孔雀色の空の下

萩尾雅縁

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噂をすれば

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 突風が吹き抜けるような一瞬の出来事だったんだ。
 本当だよ、僕は泥棒なんかじゃない。完全に意識を失っていて、気づいたらこれを持って外にいたんだよ。本当に覚えていないんだ。信じて。


 僕は冷や汗をかきながら、店の入り口で僕を見咎め、狭い事務所に引っ張ってきた警備員に訴えていた。


 ほんの出来心だったんだ。本当にこんなものが欲しかった訳じゃない。こんな、しょうもないおもちゃなんて。こんな、つまらないことで僕の人生にケチがつくなんて……。

 冗談じゃない! 

 学校に連絡され、親を呼ばれ、クラスメイトに笑い者にされる。

 それだけは嫌だ!

 僕は必死だった。
 どう言えば見逃してもらえる? 許してもらえる?


 きっと誰かに操られていたんだ。記憶がないんだもの。そう言えば、ずっと躰が変なんだよ。自分じゃないような違和感があって。催眠術でもかけられて、これを盗ってこいって言われたのかも。


 紺の制帽の下の異様に白い顔は、黙ったまま何も言わない。目深に被った帽子のひさしが影を落とし、つるんとした頬の上にあるはずの眼は僕からは見えない。
 わずかでも、僕を憐れんでくれないだろうか? 
 そんな僕のささやかな期待とは裏腹に、血色の悪い薄い唇はわずかに口角を上げて、人を小馬鹿にしたような笑みを湛えている。


 催眠術じゃなければ、――そうだ、きっと次々と人間の躰を乗っ取り、乗り換えていく悪魔が、僕の躰に乗り移っていたんだ。
 本当だよ、信じて。十字架に驚いて、角を生やしたあいつは黒い霧のように躰から抜けでて……。

 
 こんなのますます嘘臭いじゃないか。
 自分の想像力のなさに辟易して、泣きたくなった。



 蛍光灯の明るい光は容赦なく僕を暴きたてる。いくつものロッカーの並ぶ狭い控室はまるで僕に死刑を宣告する裁判所。被告席で無実を訴える僕の背中を、壁際に並ぶ座席に座る傍聴人たちが、クスクス笑いながら見ているんだ。警備員はさしづめ、この法廷を仕切る裁判官で――。

「それで?」

 妙に響きのある低音が警備員の口から漏れた、のだろうか? 

 まるで耳を通さず頭に直接響いてくるような声だった。
 そっと上目遣いに見上げる。パイプ椅子に腰かける僕を見下ろす警備員の顔が、初めてはっきりと見えた。ぞくりと肌が泡立つ。カタカタと膝が笑いだす。ゆっくりと目線を逸らし、床に落とした。

 蛍光灯の映す薄い影。ぼやけた輪郭は虚ろで淡い。

 室内に隙間風が通るわけでも、目の前にいるこの警備員が動いているわけでもないのに、頭上にくるりと巻いた角を頂く薄い影は、自らの意志を持っているかのように揺れ、蠢いている。

 僕の苦し紛れの言いわけは、とんでもないものを呼び出してしまったのだ。


 額から、頬を伝って、大粒の汗がぽとりと落ちた。




 *****

 噂をすれば影が差す ……(英語では)speak of the devil and he shall appear.
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