契約婚は悪くない。実家の借金を返し、可愛い継子を愛でながら、旦那様は元気で留守が最高! と日常を謳歌する。旦那様に放置された妻ですが、息子や使用人と快適ライフを追求する。  逞しく生きる私に、旦那様が距離を詰めてきて? 本気の恋愛や溺愛はお断りです!!  ハッピーエンド確定 【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2024/09/07……カクヨム、恋愛週間 4位 2024/09/02……小説家になろう、総合連載 2位 2024/09/02……小説家になろう、週間恋愛 2位 2024/08/28……小説家になろう、日間恋愛連載 1位 2024/08/24……アルファポリス 女性向けHOT 8位 2024/08/16……エブリスタ 恋愛ファンタジー 1位 2024/08/14……連載開始

囚われ王子の幸福な再婚

高菜あやめ
BL
【理知的美形宰相x不遇な異能持ち王子】ヒースダイン国の王子カシュアは、触れた人の痛みを感じられるが、自分の痛みは感じられない不思議な体質のせいで、幼いころから周囲に忌み嫌われてきた。それは側室として嫁いだウェストリン国でも変わらず虐げられる日々。しかしある日クーデターが起こり、結婚相手の国王が排除され、新国王の弟殿下・第二王子バージルと再婚すると状況が一変する……不幸な生い立ちの王子が、再婚によって少しずつ己を取り戻し、幸せになる話です

幽閉王子は最強皇子に包まれる

皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。 表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

処理中です...