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30.件の男(ヒューゴ視点)
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「どうしました? 陛下が溜め息なんて珍しいですねー」
面白そうなものを見つけた、というような顔で寄ってくる憎らしいやつ。こいつは宰相の息子でカルムだ。
今日はジョシュアが後宮と厩舎に行くというから、付いて行かなかった。
ジョシュアの仕事に付いて行った日から、俺は毎日ジョシュアが部屋を出る時に、どこへ行くのか聞くことにしている。
それで付いて行くかどうかを決める。
ジョシュアが部屋を出て、1人で仕事をしていると、この男カルムが入ってきた。
こんなに早くジョシュアが戻ってきたのかと思って、思わず浮かれそうになったが、全然違った。口角を上に押し上げる筋肉はすぐに力を失って真顔に戻る。
「何の用だ?」
「何の用ってことはないでしょ。例のあいつの処分についてですよ」
「ああ」
例のあいつというのは、ジョシュアを襲った騎士マックとかいう奴だ。カルムは騎士団の広報担当だから、騎士が問題を起こせば各所に説明に訪れたり、成果を上げればそれも各所に通達したりする役目を担っている。
「それで?」
「役職は降りてもらうにしても、騎士爵剥奪は厳しいんじゃないかと。騎士爵を失えばあいつは職を失う」
「ふーん、確かあいつは分隊長だったな? 監督不行届で上官たち、小隊長、中隊長、大隊長も降格するか?」
「う……それはやりすぎ」
「では誰が責任を取る? お前か?」
「いや……騎士団員はみんな、入団と同時に騎士爵を授けられるだろ? 騎士爵を失えば、必然と騎士団を出て行くことになる。それは可哀想だろ?」
「襲われたジョシュアは可哀想ではないと?」
「そうは言っていない。本人もかなり反省している。騎士爵剥奪以外の罰でお願いしたい。掃除をさせるとか、しばらく無給とか、奉仕作業とか」
ジョシュアは心に傷を負った。団長を見ただけで震え、夢に魘される日々を過ごした。簡単に許すことはできない。
「あ、それと娘が喜んでいた、親父がジョシュア様にいただいた飴細工。かなり時間が経ってしまったが、そのお礼という意味でも今日は来たんだった」
「ジョシュアは今はいない」
「それは見れば分かるけど、どこ行ったんだ?」
「後宮と厩舎だ」
「厩舎? 例のあいつが反省のために掃除に行っているが大丈夫か?」
「は? なんだと! あんな奴は牢にでもぶち込んでおけ! 俺は出る」
俺はすぐに部屋を出て厩舎に走って向かった。
そこには、頭を抱えて蹲り結界を張るジョシュアと、その前に偉そうに腕組みをして見下ろすマック、馬番が困っているという図ができていた。
「ジョシュア!」
俺が呼ぶとジョシュアは恐る恐る顔を上げて、俺を見て結界を解いた。
やはり俺がついて行くべきだった。厩舎は騎士団の馬を管理しているんだから騎士団に近い。
ジョシュアを立たせて抱きしめると、ジョシュアは申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんなさい」
「ジョシュアが謝ることはない。また何かされたのか?」
「ルイと話をしていたら、あの人が向こうから走ってきて、また何かされるかと思って怖くなって……」
「ルイ? それは誰だ?」
「はい、私です」
馬番がおずおずと手を挙げた。ああ、馬番か。
馬番と話をしていたら、ジョシュアを見つけたマックが、またちょっかいを出そうとした、ということだな。確かにただでさえ怖いのに駆け寄ってきたら何かされると思うよな、可哀想に。
「何にもしてないのに大袈裟な。俺なんか騎士の職を失いそうだってのに」
カルムの奴、どこが反省しているだ、全く反省などしていないじゃないか。どうせ厩舎の仕事も命令されて嫌々やっているんだろう。
ジョシュアはやっと少し落ち着いて震えが収まってきた。
すると俺の腕からするりと抜け出して、そいつの前に向かった。
俺がジョシュアをそいつから遠ざけようと、一歩足を踏み出したところでカルムに止められた。
こいつ、いつからいたんだ?
「さっきのあなたは私に手を出したりする気はなかった。勘違いしてすみません」
ジョシュアはギュッと拳を握っていることから、まだ少し怖いんだろう。それでも勇気を出したのか?
「別に」
「あの、先日は驚いたとはいえ、魔法で攻撃をしてごめんなさい。怪我とか無いですか?」
「は? 別になんてことねえよ」
「仲直りしてもらえますか?」
「お前、甘いな。そんなことしてると痛い目見るぞ? それに俺のこと許していいのかよ」
「はい、許します」
ジョシュア、許すのか? そんな奴を。悪夢に魘されるほど苦しんだのに?
「お前は何の苦労もなく過ごしてきたんだな。だからそんなに甘いんだ」
「私はお前じゃない。ジョシュアという名前があります。あなたは?」
「マック」
「マック、仲直りの握手してもらえますか?」
そしてジョシュアはそいつに手を差し出した。
「俺の手、汚ねえぞ?」
「清浄魔法かけたから大丈夫」
「あっそ」
なんでこんな奴と握手なんかしてるんだ?
今すぐに殴り飛ばしてやりたい。俺のジョシュアに手を出した上に、悪態までつきやがって。
「あ、そうだ。私はヒューゴ様以外とはキスしてはいけないから、キスはできません」
「は?」
「前に『キスくらいいいだろ?』と聞かれたので、その返事です」
「馬鹿じゃねえの? 俺だって陛下のものだって知ってたら手なんか出さなかった」
馬鹿みたいに丁寧に、ジョシュアは何を答えているのか。ジョシュアが許している以上、俺は何もできないが、この男の態度、団長にきっちり抗議はしておくことにする。そして来季の予算は更に減らすことを決めた。
「へえ~」
カルムが「へえ~」と言うと、ジョシュアはビクッと驚いて俺の後ろに隠れた。
「ブハッ、あの騎士は許されてもお前は嫌われたみたいだな。ジョシュア、戻るぞ」
「はい」
俺はジョシュアの手を取ってその場を後にした。こんな男からはすぐにでも引き剥がさなければ、またジョシュアが傷付くことになる。もうそんな苦しむ姿は見たくない。
「ジョシュア、本当はあいつ、怖かったんだろ?」
「マックのこと?」
「そうだ」
「はい。少し怖かったです。でも、ヒューゴ様のお城を守る人だから。きっと悪い人じゃないと思ったんです」
「それだけの理由で?」
「はい。やっぱりいい人でした。だから怖くなくなりました」
いや、どう考えてもいい奴じゃねえだろ。ジョシュア、お前は知らないのか? 人間はそんないい奴ばかりじゃない。
いや、分かっているはずだ。
……ジョシュアがここにいる理由。
お前のことが欲しいために、俺がお前の国を攻撃した。それなのに信じて受け入れるんだな。俺のことも。あの男のことも。
疑う方が楽だ。気に入らなければ排除する方が簡単だ。それなのにお前は、あんな奴も俺も信じて歩み寄るのか?
俺は初めて敵わないと思った。
誰に負けたこともないのに、ジョシュアにだけは敵わないと思った。
そして俺は、お前の一番の望みであるフレイヤに帰るということ叶えてやれない。
「ジョシュア、お前はずっと俺の側にいてくれるか?」
「はい。もちろんです」
信じて受け入れているから、そう答えるのか? それとも諦めて受け入れているのか? 本当の気持ちを飲み込んで。
無理やりキスをした騎士よりも、酷いことをしているのは俺だ。
他のことは何でも叶えてやる。どうか、俺の側にいてほしい。
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