飛んでけ! レディバード

萩尾雅縁

文字の大きさ
上 下
7 / 8

7.刻まれた印

しおりを挟む
「なんで俺、ここにいるわけ?」

 まるで、切り落とした爪のような薄い月――。眼前に迫る尖った三日月をびっくりまなこで見つめながら、ゲールは呟いた。

 テントウ虫レディバードは、未来の伴侶のもとへは届かずに、ここへ叩き落とされてしまったのだろうか――。

 だが、前回とは違ってウサギの姿はない。ここは魔女の悪夢のなかではないのかもしれない。
 ゲールは混乱したまま辺りを見回し、小高い丘を、そこにそびえる塔を、上空に浮かぶ赤い三日月を眺める。月は、小舟のように揺らいでいる。立ちこめてきた霧が瞬く間に深まっているのだ。辺りを茜色あかねいろの月光に染め、輪郭をぼわりと奪っていく。

 とその時、けぶる霧のなかから声が聞こえた。誰かに話しかけ、そして答えているような。その声音は優しげで、たんたんと静かだ。魔女ではない、とゲールは直感する。

 自分と同じように、異界に迷いこんでしまったのだろうか。それなら――、とゲールはそろそろと声のする方へ踏みだした。だが、かすかに届くその声との距離は、一向に縮まらない。


 
「きっとどこかで――」

 冷やりとした霧を押し流しながら、

「重なる瞬間があるはずだよ」

 風が、

「きっと――、判るから――」

 そんな切れ切れの声を、ゲールのもとへ運んできた。


「きみ! きみが、俺の未来の伴侶なの?」

 ゲールはその声に向かって叫んでいた。疾風が、重く立ち込めた霧を薄らと追いやり、茜色の霧のなかから、黒髪がふわりと振り返る。
 でもその顔は不思議そうな表情をみせただけで、また濃い霧のなかへと消えていった。

「待って! 俺のテントウ虫レディバード、受け取ってくれた?」

 ゲールの声は、霧のなかに虚しく吸いこまれていくばかりで――。


「待って、きみ――!」

「おまえの、大切な人は、わたし――」

 耳元に生臭い息がかかり、掠れた声が囁く。

「ゲール、わたしの、かわいい、子――」

 手首に爪が喰いこんだ痛みに、ゲールはつっと顔を歪める。

「放せよ!」

 霧のなかに溶けてしまったように姿は見えないのに、その握力はゲールの腕をへし折らんばかりだ。おまけにまた、しゅるしゅると枝葉が伸びだし彼を縛り拘束しようとしている。

「俺の大切な人バレンタインは、あんたじゃない!」

 一瞬振り向いてくれた可憐な顔が、眼裏まなうらを通りすぎる。体に巻きつく枝に呼吸を塞がれ、意識が朦朧としていた。


 ゲール、ゲール、ゲール――。

 誰かに呼ばれているような気がする。

 大風ゲール――。

 風が空気を切り裂く。霧を蹴散らし薙ぎ払う。

 ピシリッ、とその先端がゲールの頬をしなる鞭のように叩いた。焼けるような痛みに、失いかけていた意識を取り戻し、ゲールは頬に手を当てた。拘束は解かれていた。

 三日月のかかる丘ではないどこか、天も地も右も左もない中空にゲールはいた。風に支えられて――。

「助けてくれたの――」



「ありがとう!」

「どういたしまして。分かってるんなら、さっさと起きなさい! 遅刻するわよ!」

 ゲールの母親が、呆れ顔で彼を見おろしている。その頭上には見慣れた天井。カーテンを開け放った窓から差し込む朝の光が眩しくて、ゲールは寝ぼけ眼を眇めながら慎重に辺りを見回した。

 本当に戻って来られたの――? 夢の中で、夢を見てるんじゃ……、と半信半疑で。

「あら、」と彼女はゲールの片頬を擦り、くしゃりと笑った。「ひどいわね。どんな寝方をしたのよ、こんな痕になっちゃって。まるでタトゥーでも入れたみたいじゃない」

「タトゥー?」ぼんやりと呟いて、ゲールは熱を持った左頬に手をやった。


 



しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持

空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。 その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。 ※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。 ※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。

転生悪役令嬢に仕立て上げられた幸運の女神様は家門から勘当されたので、自由に生きるため、もう、ほっといてください。今更戻ってこいは遅いです

青の雀
ファンタジー
公爵令嬢ステファニー・エストロゲンは、学園の卒業パーティで第2王子のマリオットから突然、婚約破棄を告げられる それも事実ではない男爵令嬢のリリアーヌ嬢を苛めたという冤罪を掛けられ、問答無用でマリオットから殴り飛ばされ意識を失ってしまう そのショックで、ステファニーは前世社畜OL だった記憶を思い出し、日本料理を提供するファミリーレストランを開業することを思いつく 公爵令嬢として、持ち出せる宝石をなぜか物心ついたときには、すでに貯めていて、それを原資として開業するつもりでいる この国では婚約破棄された令嬢は、キズモノとして扱われることから、なんとか自立しようと修道院回避のために幼いときから貯金していたみたいだった 足取り重く公爵邸に帰ったステファニーに待ち構えていたのが、父からの勘当宣告で…… エストロゲン家では、昔から異能をもって生まれてくるということを当然としている家柄で、異能を持たないステファニーは、前から肩身の狭い思いをしていた 修道院へ行くか、勘当を甘んじて受け入れるか、二者択一を迫られたステファニーは翌早朝にこっそり、家を出た ステファニー自身は忘れているが、実は女神の化身で何代前の過去に人間との恋でいさかいがあり、無念が残っていたので、神界に帰らず、人間界の中で転生を繰り返すうちに、自分自身が女神であるということを忘れている エストロゲン家の人々は、ステファニーの恩恵を受け異能を覚醒したということを知らない ステファニーを追い出したことにより、次々に異能が消えていく…… 4/20ようやく誤字チェックが完了しました もしまだ、何かお気づきの点がありましたら、ご報告お待ち申し上げておりますm(_)m いったん終了します 思いがけずに長くなってしまいましたので、各単元ごとはショートショートなのですが(笑) 平民女性に転生して、下剋上をするという話も面白いかなぁと 気が向いたら書きますね

どうも、死んだはずの悪役令嬢です。

西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。 皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。 アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。 「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」 こっそり呟いた瞬間、 《願いを聞き届けてあげるよ!》 何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。 「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」 義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。 今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで… ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。 はたしてアシュレイは元に戻れるのか? 剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。 ざまあが書きたかった。それだけです。

「不細工なお前とは婚約破棄したい」と言ってみたら、秒で破棄されました。

桜乃
ファンタジー
ロイ王子の婚約者は、不細工と言われているテレーゼ・ハイウォール公爵令嬢。彼女からの愛を確かめたくて、思ってもいない事を言ってしまう。 「不細工なお前とは婚約破棄したい」 この一言が重要な言葉だなんて思いもよらずに。 ※約4000文字のショートショートです。11/21に完結いたします。 ※1回の投稿文字数は少な目です。 ※前半と後半はストーリーの雰囲気が変わります。 表紙は「かんたん表紙メーカー2」にて作成いたしました。 ❇❇❇❇❇❇❇❇❇ 2024年10月追記 お読みいただき、ありがとうございます。 こちらの作品は完結しておりますが、10月20日より「番外編 バストリー・アルマンの事情」を追加投稿致しますので、一旦、表記が連載中になります。ご了承ください。 1ページの文字数は少な目です。 約4500文字程度の番外編です。 バストリー・アルマンって誰やねん……という読者様のお声が聞こえてきそう……(;´∀`) ロイ王子の側近です。(←言っちゃう作者 笑) ※番外編投稿後は完結表記に致します。再び、番外編等を投稿する際には連載表記となりますこと、ご容赦いただけますと幸いです。

悪役令嬢になるのも面倒なので、冒険にでかけます

綾月百花   
ファンタジー
リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。

悪役令嬢は大好きな絵を描いていたら大変な事になった件について!

naturalsoft
ファンタジー
『※タイトル変更するかも知れません』 シオン・バーニングハート公爵令嬢は、婚約破棄され辺境へと追放される。 そして失意の中、悲壮感漂う雰囲気で馬車で向かって─ 「うふふ、計画通りですわ♪」 いなかった。 これは悪役令嬢として目覚めた転生少女が無駄に能天気で、好きな絵を描いていたら周囲がとんでもない事になっていったファンタジー(コメディ)小説である! 最初は幼少期から始まります。婚約破棄は後からの話になります。

積みかけアラフォーOL、公爵令嬢に転生したのでやりたいことをやって好きに生きる!

ぽらいと
ファンタジー
アラフォー、バツ2派遣OLが公爵令嬢に転生したので、やりたいことを好きなようにやって過ごす、というほのぼの系の話。 悪役等は一切出てこない、優しい世界のお話です。

処理中です...