2 / 12
2.彼のこと
しおりを挟む
毎朝、この神社を訪れるのが日課になった。
この神社の裏手、もっと奥まった場所にある祠に彼は棲んでいる。そこでは千年の昔から火が焚かれ続け、決してその火を絶やしてはならないという言い伝えがあるらしい。彼は、「俺がここに棲んでやっているから守りは万全だ」なんて言っているけれど、それじゃあ、きみは幾つなの? と訊いてもキイキィ笑うばかりで年齢は教えてくれない。
鳥居をくぐり、社の前でピィー、と口笛を吹く。
と、耳元を切るような疾風が駆けぬけパタパタと羽音が覆う。肩に留まった彼が僕の髪を引っ張る。
「焦げてしまうよ」
僕は頭を傾げたまま首を振る。耳元が熱い。意地悪な彼が、ふざけて僕の耳に息を吹きかけたんだ。
キキッと甲高い笑い声。
すっと肩が軽くなる。
彼はこんなに小さいのに、不思議なことに結構な重量がある。でも「小さい」と言うとすぐに怒る。短気ですごく怒りっぽい。僕の手のひらに乗るくらいのチビ助のくせに。
彼と出逢ったあの日、僕はなんのためにあそこへ行ったのかもすっかり忘れ、不思議な高揚感を覚えながら祖母の家に戻った。そしてすぐさま、パソコンで「サラマンダー」を検索にかけてみた。
サラマンダー 四大元素を司る精霊(四大精霊)のうち、火を司るもの
両生類のうち、有尾類(有尾目)に属する動物の英名
「ふーん。日本語に訳すときには『山椒魚』……」
パソコンで得た知識を思いだしながら、僕の周りでとんぼ返りを打っている彼を眺めた。
一時たりともじっとしていない。目まぐるしく動きまわるので、動体視力が鍛えられそうだ。黄色くたなびく光の残像の先端にいる彼は、ともかく山椒魚には似ていない。やはり蜥蜴だ。でも、これも口には出さなかった。昨日、無神経に「きみは新種の発光する蜥蜴なの?」と訊いてしまい、前髪を焼かれてしまったのだ。彼は小さい割に、プライドはエベレスト並みに高いみたいなんだ。
だって、彼は新種の蜥蜴――、失礼、火の精霊と言うだけあって、人の言葉を解するインテリだもの。
彼が自分でそう言ったんだ。祖先はイギリスに住んでいて、かの国のケンブリッジ大学セジウィック地球科学博物館に、先祖の化石標本があるのだ、と。アンモナイトの間に眠る偉大な先祖の墓参り? に行くことが、彼の積年の夢なのだそうだ。
「お前も大学へ行くんだろ?」
ある日、彼は僕にそう言った。傷口をえぐるように。僕は大学に行けなかった、って言ったのに――。
「俺をケンブリッジ大学に連れていってくれ」
――日本の大学にさえ落ちた僕が、世界最高峰の大学に入れるはずがないだろ!
そう言いかけて、僕ははたと思い直した。
「うん、いいよ。行くだけなら」
馬鹿か! 彼は僕に入学しろと言っている訳じゃないんだ。
彼は喜んで青白く燃えあがっている。
彼は感情が高ぶると温度変化で色彩が変わる。やはり蜥蜴だ。カメレオン科に違いない。
「お前、初めて逢った時、英語をしゃべってただろ? 俺に英語を教えてくれ。イギリスには俺の親戚がいるはずなんだ」
また肩がずしりと重くなる。断ったりしたら、さっきのように焔を吹きかける気だ。火傷するほどの熱ではないけれど、すごく熱いんだぞ、あれは!
「いいよ、きみにやる気があるのなら」
熱意に負けて、僕はとんでもなく安請け合いをしてしまった。
彼はまた青く輝きながら、辺りを嬉しそうに跳ね飛んでいる。空中に綺麗な螺旋を描く線が浮かぶ。不思議な幾何学模様を描く光の軌跡。
その正確な図形に見とれながら、彼、もしかして文系じゃなくて理系なんじゃないのかな、と僕はぼんやりと考えていた。
羽を広げ空を旋回する炎の精霊サラマンダー。
赤く揺れる鬼火のような彼が、こんな僕に初めてできた友達だ。
この神社の裏手、もっと奥まった場所にある祠に彼は棲んでいる。そこでは千年の昔から火が焚かれ続け、決してその火を絶やしてはならないという言い伝えがあるらしい。彼は、「俺がここに棲んでやっているから守りは万全だ」なんて言っているけれど、それじゃあ、きみは幾つなの? と訊いてもキイキィ笑うばかりで年齢は教えてくれない。
鳥居をくぐり、社の前でピィー、と口笛を吹く。
と、耳元を切るような疾風が駆けぬけパタパタと羽音が覆う。肩に留まった彼が僕の髪を引っ張る。
「焦げてしまうよ」
僕は頭を傾げたまま首を振る。耳元が熱い。意地悪な彼が、ふざけて僕の耳に息を吹きかけたんだ。
キキッと甲高い笑い声。
すっと肩が軽くなる。
彼はこんなに小さいのに、不思議なことに結構な重量がある。でも「小さい」と言うとすぐに怒る。短気ですごく怒りっぽい。僕の手のひらに乗るくらいのチビ助のくせに。
彼と出逢ったあの日、僕はなんのためにあそこへ行ったのかもすっかり忘れ、不思議な高揚感を覚えながら祖母の家に戻った。そしてすぐさま、パソコンで「サラマンダー」を検索にかけてみた。
サラマンダー 四大元素を司る精霊(四大精霊)のうち、火を司るもの
両生類のうち、有尾類(有尾目)に属する動物の英名
「ふーん。日本語に訳すときには『山椒魚』……」
パソコンで得た知識を思いだしながら、僕の周りでとんぼ返りを打っている彼を眺めた。
一時たりともじっとしていない。目まぐるしく動きまわるので、動体視力が鍛えられそうだ。黄色くたなびく光の残像の先端にいる彼は、ともかく山椒魚には似ていない。やはり蜥蜴だ。でも、これも口には出さなかった。昨日、無神経に「きみは新種の発光する蜥蜴なの?」と訊いてしまい、前髪を焼かれてしまったのだ。彼は小さい割に、プライドはエベレスト並みに高いみたいなんだ。
だって、彼は新種の蜥蜴――、失礼、火の精霊と言うだけあって、人の言葉を解するインテリだもの。
彼が自分でそう言ったんだ。祖先はイギリスに住んでいて、かの国のケンブリッジ大学セジウィック地球科学博物館に、先祖の化石標本があるのだ、と。アンモナイトの間に眠る偉大な先祖の墓参り? に行くことが、彼の積年の夢なのだそうだ。
「お前も大学へ行くんだろ?」
ある日、彼は僕にそう言った。傷口をえぐるように。僕は大学に行けなかった、って言ったのに――。
「俺をケンブリッジ大学に連れていってくれ」
――日本の大学にさえ落ちた僕が、世界最高峰の大学に入れるはずがないだろ!
そう言いかけて、僕ははたと思い直した。
「うん、いいよ。行くだけなら」
馬鹿か! 彼は僕に入学しろと言っている訳じゃないんだ。
彼は喜んで青白く燃えあがっている。
彼は感情が高ぶると温度変化で色彩が変わる。やはり蜥蜴だ。カメレオン科に違いない。
「お前、初めて逢った時、英語をしゃべってただろ? 俺に英語を教えてくれ。イギリスには俺の親戚がいるはずなんだ」
また肩がずしりと重くなる。断ったりしたら、さっきのように焔を吹きかける気だ。火傷するほどの熱ではないけれど、すごく熱いんだぞ、あれは!
「いいよ、きみにやる気があるのなら」
熱意に負けて、僕はとんでもなく安請け合いをしてしまった。
彼はまた青く輝きながら、辺りを嬉しそうに跳ね飛んでいる。空中に綺麗な螺旋を描く線が浮かぶ。不思議な幾何学模様を描く光の軌跡。
その正確な図形に見とれながら、彼、もしかして文系じゃなくて理系なんじゃないのかな、と僕はぼんやりと考えていた。
羽を広げ空を旋回する炎の精霊サラマンダー。
赤く揺れる鬼火のような彼が、こんな僕に初めてできた友達だ。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説

魅了が解けた貴男から私へ
砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。
彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。
そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。
しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。
男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。
元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。
しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。
三話完結です。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
婚約破棄されて辺境へ追放されました。でもステータスがほぼMAXだったので平気です!スローライフを楽しむぞっ♪
naturalsoft
恋愛
シオン・スカーレット公爵令嬢は転生者であった。夢だった剣と魔法の世界に転生し、剣の鍛錬と魔法の鍛錬と勉強をずっとしており、攻略者の好感度を上げなかったため、婚約破棄されました。
「あれ?ここって乙女ゲーの世界だったの?」
まっ、いいかっ!
持ち前の能天気さとポジティブ思考で、辺境へ追放されても元気に頑張って生きてます!

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

侯爵家の愛されない娘でしたが、前世の記憶を思い出したらお父様がバリ好みのイケメン過ぎて毎日が楽しくなりました
下菊みこと
ファンタジー
前世の記憶を思い出したらなにもかも上手くいったお話。
ご都合主義のSS。
お父様、キャラチェンジが激しくないですか。
小説家になろう様でも投稿しています。
突然ですが長編化します!ごめんなさい!ぜひ見てください!
転生悪役令嬢に仕立て上げられた幸運の女神様は家門から勘当されたので、自由に生きるため、もう、ほっといてください。今更戻ってこいは遅いです
青の雀
ファンタジー
公爵令嬢ステファニー・エストロゲンは、学園の卒業パーティで第2王子のマリオットから突然、婚約破棄を告げられる
それも事実ではない男爵令嬢のリリアーヌ嬢を苛めたという冤罪を掛けられ、問答無用でマリオットから殴り飛ばされ意識を失ってしまう
そのショックで、ステファニーは前世社畜OL だった記憶を思い出し、日本料理を提供するファミリーレストランを開業することを思いつく
公爵令嬢として、持ち出せる宝石をなぜか物心ついたときには、すでに貯めていて、それを原資として開業するつもりでいる
この国では婚約破棄された令嬢は、キズモノとして扱われることから、なんとか自立しようと修道院回避のために幼いときから貯金していたみたいだった
足取り重く公爵邸に帰ったステファニーに待ち構えていたのが、父からの勘当宣告で……
エストロゲン家では、昔から異能をもって生まれてくるということを当然としている家柄で、異能を持たないステファニーは、前から肩身の狭い思いをしていた
修道院へ行くか、勘当を甘んじて受け入れるか、二者択一を迫られたステファニーは翌早朝にこっそり、家を出た
ステファニー自身は忘れているが、実は女神の化身で何代前の過去に人間との恋でいさかいがあり、無念が残っていたので、神界に帰らず、人間界の中で転生を繰り返すうちに、自分自身が女神であるということを忘れている
エストロゲン家の人々は、ステファニーの恩恵を受け異能を覚醒したということを知らない
ステファニーを追い出したことにより、次々に異能が消えていく……
4/20ようやく誤字チェックが完了しました
もしまだ、何かお気づきの点がありましたら、ご報告お待ち申し上げておりますm(_)m
いったん終了します
思いがけずに長くなってしまいましたので、各単元ごとはショートショートなのですが(笑)
平民女性に転生して、下剋上をするという話も面白いかなぁと
気が向いたら書きますね

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる