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第五章
風 8
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ほっとしたようにコウは微笑んでいる。一仕事終えて深く息をついている、そんなふうに見える。彼の放つそのあまりにも自然な空気が、僕にはどうも納得できないでいた。
だから、「赤毛はいったい何をしてるの?」と、もう何度目かになる質問を繰り返す。「ん」と、コウは返事とも尋ね返したともつかない曖昧な声を出し、迷っているのかしばらく小首を傾げていた。
「これを見せているのは彼の技じゃないよ。水の精霊の残像だよ」
それから苦笑を湛えて呟かれたのは、またもや僕には理解できない切り口だ。
「ドラコの加えた修正が、水の精霊の水鏡に反射して像を結んでるんだよ」
「それって、僕らの送別会でしなきゃならないようなことなの?」と、つい、余計なことを口走ってしまう。
「月の巡りとこの会場が、ちょうど良かったんだ。ハムステッド・ヒースとここを線でつなぐと、ビッグ・ベンに向かってきれいな三角形が引けるんだ。ブーティカの塚にはすでに楔を打ってあるし、ここにも楔を打ち終えた。大丈夫、滞りなく終わったよ。それにしても、今日ここに集まっている人たちって――」
僕の皮肉な物言いを気にすることもなく、コウは言葉を切って僕を見あげ、にこやかに微笑んでいる。口を挟むと何を言いだすか判らない自分が怖くて、僕の方が唇を固く結んでしまう。
「すごい理想を抱えてるよね。きみもそうだけどさ、みんなドラコの性質に似てるね。彼と同じで何よりも知性を愛してる。だから存分に彼の波動を増幅してくれたよ」
ここにいるのは誰なんだ――。
コウはあっさりと、とんでもない主張をしてくれる。それに、誰と誰が似てるって? 他の奴らは知ったことじゃないが、そのなかに僕が加えられるのだけはいただけない。けれど、コウ相手に文句を言う気にもなれなくて、ただ、まじまじと彼を見つめていた。
「きみたちって、水の星の地球を理性の光で包みたくてしかたないみたいだ」
コウの目線が、また遥か遠くに見える金色の一点へと集中する。
「今見ているのはきみたちの夢であって、ドラコの意図するところじゃないよ。僕たちがここで望んだのは、もっとささやかなことだもの」
「ささやかなことって?」
これが奴の望みではないと言うのなら、何だと言うのだ。それにコウが、「僕たち」と赤毛と同調する言い方をしたことも気になる。コウの望み、コウが奴を受け入れる理由。それこそが、僕が知りたいことなんだ。
「僕の故郷とつながってこんがらがってしまった水の精霊の道を断ち切って、あるべき形に戻すことだよ。そのために僕はここに来たんだもの。解き放つのは、この街――、それに僕の故郷だよ」
「僕にはよく判らないけど、きみの願いはこれで叶ったの?」
「うん。ほら、きれいに道が整っていくのが見えるだろ」
コウの指さす金色の光のなかに、ぼんやりとロンドンの街並みが――、やがてもっと鮮明に、高くそびえるビッグベンが見おろせた。時計の文字盤の見えるゴシック復興様式の尖塔から、七色に輝く帯状の小さな龍が連なり、螺旋を描きながら勢いよく飛びたっている。
「あれも火の精霊のエネルギーなんだ」
シュルシュルと四方八方に散っていった彼らは、上空でパパパンッと続けざまに破裂していた。
花びらが散り落ちるように、闇空にまったりと黄金が滴り落ちては消えていく。
歓声があがった。
濃い煙幕を浮きあがらせて、色とりどりの大輪の花が咲き誇っていた。いくつも、いくつも――。
「彼の爪が水の精霊の道を切断し、彼の焔がその穴を塞いでくれた。――とりあえずはね」
コウの言う「道」と僕のイメージする「道」は、どうやら大きな隔たりがあるらしい。夜空に高く昇っていく姿は火の精霊のように見えていたものも、頭上で花開いたときには、馬鹿騒ぎの終わりを告げる花火にしか見えなかったのだから。
頬を撫でる夜気に、ぶるりと震えた。いつの間にか僕はコウと手をつないだまま、バルコニーに佇んでいたのだ。僕たちの周りでは誰もが、切れ間なく紫紺の空に打ち上がる花火を満足そうに眺めている。
「花火といえば――。これも僕のトラウマの一つだな」
「え、どうして?」
「キスしても、もう叩いたりしない?」
唇を尖らせて軽く睨むと、くすくす笑われた。それからコウは、首に手をかけて僕を引き寄せ、優しいキスをくれた。誰に見られているか判らないのに、気にもかけない様子で。
「僕は挨拶のキスなんていらない。日本人だからね。そんな習慣はないもの。いつだって本気のキスがいい」
「コウはけっこう無茶を言うね。でも、いいよ。きみが僕に望んでくれるのなら。なんだって――」
叶えてあげるよ、と危うく言いかけて、慌てて言葉を喉の奥へと押し戻した。コウにキスを返そうと顔をよせたそのすぐ先に、赤毛がニヤニヤ笑いながら立っていたのだ。思わずコウの肩を掴んで背後に隠したさ。
「ご苦労様。大したスペクタクルだったね。ガラスを割った程度で済んでほっとしたよ。ご苦労ついでに、このレストランの専属にしてもらったら? どうせ暇をもてあましてるんだろ」
「暇だと! 馬鹿も休み休み言え! なんだお前、まだコウから聴いてないのか! おい、コウ!」などと赤毛は僕の後ろにいるコウを、威圧的に呼んでいる。
「新しい同居人のことかな。それなら聴いてるよ。僕はこれ以上ややこしい同居……、」
赤毛の後ろで銀の髪が揺れ、ひょこりと顔を出す。やはりあの子だ。
「ジニー! どうしてお前がここにいるんだ!」
大声で割り込んできたのはショーンだ。「え?」と拍子抜けて、彼とその場に黙ったまま立っている銀の髪の少女を見比べる。
「妹なんだ」
「ショーン、人違いだよ。彼女はシルフィ。ドラコの親戚の子だよ」
今度はショーンの方が、僕に負けず劣らず納得できない眼つきでコウを睨む。
「そんなはずないだろ! あの森で逢ったときはちゃんと――」
「ちょっと、」
マリーに腕を引かれ、ショーンはぐっと唇を引き結んだ。落ち着きなく辺りに目を配り、一点で留まると瞳に戸惑いを見せて顔ごと伏せる。彼を戸惑わせた相手は、案の定バニーだ。悠然と人混みをかき分け僕たちに歩み寄ると、彼は当然のごとく、この二人の紹介を求めてきた。
赤毛はいつもの傲慢な態度を崩さない。けれどバニーを無視することもなかった。シルフィという少女の方は黙ったままだ。
「彼女、人見知りがきつくて。それに英語はできないんだよ」と、コウが取り繕っている。
「で、話はついたんだろ!」
「俺はかまわないよ!」
赤毛の横柄な言いぶりにすかさずショーンが応え、コウが僕に視線を注ぐ。ショーンも。マリーはそんな彼らを順繰りに眺め、赤毛とは目を合わさないようにさりげなく視線を逸らしてから、ひょいと肩をすくめて「別にいいわよ。コウがどうしてもって言うのなら――」と語尾を濁して同意を示した。
居た堪れない……。
これでは僕が同意しないわけにはいかないじゃないか。コウを救いだしたいのに、火の精霊の次は風の精霊! おまけにこの子の衣装、コウと揃いだ。僕よりもこの二人の方がよほどカップルに見えるなんて、いくらなんでもそれはないだろ!
腹立たしさから、トレイ片手にフロアの人混みを滑るようにぬっている緑のフロックコートを睨みつける。こんな服装を揃えるなんて、こいつらの仕業だとしか考えられない。
「はい、はい、アルバートさま、カクテルでございます! どうぞ、どうぞ、皆様方も! 宴はまだまだ始まったばかりでございますとも!」
しまった。
お節介な緑の袖口が、僕にいくつものグラスののったトレイを早速さしだしている。
頼んでもいないのに――。
だから、「赤毛はいったい何をしてるの?」と、もう何度目かになる質問を繰り返す。「ん」と、コウは返事とも尋ね返したともつかない曖昧な声を出し、迷っているのかしばらく小首を傾げていた。
「これを見せているのは彼の技じゃないよ。水の精霊の残像だよ」
それから苦笑を湛えて呟かれたのは、またもや僕には理解できない切り口だ。
「ドラコの加えた修正が、水の精霊の水鏡に反射して像を結んでるんだよ」
「それって、僕らの送別会でしなきゃならないようなことなの?」と、つい、余計なことを口走ってしまう。
「月の巡りとこの会場が、ちょうど良かったんだ。ハムステッド・ヒースとここを線でつなぐと、ビッグ・ベンに向かってきれいな三角形が引けるんだ。ブーティカの塚にはすでに楔を打ってあるし、ここにも楔を打ち終えた。大丈夫、滞りなく終わったよ。それにしても、今日ここに集まっている人たちって――」
僕の皮肉な物言いを気にすることもなく、コウは言葉を切って僕を見あげ、にこやかに微笑んでいる。口を挟むと何を言いだすか判らない自分が怖くて、僕の方が唇を固く結んでしまう。
「すごい理想を抱えてるよね。きみもそうだけどさ、みんなドラコの性質に似てるね。彼と同じで何よりも知性を愛してる。だから存分に彼の波動を増幅してくれたよ」
ここにいるのは誰なんだ――。
コウはあっさりと、とんでもない主張をしてくれる。それに、誰と誰が似てるって? 他の奴らは知ったことじゃないが、そのなかに僕が加えられるのだけはいただけない。けれど、コウ相手に文句を言う気にもなれなくて、ただ、まじまじと彼を見つめていた。
「きみたちって、水の星の地球を理性の光で包みたくてしかたないみたいだ」
コウの目線が、また遥か遠くに見える金色の一点へと集中する。
「今見ているのはきみたちの夢であって、ドラコの意図するところじゃないよ。僕たちがここで望んだのは、もっとささやかなことだもの」
「ささやかなことって?」
これが奴の望みではないと言うのなら、何だと言うのだ。それにコウが、「僕たち」と赤毛と同調する言い方をしたことも気になる。コウの望み、コウが奴を受け入れる理由。それこそが、僕が知りたいことなんだ。
「僕の故郷とつながってこんがらがってしまった水の精霊の道を断ち切って、あるべき形に戻すことだよ。そのために僕はここに来たんだもの。解き放つのは、この街――、それに僕の故郷だよ」
「僕にはよく判らないけど、きみの願いはこれで叶ったの?」
「うん。ほら、きれいに道が整っていくのが見えるだろ」
コウの指さす金色の光のなかに、ぼんやりとロンドンの街並みが――、やがてもっと鮮明に、高くそびえるビッグベンが見おろせた。時計の文字盤の見えるゴシック復興様式の尖塔から、七色に輝く帯状の小さな龍が連なり、螺旋を描きながら勢いよく飛びたっている。
「あれも火の精霊のエネルギーなんだ」
シュルシュルと四方八方に散っていった彼らは、上空でパパパンッと続けざまに破裂していた。
花びらが散り落ちるように、闇空にまったりと黄金が滴り落ちては消えていく。
歓声があがった。
濃い煙幕を浮きあがらせて、色とりどりの大輪の花が咲き誇っていた。いくつも、いくつも――。
「彼の爪が水の精霊の道を切断し、彼の焔がその穴を塞いでくれた。――とりあえずはね」
コウの言う「道」と僕のイメージする「道」は、どうやら大きな隔たりがあるらしい。夜空に高く昇っていく姿は火の精霊のように見えていたものも、頭上で花開いたときには、馬鹿騒ぎの終わりを告げる花火にしか見えなかったのだから。
頬を撫でる夜気に、ぶるりと震えた。いつの間にか僕はコウと手をつないだまま、バルコニーに佇んでいたのだ。僕たちの周りでは誰もが、切れ間なく紫紺の空に打ち上がる花火を満足そうに眺めている。
「花火といえば――。これも僕のトラウマの一つだな」
「え、どうして?」
「キスしても、もう叩いたりしない?」
唇を尖らせて軽く睨むと、くすくす笑われた。それからコウは、首に手をかけて僕を引き寄せ、優しいキスをくれた。誰に見られているか判らないのに、気にもかけない様子で。
「僕は挨拶のキスなんていらない。日本人だからね。そんな習慣はないもの。いつだって本気のキスがいい」
「コウはけっこう無茶を言うね。でも、いいよ。きみが僕に望んでくれるのなら。なんだって――」
叶えてあげるよ、と危うく言いかけて、慌てて言葉を喉の奥へと押し戻した。コウにキスを返そうと顔をよせたそのすぐ先に、赤毛がニヤニヤ笑いながら立っていたのだ。思わずコウの肩を掴んで背後に隠したさ。
「ご苦労様。大したスペクタクルだったね。ガラスを割った程度で済んでほっとしたよ。ご苦労ついでに、このレストランの専属にしてもらったら? どうせ暇をもてあましてるんだろ」
「暇だと! 馬鹿も休み休み言え! なんだお前、まだコウから聴いてないのか! おい、コウ!」などと赤毛は僕の後ろにいるコウを、威圧的に呼んでいる。
「新しい同居人のことかな。それなら聴いてるよ。僕はこれ以上ややこしい同居……、」
赤毛の後ろで銀の髪が揺れ、ひょこりと顔を出す。やはりあの子だ。
「ジニー! どうしてお前がここにいるんだ!」
大声で割り込んできたのはショーンだ。「え?」と拍子抜けて、彼とその場に黙ったまま立っている銀の髪の少女を見比べる。
「妹なんだ」
「ショーン、人違いだよ。彼女はシルフィ。ドラコの親戚の子だよ」
今度はショーンの方が、僕に負けず劣らず納得できない眼つきでコウを睨む。
「そんなはずないだろ! あの森で逢ったときはちゃんと――」
「ちょっと、」
マリーに腕を引かれ、ショーンはぐっと唇を引き結んだ。落ち着きなく辺りに目を配り、一点で留まると瞳に戸惑いを見せて顔ごと伏せる。彼を戸惑わせた相手は、案の定バニーだ。悠然と人混みをかき分け僕たちに歩み寄ると、彼は当然のごとく、この二人の紹介を求めてきた。
赤毛はいつもの傲慢な態度を崩さない。けれどバニーを無視することもなかった。シルフィという少女の方は黙ったままだ。
「彼女、人見知りがきつくて。それに英語はできないんだよ」と、コウが取り繕っている。
「で、話はついたんだろ!」
「俺はかまわないよ!」
赤毛の横柄な言いぶりにすかさずショーンが応え、コウが僕に視線を注ぐ。ショーンも。マリーはそんな彼らを順繰りに眺め、赤毛とは目を合わさないようにさりげなく視線を逸らしてから、ひょいと肩をすくめて「別にいいわよ。コウがどうしてもって言うのなら――」と語尾を濁して同意を示した。
居た堪れない……。
これでは僕が同意しないわけにはいかないじゃないか。コウを救いだしたいのに、火の精霊の次は風の精霊! おまけにこの子の衣装、コウと揃いだ。僕よりもこの二人の方がよほどカップルに見えるなんて、いくらなんでもそれはないだろ!
腹立たしさから、トレイ片手にフロアの人混みを滑るようにぬっている緑のフロックコートを睨みつける。こんな服装を揃えるなんて、こいつらの仕業だとしか考えられない。
「はい、はい、アルバートさま、カクテルでございます! どうぞ、どうぞ、皆様方も! 宴はまだまだ始まったばかりでございますとも!」
しまった。
お節介な緑の袖口が、僕にいくつものグラスののったトレイを早速さしだしている。
頼んでもいないのに――。
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