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2.ジョシュアの決意
しおりを挟むいつものように息を切らせながら塔の階段を上がりきると、王都の先の森の方に煙のようなものが見えた。あれはフェデーリ帝国の方角だ。そんなものが見えたのは初めてで、何があったのかと気になって風魔法を使って街の声を集めた。
災害だろうか? それとも魔法の暴発か?
「帝国が攻めてきたらしいぞ」
「王都も危険なんじゃないか?」
「俺はまだ死にたくはない。国に帰る」
街の声を拾ってみると、どうやら帝国が我が国に戦争を仕掛けてきたらしい。早口で慌てたように話す人が多く、みんなが焦っていることが分かった。理由は分からなかったが、街は混乱しているみたいだった。
ピピ、キケン
「ペル、お前もあの煙が気になるのか? いいなお前は、気になったらすぐに見に行けるから。しかし体が小さいから、あんなに遠くまで飛ぶのは大変だろうな」
ペルはたまに人の言葉を真似する。危険か……
戦争は危険だよな。
「ジェイコブ、帝国が戦争を仕掛けてきたんだろ? 私はここにいていいのか? どこかへ避難するのか? それとも戦うのか?」
「ジョシュア様は何も心配されなくて大丈夫ですよ。我が国の軍部が帝国などすぐに押し返しますから」
執事のジェイコブは柔らかい笑顔でそう言ったが、森の向こうの煙を見てしまったし、戦争と聞いてしまうと不安は拭えなかった。
それに帝国は、我が国フレイヤに比べて国土が3倍以上ある大きな国だと聞く。きっと人も多く、兵も多いんだろう。そうなると我が国に勝ち目はあるんだろうか? 押し返せなければ、我が国や国民はどうなる?
塔に登るのは大変だが、不安を感じた私は毎日、冷たい石段を一段一段落踏みしめながら塔に登り、街の声を聞いた。
「やっぱり帝国には勝てないよな」
「こっちの兵がかなりやられたらしい」
「どうする? 帝国から遠い場所まで逃げるか?」
毎日聞いていると、我が国が劣勢となっているような噂が多数聞かれた。
兵がかなりやられたとか。
戦争の理由を探ってみるが、それは街の民たちには分からないらしい。
「ジェイコブ、帝国が攻めてきた理由はなんだ?」
「私には分かりません」
分からないと答えたジェイコブだったが、少し目が泳いだのを私は見逃さなかった。
しかし私には言う気がないんだろう。
私はまた塔に登ると、街の声ではなく城の声を集めてみることにした。
「女神を寄越せと要望がきているらしい」
「は? 陛下は当然断ったんだよな?」
「皇帝はかなりの好色家だ。女神の噂が流れて欲しくなったらしい」
「女神のことが外部に漏れたのか?」
ピピ、メガミ
「ペル、お前も聞いたのか?」
皇帝は女神様が欲しい?
我が国には女神様が住んでいるのか? だとしたら女神様に頼んで帝国に行ってもらうしかないのでは?
しかし神様だよな。人の都合で動いてくれるものとも思えない。
交渉の余地はあるんだろうか?
兵がこれ以上犠牲になることなどあってはいけない。もう既に父上が交渉しているかもしれないが、私も国のため民のために交渉したい。
「ジェイコブ、我が国の女神様はどこにいる?」
「我が国の女神? はて。なんのことですかな?」
ジェイコブは教えてくれなかった。なぜだ? 私に知られては困るのか?
知っているのに答えてくれない。きっと何度聞いても誤魔化されるだろうと思った私は、ジェイコブに尋ねるのはやめて、他の者に聞くことにした。
「ミア、我が国の女神様はどこにいる?」
「え? ここに」
「は? どこにいるんだ?」
「ここに」
「そうか……」
ミアは「ここにいる」と言ったが、ここには私と私のための使用人しか住んでいない。ジェイコブのように誤魔化されたのだと思った。
メリーは今日はお休みだから、ノースかルイスに聞こう。この時間、ノースは夕飯の支度をしていたな。ではルイスにしよう。
「ルイス、聞きたいことがある」
「なんでしょうか?」
「我が国の女神様はどこにいる?」
「え? 誰からそれを?」
「いいから知っているなら教えて欲しい」
「ジョシュア様のことですよ。ジョシュア様は女神様のようにお美しいので、そのように呼ばれております」
は? 私は固まった。
私が女神? 私は女神と呼ばれているのか? なぜ? 私は男だ。それなのに女神? 確かに父上のような筋肉質な体格ではなく、母上のような華奢な体格だが、それでも私は男だ。
私が帝国へ行けば戦争は終わるのか?
私の身一つで国が救えるのなら、迷うことはない。
「ジェイコブ、父上と話がしたい」
「かしこまりました。お伝えします」
ジェイコブに父を呼ぶよう頼むと、私は少し緊張した。いつか街に行ってみたいと思っていた。違う国も見てみたいと思っていた。その夢が叶えられることはないと思っていたのに、このような形で私がここから出ていくことになるとは、考えもしなかった。
「父上、私はここを出ます」
「は? 何を言っている」
「私は帝国に行きます。そうすれば戦争は終わるのでしょう?」
「そんなこと、お前が心配することではない」
「私に何ができるか分かりませんが、私だってこの国を守りたいのです」
「ダメだ。そんなことは許さん。そんな話なら帰る」
父上は怒った様子で帰っていった。
初めて父の怒る姿を見た気がする。いつもニコニコ優しい顔しか見たことがなかったのに。
ピピ、メガミ
「ペル、私はどうすればいい? 私には何もできないのか?」
それでも戦争のことが気になって、私は次の日もまた塔に登った。最近は毎日登っているせいか、だんだん慣れて足が鍛えられた気がする。
いつものように風魔法を使って、街の声を集めると、我が国はますます劣勢となっており、追加で兵が送られるらしいとの噂があった。
これ以上、犠牲者を増やしてはいけない。
どうすればいいのか。父上を説得するのは怖い。父上が反対している以上、母上が協力してくれるわけもないだろう。
私は無力な自分を嘆く日々を送るしかないのか?
そんなことを考えていた数日後、月が見えない程にどんよりと曇った日、真夜中に私の寝室に一人の男が忍び込んだ。闇に溶け込むような色の衣装を身に纏っているため、暗い部屋では姿ははっきりとは確認できなかった。
音も無く忍び込まれて、そんなことは初めてだから驚いたんだが、人は驚きすぎると声も出ないという新たな発見をした。
刺客であれば、私に気づかれた瞬間に斬り捨てることも可能だろう。それをしないということは、彼は私に危害を加える気はないということだ。たぶん。
「シィー、あなたがジョシュア様ですか?」
「そうだ。それであなたは?」
「名前は言えません。帝国から来ました」
「そうなのか? ちょうどよかった。私は帝国に行きたいと思っていたんだ。私が行くことで戦争をやめてもらえると聞いた。本当か?」
噂はあくまで噂かもしれない。私が帝国へ行くだけで戦争をやめてくれるなんて、そんな簡単な問題ではないかもしれないからな。
「それなら話は早い。ジョシュア様が帝国に来るのなら攻撃は中止し、撤退することを約束しましょう。人質となりますが、それでも来ていただけますか?」
「行きます。私も一応王子だから、この国を守りたい。この身一つで救えるのならば迷うことはない」
「そうですか。皇帝は色を好むが悲観することはないですよ。不自由な生活はさせないでしょう」
色を好む? それは私の髪色が綺麗だと言われているからか? 水色の髪は私の自慢だが、欲しいなら差し出しても構わない。私は腰まで伸びた長い髪を一房手に取って眺めた。
「それで私はどうしたらいい? この国の王は私が出ていくのは反対らしいんだ」
「新月の晩、俺と数名で迎えに来ます。国境まで馬車と騎士が迎えに来ているから、そこまでは俺たちが運びます。こっそり連れていくから、手紙でも残しておいて下さい」
「分かった」
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