僕の過保護な旦那様

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二章

44.新しい従業員と虫刺され

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「初めまして! これからよろしくお願いします!」
 僕が出勤すると元気よく頭を下げたのは、まだ若そうな青年だった。僕よりちょっとだけ背が高い、あどけなさの残る大きな目がクリクリとして可愛らしい人だ。
「マティアス様、僕はあなたに憧れているんです。色々教えて下さい!」
「あ、うん」
 憧れてる? 僕に? 一体なぜ?

 新しい従業員として採用されたのはコレッティ男爵家の四男でタルクという、十七歳でまだ学園を卒業して半年ほどの青年だった。四男か、それは難しい立場だよね。お兄さんが三人もいたら、領地経営に携わるのは難しいし、王都で働く文官なんかになれればいいんだけど、そこまでの成績はなかったらしい。
 学園を卒業すると、どこかの貴族の執事や、可能なら家令になれたらいいと思って、コレッティ家の家令について教わりながら執事の真似事をしていたそうだ。

 それがなぜ花屋の従業員に?
 僕も分からない。なぜか僕に憧れを抱き、どうしても会ってみたくて王都まで来た。花屋を訪れたら従業員を募集していたから、その場の勢いで店に駆け込んで、そして採用まで至ったらしい。今は王都の男爵家の屋敷から通っている。
 僕はほとんど出ていたから、採用されるまで彼に会ったことはなかったんだけど、爽やかな青年が花屋にいるのはいいんじゃないかな。

 お休みの日になると、前よりも安全になった公園にシルを連れて行った。
 公園の周りは騎士が常に巡回しているから安全だ。バルドがついてきてくれたから、今日はラルフ様も部下の皆さんもいない。

「ぼくのママはすごいの!」
「ぼくのママだってすごいんだから!」
「ぼくのママだって!」
 シルは早速、同年代の友だちができたらしい。お互いのママ自慢が始まって、美味しい料理を作ってくれるとか、可愛いとか、優しいとか、そんなことを言い合っている。
 友だちができてよかったね。

「バルド、やっぱり子どもは同年代の子と遊ばせた方がいいんだね」
 周りが騎士ばかりだから、シルは騎士ごっこや敵を察知する方法なんてのに興味を持ってしまうんだ。
「そうですね。友だちはいた方がいいと思います」
 友だちか……
 僕は友だちって従兄弟くらいしかいなかったかも。あとは牛とか、虫とか草とか。
 後継じゃないから顔を広める必要もないし、成人する頃には婚約者がいたから相手を見つける必要もなかったし、夜会にはほとんど参加しなかった。
 王都の学園に通っていたら違ったのかもしれないけど、僕は領地の学校に通ったから、周りはみんな平民で僕は遠巻きにされていた。
 シルにはたくさん友だちができるといいな。

「バルドはロッドと仲直りできた?」
 前に二人は喧嘩していたから、仲直りできたのか気になった。また僕のことで言い争いしてないといいんだけど……
「ええ、まあ一応。昨日も生意気言っていたので朝まで攻め倒してやりましたよ」
「そうなんだ……ほどほどにね」
 騎士の仕事は身体が資本なのに大丈夫なんだろうか? ロッドはひ弱じゃないから大丈夫だと思いたい。
 きっと二人にとってはこれが通常運転だから、僕はもう触れないでおこうと思う。


「マティアス様ー!」
 遠くから僕を呼ぶ声が聞こえて、声がした方を向くと、タルクが走ってくるのが見えた。配達の帰りなのかもしれない。
「マティアス様、あれは知り合いですか?」
「うん。新しく花屋の従業員になったタルク。コレッティ男爵の子息だよ」
 バルドが厳しい声で聞くから、僕がタルクの説明をしてあげると、やっと腰に差した剣から手を放してくれた。バルドって庭師のはずだけど、本物の護衛みたいだ。

「タルク、僕に様は付けないでいいって言ってるでしょ? 同じ従業員なんだから」
「すみません。憧れなので……」
 タルクが僕の名前を大声で呼ぶから、周りから「あれがマティアスという人か」なんてざわざわと聞こえてきて、ちょっと居心地が悪い。シルはなぜか得意げな顔で腕を組んでうんうんと頷いている。もしかしてラルフ様の真似してる? うちの子可愛い。

「帰りますか?」
「そうだね」
 バルドはやっぱり僕の心の友だ。僕の気持ちを理解してくれる。

 シルは初めましてのタルクに、ちょっと人見知りを発動していたけど、ちゃんと名前を言うことができた。
「ママー」
 シルを抱っこして、バルドとタルクと並んで歩いていく。
「可愛いな、シルヴィオくん」
「ぼくはかわいいんじゃない。かっこいいの」
 シルは騎士に憧れているから、可愛いより格好いいって言われたかったらしい。
「うん、格好いいね」
 タルクが言い直してくれると、シルは得意げになってふふんと機嫌を良くした。
 そんな姿に、みんなから笑みが溢れる。


「今日はシルを連れて公園に行ったんです」
「マティアス」
 寝る前にミントの香りのキャンドルに火を灯して、ベッドに寝そべると、急にラルフ様に手を掴まれた。なんだろうと思ったら、寝衣の裾をバッと捲られた。早業で脱がされたわけではなく、捲られたんだ。
 なんだろうと次の言葉を待っていると、ラルフ様は「やられた」と呟いた。
 何の話? やられた?

 ラルフ様がジッと僕の足を見ているから、僕も視線の先を辿ってみると、ちょっと赤く腫れている箇所があった。公園で虫に刺されたんだろう。痒いと思っていたんだよね。無意識に掻いていたかもしれない。それでラルフ様に手を掴まれたのかな?

「敵を倒しに行ってくる」
「はい? ちょっと待って。敵とは誰で、どこに行くのか説明して下さい」
 夜中に急に敵を倒しに行くなんて言われて、「そうですか」なんて納得できないし、「行ってらっしゃい」と送り出すことなどできない。ベッドから降りたラルフ様の腕を慌てて掴んだ。一瞬で部屋の端まで移動できるラルフ様を捕まえられた僕は、意外とすごいのかもしれない。

「マティアスに害を加えるものは全て敵だ」
「誰にも危害なんて加えられていませんよ。誰のことなんですか?」
 ラルフ様がとうとうおかしくなってしまったのかと思って、不安になった。思い返してみても全然該当する人物が浮かばない。今日はシルとバルドと公園に行って、タルクとは会ったけど、危害なんて加えられていない。

「それだ。虫が、マティアスの足を……」
 ラルフ様は僕の赤く腫れた足を指差した。
「へ? 虫?」
 ラルフ様はもしかして、こんな夜中に公園にでも行って虫を狩り尽くす気なんだろうか? そんなの労力の無駄だ。虫を全部排除することなんてできないし、夏はたくさん虫が出る時期なんだ。
 まさか虫が敵だなんて思わなかった。僕は虫に刺されることも許されないらしい。

「マティアスの足に傷をつけるなど、あってはならない」
 ラルフ様は何とも悔しそうな顔でそんなことを言うんだ。死に至るような毒虫でもないし、ただの虫刺されなのに……

「行かないで。夜中に僕を一人にするつもりですか? 虫なんてどこにでもいますから、全て排除するなんてできませんよ。今日は虫除けになるミントの香りのキャンドルを焚いていますし、僕もこれからは気をつけます」
 シルが虫に刺されても同じことをするかもしれない。メアリーに虫除けのハーブをシルの部屋に吊るしてもらおう。

「しかし……」
「少し痒いくらいで、どうってことありません。心配しすぎですよ。十ヶ所くらい刺されたって平気です」
「ダメだ。俺のマティアスが……」
「ラルフ様だって夏になれば虫に刺されたりするでしょう? その度に大騒ぎしていたんですか?」
「俺は平気だ」
「僕も平気です。とにかくこんな夜中に出ていくなんて許しませんよ」
 ラルフ様は渋々了承して、ベッドに戻った。勝手に出ていかないよう、僕はラルフ様の腕に巻き付いて寝ることにした。世話が焼ける旦那様だ。

「マティアス……」
「嬉しいですか?」
「嬉しい」
 いつもラルフ様に不意打ちでキスされる時に聞かれていることだ。今日は僕が不意打ちしてやった。
「マティアスは危なっかしいな」
 そう言って、ラルフ様は僕の髪をそっと撫でてくれた。

 
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