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二章
72.グラートの呪い
しおりを挟む「マティアスは仕事をしながらシルの面倒も見て偉いな」
ラルフ様にそんなことを急に言われてびっくりした。
「仕事は週に三日ほどですし、シルはメアリーの方が多く見てくれていますよ」
「それでも偉い」
「ラルフ様……」
大きくて温かい手でそっと髪を撫でてくれた。
なんか改まってそんな風に言われるとちょっと照れる。でも嬉しい。
「マティアス、その服似合っているな」
「そうですか? 暖かくなってきたので薄い生地のブラウスを出してみたんです」
「よく似合っている。袖のヒラヒラがマティアスの可愛さを引き立てている」
「ありがとうございます」
このブラウスは先日タルクに人気店があると教えてもらって、ニコラと一緒に行った時に買ったんだ。買った時はまだちょっと寒くて着れなかったからクローゼットにしまっていた。今日は天気がよくて暖かいから着てみたんだけど、褒めてもらえるなんて思わなかった。
ラルフ様はよく僕を褒めてくれるようになった気がする。それと、最近ラルフ様は僕の髪を撫でるのが好きらしい。
仕事が終わって店を出ると、ラルフ様が待っていた。今日のお迎えはラルフ様だ。
いつもはすぐに手を差し出してくれるのに、今日は手を繋がなかった。暑いから? もしかして急いで来たから汗かいてるのを気にしてるとか?
「今日は手、繋がないのですか?」
「マティアス、俺を見てくれ」
「はい?」
何? 僕は立ち止まって、言われた通りラルフ様を見たんだけど、それだけだった。しばらく見つめ合ってみたんだけど何もなかった。こんな道の真ん中で立ち止まって何がしたいのかも分からない。僕の質問にも答えてくれないし、なんなんだろう?
「帰りましょう」
僕は邪魔になると思って数歩進んだんだけど、ラルフ様が付いてこない。
「もう一度だ」
「もう、なんなんですか?」
仕方なく僕は振り向いてラルフ様を見たら、なぜか嬉しそうに僕の手を握って歩き出した。
何がしたいのか分からなかったんだけど、そのまま遠回りして露店を眺めたり、人が並んでいた人気の屋台でワッフルを買って食べた。帰りに寄り道するのは楽しい。
それ以降は立ち止まったり「俺を見ろ」みたいなことは言わなかったから、ますます意味が分からなかった。
それからもたまにラルフ様は「俺を見ろ」と言うようになった。
「ラルフ様、どうしたんですか? 僕はいつでもラルフ様のこと見てますよ。余所見なんてしていませんよ」
「そうか」
前に僕が不貞を働いたと勘違いした時の不安が残ってるんだろうか?
でもあれはちゃんと説明して解決したはずだよね?
僕はラルフ様に「俺を見ろ」と言われる度に首を傾げている。
「マティアスの髪は綺麗だな」
「え? いきなりどうしたんですか?」
そんなことラルフ様に初めて言われた。クルクルってほどじゃないけど、ちょっと癖があってうねってる僕の髪。パサパサでボサボサってことはないけど、僕にとってはコンプレックスだったんだ。だから綺麗なんて言われてビックリしたけど嬉しかった。
「嬉しいか?」
「はい。嬉しいです」
「そうか」
それなのに、ラルフ様はいきなり僕の髪を掴んでグイッと引っ張った。
「痛っ! 何するんですか……」
「ごめん。少し掴んでキスしようとして失敗した」
「…………」
ん? 髪にキス? それって……この前シルが言っていた、グラートに教えてもらったとかいう口説きのテクニック?
なんだ。髪が綺麗ってのも、思ってもないのに言ってみただけ?
思い返すと最近の謎な行動、よく褒めたり、頭を撫でたり、「俺を見ろ」ってまさか……
三回目が合ったら手を繋ぐとかいうやつ? まさか目が三回合わないと手を繋げないと思ってる?
今までのが全部、口説きのテクニックってやつをするために言ったり行動したりしていたのだと思うと腹が立った。
褒められたことを素直に喜んでいた僕がバカみたいだ。
そもそも僕とラルフ様はもう結婚しているんだから口説く必要もない。なんでそんなことをしてるの?
心にもないことを言っていたのかと思ったら、腹が立った。ずっとそれに気付かなかった自分にも腹が立つ。
「僕はしばらくラルフ様とは話したくありません」
「マティアス、髪を引っ張ったりしてごめん。本当にすまない。そんなに痛かったのか」
全然違う。グイって引っ張られた時は痛かったけど、そうじゃない。痛いのは心の方だ。
僕は何も答えず、ラルフ様に背を向けて寝ることにした。
「マティアス、本当にすまない。もうしない。こっちを向いてくれないか?」
「知らない」
「マティアス、背を向けないでくれ……」
ラルフ様の声が哀しみを含んでいるように聞こえる。じゃあなんであんなことしたの?
「じゃあ説明して下さい。なんで僕にグラートがシルに教えた口説きのテクニックを使ったんですか? 褒めて頭撫でたり、三回目が合って手を繋ぐとか、髪を褒めるとか、僕のこと揶揄ってるんですか? 僕は本当に褒められてるのかと勘違いして、バカみたいだ」
グッと拳を握りしめて、悔しくて唇が震えた。
「勘違いじゃない。いつも心の中で思っていたことを口にしただけだ。そうしたらマティアスが嬉しそうな顔をしたから俺も嬉しくなって言うようにした。それでグラートが言ったことは本当なんだと思った」
「そう……」
「目が三回合わないと手を繋いではいけないというのは知らなかったんだ。今まで嫌な思いをさせてすまない。早く手を繋ぎたくて、目が合うよう無理強いしたのは、悪かったと思っている」
「違うよ……」
「髪を引っ張ってしまったのは本当にすまなかった」
これってさ、もうグラートの呪いだよね。
褒めてくれたのは勘違いじゃないなら嬉しかった。だけど、手を繋ぐには三回も目が合う必要があるとか、これは呪いみたいなものだ。
「グラートのようになりたいのでなければ、そんなことはやめて下さい。
褒めてくれるのは嬉しかったけど、手を繋ぐのに目が合う必要なんて無いですし、そんなのグラートが言っているだけです。ラルフ様がグラートの呪いにかかったせいで、僕は悲しかった」
「すまない。もうしない。こっちを向いてはくれないか?」
寝返りをうってラルフ様を見ると、ラルフ様が泣きそうな顔をしていた。傷つけるつもりはなかった。ラルフ様もそうだ。
グラート、本当に余計なことをしてくれたな。
「グラートの口説くテクニックが正しかったとしても、僕はラルフ様と結婚しているんですから、口説く必要はありませんよね?」
「結婚していても、マティアスの心が離れないとは限らない。いつまでもマティアスに好きでいてもらいたい」
「好きですよ。そんなことしなくても好きです。キスして?」
「キスしてもいいのか?」
「いいに決まってます。いつでもラルフ様とキスしたいって言ったじゃないですか」
「マティアス……好きだ」
唇が重なって、やっぱりラルフ様はちょっと拗ねたみたいにチュッチュッと啄むようなキスを繰り返した。
変に回りくどいことしなくても、僕は真っ直ぐに好きだと伝えてくれるラルフ様が好きです。
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