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二章
32.陛下の来訪
しおりを挟む「ラル~、ママ~」
ガチャッ
陛下が近いうちに来ることをリーブに伝えてから間も無く、シルが本を持って部屋に入ってきた。
「ラルとママがかえってるって。メアリはいそがしいって」
「そうだね。おいで」
うちは使用人が少ない。なぜなら夜会や茶会を開くことがないし、貴族を招くことを考えていないからだ。本来なら王族なんて来るはずもない家なんだ。
だから準備は使用人が総出でやるしかない。
それと、ラルフ様が人を増やすのを嫌がった。「裏切り者が出るといけない」ということらしい。
領地を経営してるわけでもないし、商いをしているわけでもないから、大金があるわけでもない。どこかに知られて困るような情報もない。
そんなことより僕は、部下の皆さんを勝手に僕の護衛につけているのは、騎士団で問題にならないのかを知りたい。
シルに手を伸ばして抱き上げようとしたんだけど、僕はラルフ様の膝の上にいるんだった。革張りのソファよりも硬い質感だし、とても安定しているから忘れそうになる。
それでもいいやとシルを抱き上げたら、腰に力が入らなくてちょっとバランスを崩したんだけど、そこはラルフ様がきっちり僕を支えてくれた。
「だっこのうえにだっこ」
なんだこの体勢は……
これも誰かに見られたら恥ずかしい。それに僕がバランスを崩したらシルが落ちてしまう。
「ラルフ様、降ります」
「ダメだ」
え? なんで? ラルフ様が不機嫌そうに言うから、それならシルを降ろして隣に座らせようかと考える。
「降りるならシルが降りればいい」
「ぼくおりない」
「じゃあこのままだ」
僕が迷っている間に結論は出てしまったようだ。ラルフ様がシルごと僕を抱きしめるから、僕は間に挟まれて身動きが取れなくなった。何だこれ?
シルはそれが面白かったのか、キャッキャと喜んでいる。シルが嬉しそうだからまぁいいか。僕は諦めてその体勢のままシルに本を読んであげた。これが正解なのか教えてほしい。
結局、午後のお茶の時間にチェルソが試作品を持ってくるまで、僕たちはこのままだった。チェルソ、何も言わないでくれてありがとう。
シルが降りてくれて、隣に座って今が旬のメロンが乗ったタルトを食べている。
「僕は降ろしてもらえないんですか?」
「このままがいいんだ」
今日のラルフ様はシルよりも子どもだ。逃がさないぞとでも言うように僕をずっと抱き抱えている。ラルフ様だってこの体勢は食べ難そうなのに、降ろしてくれる気はないらしい。
そしてその後もずっとラルフ様は僕を抱えていた。
「ラルだけずるい」
「いいんだ。俺はマティアスの夫だからな」
「ぼくもおとなになったらオットになる」
「シルもちゃんと大切な人が見つかるから、それまで待て」
「わかんない。ぼくもだっこしてほしい!」
結局、ラルフ様が僕とシル両方を抱っこすることになったんだけど、二人ともそれで満足らしい。喧嘩しなくてよかった。
「マティアスが大好きだと言ってくれたことが嬉しかった」
寝る前にラベンダーのキャンドルに火を点けていると、ラルフ様が僕の手を取ってそう呟いた。そっか、そんなに嬉しかったんだ。
握った僕の手の甲をスリスリと親指で撫でている。もしかして、今度こそ僕に甘えてるの?
こんなラルフ様は僕しか知らないという優越感。このまま抱きしめて、甘やかしてみたい。
「僕もラルフ様が好きだと言ってくれると嬉しいです」
「マティアス、好きだ」
僕は一瞬にしてベッドの上で、ラルフ様の唇が重なった。
唇を何度も啄んで、何度も好きだと伝えられているみたいでちょっと恥ずかしい。
服を脱がされていないのは、近いうちに陛下が来ると分かっていて、陛下の前で抱っこしているのはまずいと理解しているからだろうか?
ラルフ様は少しずつでもちゃんと王都の生活に適応しようとしてくれているんだと思った。陛下が来る予定さえなければ、僕ももっとラルフ様を全身で感じたかったよ。
「手を繋いで寝ていいか?」
「いいですよ」
夜中にラルフ様に触れると、ラルフ様は反射的に起きてしまうから、僕たちは大きなベッドで少しだけ離れて寝ている。
だから、ラルフ様が自ら手を繋いで寝たいなんて言ってくるとは思わなかった。
時間がなくて昼間は早足で終わらせてしまったから、愛し足りないんだと思うけど、少しは警戒心を解いてくれたと思っていいのかな?
朝になると、手は離れてしまっていたけど、昨日はとても嬉しいことがたくさんあった。
翌日になると早朝にロッドとグラートとルーベンが家に来た。陛下の安全を確保するためか、それとも僕やシルを敵から守るためか……
とりあえずチェーンメイルは着ていないし、剣も腰に片手剣があるだけの軽装備だ。ルーベンはすぐにシルのところに行った。シルはまだマナーも教えてないし、陛下の前に出すのは早い。外部から何人も人が訪れるから、シルを守るために来てくれたようだ。
「マティアスさん、ルーベンから聞きました。さすがです!」
グラートから唐突にそんなことを言われて、何のことだか僕は分からなかった。
「なんのこと?」
「グラート、何の説明もなくそんなことを言っても驚かれるだけだろ? 説明を省くな」
ロッドに注意されると、グラートはしまったという顔をした。彼はちょっと慌てん坊さんなのだろうか? ロッドとグラートを見ていると、シルの面倒をみてくれている時のクリスとフィルを思い出す。
「すみません。ルーベンからマティアスさんの考えを聞きました。武装せずとも高い防御力と攻撃力を備えることが大切だと。だからチェーンメイルを脱いで剣を置くよう言ったのだと。隊長だけでなく俺たちにまでご指導いただきありがとうございます!」
「ありがとうございます。我らも精進します」
「あ、うん。頑張って……」
その問題があったか……全くそんな意図は無いのに、感謝までされて、僕は一体どこへ向かっているんだろうと不安になった。
みんな王都が安全だと理解してくれたのだと思ってたのに、僕の説明が下手なんだろうか? そんなキラキラした目を向けられても困る。
誰か助けて!
ロッドとグラートが来たから、今日陛下が来るんだろうということは分かっていたけど、なかなかやってこなかった。
午後のお茶の時間の頃に先触れとして商人の格好の人が来て、その後しばらくすると陛下はやってきた。ちょっと裕福な商人という様相で、何も飾りのない小さな馬車と、従者が一人に護衛が四人、そのうち二人は外で見張りをしているため、陛下に張り付いている護衛は二人だけだ。
ラルフ様も部下の皆さんも見てくださいよ! ほら、この国で一番偉い人でもこの程度の護衛で出掛けるんですよ。王都は安全だと理解してください。
僕は心の中で語りかけ、隣にいるラルフ様に視線を送った。
そうしたら、ラルフ様は僕の手を握った。違う……僕の言いたいことはやっぱり伝わらなかったらしい。
応接室でお茶とお菓子をお出しして、野盗の討伐を褒めていただいたり、塀や櫓の説明をしてから櫓へ向かうことになった。ロッドが先導して、その後ろに陛下と護衛二人、そしてラルフ様がいて僕、一番後ろはグラートという並び順で向かった。
シルはお部屋で庭師のバルドとルーベンが見てくれている。
階段を上がって櫓の上を目指す。少し息を切らせて見張り台に着くと、そこには王都の街並みと森が広がっていて、反対の空には真っ赤な日が沈みかけて夕焼けの空が広がっていた。櫓の上から朝日や星は見たけど、夕焼けは初めてだ。
「おお、これはシュテルター隊長や騎士たちが自慢するのも分かる。美しい景色だ」
陛下が感嘆の声をあげると、護衛の二人も「綺麗だな」と言っていた。
今度夕陽が見える時に、シルを連れてきてあげよう。
その後、王城の横にある騎士団にも、うちの櫓を更に大きくしたものが建てられることになった。
僕の中では、陛下がこの景色を気に入ったからという理由と、この家だけが目立つことがないようにって配慮なんだと思うけど、ラルフ様たちは「陛下もやっと危機感を持ってくれたか」などと話をしていた。
そうなりますか……
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